東方異人録   作:かまきりバニラ

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『依頼』

 人里の喧騒を背に、大きな門をくぐれば、寺子屋の敷地内には子供たちの唱和が響いている。板張りの廊下を進むアサヒとアオの耳に、教科書を読み上げる一定のリズムが届いた。

 

 教室の入り口。そこには、腰まで届く銀髪に青いメッシュを走らせた女性、上白沢慧音が立っていた。頭上には赤い紋様が刻まれた独特な形状の青い帽子を戴き、胸元の開いた青い衣装を纏っている。幾重にも重なったスカートの白いレースが、板床の上に影を落としていた。

 

 アサヒの姿を視界に捉えると、慧音はパンパンと手を打ち鳴らした。

 

 「さあ、今日はここまで。復習を怠るな。宿題も忘れないように」

 

 「はーい!」

 

 一斉に教室を飛び出してきた子供たちが、アサヒの前で足を止める。

 

 「アサヒのお兄さん、こんにちは!」

 

 「こんにちは!」

 

 「またねー!」

 

 子供たちが律儀に頭を下げる中、アサヒは一人一人に視線を合わせ、穏やかに応じた。

 

 「ああ、こんにちは。みんな、気をつけて帰るんだよ」

 

 その斜め後ろでは、おかっぱの黒髪をわずかに揺らしたアオが、微動だにせず佇んでいた。

 

 子供たちの姿が完全に見えなくなると、慧音がアサヒへと向き直った。

 

 「アサヒ、仕事帰りか。精が出るな」

 

 「そんなところです。慧音さんのおかげで、なんとかやっていけてますから」

 

 アサヒが隣に視線を送ると、アオが静かに一歩前へ出た。その手には、米問屋で受け取ったばかりのずっしりと重い米袋がある。

 

 「……これ、けいねに」

 

 アオは短く告げ、抱えていた米袋を慧音へと差し出した。

 

 「いつもすまない。育ち盛りの子供たちを預かる身だ、米の寄付は何よりの助けになる。本当にありがとう」

 

 慧音が深く頭を下げてそれを受け取ると、アサヒは小さく首を振った。

 

 「いえ、こちらこそ。色々と相談に乗ってもらっていますから」

 

 慧音が米袋を抱え直す横で、アオは音もなくアサヒの背後へと位置を戻した。

 

「茶でも飲んでいくか?」

 

 慧音がふっと表情を緩め、誘いかけるように首を傾げた。アサヒは一瞬、人里の外れにあるアリスの邸宅の方角へと視線を向け、それから小さく首を振った。

 

 「いえ、お構いなく。これからアリスさんのところへ戻らなきゃなりませんから」

 

 「そう言うな。少し話をするくらいの時間はあろう? 今日の依頼の話も聞かせてほしい。お前たちが里のために何を解決してくれたのか、記録しておきたいんだ」

 

 「別に、そんな面白い武勇伝でもないですよ。ただの害虫駆除です」

 

 アサヒが苦笑を浮かべて応じると、慧音は溜息をつき、目を細めた。

 

 「つれない男だな。年上の女性の誘いを、そう無下に断るものじゃないぞ」

 

 アサヒは泳ぐように視線を左右に動かし、一度言葉を詰まらせた。それから、諦めたように肩を落とす。

 

 「……分かりました。では、少しだけ」

 

 アサヒは寺子屋の奥へと足を向けた。その背後を、アオが音もなく追っていく。

 

 客間へ通され、アサヒとアオが腰を下ろすと、慧音は手際よく茶を淹れ始めた。湯呑みから立ち昇る湯気の向こうで、慧音が口を開く。

 

 「まあ、実は色々と聞かせてほしいというのは建前なんだ。折り入って頼みがある。いや、『依頼』と言うべきかな。君に頼みたい」

 

 慧音の言葉に、アサヒは背筋をわずかに伸ばした。

 

 「慧音さんが俺に依頼なんて珍しいですね。何ですか、改まって」

 

 アサヒは運ばれてきた湯呑みを手に取り、慧音の次なる言葉を待った。隣に座るアオもまた、微動だにせず慧音を見据えている。

 

 慧音は淹れたての茶を一口啜り、湯呑みを畳に置いた。その顔つきが神妙なものへと変わる。

 

 「実は、ここ最近私の友人の姿が見えないんだ」

 

 「えーっと、あのガラの悪そうな……」

 

 アサヒが記憶を辿るように視線を上げると、慧音は声を立てて笑った。

 

 「ははは。君の目にはそう映っていたか。すまない、彼女も根はとてもいいヤツなんだ。人への愛想の振り撒き方を知らないらしい」

 

 「あ、いえ。まさか慧音さんのご友人だったとは……」

 

 アサヒは決まり悪そうに手元の湯呑みを弄り、言葉を濁した。横に座るアオは、変わらぬ無機質な視線を慧音へと向けている。

 

 「彼女のことだから、そのうちフラッと姿を現すかもしれない。ただ、ここまで姿を見ないのは初めてなんだ。それで、アサヒに色々と探ってほしい」

 

 「つまり、人探しをしてほしいと?」

 

 「ああ、その通りだ」

 

 慧音は懐から一枚の光沢のある紙を取り出し、アサヒの前に差し出した。

 

 「彼女の名前は藤原妹紅。これは『写真』と言って、外の世界の機械を使って彼女の姿を写し絵のようにしたものだ。君なら分かるかもしれないが」

 

 アサヒはその紙を手にとり、表面に定着した像を凝視した。

 

 写真の中には、白に近い銀色の超ロングヘアをなびかせ、深紅の瞳をした少女が写っている。髪には白地に赤の入った大きなリボンが一つ、そして毛先にも小さなリボンがいくつも結ばれていた。白いカッターシャツに、赤いもんぺのような指貫袴をサスペンダーで吊り、その布地の各所には無数の護符が貼られている。

 

 アサヒは、以前に人里で慧音の傍らに立つその姿を何度か見かけた記憶を呼び起こした。里の人間と打ち解け、慕われていた彼女の様子が脳裏をよぎる。

 

 アサヒは写真を指先でなぞり、それから隣のアオへと視線を向けた。アオもまた、感情の読めない瞳でその写真を見つめている。

 

 「どうだろう? 引き受けてくれるだろうか?」

 

慧音が覗き込むようにして問いかけると、アサヒは写真を一度手元に置き、頷いた。

 

 「はい……なんとか探してみます」

 

 「助かる。私も色々と調べはしているのだが……」

 

 「慧音さんの捜査の経過を聞かせてもらっても?」

 

 アサヒの問いに、慧音は視線を落として首を振った。

 

 「それが、ほとんど収穫はない。私はこの人里を離れるわけにはいかないからな。ただ、あの烏天狗なら何か情報を握っているかもしれない」

 

 「あの烏天狗って、もしかしていつもネタを探して回ってる、たまに見るアイツですか?」

 

 「ああ。確か、射命丸文といったかな。たまに人里へ来ては、色々と聞き回っているよ」

 

 慧音はそう言うと、わずかに眉を寄せた。その表情からは、里への立ち入りを許してはいるものの、手放しで歓迎しているわけではない様子が窺える。

 

 アサヒは湯呑みを置き、思考を巡らせるように視線を虚空へ向けた。

 

 「烏天狗ってことは、妖怪の山か……」

 

 アサヒが呟き、視線を落とした。

 

 古くから妖怪たちが独自の社会を築き、幻想郷の勢力図の一角を担う場所。特に天狗や河童は外の世界を模倣した高度な技術力を有し、出版や建築、道具作成など、麓とは一線を画す文明的な生活を送っているとされる。しかし、その排他性は強く、余所者に対しては一丸となって排除に動く閉鎖的な土地でもあった。

 

 アサヒは写真を懐に収め、慧音を真っ直ぐに見据えた。

 

 「承りました。この依頼、俺たちに任せてください」

 

 「ああ。ありがとう、アサヒ」

 

 隣で控えていたアオが、アサヒの動きに呼応して静かに立ち上がる。アサヒもまた、空になった湯呑みを置いて席を立った。

 

 部屋を出ようとする二人の背中に向けて、慧音が付け加えるように言葉を発した。

 

 「……アサヒ、あまり深追いはしなくても大丈夫だ」

 

 「え……?」

 

 アサヒが足を止め、振り返る。慧音は湯呑みを見つめたまま、わずかに声を低くした。

 

 「依頼をした私が言うのもなんだが、どうにも嫌な予感がする。無茶だけはしないでくれ」

 

 アサヒは慧音の表情を数秒間見つめた後、静かに頭を下げた。

 

 「……忠告、感謝します」

 

 隣に立つアオの黒髪が、アサヒの動きに合わせて微かに揺れる。二人はそのまま客間を後にし、寺子屋の廊下へと足を進めた。

 

 




次回に続きます!
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