誰が綾小路清隆を退学にしたか?   作:戦竜

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第6話 一之瀬帆波の証言

綾小路清隆の退学から三日が経っても、

高度育成高等学校の日常は何食わぬ顔で続いていた。

 

授業は通常通り行われ、部活動の掛け声はグラウンドに響き、

ケヤキモールには放課後を楽しむ生徒たちの姿があり、

まるで一人の生徒が突然この学園から消えたことなど、

最初から大した出来事ではなかったと言わんばかりに、

学校という巨大な仕組みだけが冷たく回り続けていた。

 

その冷たさが、堀北鈴音には不愉快だった。

 

悲しみに沈んでほしいわけではない。

 

全員に喪失を強要するつもりもない。

 

だが、綾小路清隆という人間が消えた穴が、

あまりにも早く日常に埋められていくことが、彼女にはどうしても許せなかった。

 

「……時間ね」

 

堀北はカフェの入口を見た。

隣には平田、櫛田、須藤、松下、軽井沢がいる。

今日は、一之瀬帆波たちとの情報交換だった。

龍園たちは少なくとも彼らが綾小路を直接退学させたとは考えにくい。

 

ならば次に確認すべきは、善意と協力を武器にするクラス。

 

一之瀬帆波。

 

今回の試験において、

彼女の行動が何らかの形で綾小路の退学に関わっている可能性は十分にあった。

 

ほどなくして、一之瀬が神崎隆二と数名のクラスメイトを連れて現れた。

 

「ごめんね、待たせちゃったかな」

 

一之瀬はいつものように柔らかく笑おうとしていた。

だが、その笑顔には明らかに陰りがあった。

目元に疲れが残っている。

無理に明るく振る舞っていることは、堀北にも分かった。

 

「いいえ。来てくれて助かるわ」

 

堀北が答えると、一之瀬は小さく頷いて席に着いた。

神崎はその横で、厳しい表情のまま周囲を見渡す。

 

「綾小路の件だな」

「ええ」

 

堀北は無駄な前置きを省いた。

 

「あなたたちは、今回の退学に関与している?」

 

一之瀬はすぐに首を横に振った。

 

「してないよ。少なくとも、私は

綾小路くんを退学させようなんて一度も思ってない」

 

その声ははっきりしていた。

だが、強く否定した直後、一之瀬の表情が少しだけ沈む。

 

「むしろ……私も、まだ信じられない」

 

軽井沢が視線を伏せた。

一之瀬はカップに触れながら、静かに続けた。

 

「綾小路くんとは、色々話したことがあったから。

すごく親しいって言い切れるほどじゃないかもしれないけど、

でも、困ったときに不思議と近くにいてくれる人だった。

何かを押しつけるわけじゃなくて、ちゃんと距離を置いてくれるのに、

必要な言葉だけは残してくれる人だった」

 

堀北は黙って聞いていた。

その評価は、彼女が知る綾小路と重なっていた。

 

「だから、退学って聞いたとき……胸の奥がすごく変な感じになった。

悲しいのに、実感がなくて。

綾小路くんなら、どこかで普通に歩いていそうな気がして」

「それは俺たちも同じだ」

 

須藤が低く言う。

神崎が口を開いた。

 

「俺たちのクラスでも調べた。だが、綾小路を狙った生徒はいない。

少なくとも、俺が把握している限りではな」

「ポイント移動は?」

 

幸村がいれば真っ先に聞きそうな問いを、今回は松下が投げた。

一之瀬は表情を曇らせる。

 

「それは……あったよ」

「内容を教えて」

 

堀北が促す。

 

一之瀬は端末を開き、試験時の記録を確認しながら話し始めた。

 

「うちのクラスでは、危険圏に入りそうな生徒を助けるために、

いくつかポイントを移動させたの。

班同士で補助し合ったり、他クラスとの協力で損失を減らしたり」

「一之瀬らしいな」

 

須藤が呟いた。

一之瀬は苦笑した。

 

「そう言われると、少し複雑だけどね」

 

神崎が補足する。

 

「一之瀬の行動は基本的には合理的だった。

クラス全体の脱落リスクを下げるためのものだ。

だが、今回の試験では誰かを守れば、

相対的に誰かの評価が下がる構造があった」

「つまり、一之瀬さんの善意が、

回り回って綾小路くんに不利に働いた可能性がある」

 

松下の言葉に、一之瀬は唇を噛んだ。

 

「……そうかもしれない」

 

櫛田が優しく声をかける。

 

「一之瀬さんが悪いって言ってるわけじゃないよ」

「分かってる」

 

一之瀬は小さく頷く。

 

「でも、悪気がなければ関係ないって言えるほど、

今回の試験は単純じゃなかったんだよね」

 

その言葉は、堀北たちの胸にも重く響いた。

 

悪意がなかった。

 

知らなかった。

 

そう言うことは簡単だ。

 

だが、それだけで責任から完全に逃れられるわけではない。

今回の試験は、まさにその曖昧な場所を突いてきている。

 

「私たちも聞き込みをしたよ」

 

櫛田が話題を変えた。

 

「クラス内だけじゃなくて、他クラスの子にもできる範囲で話を聞いた。

でも、綾小路くんを直接落とそうとしていたって話は出てこなかった」

「僕もだ」

 

平田が続ける。

 

「特に試験中に彼と接触した人を中心に確認したけど、

目立ったトラブルは見つからなかった」

 

一之瀬も頷く。

 

「私も同じ。色んな子に声をかけてみたけど、みんな驚いてた。

綾小路くんが退学になるなんて思ってなかったって」

「コミュニケーション能力の高い人間がこれだけ聞いて、それでも何も出ない」

 

松下が静かに言う。

 

「それって逆に怖いよね」

「怖い?」

 

軽井沢が聞き返す。

 

「うん。普通、これだけ大きな結果が出たなら、

どこかに噂とか、違和感とか、誰かの失言が残るはずなんだよ。

でも今回はそれがない。まるで全員、本当に知らないみたいに見える」

「本当に知らないのよ」

 

堀北は低く言った。

 

「少なくとも、現時点ではそう考えるしかない」

 

神崎は腕を組む。

 

「だが、それでは説明がつかない。

綾小路は退学になった。結果がある以上、原因も存在する」

 

そのとき、カフェの入口付近で小さなざわめきが起きた。

 

堀北たちが振り向くと、

そこには坂柳有栖、橋本正義、神室真澄の姿があった。

 

「ごきげんよう」

 

坂柳は柔らかく微笑んだ。

 

「興味深い集まりですね。私たちも少し、混ぜていただいてよろしいでしょうか」

 

堀北は一瞬だけ警戒した。

だが、すぐに頷く。

 

「ちょうどいいわ。あなたたちの情報も聞きたかったところよ」

 

坂柳たちは席に加わった。

橋本は軽い調子で手を振ったが、その表情は普段より真剣だった。

 

「いやあ、こっちも色々聞いて回ったんだけどな。正直、成果は微妙だ」

「あなたが聞き込みを?」

 

櫛田が尋ねる。

橋本は苦笑する。

 

「俺だって人脈くらいあるからな。あちこちに軽く探りを入れた。

けど、綾小路を落とす計画があったとか、誰かが大きく動いたとか、

そういう話は全然出てこない」

 

神室も頷いた。

 

「うちのクラスでも同じ。

坂柳が何かしたんじゃないかって思ってる奴はいたけど、実際には証拠なし」

「龍園くんたちも難航しているようです」

 

坂柳が続けた。

 

「彼らも彼らなりに調査を始めていますが、決定的な情報は得られていません」

「龍園が?」

 

須藤が驚いた顔をする。

 

「綾小路くんに勝ち逃げされたように感じているのでしょう」

 

坂柳は静かに言った。

 

「彼もまた、納得していない側の人間です」

「龍園まで動いてるのかよ……」

 

須藤は複雑そうに呟いた。

 

敵だったはずの人間たちが、綾小路の退学に違和感を覚え、

真相を追い始めている。

 

それは奇妙だった。

 

だが、同時にそれだけ綾小路清隆という存在が、

本人の意思に反して多くの人間の中に痕跡を残していた証でもあった。

 

「整理しましょう」

 

坂柳はテーブルの上に端末を置いた。

 

「現在分かっていることは、

第一に、各クラスの主要人物は綾小路くんを直接退学させようとはしていない。

第二に、試験中の複数のポイント移動や評価変動が、

結果的に彼を不利な位置へ押し出した可能性がある。

第三に、彼自身は試験後半から行動を減らしていたように見える」

「そして第四に」

 

堀北が続ける。

 

「誰も決定的な証言を持っていない」

「ええ」

 

坂柳は頷く。

 

「まるで雲を掴むようです」

 

その言葉に、誰も反論できなかった。

一之瀬が不安そうに口を開く。

 

「でも、そんなことってあるのかな。

誰も悪意を持っていないのに、一人だけが退学になるなんて」

「あるのよ」

 

堀北は静かに答えた。

 

「この学校なら」

 

その言葉は冷たかった。

 

だが、この場にいる誰もが否定できなかった。

 

高度育成高等学校は、生徒たちに競争を強いる。

 

時には協力を装いながら、裏側では誰かを切り捨てる選択を迫る。

 

今回の試験は、その構造を極限まで精密にしたものだった。

 

「けれど、それだけではまだ足りません」

 

坂柳が言った。

 

「私たちは二年生を中心に調べています。龍園くんたちも同じです。

しかし、今回の件には別の層が関わっている可能性があります」

「別の層?」

 

平田が聞く。

 

坂柳は静かにカップへ視線を落とした。

 

「一年生です」

 

その言葉に、堀北の目が細くなる。

 

一年生。

 

その瞬間、忘れかけていた過去の出来事が、全員の頭に浮かんだ。

 

入学直後から二学期開始前まで発動していた、特別な試験。

 

一年生に与えられていた課題。

 

綾小路清隆を退学に追い込めば、

2000万プライベートポイントが支払われるという異常な条件。

 

「……確かに」

 

堀北が呟く。

 

「一年生は、綾小路くんを狙う理由があった」

 

軽井沢の表情が硬くなる。

 

「七瀬さんとか、宝泉くんとか、天沢さんとか……」

 

須藤も小さく息を呑む。

 

「でも、あれは前の話じゃないのか?今回の試験とは別だろ?」

「別です」

 

坂柳は頷いた。

 

「ですが、完全に無関係とは言い切れません」

 

神崎が鋭く問う。

 

「一年生の中に、今回の退学の真相を知る者がいる可能性があると?」

「ええ」

 

坂柳は答えた。

 

「あるいは、犯人そのものがいる可能性も」

 

一之瀬が表情を曇らせる。

 

「でも、一年生が今回の試験結果を操作できるのかな」

「単独では難しいでしょう」

 

坂柳は冷静に分析する。

 

「ですが、情報提供、誘導、観察、

あるいは学校側や外部との接点という意味では、彼らは無視できません」

「特に天沢さん」

 

堀北が低く言った。

 

「彼女は普通の一年生とは違う」

 

坂柳は堀北を見る。

 

「あなたもそう見ていますか」

「ええ」

 

堀北は即答した。

 

「七瀬さんも、宝泉くんも、天沢さんも、

綾小路くんに対して何らかの接触があった。彼らが何も知らないとは考えにくい」

「なら次は一年生か」

 

須藤が拳を握る。

 

「けど、宝泉とか面倒くさそうだな」

「面倒でも聞くしかないわ」

 

堀北は言った。

 

「ここまで調べても二年生側から決定的な情報が出ない以上、

視点を変える必要がある」

 

一之瀬が静かに頷いた。

 

「私も協力するよ。七瀬さんとは少し話せるかもしれない」

「私は天沢さんに当たってみます」

 

坂柳が言った。

 

橋本が肩をすくめる。

 

「うわ、面倒そうなの引くなあ」

「適材適所です」

 

坂柳は微笑む。

神室が呆れたようにため息をついた。

 

「で、宝泉は誰が行くの?」

 

須藤が一瞬だけ顔をしかめる。

平田が穏やかに言った。

 

「できれば穏便に話したいけど、難しいだろうね」

 

堀北は少し考えた後、言った。

 

「まずは七瀬さんから聞くわ。彼女なら話が通じる可能性がある。

その上で、必要なら宝泉くん、天沢さんに接触する」

 

坂柳は頷く。

 

「妥当ですね」

 

カフェの外では、夕方の光が少しずつ弱まり始めていた。

テーブルの上には、各クラスが集めた断片的な情報が並んでいる。

しかし、それらはまだ一つの絵にならない。

 

龍園の苛立ち。

坂柳の違和感。

一之瀬の善意。

堀北の焦燥。

平田の責任感。

櫛田と橋本の聞き込み。

松下の観察。

軽井沢の不安。

 

すべてが綾小路清隆の不在へ向かっているのに、その中心だけが空洞のままだった。

 

「……誰も知らないのに、誰かが関わっている」

 

一之瀬がぽつりと呟いた。

その言葉に、堀北は静かに視線を上げる。

 

そう。

 

まさにそれが、この事件の気味の悪さだった。

 

誰も知らない。

 

誰も認めない。

 

誰も決定的な悪意を持っていない。

 

それなのに、綾小路清隆は退学になった。

 

「次は一年生ね」

 

堀北は静かに言った。

 

「そこで何も出なければ、私たちはさらに別の可能性を考えなければならない」

「別の可能性?」

 

軽井沢が不安げに聞く。

 

堀北はすぐには答えなかった。

 

学校そのもの。

 

制度そのもの。

 

あるいは、綾小路清隆自身。

 

そのどれもが、まだ口にするには早すぎた。

 

「今は、目の前の情報を追うだけよ」

 

堀北はそう言って立ち上がった。

坂柳も同じように杖を手に取る。

一之瀬は少し遅れて席を立ち、どこか寂しげに窓の外を見た。

彼女たちの表情には、まだ綾小路への喪失感が残っていた。

 

それでも、彼女たちは真相へ向かおうとしている。

 

綾小路清隆の退学は、もはや一つのクラスだけの問題ではなくなっていた。

 

龍園が動き、坂柳が動き、一之瀬が動き、堀北が動く。

 

それでもなお、真相は遠い。

 

まるでこの学校全体が、綾小路清隆という一人の生徒を飲み込み、

その痕跡だけを残して笑っているようだった。

 

だが、堀北はもう止まらない。

 

次に向かう先は、一年生。

かつて綾小路清隆に2000万ポイントの懸賞金をかけられた者たち。

 

その中に、答えの断片があるのか。

 

それとも、また新たな空白が広がるだけなのか。

堀北鈴音は、胸の奥に沈む不安を押し殺しながら、カフェの出口へ向かった。

 

誰が綾小路清隆を退学にしたのか。

 

その問いは、学年の境界を越え、

ついに下級生たちの領域へと踏み込もうとしていた。

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