「ふぅ~ん? 麻実さんからデートのお誘いが来たんスか。流石浮気魔っスね師匠」
そうして、あれから時は過ぎ。
場所は引っ越したばかりの師匠の家へと場面は変わる。
なぜ当然のようには入り浸ってるか……なんて今更ッスよ。こんなの、私と師匠の仲っスもん。
そんな初々しい関係じゃないし、付き合いも長いから許されていることッス。
でも、今日の師匠……。
なんか普段よりも少し顔色が悪そうな気がするッスけど……大丈夫っすかね。
「いやいや!? 何当然のように家上がっちゃってんの八重森さん!? しかも、さっきの台詞は非常に聞き捨てならないんだけどッ!」
「エー? そんなこと言ったって、上がっちゃったもんはしょうがないじゃないですか~」
「ま、待ってくれって。もし万が一こんな所を水原に見られでもしたら――」
「そんな心配しなくても、私と師匠の仲ですよ? 天地がひっくり返っても、そんな疑われることは無いから安心して下さいッス!」
「う、うぐ……ッ。い、今に言葉はなんだか俺の心にぐっと刺さったような刺さらなかったような……ってちがーう!? さっき浮気魔って言ったよね!? まじで違うからな八重森さん!?」
そう涙目ながら、食料の荷物を置いた後に大きくため息を吐く師匠。
いつになくキョどりながらも、その姿を見れただけで自然と心が温かくなるのを実感する。
普段の日常を送ることが、どれだけ幸せなことなのか。
それは八重森みにが一番よく知っている。
千鶴さんと師匠、そして私の3人で暮らしたあの家は今となっても懐かしい思い出だ。
同居生活なんて、当初は考えてもいなかったけれど。
師匠の恋を成就させるためにも、必要不可欠なイベントだったッス。
それに……。
あの下見デートの時から、なぜだか以上に鼓動が速い気がするッス。
特に、師匠と二人きりで居るこの時間が、私にとっては本当に特別で。
もし、千鶴さんが居なかったら。とっくのとうに私はこの人に――。
って。い、いけないっス。こんな場所で不埒なこと考えてるんなんて、私らしくない。
とにかく。今は師匠に先ほどの件について聞かなければ。
「そーれーで。師匠は麻実さんに何て返したんですか?」
「い、いや……。まだ何も返せてはいない……けどさ」
「ええ……断らないんですか」
「断りたいんだけど、どう断れば良いかが分からないんだよ……」
そうして、ベッドの上で頭を抱えながらうがうがとジタバタする師匠。
まあ、別に師匠が千鶴さん以外の女性とデートしても浮気しないことは確信しているッス。
これまでも、長い付き合いを経た中で彼が間違いを犯したことは一度も無い。
途中で瑠夏さんにヌかれたことはちょっと衝撃的だったっスけど……。
アレは本番行為していないからギリセーフのはずッス。
というか、そんな場面で逆にやらなかったのは、師匠の鋼のメンタルのお陰っス。
でも、ほんのちょっとだけ。少しだけ、嫉妬する気持ちがあるのは許してほしい、かな。
「少し聞きたいんスけど、師匠って麻実さんのこと、今はどう思ってるっスか?」
「え、ええ?」
「もう千鶴さんとの関係は婚約寸前まで来てるじゃないっスか。今更あの人と仲を修復する必要なんて、無いと思うッスけど」
「い、いや。水原にはもうあのデートでフラれてるし……っ! それに、麻実ちゃんにはあのハワイアンズの件があってから、もう嫌われてるも同然だし……」
「でも、教習所では思わせぶりな態度取って来たんじゃないッスかどうせ」
「あ、アレは! お、俺視点から話したことであって、実際にそうだとは――!」
師匠の言葉を聞きながら、私はいつもの缶ビールとつまみ用の刺身を並べていく。
女との恋のお話は、夜と酒が一番相性良いっスからね。
今日は何時コースになるかは分からないッスけど。まあそこの部分は自分の気分次第って所っス。
「とにかく、それは師匠が考えるべきっス。私の意見ばかり聞くんじゃなく、たまには自分の勘を信じてみるのも悪くない手かもしれないッスよ」
「う、うぐ……ッ! 非常に痛いことを……!」
「まあ、私なら即断るっスけどね。千鶴さんみたいな絶対に逃しちゃいけない人だけしか見れないはずっスから」
「そ、そりゃ。出来ることなら俺だってそうしてえよ……」
「あははっ。まあ師匠はちょっとお人好しな部分があるっスからねえ。そーゆう所に惚れる女がたくさんいるってことッス」
缶ビールの蓋をプシュッと開け、一口だけゴクリと喉に流す。
今日一日分の疲れが、この瞬間全て取れたような……そんな実感を味わう。
向かいに座っている師匠も、もうやってられないのかゴクゴクと缶ビールを片手に飲んでいるッス。
ふふ。相変わらず不器用で頑固な部分が多いっスけど……。
そういうだらしない姿は、目の保養になるっス。感激っす。
「何を言ってるんだか……」
「にっしっし。今の師匠には理解しなくて大丈夫っス」
「むぎー!? な、何かムカつくんだけどそれ!?」
「恋する乙女たちの心は、そんな簡単には分からないもんッスよ~」
そんなこんなで、いつもの日常が過ぎていく。
酒を飲んで、コスプレして、お悩み相談なんかも受けて。
時には、苦しい時もあったり、悲しい事もあったりするけれど。
そんな悩みは、この人の顔を見ただけで、全部吹っ飛んでいく。
いつまでも、こんな時間が続けば良いのにと思っていた。
もし千鶴さんと本当の恋人になったとしても。
私……『八重森みに』とは本当の友達として関係を維持してくれるだろうと、そう期待しているから。
だから、今この瞬間だけはこれで良い。
そう、思っていたはずなのに――。
「あ、あれ……師匠?」
急に、意識が飛んだかのように。
床に倒れる彼の姿を目の前で見てしまった。
ついさっきまで、いつも通り会話をしていた彼が、突如何かに襲われたかのように。
鈍い音と共に、横たわる師匠の姿は。
何ともシュールな演技かと思ったりもしたのだが――。
「もー師匠ったら。もう酔いつぶれちゃったんですかー? まだ缶ビール一本の半分も手つけていないのに――」
アハハー、といつものように私は笑いながら。
最初はいつもの冗談かと思っていた。
彼とこうして酒で酔いつぶれる日もよくあること。
だから、この展開は大して珍しくも無い出来事であるはずなのだが……。
「え、ちょ。師匠……?」
数十秒、呼びかけても全く反応しない。
普段であれば、何かしら『水原……水原ぁ……』と涙目ながら叫ぶ場面なのに、何も言葉を発しないのは少し緊張感が走る。
思えば、今日は出会った時から少し調子が悪そうだった。
話を聞けば、麻実さんからのデートのお誘いが来ていつものって感じだと思ったっスけど……。
「ね、ねえ師匠? ちょっと反応に応じてくれないと困るんスけど……ッ!?」
そう言い終えた途端。
立ち上がって傍まで行くと、大量の汗と過呼吸を繰り返している師匠が居た。
何がどうしてこうなっているのかは理解できない。
もしかしたら、自分のせい――だなんて思うのも頭の片隅にまで考えてしまった。
でも、そんなことはどうでも良い。
今この瞬間、優先してやらないといけないことは――。
「救急車、呼ばないと……!!」
そう叫んで、必死になって電話したことは、今でも覚えている。
まさか。この日が人生においてターニングポイントになるだなんて、思ってもいなかった。
いつものように、彼が元気な姿で戻ってくるだろうという甘い考えが、どれだけ残酷なことなのかを身をもって知ってしまった。
師匠がずっと抱えていた『不治の病』に――誰も気が付かなかったのだから。