東方異人録   作:かまきりバニラ

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『クエスト更新』

 竹林の密度が急激に薄れ、視界が開けた。

 

 湿った緑の迷宮の先に現れたのは、周囲の喧騒を拒絶するように鎮座する、広大な屋敷だった。

 

 「はい、到着。ここが永遠亭だよ」

 

 てゐが立ち止まり、親指で背後の建物を指し示す。

 

 重厚な門構えと、長い年月を経てなお艶を失わない黒檀の柱。手入れの行き届いた庭の砂利は、月明かりを反射するかのように白く発光している。建物全体が、周囲の竹林とは切り離された別の時間軸に存在しているかのような、空気を纏っていた。

 

 アサヒは足を止め、その威容を見上げた。

 

 アオはアサヒの半歩後ろで立ち止まり、屋敷の奥から漂ってくる微かな薬草の匂いに鼻腔を震わせる。視線は、屋敷の入り口から動く気配のない、二つの影を捉えていた。

 

 「……客かい、てゐ」

 

 奥まった縁側から、落ち着いた、しかし有無を言わせぬ響きを持った声が届く。

 

 てゐはひらひらと手を振りながら、アサヒたちの横をすり抜けて屋敷の方へと駆け寄っていった。アサヒはアオを伴い、砂利を踏みしめて門をくぐる。

 

 そこには、濃紺の服を纏った銀髪の女性と、それとは対照的に豪奢な意匠の服を着た、夜そのものを体現したような雰囲気の女が立っていた。

 

 「ようこそ、永遠亭へ。私は八意永琳」

 

 銀髪の女性が静かに一歩前へ出た。

 

 その声は平坦で、感情の起伏を読み取ることは難しい。彼女の視線はアサヒの顔を数秒捉えた後、その隣に立つアオの全身を、スキャナーでなぞるように上から下へと動いた。

 

 「てゐが悪戯することもなく、素直に道案内をして連れてくるなんて珍しいわね」

 

 永琳の傍らに立つ、豪奢な服を纏った女が扇を口元に寄せた。長い黒髪が揺れ、夜の深淵を写したような瞳がアサヒたちを見据える。

 

 「……何か理由があって来たって感じね」

 

 その言葉と共に、屋敷を包む空気が一段と重みを増した。

 

 てゐは縁側の端に腰掛け、ぶらぶらと足を揺らしながら、爪の手入れを始めている。

 

 彼女の視線は手元に落ちており、そこには先ほどまでの饒舌さは微塵もなかった。

 

 アサヒは一歩踏み出し、砂利を踏む音を響かせた。アオは無言のまま、主人の動きに一寸の狂いもなく追従し、その視線は永琳の手元へ。隠された武器や術の兆候がないかを静かに監視し続けている。

 

 庭の池でししおどしが、乾いた音を立てて静寂を割った。

 

「その……俺はアサヒ。こっちはアオっていいます」

 

 アサヒはわずかに緊張を含んだ声で名乗った。隣のアオは、深く頭を下げることもなく、ただ一点を見つめたまま彫像のように佇んでいる。

 

 「八意さんの――」

 

 「永琳でいいわよ」

 

 遮るように発せられた言葉に、アサヒは一度言葉を飲み込み、頷いた。

 

 「では。永琳さんの言う通り、俺達はここの人達に聞きたいことがあって来ました」

 

 アサヒがそう告げると、永琳は隣に立つ黒髪の女性と視線を交わした。

 縁側に座るてゐは、退屈そうに欠伸をしながらも、その耳だけはぴんと直立してこちらの会話を拾っている。

 

 「聞きたいことって?」

 

 永琳が問いを投げると同時に、背後の屋敷の奥から吹き抜ける風が、竹林の匂いを運んできた。

 

 「藤原妹紅のことについて」

 

 その名が口にされた瞬間、永琳と隣の女性の眉がわずかに跳ね上がった。二人は言葉を交わすことなく視線をぶつけ合い、数秒の沈黙が流れる。永琳の瞳の奥に宿る理知的な光が、アサヒの奥底を見透かすように鋭さを増した。

 

 「その話、私達も聞きたいの。上がって。大層なおもてなしは出来ないけど、中で話しましょ?」

 

 永琳はそう言って、屋敷の内側へと身体を向けた。隣の女性も扇を閉じると、滑らかな動作で畳の奥へと消えていく。

 

 アサヒは一呼吸置いてから、板張りの廊下へと足をかけた。

 

 アオはその背中に吸い寄せられるように歩を進め、敷居を跨ぐ瞬間に一度だけ、竹林の闇へと鋭い視線を投げた。

 

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 「すごく広いお屋敷ですね」

 

 アサヒは、磨き上げられた長い廊下を歩きながら、天井の高さと奥行きに視線を走らせた。アオの草履が板張りの床を踏む音だけが、伽藍とした空間に規則正しく反響する。

 「ええ。住んでる人は少ないけれどね」

 

 永琳は振り返ることなく、前方を歩きながら淡々と答えた。

 

 襖の向こうから漏れ聞こえるはずの生活音は一切なく、ただ線香にも似た薬草の香りが、ひんやりとした静寂と共に廊下を満たしている。

 

 廊下の左右に並ぶ障子戸はどれも固く閉ざされ、その広大さがかえって、住人の少なさを強調していた。

 

 「適当に座って?」

 

 永琳が促した先には、使い込まれていながらも端正に整えられた客間があった。

 

 「お邪魔します」

 

 アサヒは一礼して畳の上に腰を下ろした。アオはその動きに合わせ、主人の左斜め後ろに、物音一つ立てずに膝を折る。

 

 正面には永琳が座り、その隣には先ほどの黒髪の女性が、流れるような動作で腰を下ろした。

 

 部屋の中央に置かれた長机を挟み、四人の視線が交差する。障子越しに差し込む月光が畳に格子状の影を落とし、部屋を二つに分かつ境界線のように、静かに横たわっていた。

 

 「早速だけど――」

 

 「妹紅のこと、何か知ってるの?」

 

 永琳が切り出そうとした言葉を、隣の女性が遮るようにして身を乗り出した。その瞳には、先ほどまでの余裕とは異なる、切実な光が混じっている。

 

 「えっと……」

 

 「ごめんなさい。自己紹介が遅れたわね」

 

 女性は一度、扇で口元を隠して居住まいを正した。

 

 「私は蓬莱山輝夜。この永遠亭の主よ」

 

 輝夜は一度だけアサヒに視線を預け、すぐに本題へと引き戻した。

 

 「それで……貴方達から妹紅の名前が出てくるっていうことは、何か知ってることがあるんじゃないの?」

 

 「すみません。その逆です。俺達は上白沢慧音という人物から、妹紅を探して欲しいという依頼を受けています。なので、手掛かりを探しに来たわけで、今は何一つ分からない状況なんです」

 

 「寺子屋にも来てないってこと……?」

 

 「はい。慧音さんがおっしゃる限りでは」

 

 アサヒは、輝夜が慧音の名に即座に反応した様子を視界の端で捉えていた。

 

 (この人も慧音さんのことを知っているのか……)

 

 幻想郷という場所が、誰と誰が顔見知りなのかも定かではないほどに広く、それでいて意外なほどに繋がりの強い狭いコミュニティであることを、アサヒは再確認することとなった。

 

 輝夜は畳の上に置いた自分の手をじっと見つめ、永琳は静かに目を閉じて、何かを深く推し量るような沈黙に入った。客間の空気が、一気に重さを増していく。

 

 「その様子を見る限りでは、もしかしてお二人も妹紅の行方を……?」

 

 アサヒが探るように問いかけると、輝夜は視線を落としたまま、静かに、そして力なく首を振った。

 

 「ええ。貴方の言う通り。私達にも見当がつかないの」

 

 その声には、先ほどまでの威厳とは異なる、隠しきれない疲労の色が混じっていた。

 

 「一人、使者をあらゆる場所へ向かわせて調査をさせてるけど、何も進展がないの。だからあなたが妹紅の名前を口に出した時、もしかしたらと思って期待したのだけれど……」

 

 輝夜の言葉を受け、アサヒはわずかに肩を落とした。

 

 「すみません。無駄な期待をさせてしまって……」

 

 「ごめんなさい。言い方が悪かったわね。あなたが謝る必要はないわ」

 

 輝夜は慌てたように顔を上げ、アサヒを制した。彼女は自らの言葉が彼を萎縮させたことを察したのか、少しだけ眉を下げ、柔らかな、しかしどこか遠くを見つめるような眼差しを向けた。

 

 「えーっと……輝夜さん? でよろしいですか?」

 

 アサヒが確認するように問いかけると、彼女は薄く笑みを浮かべて頷いた。

 

 「ええ。好きに呼んでちょうだい」

 

 「輝夜さんと妹紅さんの関係は……?」

 

 「友人……なのかしらね……」

 

 輝夜は一度言葉を切り、視線を斜め下へ泳がせた。その歯切れの悪い物言いに、アサヒの頭の中には疑問符が浮かぶ。

 

 しかし、先ほど彼女が見せた、焦燥とも取れる切実な反応は、単なる知人のそれではない。アサヒは、言葉の濁し方と態度の食い違いを記憶の隅に留め、二人の間には一言では定義しきれない、長い積み重ねがあるのだと直感した。

 

 「どこ行ったのよ……バカ……」

 

 輝夜の唇から漏れた呟きは、客間の静寂に吸い込まれるように消えた。彼女の視線は畳の一点を見つめたまま、動こうとはしない。

 

 その横顔を一度だけ見た永琳が、姿勢を正してアサヒへと向き直った。

 

 「アサヒさん。どうか、妹紅の捜索に手を貸してもらえないかしら……?」

 

 永琳の双眸には、迷いよりも確かな決意の色が宿っている。アサヒは躊躇うことなく頷いた。

 

 「元より、その依頼を受けてこちらに来た身です。喜んでお手伝いしますよ。むしろ、協力者が出来てとても心強いです」

 

 「ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ」

 

 永琳はわずかに表情を和らげ、深く一礼した。続いて、顔を上げた輝夜もアサヒを見つめ、どこか憑き物が落ちたような、それでいて微かな熱の籠もった笑みを浮かべる。

 

 「私からも礼を言うわ。ありがとう、アサヒ」

 

 その謝意を受け取ったアサヒの横で、主人の合意を汲み取ったのか、彼女は膝に置いていた手を静かに下ろし、即座に動けるよう重心を微かに前へと移す。

 

 「ところで、お隣の可憐な少女――もとい、アオさんとアサヒさんの関係は?」

 

 輝夜が、好奇心を隠しきれない様子で身を乗り出した。それまで置物のように静止していたアオへと、全員の視線が集中する。

 

 「なんと言えば良いか……」

 

 アサヒが適切な言葉を探して言い淀んだ、その時だった。

 

 「わたしの体は、ごしゅじんさまのもの」

 

 アオが抑揚のない、しかし澄んだ声で断言した。

 

「ちょ、アオ。その言い方は語弊があるしあらぬ誤解を受けるから!」

 

 アサヒが慌てて両手を振るが、時すでに遅かった。輝夜は扇で口元を覆い、引いたような、あるいは何か恐ろしいものを見るような目でアサヒを凝視している。

 

 「アサヒ、あなた……紳士的で礼儀がなってる男だと思ったのに……」

 

 「やはり外来人というのは変わり者ばかりなのですね、輝夜様」

 

 永琳までもが、憐れみの混じった冷ややかな視線をアサヒに向けた。その手元では、先ほどまでの協力者への敬意が、急速に警戒対象へのそれへと書き換えられていく。

 

 「ほら! 受けてる! 早速あらぬ誤解を受けてる!」

 

 「わたしのこと好きにつかっていいのは、ごしゅじんさまだけ」

 

 追い打ちをかけるようなアオの無垢な追撃。彼女は表情一つ変えず、ただ事実を述べているという風体で座り続けている。

 

「アオやめて……! 見て! 二人の表情が信頼から軽蔑に変わりつつある! 最初の掴みいい感じだったのに……!」

 

 アサヒは顔を覆い、天を仰いだ。先ほどまで漂っていた「協力して難事件に挑む」というシリアスな連帯感は、アオの放った数文字の爆弾によって、修復不可能なほどに木端微塵に砕け散っていた。

 

 「あなたが変態なのは良いとして」

 

 輝夜はパンッと音を立てて手のひらを叩き、事も無げに言い放った。その瞳には、もはや疑いようのない「確定事項」としての色が宿っている。

 

 「俺が変態であることを前提に話を進めようとしないでください……!」

 

 アサヒの必死の抗弁を、隣に座る永琳が鋭い眼光で遮った。

 

 彼女の視線はアサヒを通り越し、再びアオへと向けられる。先ほどまでの軽蔑を含んだ柔らかさは消え、観察者としての冷徹な光が戻っていた。

 

 「その子、異常なほどの妖力というか、魔力というか……言いようのない力を持ってるわね」

 

  永琳の言葉に、客間の空気が一変して張り詰めた。

 

 アオは「主人のもの」と宣言した時と変わらぬ無機質な表情で、永琳の視線を受け流している。

 

 彼女の周囲の空間が、僅かに歪んで見えるほどの密度を帯び始めた。

 

 「さっきから見ていたけれど、生命としての鼓動や体温、そういった『揺らぎ』が一切感じられない。アサヒさん、この子はいったい――何者なの?」

 

 永琳の問いは、もはや冗談を許さない重みを持っていた。アサヒは顔に手を当てたまま、自身の冤罪を晴らすことよりも先に、アオの存在というより深い問題に向き合わざるを得なくなった。

 

 「アオはもともと妖魔本?だったんです」

 

 アサヒの言葉に、輝夜が呆気にとられたように瞬きをした。

 

「本……?」

 

「はい。俺がたまたま本を読んだら、今の人の形を成して、それからはずっとこんな感じです」

 

 その説明を聞いた永琳は、顎に手を当てて思考に沈んだ。観察する目はより深層を覗き込もうとするかのように細められる。

 

 「興味深いわね……」

 

 永琳の呟きは、医者としての知的好奇心か、あるいは未知の脅威に対する警戒か。どちらとも取れる響きを含んでいた。

 

「ただ、本人も俺も分からないことだらけで……確実に分かってることは、アオが半端なく強いって事だけです」

 

 アサヒがそう断言すると、アオは主人の言葉を肯定する

ように、僅かに顎を引いた。

 

 「本」という無機物から転じた存在。その異質さが、広大な客間の空気をじわじわと侵食していく。

 

 輝夜はアオをじっと見つめた。彼女の目には、アオが単なる従者ではなく、実体を持った「謎」そのものとして映っているようだった。

 

 「ただ、彼女自身の意思は皆無に等しくて、俺の言うことしか聞かないんです」

 

 アサヒがそう付け加えると、輝夜は面白そうに口角を上げた。

 

 「あら。絶大な信頼を置かれてるのね」

 

 「出会ったときから俺の言うことしか聞かなくて、自分でもよく分かってないんです。でも、アオにはたくさん守られてきました。俺が幻想郷でここまでやれたのは、この子が隣にいたからこそです」

 

 アサヒが吐露した言葉には、単なる持ち主としての自負ではなく、隣に座る少女への純粋な謝意が混じっていた。

 

 永琳は、アサヒの言葉を反芻するように静かに頷いた。彼女の視線は、一切の感情を見せないアオの横顔に注がれている。

 

 「最強の矛……とでも言えばいいのかしら?」

 

 永琳のその言葉に、アサヒは一瞬言葉を詰まらせた。

 

 客間の静寂の中で、アオは主人の言葉を聞いているのかいないのか、ただ微動だにせず座っている。しかし、永琳が「最強の矛」と口にした瞬間、アオの指先がわずかにピクリと動き、主人の裾に触れるか触れないかの距離まで近づいた。それは、彼女なりの意思表示なのか、あるいは単なる反射なのか。

 

 「最高の相棒……ですかね」

 

 アサヒが少し照れくさそうに、しかし確かな体温を込めてそう言った。

 

 その瞬間、鉄面皮だったアオの頬が、春の雪解けのように微かに緩んだ。無機質だった瞳に、ほんの一滴の柔らかな光が差す。

 

 アサヒの言葉一つで、その在り方を根底から変えてしまう少女の豹変。それを見た永琳と輝夜は、思わず言葉を失った。

 

 互いを見つめるわけでも、言葉を交わすわけでもない。ただ隣に座っているだけ。それなのに、二人の間にある空気はあまりに濃密で、不可侵な結界のように完成されていた。

 

 第三者が、どれほど踏み込もうとしても、決してその深淵には触れられない。二人だけの完結した世界が、客間の静寂の中で静かに、しかし圧倒的な質量を持って存在していた。

 

 永琳は小さく息を吐き、輝夜は閉じた扇で自身の膝をトントンと叩いた。二人の表情には、もはや「変態」を揶揄するような軽薄さはなく、強固な絆に対する、ある種の尊敬に近い理解が浮かんでいた。

 

 「話は終わった~? だったら今後の方針を固めた方がいいんじゃなーい?」

 

 いつの間にか襖に寄りかかっていたてゐが、退屈そうに爪を眺めながら口を開いた。その声は、二人の間に漂っていた独特の空気を軽快に切り裂いていく。

 

 「てゐの言う通りね。今、私達がするべきことを整理しましょう」

 

 永琳が居住まいを正し、机の上に指先を置いた。

 

 その瞳からは先ほどまでの観察者の色は消え、鋭利な光が宿る。アサヒも表情を引き締め、アオの微かな変化を意識の片隅に残しながら、永琳へと向き直った。

 

 輝夜は扇をゆっくりと開き、その奥で真剣な眼差しをこちらへ向けている。

 

 「妹紅の失踪」という共通の懸案事項に対し、永遠亭と、アオという規格外の戦力が一つに結びつこうとしていた。客間の湿った夜の空気が、方針を固めるための静かな緊張感へと塗り替えられていく。

 

 「とは言ったものの、話は使者が戻ってきてからなんだけど……」

 

 永琳が視線を泳がせ、気まずそうに眉根を寄せた。先ほどまでの賢者然とした余裕が、一気に霧散していく。 

 

 「どうしました?」

 

 アサヒが聞き返すと、永琳は一度深く溜息を吐き、重い口を開いた。

 

 「実を言うと、ある場所に向かわせてから、しばらく戻って来ていないの……」

 

 「どこへ向かったんですか?」

 

 「妖怪の山よ」

 

 永琳の答えに、アサヒはわずかに頬を引きつらせた。

 

 「しばらく戻って来ないって言うか、何かしらに巻き込まれたってなんとなく分かってたでしょ」

 

 襖のそばでてゐが、これ幸いとばかりに茶化すような声を上げる。

 

「そうね。それは否定できないわ」

 

「アサヒ~。そのお使い途中に巻き込まれたかもしれない使者も捜索して欲しいってさ~」

 

 てゐの無遠慮な通訳に、輝夜と永琳は揃って顔を伏せた。床の畳の目を数えるかのように俯く二人の肩には、主としての威厳よりも、身内を危うい場所に送り出したことへの後ろめたさが色濃く滲んでいる。

 

「丁度俺達も向かおうと思ってたところです。任せてください」

 

 アサヒは事も無げに請け負った。その声に迷いはなく、むしろ進むべき道が一本に繋がったことへの確信すら感じさせる。

 

「ごめんなさい。私達の使いのものは関係ないっていうのに……」

 

 永琳が伏せていた顔を上げ、申し訳なさに眉を下げた。月の賢者と呼ばれた彼女の面影は今、身を案じる一人の保護者のそれへと変わっている。

 

 「乗り掛かった船です。仔細ありません」

 

 アサヒが微かに笑みを浮かべて返すと、輝夜もまた、すがるような、けれどどこか救われたような表情で彼を見つめた。

 

「よかったね~二人とも。アサヒがこんなにお人好しでさ~」

 

 てゐがけらけらと笑いながら、縁側から身を乗り出して二人をからかう。

 

 「てゐ、貴女もアサヒに付き添いなさい」

 

 永琳の低く、逃げ場を許さない声が客間に響いた。

 

「ええっ!? なんでさ! 私は関係ないでしょ!」

 

 てゐは飛び上がるようにして反論した。先ほどまで他人事のように面白がっていた余裕はどこへやら、耳を激しく動かして露骨に嫌そうな顔をする。

 

 「この前、勝手に薬を持ち出してなくしたのはどこの誰だったかしら?」

 

 永琳が視線を向けた先で、てゐの動きがピタリと止まった。

 

 「…………はーい。うけたまわりましたー」

 

 てゐは目に見えて肩を落とし、魂が抜けたような返事をした。

 

 蛇に睨まれた蛙、あるいは永琳に弱みを握られた兎。彼女はぶつぶつと小声で毒づきながら、渋々といった足取りでアサヒの元へと歩み寄る。

 

 「アサヒ、このウサギはこれで幻想郷の道には詳しいわ。多少なりとも道中の役には立つはずよ」

 

 永琳はそう言って、改めてアサヒに頭を下げた。

 

 「よろしくね、アサヒ」と輝夜も続く。

 

 アサヒは、不服そうに頬を膨らませるてゐと、無表情なまま彼女を観察するアオを見比べる。

 

 道連れは増えたが、その顔ぶれはますます賑やかで、そして予測不能なものになりつつあった。

 

 「でも、今日は一度休んだ方がいいわ。慣れない環境での対話は疲れるでしょう? 部屋は余るほどあるから泊まっていきなさい」

 

 永琳の提案は、慈悲深くもどこか抗いがたい響きを持っていた。

 

 「確かに、疲れてないって言ったら嘘になりますね……すみません、一晩お邪魔します」

 

 アサヒが素直に頭を下げると、永琳は満足げに頷き、眼鏡の奥の瞳を僅かに光らせた。

 

 「それとアサヒ。少し私に貴方の身体的なデータをとらせてもらってもいいかしら?」

 

 「え?」

 

 「安心して。健康診断みたいなものよ。貴方の身体の情報を記録しておくことで、貴方に合った良い薬を処方できるから、貴方にとっても得のある話よ」

 

 その申し出に、アサヒは一瞬考え込んだが、この先の過酷な捜索に備える意味では願ってもない提案に思えた。

 

 「そういうことでしたら、お願いしても良いですか?」

 

 「ええ。任せて」

 

 永琳の口元に、どこか職人的な……あるいは実験を楽しむかのような微かな笑みが浮かぶ。それを見たてゐが、これ見よがしに野次を飛ばした。

 

 「あー。また人の体弄くり回そうとしてるー。研究熱心なことでー」

 

 ――ゴッ!

 

 鈍い音と共に、てゐが頭を押さえて畳に沈んでいく。永琳の手はいつの間にか、まるで最初からそうしていたかのように、流れるような動作で元の位置に戻っていた。

 

 「さっ。私の医務室にいらっしゃい」

 

 (この人、慧音さんと同じ空気を感じる……怒らせたら絶対ダメな人だ)

 

 アサヒは背筋を走る冷や汗を拭いながら、永琳の後に続いた。背後では、アオが主人の安全を確保するように音もなくついてくる。

 

 そして、床に転がっていたてゐも、恨めしそうな顔でふらふらと立ち上がり、一行の最後尾へと加わった。

 

 永遠亭の長い廊下に、四人の足音が規則正しく響き渡っていた。




ここまで読んで頂きありがとうございます!

輝夜の解像度が低い!すみません……!

次回に続きます。
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