東方異人録 作:かまきりバニラ
「それにしても驚いた~。永琳が気圧されるところ見るなんて初めてだよ」
迷いの竹林を抜ける道中、ていは弾むような足取りで先頭を歩いていた。時折振り返っては、アサヒを冷やかすように細められた目を向ける。
「永琳さんはただ気遣ってくれてたのに、申し訳ないことしたな……」
アサヒの呟きに、ていは大仰に肩をすくめて見せた。
「永琳に物申す度胸がある癖に、そういう細かいところ気にするんだなぁ。あんた、損な性格してるよね」
軽口を叩きながら進むていだったが、ある地点で唐突にその足を止めた。
「ストップー」
気の抜けた号令とは裏腹に、彼女の背中からは先ほどまでの余裕が消え、ぴりりとした緊迫感が漂い始める。二人が足を止めると、ていは竹林の奥、一転を凝視した。アサヒもその視線を追う。
湿り気を帯びた空気の向こう、陽光を遮る竹の隙間に、一人の少女が佇んでいた。
足元に届きそうなほど長い薄紫色の髪、そして闇夜に灯る火のような紅い瞳。頭上にはてゐと同じように兎の耳が生えているが、それはどこか頼りなくヨレヨレとしていた。
「あれって……」
「例のウチのとこの使者だよ」
てゐの言葉に応じる様子もなく、使者はただ無機質にこちらを見つめ続けている。
「あっれ~? お使いはもう終わったの~?」
てゐが少し距離を置いたまま声を張り上げるが、反応はない。
「レイセ~ン? 無視しないでよ~。せっかく案内してあげてるのにさ」
レイセンと呼ばれた少女は、ゆっくりと右手を持ち上げた。親指を立て、人差し指をこちらに向ける。銃を形取ったその指先が、アサヒの眉間を捉えた。
「あっ! 二人ともヤっバイかも!」
てゐが叫ぶと同時に、空間を紫色の閃光が引き裂いた。光線とも雷ともつかぬ高エネルギーの余波が周囲の竹を焦がし、一直線にアサヒへと着弾する。
爆発的な衝撃と共に白煙が舞い上がる。だが、煙が晴れた中心には、巨大な盾を構えたアオが立っていた。アサヒを完全に背後に隠し、寸分の揺らぎもなく衝撃を受け止めた盾は、役目を終えると青い粒子の波となって空気中に溶けていった。
「助かった、アオ」
「んっ。つぎ、くる」
アオの短い警告。
次の瞬間、レイセンの姿が揺らぎ、爆発的な加速で距離を詰めてきた。鋭い蹴りが放たれるが、アオは紙一重で首を逸らして回避する。アサヒがすかさず後退して間合いを空けると、アオは反撃に転じ、空を裂くような回し蹴りを叩き込んだ。
レイセンは両腕でそれをガードしたが、アオの放つ膂力までは相殺しきれない。その小柄な身体は後方へと大きく吹き飛ばされ、地面を滑りながらも竹の幹を蹴って着地した。
「てゐ! お前のとこの使者なんだよな!?」
激しい戦闘音の中でアサヒが声を荒らげる。
「んー……」
てゐは首を横に傾け、他人事のように考え込む素振りを見せた。
「まあ、とりあえず死なない程度にぶっ飛ばして、じっくり話を聞こうか」
「簡単に言うなよ……」
アサヒの視界の先、レイセンは再び指先をこちらに向け、紅い瞳を妖しく光らせている。今まで相対してきた野生の妖怪たちとは、根底にある規律も戦闘密度も一線を画していた。
殺さずに無力化する。提示された条件は、この上なく困難なタスクとしてアサヒたちの前に立ちはだかっていた。
竹林の静寂を切り裂き、再び紫の閃光が放たれた。空気を焼く特有の異臭と、鼓膜を震わせる高周波の音が空間を支配する。
「アサヒは下がってて~」
てゐの警告と同時に、彼女とアオは阿吽の呼吸で左右へと跳んだ。
二人の間を通り抜けた光線は、後方の竹林に直撃して爆ぜ、凄まじい衝撃風を巻き起こす。爆風にアサヒの髪が激しくなびき、周囲の竹が数本、一瞬にして炭化し、へし折れた。その破壊力の余波だけで、直撃が死を意味することを嫌応なしに突きつけられる。
アオとてゐは、着弾の余韻が消えぬうちに反転し、レイセンを左右から挟み込むように距離を詰めた。先手を打ったのは、地を這うような加速を見せたていだった。
てゐは物理法則を無視したような跳躍を見せると、垂直に伸びる竹の幹を足場に、さらに上方へと身を躍らせる。しなった竹が元に戻る反動を推進力に変え、弾丸のような勢いでレイセンの側頭部へと蹴りを放った。
空気を切り裂く鋭い風切り音が響く。だが、レイセンは無機質な紅い瞳を僅かに動かしただけで、重力に逆らうように後方へと跳んだ。てゐの足先が空を切り、レイセンの身体が宙に浮く。
しかし、その着地点には既にアオが待ち構えていた。アオの右手に青い粒子が収束し、瞬時に巨大な、重厚な鋼の質感を備えた棍棒が顕現する。
「……どんぴしゃり」
アオは地を蹴り、独楽のように身体を鋭く回転させた。遠心力を乗せた凄まじい一撃が、空中で姿勢を崩したレイセンの胴体を捉える。
鈍い打撃音が竹林に響き渡り、レイセンの身体は木の葉のように横へと叩きつけられた。重い棍棒の衝撃をまともに受けた彼女の身体が、何本もの竹をなぎ倒しながら、奥の藪へと消えていく。
アオは着地と同時に棍棒を消滅させ、低く構えを解かない。舞い上がる土煙の向こう側、レイセンが消えた暗がりに向け、鋭い視線を向け続けていた。
「ひゅ~。やっるね~」
ていが口笛を鳴らし、竹林の暗がりを愉快そうに見つめる。隣に立つアオは、荒い呼吸一つ見せず、ただ冷徹に戦況を見据えていた。
「これくらい、あさめしまえ」
視線を交わすことのない二人。しかし、その刹那、土煙の奥から一本の紫光が奔った。先ほどよりも鋭く、凝縮されたその閃光に対し、アオは即座に右手を掲げる。空間を埋めるように青い粒子が結晶化し、再び巨大な盾がその姿を現した。
だが、衝撃音はこれまでと異なっていた。
耳を刺すような破壊音が響き、アオの顕現させた盾が中心からひび割れ、砕け散る。光線は防壁を穿ち、その矛先をアオの本体へと向けた。着弾の寸前、横から飛び込んできたていがアオの腰を抱き上げ、凄まじい脚力で後方へと跳んだ。
二人は宙を舞い、アサヒの守る位置まで一気に後退して着地する。
「ありがと」
アオが無機質な声で短く謝辞を述べると、ていは着地の衝撃を逃がしながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ちゃんとお礼言えるんだね~」
「ごしゅじんさまの、きょういくのたまもの」
淡々と応じるアオの視線の先、舞い上がっていた土煙が風に流され、レイセンの姿を再び露わにした。
直撃に近い一撃を受けたはずのレイセンは、衣服に僅かな汚れがついた程度で、以前と変わらぬ凛とした立ち姿を維持している。その紅い瞳には依然として感情の揺らぎがなく、ただ機械的に次の射撃体勢を整えようとしていた。
「アオが手加減したとはいえ、まだぴんぴんしてる……。相当タフだな」
アサヒが低く呟く。棍棒による一撃は、通常の妖怪であれば戦闘不能に陥ってもおかしくない威力だった。
「ウチの尖兵をなめてもらっちゃ困るな~。まあ、今はそれが厄介なんだけどさ」
ていは首の骨を鳴らし、再び竹を蹴る準備を整える。その瞳には、先ほどまでの遊び心とは別に、冷ややかな分析の光が宿っていた。
「でも、確実にダメージは入ってるよ」
アサヒの横で、アオの両手に再び青い燐光が集まり始める。レイセンの構える指先と、アオが練り上げる力。竹林の静寂は、より一層深く、鋭い殺意を孕んで研ぎ澄まされていった。
静寂が極まった刹那、場を動かしたのは後方に控えていたはずのアサヒだった。爆炎の余韻が残る地面を蹴り、彼はレイセンへ向かって一直線に駆け出す。
「ちょ!? 何やってんの!?」
てゐの驚愕の叫びが響くが、アサヒの歩みは止まらない。迎撃体勢に入ったレイセンは、迷いなくその指先を突き出し、紫の光線を解き放った。
空気を焦がす熱線が迫るが、アサヒは速度を殺さず半身を鋭く捻る。パルクールのごとき流麗な動作で回避し、掠めた熱が頬の皮膚を赤く焼くが、そのまま低姿勢で体勢を立て直し、さらに地を這うように肉薄した。
レイセンにとって、戦闘能力を持たぬはずの「守られる側」だったアサヒの突進は、予測の範疇外であった。脅威対象から外していた存在の予期せぬ行動に対し、彼女の思考に、一瞬の、しかし致命的なブレが生じる。
その僅かな遅滞を突き、アサヒはレイセンの懐へと潜り込んだ。ハッとした表情でレイセンが迎え撃つべく拳を突き出すが、アサヒは回避を試みない。
勝利を確信したかのような表情のアサヒ。
その目前、虚空から粒子が弾け、彼を座標として転移したアオが壁のように割り込んだ。
アオは突き出されたレイセンの拳を滑らかに絡め取り、その勢いを利用して宙へと身を躍らせる。両脚でレイセンの首と腕を深く、鋭く挟み込み、そのまま重力に従って地面へと引きずり込んだ。完璧な形での三角締め。
「つかまえた……」
必死にもがくレイセンの空いた手に、再び紫の光が集束し始める。しかし、頸動脈を圧迫され意識が遠のくにつれ、その光は力なく霧散していった。やがてレイセンの身体から力が抜け、その紅い瞳が静かに閉じられる。
レイセンの意識が闇へと落ちたことを確認し、アオはゆっくりと拘束を解いた。
事の顛末を呆然と見守っていたてゐが、やれやれと首を振りながら駆け寄ってくる。
「うわぁ……そりゃあんな傷だらけにもなるわけだ」
アサヒの身体に刻まれた無数の古傷。その理由を今目の当たりにした確信が、てゐの言葉にはこもっていた。
「無茶するなぁ。一歩間違えれば、今ので消し炭だったよ」
「無茶ではないさ。こうやって上手く無力化出来ただろ?」
息を整えながら答えるアサヒに対し、てゐは片目を瞑ってため息をつく。
「それは結果論でしょ~? まあいいけどさぁ。……あんたも主人には世話を焼かせられるねぇ。あんな無茶苦茶なアドリブに付き合わされるなんて」
てゐの視線がアオへと向く。
アオは立ち上がり、服の埃を軽く払うと、無表情ながらもどこか誇らしげに胸を張った。
「アオはごしゅじんさまのしたいこと、わかる」
アオは小さく、控えめにピースサインを掲げる。
そして、期待に満ちた潤んだ瞳でじっとアサヒを見上げた。その沈黙の催促に気づかないはずもなく、アサヒは迷わずその頭へと手を伸ばした。
「ありがと、アオ。助かったよ」
柔らかな髪を撫でると、アオの口元がわずかに緩み、至福に満ちた吐息が漏れる。
「んふふ……」
「へぇ、アオもそういう人間らしい顔するんだ」
てゐの冷やかし混じりの言葉に、アオは撫でられる感覚を慈しむように目を細めたまま、短く、確信を込めて応じた。
「ごしゅじんさまのあいぼう、だから」
次回に続きます!