学年をまたいだ情報交換は、これまで以上に慎重な空気の中で行われた。
場所は校舎裏に近い静かな共有スペース。
人目を避けつつ、ある程度の広さを確保できる場所として選ばれたそこに、
二年生側の代表として堀北、坂柳、龍園、一之瀬の四人が立ち、
向かい合う形で一年生の代表――七瀬、宝泉、天沢、八神が揃っていた。
異様な光景だった。
学年を代表する実力者たちが一堂に会しているにもかかわらず、
その目的は勝敗でも対立でもなく、
分からないことを確認するという極めて曖昧なものだったからだ。
「まずは確認からね」
堀北が口を開く。
「綾小路清隆の退学について、あなたたち一年生は関与している?」
七瀬が一歩前に出た。
「結論から申し上げますと、いいえ。
少なくとも私たちは、今回の特別試験において
綾小路先輩を退学へ導くような直接的な行動は取っていません」
その声は落ち着いていた。
冷静で、感情に流されていない。
だがその裏に、ほんのわずかな戸惑いがあることを堀北は見逃さなかった。
「本当か?」
龍園が横から口を挟む。
七瀬は視線を龍園に向ける。
「はい。驚いたのは事実です。
あの方があのような形で退学されるとは、正直予想していませんでした」
「俺もだ」
宝泉が腕を組みながら言った。
「正直、拍子抜けだな。もっとこう……面白え形で潰されると思ってた」
その言葉に、一之瀬がわずかに眉をひそめる。
宝泉は気にした様子もなく続けた。
「だが現実はこれだ。試験結果で退学。しかも原因不明。つまらねえにも程がある」
「あなたにとってはそうかもしれないけど」
一之瀬が静かに言う。
「こっちにとっては、ただの結果じゃないの」
宝泉は肩をすくめた。
「分かってる。だからこうして来てんだろ」
龍園が鼻で笑う。
「口は悪いが、その通りだな」
坂柳は静かに観察していた。
一年生たちの反応は、嘘ではない。
驚きは本物だ。
だが同時に、彼らの視線はすでに少し先を見ている。
「あなたたちにとって、綾小路くんは他学年の存在に過ぎない」
坂柳が言った。
天沢がくすっと笑う。
「まあ、そうなっちゃいますよね。もちろん、私は少し違いますけど」
その言葉に、堀北の視線が鋭くなる。
「違う?」
「ええ」
天沢は楽しそうに笑った。
「綾小路先輩は、私にとってはちょっと特別な人でしたから」
八神が横で静かに口を開く。
「ですが、今回の件に関しては僕たちも関与していません」
その声は淡々としていた。
感情がほとんど乗っていない。
「僕も正直に言えば彼を退学に追い込むつもりだった。
ですが、それは今回じゃない」
「……どういう意味?」
堀北が問う。
八神は少しだけ考えるように視線を下げた。
「僕は自分の手で綾小路先輩を倒すつもりだった。
だからこそ、今回の結果には違和感があります。
僕が動く前に、勝手に盤面から消えたことに」
その言葉に、龍園が小さく笑った。
「同じこと考えてやがるな」
「似たような立場ですからね」
八神は龍園を一瞥した。
緊張が一瞬走る。
だが、それ以上は続かなかった。
「情報を整理しましょう」
七瀬が場を整えるように言った。
「二年生側の情報と、私たち一年生側の情報をすり合わせる必要があります」
堀北が頷く。
「私たちの結論はこうよ。
二年生の主要人物――龍園くん、坂柳さん、一之瀬さんは、
直接的には関与していない可能性が高い。
クラス内でも明確な犯人は見つからない。
ポイント移動や評価の積み重ねが影響しているが、それだけでは決定打に欠ける」
「こちらも似たようなものです」
宝泉の代わりに七瀬が答えるような形で続ける。
「一年生側でも、綾小路先輩に対する明確な攻撃は確認されていません。
確かに過去に退学に追い込めば2000万ポイントという条件はありましたが、
今回の試験とは直接結びついていない」
「つまり、どの層から見ても決定的な行動が存在しない」
龍園が低く言う。
「それなのに結果だけがある」
「気持ち悪いな」
宝泉が舌打ちする。
「誰もやってねえのに、一人死んだみてえなもんじゃねえか」
「言い方……」
一之瀬が小さく制する。
だが、その表現はあながち外れていなかった。
誰も直接手を下していない。
それでも一人が消えた。
「綾小路先輩は、途中から動きを止めていたという証言があります」
七瀬が言った。
「それについて、あなたたちはどう考えますか?」
龍園が答える。
「待ってたんだろうな」
「何を?」
「結果をだ」
宝泉が鼻で笑う。
「それって、諦めてたってことか?」
「違う」
龍園は即答した。
「あいつは諦めるタイプじゃねえ。あえて動かなかったんだ」
「理由は?」
「分からねえ」
龍園は苛立ちを隠さなかった。
「それが分かりゃ、こんなとこに来てねえよ」
宝泉がふっと笑う。
「お前、意外と冷静だな」
「うるせえ」
「あ?遊んでやろうか?」
宝泉が一歩踏み出す。
龍園もわずかに身体を前に出す。
空気が一瞬で張り詰める。
だが――
「やめてください」
七瀬の声が割って入った。
「今は争っている場合ではありません」
「そうだよ」
一之瀬も続く。
「ここでぶつかっても、何も分からないままだよ」
宝泉は舌打ちして後ろへ下がった。
龍園もそれ以上は踏み込まなかった。
「……続けろ」
龍園が低く言う。
七瀬は頷いた。
「では最後に確認させてください」
彼女の視線が、天沢と八神へ向く。
「お二人は、綾小路先輩に最も近い立場にあったとされています。
何か、他の方が知らない情報はありませんか?」
その問いは、この場で最も重要なものだった。
全員の視線が二人に集まる。
天沢は少しだけ考えるような仕草を見せた後、肩をすくめた。
「残念ながら、特別なことは何も」
「僕もです」
八神は淡々と答えた。
「知っていることは、他の人たちと変わりません」
「……そう」
堀北は静かに言った。
期待はしていなかった。
だが、それでも何かが引っかかる。
この二人が何も知らないという事実が、逆に不自然だった。
しかし、証拠はない。
問い詰める材料もない。
結局、今回も――。
「これ以上は進展なさそうですね」
坂柳が静かに言った。
その言葉が、すべてを締めくくった。
誰も反論しなかった。
誰も納得していなかったが、それでもこれ以上進める手がなかった。
「今日はここまでだ」
龍園が背を向ける。
「収穫ゼロかよ」
「ゼロではありません」
坂柳が言う。
「分からないという情報がまた積み重なりました」
宝泉が苦笑する。
「それが一番ムカつくんだよ」
そのまま、会合は解散した。
誰も答えを得られないまま。
誰も納得できないまま。
ただ、疑問だけが増えていく。
◯
夜。
天沢一夏は静かに廊下を歩いていた。
向かう先は、八神拓也の部屋。
ノックはしない。
そのまま扉を開ける。
「入るよー」
八神はベッドに腰掛けていた。
驚いた様子もなく、ただ視線を向ける。
「来ると思っていた」
「さすが」
天沢は笑った。
扉を閉める。
ここから先は、誰にも聞かれない会話。
ホワイトルームの生徒である二人だけの、完全に隔離された領域。
「で、本題」
天沢は壁にもたれながら言った。
「綾小路先輩の退学、拓也は関わってる?」
八神は即答した。
「関わっていない」
その答えに、天沢はじっと八神を見る。
「ほんとに?」
「ああ」
八神の声は揺れなかった。
「僕はあいつを退学にするつもりだった。だが、それは僕の手でやるはずだった」
その言葉には、明確な所有欲があった。
「でも、結果はこれ」
天沢が肩をすくめる。
「先に消えちゃった」
八神の拳がわずかに握られる。
「……拍子抜けだ」
その一言には、苛立ちが滲んでいた。
「僕が潰すはずだった。あいつは僕の標的だった。なのに、誰かに奪われた」
「誰か、ねえ」
天沢は小さく笑う。
「でもさ、誰も関わってないって言ってるよ?」
「信じるのか?」
「さあ?」
天沢は軽く首を傾げた。
「でも、少なくともあたしはやってないし、
拓也も違うって言うなら……本当に誰もやってないのかもね」
八神は目を細めた。
「そんなはずがない」
「だよねえ」
天沢は天井を見上げる。
「じゃあ、何が綾小路先輩を退学にしたんだろうね」
沈黙。
その問いに、答えはなかった。
ホワイトルームの生徒ですら分からない。
あの綾小路清隆を、盤面から消し去った何か。
「……気に入らない」
八神が低く呟いた。
「僕がやるはずだったことを、僕以外の何かがやった」
天沢はくすくすと笑う。
「嫉妬?」
「違う」
「じゃあ何?」
八神は答えなかった。
ただ、静かに前を見ていた。
天沢はその横顔を見つめながら、小さく息を吐いた。
「ほんと、分かんないことだらけだね」
その言葉は、昼間の会話と同じだった。
だが今は、もっと深い意味を持っていた。
誰も知らない。
誰も関わっていない。
それなのに、結果だけが存在する。
「ねえ、拓也」
天沢が最後に言った。
「もしさ、犯人がいないとしたらどうする?」
八神は少しだけ目を細めた。
「そんなものは認めない」
「そっか」
天沢は笑った。
「じゃあ、見つけるしかないね」
部屋の灯りが、静かに二人を照らしていた。
外の世界では、堀北たちがまだ答えを探している。
だがその道は、終わりの見えない長いトンネルのようだった。
どれだけ進んでも出口が見えない。
どれだけ人を集めても、真相に届かない。
そしてその奥で、何かが確実に笑っている。
綾小路清隆を退学にした何かが。
その正体に、まだ誰も辿り着けていなかった。