誰が綾小路清隆を退学にしたか?   作:戦竜

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第5話 坂柳有栖の喪失感

ケヤキモール内のカフェは、放課後の時間帯にもかかわらず、

不思議なほど落ち着いた空気に包まれていた。

 

生徒たちの話し声、カップがソーサーに触れる小さな音、店内に流れる音楽、

そのすべてが日常の一部として整然と配置されているようで、

少なくとも表面上は、綾小路清隆という一人の生徒が

突然退学になった異常など、どこにも存在していないかのようだった。

 

その一角に、坂柳有栖はいた。

 

白いカップを指先で持ち上げ、

ゆっくりと紅茶を口に運ぶその姿は、いつも通り静かで、優雅で、

そしてどこか人間離れした余裕を感じさせるものだったが、

橋本正義と神室真澄は、その横顔に普段とは違う

微細な影が差していることに気づいていた。

 

「姫様、来たぞ」

 

橋本が軽く顎を動かした。

カフェの入口から、龍園翔が入ってくる。

後ろには椎名ひより、石崎大地、アルベルト、葛城康平、伊吹澪の姿があった。

普段ならば龍園は、獲物を見つけた獣のように笑いながら距離を詰めてくる。

 

だが、その日の龍園は違った。

挑発的な笑みは浮かべている。

しかし、その目は妙に冷えていた。

 

まるで、喧嘩を売りに来たのではなく、答えの出ない問題を解くために、

仕方なく嫌いな相手のところへ来たような顔だった。

 

「よう、坂柳」

 

龍園は坂柳の前に立った。

 

「茶でも飲みながら、随分と余裕そうじゃねえか」

 

坂柳はカップを置き、薄く微笑んだ。

 

「ごきげんよう、龍園くん。

あなたがこうして正面から訪ねてくるとは、珍しいこともあるものですね」

「今日は遊びに来たわけじゃねえ」

「でしょうね」

 

坂柳の視線が、龍園の後ろにいる面々へ流れる。

 

石崎は落ち着かない様子で立ち、伊吹は腕を組んで苛立ちを隠さず、

アルベルトは無言で周囲を警戒し、葛城は冷静に坂柳を見つめ、

ひよりはどこか沈んだ表情で本を抱えていた。

 

「綾小路くんの件ですか」

 

坂柳が先に言った。

龍園の目が細くなる。

 

「話が早えな」

 

「今、あなたたちが私に用があるとすれば、それ以外には考えにくいですから」

 

橋本が軽く笑う。

 

「いやあ、俺も正直ビビったぜ。龍園がこんな真面目な顔で姫様に会いに来るなんてな」

「黙ってろ、橋本」

 

龍園は椅子を引き、坂柳の正面に腰を下ろした。

その動作にも、いつもの乱暴さはなかった。

まるで無駄な刺激を与えれば、

今にも崩れそうな積み木を前にしているかのように、彼は慎重だった。

 

「単刀直入に聞く」

 

龍園は坂柳を睨むように見た。

 

「綾小路の退学に、お前は関わってるのか」

 

坂柳は一瞬だけ目を伏せた。

それは否定のための間ではなかった。

自分の内側にある感情を、言葉に変換するためのわずかな沈黙だった。

 

「いいえ」

 

坂柳は静かに答えた。

 

「少なくとも、私が意図して彼を退学させたわけではありません」

「意図して、ねえ」

 

龍園はその言葉を拾った。

 

「じゃあ、結果的には関わってる可能性があるってことか」

「今回の試験に参加した以上、

完全に無関係だと言い切れる人間など存在しないでしょう」

 

その答えに、葛城がわずかに眉を動かした。

 

「随分と含みのある言い方だな」

「事実を述べただけです」

 

坂柳は淡々と言った。

 

「今回の最適化選抜試験は、

誰か一人の攻撃で結果が決まるほど単純ではありません。

各生徒の判断、各班の行動、ポイント移動、投票回避、情報共有、

そして学校側の非公開評価が複雑に絡み合っていました」

「お前なら、その複雑な絡み合いも読めてたんじゃねえのか」

 

龍園の声が低くなる。

坂柳は微笑んだ。

だが、その微笑みはいつもよりも薄かった。

 

「買いかぶりですね」

「嘘つけ」

「嘘ではありません」

 

坂柳は静かに龍園を見返した。

 

「私も、彼があのような形で退学するとは思っていませんでした」

 

その言葉に、石崎が思わず声を漏らした。

 

「坂柳でも分かんなかったのかよ……」

 

伊吹が舌打ちする。

 

「じゃあ、誰が分かるのよ」

 

神室がコーヒーを片手に、ぼそりと言った。

 

「本人じゃない?」

 

その一言で、場の空気がわずかに硬くなった。

坂柳の目が神室へ向く。

 

「真澄さん」

「何よ。実際そうでしょ。あいつ、何考えてるか分かんないし」

 

神室は気だるげに続ける。

 

「周りが勝手に騒いでるだけで、本人は全部知ってたとか、そういうオチなんじゃないの」

 

龍園は神室を睨んだが、すぐに視線を戻した。

 

「俺も同じことは考えた」

 

坂柳の指が、カップの縁を軽くなぞる。

 

「私もです」

 

その返答に、龍園の表情が変わった。

 

「お前もか」

「ええ」

 

坂柳はわずかに目を細める。

 

「彼ほどの人間が、何も知らず、何も抵抗せず、

ただ制度に飲まれて退学した。そう考えるには、あまりにも不自然です」

「なら、やっぱりあいつは何か仕込んでたのか」

 

石崎が身を乗り出す。

 

「結論を急がない方がいい」

 

葛城が低い声で制した。

 

「何かを知っていたことと、自分で退学を選んだことは別問題だ」

「葛城くんの言う通りです」

 

坂柳は頷いた。

 

「彼が結果を予測していた可能性はあります。

しかし、だからといって退学そのものを望んでいたとは限りません」

「だが抵抗はしてねえ」

 

龍園が言う。

 

「そこが気に入らねえんだよ。あいつなら、逃げ道くらい見つけられたはずだ。

俺が仕掛けた程度の揺さぶりなんざ、本気ならいくらでも潰せたはずだ」

 

ひよりが静かに口を開いた。

 

「龍園くんは、綾小路くんが途中から動かなくなったと言っていましたよね」

「ああ」

「それは、本当に諦めたというより、動く意味がなくなったように見えたのですか?」

 

龍園はひよりを見る。

 

「……そうだな。少なくとも、負け犬の顔じゃなかった」

「では、彼は何かを待っていたのでしょうか」

 

ひよりの言葉に、坂柳の瞳が微かに揺れた。

 

「待っていた……」

 

橋本が腕を組む。

 

「でも何をだ?救済措置?誰かの投票?学校側の判定?」

 

葛城が静かに答える。

 

「あるいは、全員の判断が出揃う瞬間だ」

 

その場に、重い沈黙が落ちた。

 

坂柳の視線が、テーブルの上に落ちる。

 

「全員の判断……」

 

その言葉は、彼女の中で何かを引っかけた。

今回の試験は、誰か一人が誰か一人を落とすものではない。

生徒全員の小さな選択が、結果として一人の退学者を浮かび上がらせる。

 

龍園の圧力。

坂柳自身の観察。

一之瀬の善意。

堀北の合理判断。

南雲の制度運用。

各班の保身。

各個人の無理解。

 

それらが少しずつ重なり、誰も明確な殺意を抱かないまま、

一人の人間を盤面から押し出したとしたら。

 

坂柳の脳裏に、一瞬だけ恐ろしい仮説が浮かんだ。

 

犯人など、いないのではないか。

 

いや、違う。

 

犯人は一人ではないのではないか。

 

この試験に参加したすべての人間が、

それぞれほんのわずかに彼を退学へ近づけたのではないか。

 

その場合、綾小路清隆を退学にした者は誰か。

 

答えは――。

 

「……いえ」

 

坂柳は小さく呟いた。

 

その仮説を、自分で切り捨てるように。

 

龍園が目を細める。

 

「今、何か思いついたな」

 

坂柳は微笑んだ。

 

「大したことではありません」

「言え」

「証拠のない仮説は、思考遊戯に過ぎません」

「構わねえ」

 

坂柳は少しだけ沈黙した。

 

だが、結局首を横に振った。

 

「今の段階で口にすれば、かえって真相から遠ざかる可能性があります」

 

伊吹が苛立たしげに机を叩きそうになる。

 

「何よそれ。もったいぶってないで言えばいいじゃない」

「言えないのではありません。言うべきではないのです」

 

坂柳の声は穏やかだった。

 

しかし、その奥には珍しく迷いがあった。

 

自分で思いついた仮説を、自分で否定しきれていない。

 

だが、肯定するにはあまりにも残酷で、あまりにも広すぎる。

 

「姫様」

 

橋本が少しだけ真面目な声で言った。

 

「お前がそこまで渋るってことは、相当嫌な考えなんだな」

「ええ」

 

坂柳はカップに残った紅茶を見つめた。

 

「できれば、外れていてほしい仮説です」

 

龍園は笑った。

だが、その笑みには苛立ちが滲んでいた。

 

「お前ですらそんな調子かよ」

「不満ですか?」

「当たり前だろ」

 

龍園は立ち上がりかけるように身を乗り出した。

 

「俺は綾小路に勝ち逃げされた気分で死ぬほどムカついてんだよ。

お前なら何か知ってると思って来た。

だが出てきたのは、気持ち悪い違和感と証拠のねえ仮説だけだ」

「私も同じですよ」

 

坂柳の声が、わずかに冷たくなった。

 

龍園の動きが止まる。

 

「同じ?」

「ええ」

 

坂柳は龍園を見た。

 

「私にとっても、彼は最大の標的でした」

 

その言葉は静かだった。

だが、橋本も神室も、その言葉に含まれた重さを感じ取った。

 

「彼と真正面から戦うことは、私にとって大きな意味がありました。

彼がどこまで私を見ているのか、私がどこまで彼に届くのか、

それを確かめることは、この学校生活における一つの目的でもありました」

 

坂柳は笑う。

しかしその笑みは、どこか寂しかった。

 

「それを、あまりにもあっさり奪われた」

 

龍園は何も言わなかった。

坂柳の喪失感は、龍園の苛立ちとは形が違う。

 

だが根は同じだった。

 

勝負すべき相手が、勝負する前に盤上から消えた。

 

それは勝利でも敗北でもない。

ただ、未完のまま閉じられた本のような気持ち悪さだった。

 

「……つまり、お前も納得してねえわけだ」

「当然です」

 

坂柳は即答した。

 

「彼が退学したことではなく、その過程に納得できません」

「なら調べろよ」

 

龍園が言った。

 

「お前もな」

 

坂柳は微笑む。

 

「言われるまでもありません」

 

葛城が口を開いた。

 

「現時点で整理できることは三つだ。

第一に、龍園も坂柳も直接的な犯人ではない可能性が高い。

第二に、綾小路は途中から行動を変えた。

第三に、学校側の総合最適化判定は、公開情報だけでは説明がつかない」

「第四に」

 

ひよりが静かに付け加えた。

 

「綾小路くんをよく見ていた人たちほど、彼の退学に違和感を覚えている」

 

坂柳はひよりを見る。

 

「椎名さん、あなたは彼をどう見ていましたか?」

 

ひよりは少しだけ視線を落とした。

 

「不思議な人だと思っていました」

「不思議?」

 

「はい。無理に近づこうとはしないのに、

こちらが話したいときには、ちゃんと言葉を返してくれる人でした。

強く主張するわけではないのに、

気づけば相手の考えを少しだけ整理しているような……そんな人でした」

 

石崎が照れくさそうに頭をかく。

 

「俺は、なんつーか……

あいつ、敵なのか味方なのかよく分かんねえけど、嫌な奴じゃなかったっす」

 

神室がぽつりと言う。

 

「変な評価ね」

「うっせえな、でもそうなんだよ」

 

石崎はむきになる。

 

「だから余計に気持ち悪いんだよ。

あいつがいなくなったって聞いても、なんか実感なくてさ」

 

坂柳は目を伏せる。

 

「実感がない、ですか」

 

それは、彼女自身にも当てはまっていた。

 

綾小路清隆が退学した。

 

その事実は聞いた。

 

結果も確認した。

 

だが、彼がこの学校から消えたという実感だけが、どうしても追いつかない。

あの無表情な少年が、どこかで何事もなかったようにこちらを見ている気がする。

まるで、この反応すらも観察されているような錯覚すらあった。

 

「今日はここまでだな」

 

龍園は椅子から立ち上がった。

 

「結局、大した収穫はなしか」

「収穫がなかったわけではありません」

 

坂柳は言った。

 

「少なくとも、あなたも私も同じ違和感を抱いていることは確認できました」

「慰めにもならねえな」

 

龍園は背を向ける。

 

「行くぞ」

 

石崎、アルベルト、伊吹、葛城、ひよりが続く。

去り際、ひよりだけが一度坂柳を振り返った。

 

「坂柳さん」

「何でしょう」

「もし何か分かったら、教えてください」

 

坂柳は少しだけ意外そうに目を開き、それから微笑んだ。

 

「ええ。あなたたちも、何か分かれば教えてください」

「はい」

 

ひよりは静かに頷いた。

龍園たちがカフェを出ていく。

その背中が見えなくなってから、橋本が大きく息を吐いた。

 

「いやあ、空気重かったな」

 

神室はコーヒーを飲み干しながら言う。

 

「で、坂柳。結局何を思いついたの」

 

坂柳は答えなかった。

 

「さっきの顔、何か見えた顔だったわよ」

「真澄さんは鋭いですね」

「付き合い長いからね」

 

橋本も身を乗り出す。

 

「俺も気になるな。言えないほど嫌な仮説って何だよ」

 

坂柳はしばらく沈黙した。

 

そして、静かに言った。

 

「もし彼を退学にした誰かが存在しないとしたら、どう思いますか?」

 

橋本の表情が止まる。

 

神室も眉をひそめた。

 

「誰かがいない?」

「ええ」

 

坂柳はカップの底を見つめる。

 

「誰か一人が彼を排除したのではなく、

全員の選択が少しずつ彼を押し出したのだとしたら」

 

橋本は笑おうとして、失敗した。

 

「それって……犯人が全員ってことか?」

「あるいは、犯人という概念そのものが成立しないということです」

 

神室が小さく舌打ちした。

 

「最悪ね、それ」

「ええ」

 

坂柳は目を閉じる。

 

「最悪です。だからこそ、まだ結論にはできません」

「でも、姫様はその線を疑ってる」

「疑っているだけです」

 

坂柳は静かに立ち上がった。

 

「情報が足りません。龍園くんの証言、堀北さんたちの動き、

他クラスのポイント移動、一之瀬さんの行動、

南雲先輩の制度関与……すべてを確認する必要があります」

 

橋本が苦笑する。

 

「本気でやるのか」

「当然です」

 

坂柳の声には、先ほどまでの迷いはなかった。

 

「私はまだ、彼との勝負を終えたつもりはありません」

 

神室が呆れたように言う。

 

「退学した相手とどうやって勝負するのよ」

 

坂柳は微笑んだ。

 

「彼が残した盤面を読むことです」

 

その言葉に、橋本も神室も黙った。

坂柳有栖は杖を手に取り、カフェの窓の外へ視線を向けた。

外では、生徒たちが何事もなかったように歩いている。

その日常の中から、綾小路清隆だけが綺麗に切り取られている。

 

だが、彼の不在は消滅ではない。

 

むしろ、彼がいなくなったことで、この学校の歪みがより鮮明に浮かび上がっていた。

 

「調べましょう」

 

坂柳は静かに言った。

 

「誰が綾小路清隆を退学にしたのか」

 

そして、ほんのわずかに声を落とす。

 

「あるいは、本当に誰かだったのかを」

 

その瞳には、喪失感と興味と、そしてかすかな怒りが混ざっていた。

 

綾小路清隆という最大の標的を奪われた少女は、

ようやく本気で真相へ手を伸ばし始めていた。

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