東方異人録   作:かまきりバニラ

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『永遠亭へ行ってみよう』

「嫌な予感がする……か」

 

 道中、アサヒの口から独り言が漏れる。慧音の言葉をなぞるように、視線は前方の道へと向けられた。

 

 「慧音さんの嫌な予感ほど的中するものはないからなぁ……少し骨が折れそうだ」

 

 アサヒが吐息を漏らすと、そのすぐ隣を歩くアオが口を開いた。

 

 「アオいる。大丈夫」

 

 感情の起伏を排した声ではあったが、アオはアサヒの歩幅に合わせて歩を進めている。

 

 「ありがとうアオ。居てくれて本当に助かるよ」

 

 アサヒは小さく息を吐き出し、人里の出口へと続く道を見据えた。二人の影が、夕暮れ時の地面に長く伸びている。

 

 人里を離れ、魔法の森へと続く道を進む。鬱蒼と生い茂る木々が夕闇を深め、周囲には湿った土と草の匂いが立ち込めていた。

 

 アサヒとアオの足音が、静まり返った森に規則正しく響く。やがて、木立の合間から、見慣れた洋館のシルエットが浮かび上がった。アリス・マーガトロイドの邸宅だ。

 

 玄関の前に立ち、アサヒが重厚な扉を叩く。わずかな沈黙の後、扉が内側から静かに開かれた。

 

 「おかえりなさい。随分と遅かったじゃない」

 

 扉の向こうには、数体の人形を周囲に浮かせたアリスが立っていた。彼女は二人を迎え入れながら、その表情をわずかに動かした。

 

 「何かあったの? 二人とも、人里へ米を届けに行くだけにしては、少し顔つきが違うようだけど」

 

 アサヒは家の中へと足を踏み入れ、手にした荷物を置きながら、一息ついてアリスに向き直った。

 

 「ただいま戻りました、アリスさん。……実は、慧音さんから少し厄介な探し物を頼まれまして」

 

 アサヒの言葉に、アリスは浮かせていた人形を手元に戻し、興味深そうに目を細めた。アオは音もなく玄関の隅へと移動し、主人の会話を静かに見守っている。

 

 「誰から頼まれたの……?」

 

 アリスは手元の人形を棚へ戻すと、怪訝そうに眉を寄せた。アサヒは玄関の上がり框に腰を下ろし、預かった写真を懐から取り出した。

 

 「慧音さんから」

 

 「ああ……。あの寺子屋の」

 

 アリスは納得したように短く応じ、アサヒの差し出した写真を覗き込んだ。そこに写る白髪の少女の姿を認めると、彼女の視線に微かな警戒の色が混じる。

 

 「藤原妹紅……。迷いの竹林に住み着いている、あの不死身の人間でしょ?」

 

 「え、知ってるのか?アリス」

 

 アサヒの問いに、アリスは部屋の奥へ歩を進めながら、肩越しに言葉を続けた。

 

 「個人的な付き合いがあるわけじゃないけれど、この界隈で彼女の名を知らない者はいないわ。竹林で迷った人間を案内することもあるようだけど……基本的には近づきがたい、一種独特な空気を持った人物よ。何より、死ぬことがない『蓬莱人』だっていう噂は有名だもの」

 

 アリスはキッチンへ向かい、棚からティーカップを取り出した。カチリと磁器が触れ合う音が、静かな室内に響く。

 

 「あの慧音がわざわざ他人に捜索を頼むなんて、よっぽどのことね。彼女、妹紅のことになると、自分で行ける範囲ならなりふり構わず動くはずだもの。それができない、あるいは手掛かりが人里の外にあると踏んだのかしら」

 

 「烏天狗の射命丸に話を聞こうと思ってる。山の方に関係があるのかも……」

 

 アサヒがそう付け加えると、アリスは手を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。その表情には、慧音と同じような懸念が浮かんでいる。

 

 「妖怪の山……。もし本当にあそこに首を突っ込んでいるのだとしたら、慧音が心配するのも無理はないわ。天狗たちは情報の塊だけど、それ以上に縄張り意識が異常に強い。ただの行方不明ならいいけれど、山の連中が関わっているとなると話は別よ」

 

 アリスはポットに湯を注ぎ、立ち昇る蒸気の向こうでアサヒと、その影に控えるアオを交互に見つめた

 

 「因みに、蓬莱人っていうのは?」

 

 アリスは手を止め、棚から取り出した茶葉をポットに入れながら、静かに口を開いた。

 

 「この幻想郷の理(ことわり)から外れた、不老不死の存在のことよ。病にかかることもなければ、老いることもない。たとえ体が灰になるまで焼かれようと、バラバラに壊されようと、瞬く間に元通りに再生してしまう。……文字通り、死ぬことができない身体を持った者たちのことね」

 

 アリスはコンロの火を止め、熱い湯をゆっくりと注いだ。茶葉が踊り、独特の香りがリビングに広がる。

 

 「その力は『蓬莱の薬』という禁断の薬を服用することで得られると言われているけれど……その末路は、私たちが想像するような輝かしいものじゃないわ。周囲が死に絶えていく中で、自分だけが永遠に変わらず、痛みや苦しみだけを感じ続ける。妹紅はそうやって、途方もない年月を生きてきたはずよ」

 

 彼女は二つのカップに紅茶を注ぎ、一つをアサヒの前のテーブルに置いた。

 アリスは自分のカップを手に取ると、ふぅ、と小さく息を吹きかけて熱を逃がした。

 

 アサヒは手元のカップを握りしめ、隣で話を聞いていたアオは、表情一つ変えずに、ただ窓の外の暗い森をじっと見つめていた。

 

 「まず烏天狗に情報を聞きに行く前に、永遠亭を当たってみたら?」

 

 「永遠亭……?」

 

 アリスはカップを口に運び、一度喉を潤してから続けた。

 

 「迷いの竹林の奥深くにある屋敷よ。あそこには、月の都の賢者だと言われている八意永琳と、その主である輝夜という姫が住んでいるわ。彼女たちもまた、蓬莱の薬に関わりがあると言われているわね」

 

 アリスは視線を窓の外、竹林があると思われる方角へと投げた。

 

 「妹紅と永遠亭の住人たちは、古くからの因縁があるという噂よ。彼女の行方について、あそこの連中が何も知らないはずがないわ。ただの家出なのか、それともあの一家が何かを隠しているのか……」

 

 彼女は再びアサヒに視線を戻し、真剣な眼差しで忠告を付け加えた。

 

 「ただし、永遠亭に行くなら気をつけて。あそこは兎たちが仕掛けた迷路に守られているし、主たちは底が知れない。烏天狗に接触して山を相手にするよりはマシかもしれないけれど」

 

 アサヒは永遠亭という聞き慣れない名前を頭に刻み込むように頷いた。

 

 「永遠亭……迷いの竹林の主たち、か。確かに、妹紅さんの住処が竹林なら、一番事情を知っていそうだな」

 

 「ええ。まずは足元から固めること。山へ向かうのは、竹林で手掛かりが得られなかった時でも遅くはないわ」

 

 アリスはそう言うと、静かにカップをソーサーに戻した。カチン、という硬質な音が、作戦の決まった合図のように室内に響いた。

 

 「それにしても貴方、この一年でだいぶ幻想郷にも馴染んできたわね」

 

 アリスは皮肉とも感心ともつかない口調で言い、手元のスプーンでゆっくりと茶をかき混ぜた。金属が触れ合う微かな音だけが、静かな室内に響く。

 

 「『妖怪殺し』なんて、似合わない二つ名もつけられてるみたいじゃない。人里の人間たちの間でも、貴方の噂はよく耳にするわ。本人の預かり知らぬところで、色々と目をつけられているわよ?」

 

 アリスは茶を一口啜り、上目遣いにアサヒの反応を窺った。

 

 「外の世界から来た、正体不明の男。そしてその影に付き従う、感情の見えない幼い少女。人里を助ける英雄として見る者もいれば、平然と妖怪を仕留めるその手腕を、不気味に感じている者も少なくないわ。特に山の天狗たちは、情報の扱いには長けているけれど、それ以上に脅威になりそうな存在には敏感よ」

 

 アリスの言葉を、アサヒは黙って受け止めた。湯呑みから伝わる熱が、手のひらに重く感じられる。

 

 「今回の依頼も、ただの人探しで済めばいいけれど」

 

 アリスの視線がアサヒから、その背後に佇むアオへと移った。アオは相変わらず何も語らず、ただ主人の影と同化するように、静かにそこに立っていた。

 

 「アオというその万能な矛に頼りすぎないことね」

 

 アリスは伏せていた視線を上げ、アサヒの影に寄り添う少女を真っ直ぐに見据えた。

 

 「その子の力は、確かにこの幻想郷でも異質。並の妖怪なら相手にもならないでしょう。でも、ここは力がすべてを決める場所じゃない。特に今回のように、不死の存在や月の知恵、天狗の社会が絡むとなれば、暴力だけでは解決できない……あるいは、強すぎる力が事態を決定的にこじらせることもあるわ」

 

 アリスは空になったカップをテーブルに置いた。その動作は静かだが、どこか断定的な響きを含んでいる。

 

 「強大な力が、いつの間にか自分たちを追い詰める檻になる。そんな光景を、私はこの幻想郷で何度も見てきたわ。アオが貴方の指示に忠実であればあるほど、貴方の判断一つで、取り返しのつかない火種を撒くことになるのを忘れないで」

 

 アサヒが隣を振り返ると、アオは感情を削ぎ落とした黒い瞳でじっとアリスを見つめ返していた。反論も肯定もせず、ただそこに存在することだけを全うしているかのような静寂。

 

 「……肝に銘じておく」

 

 アサヒの短い返答を聞くと、アリスはふっと表情を和らげ、いつもの落ち着いた物腰に戻った。

 

 「さて、夜も更けてきたわ。明日に備えて、今日はもう休みなさい」

 

 アリスは指先を動かし、待機していた人形たちに寝室の準備を命じた。二人の背後で、人形たちがカチカチと関節を鳴らしながら動き始める。

 

 アリスの言葉が静かに部屋に溶けていく中、アサヒは残った紅茶を飲み干し、ゆっくりと席を立った。

 

 用意された寝室に入ると、魔法の森特有の、湿った土と古い書物の匂いが混じった空気が鼻をくすぐる。窓の外では、夜の森に住まう妖精や虫たちの微かな羽音が、遠くの波音のように寄せては返していた。

 

 アサヒは横になり、天井の木目を見つめながら今日一日の出来事を反芻する。慧音の神妙な顔、写真の中の少女、そしてアリスの忠告。重なる思考は、やがて深い眠りの底へと沈んでいった。

 

 その傍らで、アオもまた静かに横たわっていた。彼女は呼吸をしているのか疑わしいほどに微動だにせず、ただ闇の中に視線を預けている。主人の寝息が規則正しくなり、意識が完全に手放されたのを見届けると、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。

 

 人里の活気も、寺子屋の子供たちの声も、すべてが闇に塗り潰される。

 

 明日の迷いの竹林への行軍を前に、洋館の一室は深い静寂に包まれていた。




展開遅くてサーセン!
根気強く見てくれれば助かります!
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