誰が綾小路清隆を退学にしたか?   作:戦竜

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第8話 疑うべき相手

一年生たちへの聞き取りが空振りに終わった翌日、

堀北クラスの教室には、朝からどこか落ち着かない空気が漂っていた。

 

七瀬も、宝泉も、天沢も、八神も、

綾小路清隆の退学に直接関与していないと言った。

 

その言葉をどこまで信用するかは別として、

少なくともその場で得られた情報だけでは、

一年生の誰かを犯人だと断定することはできなかった。

 

つまり、また振り出しに戻ったということだった。

 

「……結局、何も分からなかったってこと?」

 

軽井沢が机に肘をつき、苛立ちを隠しきれない声で言った。

 

その声に反応するように、教室の何人かが視線を向ける。

 

放課後。

 

堀北、平田、櫛田、須藤、軽井沢、松下、

幸村、長谷部、佐倉、三宅たちは、綾小路の空席を避けるように、

しかし結局その空席を中心にするような形で集まっていた。

 

既に綾小路がクラスに貢献してきた事例は可能な限り全て開示してある。

龍園との決着も、坂柳とのチェスの結末も、数学の満点の経緯も。

 

それでもなお、彼は切る方が合理的と判断された。

 

「何も分からなかったわけではない」

 

幸村が端末を見ながら答えた。

 

「少なくとも、一年生側にも明確な決定打は見つからなかった。

これは情報としては重要だ」

「でも、それって犯人が見つかってないってことじゃん」

 

軽井沢の声は鋭かった。

 

「清隆がいなくなった理由が、まだ全然分かってないってことでしょ」

 

幸村は反論しなかった。

 

その通りだったからだ。

 

情報は集まっている。

 

だが、真相には届かない。

 

どれだけ枝葉を拾っても、幹が見えない。

 

「やっぱり龍園じゃねえのか」

 

須藤が低く言った。

その一言で、教室の空気が少し変わった。

池や本堂のように距離を置いて聞いていた生徒たちも、わずかに身を乗り出す。

 

「龍園くん?」

 

平田が眉をひそめる。

 

「おう」

 

須藤は拳を握った。

 

「あいつ、綾小路に負けたことをずっと根に持ってただろ。

今回だって最初は狙ってたって自分で言ってたじゃねえか」

「確かに、龍園くんは綾小路くんを標的にしていた」

 

堀北は静かに認めた。

 

「でも、彼自身は決定打を打っていないと話していたわ」

「それを信じるのかよ」

 

須藤の声が荒くなる。

 

「龍園だぞ。平気で嘘つくだろ、あいつ」

 

三宅が腕を組む。

 

「須藤の言いたいことも分かる。

龍園なら、表で否定しながら裏で何か仕込んでいても不思議じゃない」

「そうだよ」

 

長谷部も頷いた。

 

「きよぽんと因縁があったなら、一番怪しいのはやっぱり龍園くんじゃないの?」

 

佐倉は不安そうに視線を落とした。

 

「でも……龍園くん、ショックを受けていたんだよね?」

「ショックを受けたふりかもしれないでしょ」

 

軽井沢が即座に言う。

 

「清隆を消しておいて、

自分は何も知りませんって顔してるだけかもしれないじゃん」

 

その声には、理屈よりも感情が強く混じっていた。

 

恋人を突然失った彼女にとって、

誰かを疑うことは、悲しみに形を与えるための唯一の手段でもあった。

 

「龍園が怪しい理由を整理しよう」

 

幸村がホワイトボードの前に立った。

 

「第一に、綾小路への明確な敵対意識があった。

第二に、今回の試験開始時点で実際に彼を標的にしていた。

第三に、情報操作や圧力を用いる能力がある。

第四に、結果的に綾小路が退学すれば、

龍園にとっては因縁の相手が消えることになる」

「十分じゃねえか」

 

須藤が言う。

 

「一方で、反証もある」

 

幸村は続けた。

 

「龍園は綾小路に勝ちたいのであって、

勝負の形もないまま退学されることを望んでいたとは考えにくい。

実際、彼は勝ち逃げされたと表現していた」

「それも演技かもしれない」

 

軽井沢が食い下がる。

 

「可能性としては否定できない」

 

幸村は頷いた。

 

「ただし、龍園が本当に黒幕なら、あまりにも動機と結果が噛み合っていない」

「どういう意味?」

 

櫛田が尋ねる。

 

「龍園にとって重要なのは、綾小路を打ち負かすことだ。

だが今回の退学は、龍園が勝ったという形になっていない。

むしろ、誰がやったか分からない不気味な結果だけが残っている」

 

堀北はその説明を聞きながら、龍園の顔を思い出していた。

 

彼は苛立っていた。

 

演技の可能性はある。

 

だが、あの手応えがなかったという言葉だけは、妙に本物のように感じられた。

 

「それに」

 

松下が静かに口を開いた。

 

「龍園くんが本当に犯人なら、

坂柳さんや一之瀬さんまで巻き込んで調査する必要はないんじゃないかな」

「逆に怪しまれないためかもしれないだろ」

 

本堂が口を挟む。

 

「そういう可能性もあるけど、龍園くんってそこまで回りくどく隠すタイプかな」

 

松下は首を傾げた。

 

「必要なら隠すけど、

今回みたいに自分の勝利として見せられない形を選ぶかなって思う」

 

教室が沈黙する。

 

龍園は怪しい。

 

だが、決定打がない。

 

そして何より、龍園らしくない。

 

「じゃあ坂柳はどうなんだよ」

 

池がぽつりと言った。

 

全員の視線がそちらへ向く。

 

池は慌てて手を振る。

 

「いや、俺は詳しくないけどさ。あいつ、頭めちゃくちゃいいんだろ?

綾小路のことも知ってたんだろ?なら一番こういうの仕組めそうじゃね?」

 

その言葉に、堀北はわずかに目を細めた。

 

確かに、坂柳有栖は怪しい。

 

龍園が力と圧力の疑惑なら、坂柳は知略と誘導の疑惑だ。

 

「坂柳が怪しい理由も整理できる」

 

幸村はボードに新しい項目を書く。

 

「第一に、綾小路の実力に早い段階から気づいていた。

第二に、彼を倒すことに強い関心を持っていた。

第三に、情報操作に長けている。

第四に、直接手を汚さずに相手を追い込むことができる」

「龍園くんより坂柳さんの方が怪しくない?」

 

篠原が不安げに言った。

 

「だって、龍園くんは分かりやすいけど、坂柳さんは何考えてるか分からないし」

「それはあるよね」

 

松下が頷く。

 

「坂柳さんなら、誰にも気づかれずに流れを作ることはできそう」

 

軽井沢が机を指で叩いた。

 

「清隆と勝負したかったって言ってたけど、それだって本当か分かんないじゃん」

「でも、坂柳さんも喪失感を抱いていた」

 

櫛田が言う。

 

「彼女にとって綾小路くんは、本当に特別な相手だったように見えたよ」

「特別だからこそ、消した可能性もあるわよ」

 

長谷部が少し強い声で言った。

 

「自分が倒せないなら、盤面から消してしまうとか」

 

その言葉は、感情的ではあった。

 

だが完全に的外れとも言えなかった。

 

坂柳有栖は、綾小路清隆を標的としていた。

 

そして彼女には、それを実行できるだけの知性も人脈もあった。

 

「坂柳が犯人だった場合」

 

幸村は冷静に続ける。

 

「彼女は綾小路の表向きの評価が低くなるように、

情報の出方を調整した可能性がある。

綾小路が自分の能力を隠す性質を逆手に取り、

見えない貢献をさらに見えなくした」

「それならあり得るわね」

 

堀北が言った。

 

自分で口にして、胸の奥が冷えるのを感じた。

 

坂柳ならできる。

 

綾小路という人間を理解し、その弱点を突くことができる。

 

彼の弱点とは、能力の低さではない。

 

能力を隠しすぎること。

 

他人に自分の価値を預けないこと。

 

助けを求めないこと。

 

もし坂柳がそこに気づき、試験構造の中で利用したなら――。

 

「でも」

 

佐倉が小さく言った。

 

「坂柳さん、本当に清隆くんがいなくなって、寂しそうだったんだよね?」

「寂しそうに見せることはできるでしょ」

 

軽井沢が言う。

 

「でも……」

 

佐倉は俯いた。

 

「なんだか、違う気がする」

 

その声は弱かった。

 

だが、誰もすぐには否定しなかった。

 

「愛里、どうしてそう思う?」

 

三宅が尋ねる。

 

「うまく言えないけど……坂柳さんって、清隆くんを退学させたいというより、

清隆くんと向き合いたかったんじゃないかなって」

 

教室が静かになる。

 

「だから、清隆くんがいなくなったことを喜ぶ感じじゃなかった気がする」

 

佐倉の言葉は論理ではない。

 

だが、綾小路を静かに見ていた彼女らしい感覚だった。

 

「坂柳さんが犯人だとしたら、あまりにも目的が中途半端だね」

 

松下が言った。

 

「龍園くんと同じで、勝ちたい相手を勝負前に消しているだけになる」

「じゃあ誰なんだよ」

 

須藤が苛立ったように声を上げた。

 

「龍園も違う、坂柳も違う、一年も違う。だったら誰が綾小路を退学にしたんだよ」

 

その問いに、誰も答えられなかった。

 

教室の中心に、綾小路の空席がある。

 

答えを持っているはずの本人はいない。

 

「南雲先輩は?」

 

池が言った。

 

「生徒会長なら、試験の制度とかいじれそうじゃん」

「南雲先輩の関与はまだ十分に調べられていない」

 

幸村が頷く。

 

「ただ、彼が綾小路個人を標的にした理由は弱い」

「理由なんて後から作れるだろ」

 

須藤が言う。

 

「この学校の上級生って、ろくでもねえこと考えてるやつ多いしよ」

 

堀北は黙って考え込んでいた。

 

龍園。

坂柳。

南雲。

一年生。

学校。

 

誰もが怪しい。

 

だが、誰一人として決定的ではない。

 

まるで、濁った水の中にいくつもの影が揺れているのに、

手を伸ばせばどれもただの波紋だった、そんな感覚だった。

 

「一つ、嫌な可能性があるんだけど」

 

松下が静かに言った。

 

全員が彼女を見る。

 

「誰か一人を疑うこと自体が、間違ってるのかもしれない」

 

その言葉に、教室の空気が止まった。

 

「どういう意味だよ」

 

須藤が問う。

 

松下は少し迷ったあと、言った。

 

「ずっと私たちは誰がやったの”を探してる。

龍園くんか、坂柳さんか、一年生か、南雲先輩か。

でも、ここまで調べても決定打が出ないなら、

もしかすると誰か一人がやった事件じゃないのかもしれない」

 

幸村が目を細める。

 

「複数犯ということか?」

「ううん」

 

松下は首を振った。

 

「もっと曖昧なもの。

誰も犯人のつもりはないのに、結果だけがそうなったみたいな」

 

軽井沢が不快そうに顔を歪める。

 

「何それ。そんなの納得できない」

「私も納得したくないよ」

 

松下の声は静かだった。

 

「でも、今回の試験ってそういう仕組みだったでしょ。

誰かを守ったら、別の誰かが危なくなる。

自分の班を守ったら、他の班にしわ寄せが行く。

見える貢献だけが評価されて、見えない貢献は切り捨てられる」

「つまり」

 

櫛田がゆっくりと言った。

 

「みんなが少しずつ選んだことが、

綾小路くんを押し出したかもしれないってこと?」

 

松下は頷いた。

 

「可能性としては」

「……やめてよ」

 

軽井沢が震える声で言った。

 

「そんなの、嫌だ」

 

その言葉に、誰も何も言えなかった。

 

軽井沢が否定したいのは、松下の理屈ではない。

 

その理屈が成立してしまう世界そのものだった。

 

「清隆を退学にした奴がいるなら、そいつを責めればいい」

 

軽井沢は俯いたまま言った。

 

「龍園くんでも坂柳さんでも南雲先輩でも、

誰かがやったなら、そいつを憎めばいい。

でも、みんなが少しずつとか……そんなの、どこに怒ればいいのよ」

 

その声は、教室の誰の胸にも刺さった。

 

長谷部は唇を噛む。

 

佐倉は涙を堪えるように目を伏せる。

 

三宅は何も言えず、平田は苦しそうに拳を握った。

 

「まだ仮説よ」

 

堀北が静かに言った。

 

「確定したわけではない」

 

だが、その声にも迷いがあった。

松下の言葉は、堀北自身が心のどこかで恐れていた可能性と一致していた。

 

誰か一人を追えば、真相に辿り着く。

 

そう思いたかった。

だが、ここまで調査が空振りに終わった今、その前提そのものが崩れ始めている。

 

「それでも、まだ龍園や坂柳の線を捨てるべきではない」

 

幸村が言った。

 

「犯人が一人ではないとしても、特に強い影響を与えた人物はいるはずだ。

龍園の圧力、坂柳の情報操作、一之瀬のポイント移動、俺たちの判断。

そのどれがどの程度影響したのか、もっと精査する必要がある」

「だったら、次はどうするの?」

 

櫛田が尋ねる。

 

堀北はしばらく黙った。

 

龍園も坂柳も一年生も調べた。

 

それでも答えは出ない。

 

ならば、次に必要なのは、

生徒同士の証言ではなく、試験そのものの構造を知ることだ。

 

「制度に近い人間に聞くしかないわ」

 

堀北は言った。

 

「南雲先輩だね」

 

平田が確認するように言う。

 

「ええ」

 

堀北は頷いた。

 

「生徒会長である南雲先輩なら、

今回の試験の設計や評価構造について、私たちより深く知っている可能性がある」

「南雲先輩が協力してくれるかな」

 

佐倉が不安げに言う。

 

「分からないわ」

 

堀北は答えた。

 

「でも、ここで止まるわけにはいかない」

 

教室に沈黙が降りる。

 

その沈黙の中心には、やはり綾小路の空席があった。

 

誰も座っていない。

何も置かれていない。

それなのに、そこだけが教室の中で最も重かった。

 

「……きよぽん」

 

長谷部が小さく呟いた。

 

「本当に、何があったの」

 

答えは返ってこない。

 

ただ、問いだけが残る。

 

龍園が怪しい。

 

坂柳が怪しい。

 

南雲が怪しい。

 

一年生が怪しい。

 

学校が怪しい。

 

けれど、本当に疑うべきものは、もしかすると誰かではないのかもしれない。

 

その考えが、教室の全員の胸に、小さな棘のように刺さっていた。

 

堀北は綾小路の席を見つめた。

 

まだ認めるわけにはいかない。

 

まだ、そこに答えがあると決まったわけではない。

 

だが、もし本当に。

 

もし本当に、綾小路清隆を退学にした犯人が一人ではなく、

この教室にいる自分たちも含めた全員の選択だったのだとしたら。

 

そのとき、自分は何をすればいいのか。

 

誰を責めればいいのか。

 

誰に謝ればいいのか。

 

そして、誰に許されればいいのか。

 

堀北はその問いを飲み込み、静かに端末を手に取った。

 

「南雲先輩に連絡を取るのを検討するわ」

 

その一言で、話し合いは終わった。

 

だが、教室に残った重さは消えなかった。

 

むしろ、誰か一人を疑っていた時よりも、ずっと重くなっていた。

 

なぜなら彼らは、ようやく気づき始めていたからだ。

 

この事件の本当の恐ろしさは、犯人が分からないことではない。

 

犯人と呼べる誰かが、本当に存在しないかもしれないことなのだと。

 

 

堀北たちが学年の主軸へと接触している間、

別行動を取っていた長谷部たちもまた、独自に情報を集めていたが、

その出発点は極めて素朴であり、綾小路清隆という存在を知っている側の視点から、

まずは最も話が通じそうな一之瀬クラスへ当たるというものだった。

 

長谷部、佐倉、三宅、幸村、松下、軽井沢、櫛田の七人は、

ケヤキモールのベンチで一之瀬クラスの数名と向かい合いながら、

丁寧に、しかし核心へ踏み込むことをためらわない聞き方で質問を重ねていったが、

返ってきた答えはどれも似通っていて、綾小路に対する敵意は見当たらず、

むしろ「穏やかな人だった」「あまり接点はなかったけれど悪い印象はない」

「退学と聞いて驚いた」といった、

既に何度も聞いた言葉の焼き直しに過ぎなかった。

 

「やっぱり、ここも同じだね……」

 

佐倉が小さく呟くと、長谷部は無理に明るく振る舞おうとして笑ったが、

その笑顔には疲労が滲んでいて、

どれだけ話を聞いても決定的な誰かに辿り着かない現状が、

少しずつ彼女たちの心を削っていることは明らかだった。

 

「でも、一之瀬さんのクラスが関わってないって確認できただけでも意味はあるよ」

 

櫛田がフォローするように言うが、その声にもいつもの余裕はなく、

どこかでこのまま何も見つからないのではないかという焦りが混じっていた。

 

三宅は腕を組みながら低く言った。

 

「問題は、どこまで行っても知らないしか出てこないことだな。

普通は誰か一人くらい、何かしら引っかかる発言をするもんだが」

 

「それがないってことは、誰も本当に関わってないか、

あるいは関わっていることにすら気づいていないかのどちらかだろうな」

 

幸村が冷静に分析する。

 

松下が静かに付け加える。

 

「後者だとしたら、かなり厄介だよね、無自覚のまま誰かを追い込んだってことになるから」

 

軽井沢が眉をひそめる。

 

「……なんかそれ、めちゃくちゃ嫌な話なんだけど」

 

長谷部は小さく息を吐いた。

 

「でも、ここにいても仕方ないね、次に行こう」

 

その提案に全員が頷いた。

 

次の候補はすでに決まっていた。

 

坂柳クラス――その中でも、少し変わった立ち位置にいる三人。

 

森下藍、山村美紀、白石飛鳥。

 

強烈なリーダーシップを持つ坂柳の影に隠れがちな存在ではあるが、

だからこそ逆に主軸とは違う角度から状況を見ている可能性があると判断したのだ。

 

場所を変え、三人と対面したとき、最初に口を開いたのは山村だった。

 

「あ、綾小路くんの退学について……ですか?」

 

その声は落ち着いていたが、どこか警戒心も含んでいた。

白石は静かに頷き、森下は椅子にだらしなく座りながら興味なさそうに天井を見ている。

 

「そう、何か気づいたこととか、試験中の動きとか、どんな小さなことでもいいの」

 

長谷部が言うと、山村は少し考えるように視線を落とした。

 

「正直に言うと、私たちも……あまり関わりはありませんでした……

彼は自分から目立つタイプではありませんし……

こちらから干渉する理由もなかったので……」

 

白石が補足する。

 

「ただ、坂柳さんは彼をかなり注視していました。

ですから、クラス全体としても

無視していい存在ではないという認識は共有されていました」

「でも、直接的に何かしたわけじゃないんだよね?」

 

松下が確認する。

 

「はい……その点については断言できます……」

 

山村が答える。

 

ここまでは予想通りだった。

坂柳クラスですら、決定的な情報は持っていない。

だが、それでも彼女たちは諦めず、さらに細かく質問を重ねていく。

 

試験中の細かな移動。

 

誰と誰が接触していたか。

 

どのタイミングで評価が変動したか。

 

どれも断片的で、つなぎ合わせても一本の線にはならない。

 

「……やっぱり、ダメかも」

 

佐倉が小さく言った。

その声には、これまで押し殺していた不安が滲んでいた。

 

「どれだけ聞いても、全部バラバラで……」

 

そのときだった。

森下が、ぼそりと呟いた。

 

「そもそもですよ」

 

全員の視線が向く。

森下は天井を見たまま続ける。

 

「なんで誰かがやった前提で探してるんですか?」

 

その一言は、あまりにも何気ないものだった。

だが、その場の空気を一瞬で止めるには十分だった。

 

「え?」

 

長谷部が思わず聞き返す。

 

森下は肩をすくめる。

 

「だってそうじゃないですか。犯人探ししてますけど、

今回の試験って犯人が必要な構造でしたっけ?」

「それは……」

 

幸村が言葉を詰まらせる。

 

森下は続ける。

 

「誰か一人が狙って落とすタイプの試験なら分かりますよ。

でも今回って違うじゃないですか?全員の評価とかポイントがぐちゃぐちゃに絡んで、

最後に一人が弾かれるだけのやつではないですか」

 

その言葉が、静かに沈んでいく。

 

「……あれ?」

 

佐倉が、ぽつりと呟いた。

 

「それって……」

 

彼女は自分の中に浮かんだ違和感を、うまく言葉にできずにいた。

 

「みんなで少しずつ……何かしてて……」

 

白石が、その言葉を受け取るように静かに口を開いた。

 

「つまり、誰か一人が原因ではなく、

全員の行動が結果として一人を押し出した可能性」

 

その分析は、極めて冷静だった。

だが、その内容はあまりにも残酷だった。

 

「それなら……」

 

幸村がゆっくりと続ける。

 

「誰も嘘をついていないことになる」

 

軽井沢の顔が強張る。

 

「……誰もやってないのに、みんなやってるってこと?」

 

松下が静かに頷いた。

 

「うん、それなら説明がつく、誰も自分がやったって自覚がないのも、全部辻褄が合う」

 

長谷部は息を呑んだ。

その考えは、これまでの情報とあまりにも綺麗に一致していた。

 

誰も狙っていない。

 

誰も決定打を打っていない。

 

それなのに結果が出ている。

 

その答えは――。

 

「……全員」

 

佐倉が震える声で言った。

 

「全員が、少しずつ関わってた……?」

 

沈黙。

 

その沈黙は、これまでのものとは質が違った。

 

答えに近づいたときの、重さ。

 

だが同時に、それはまだ仮説に過ぎない。

 

「でも、それを証明するには……」

 

三宅が言いかけたとき、白石が静かに言った。

 

「学校側の評価アルゴリズムを確認する必要があります」

「アルゴリズム……?」

「ええ」

 

白石は頷く。

 

「総合最適化判定と呼ばれている以上、単純な点数ではなく、

複数の要素を加味した最終的な損益計算が行われているはずです。

その計算式を知れば、なぜ綾小路くんが選ばれたのか、

理論的に説明ができるかもしれません」

「でも、それって……」

 

長谷部が息を呑む。

 

「生徒側じゃ分からないよね」

 

白石は静かに言った。

 

「ええ、普通は」

 

幸村がゆっくりと顔を上げる。

 

「だが、一人だけ例外がいる」

 

その名前を、全員が思い浮かべた。

 

南雲雅。

生徒会長。

 

この学校の制度に最も近い位置にいる存在。

 

「……行こう」

 

長谷部が立ち上がった。

 

「これ、すぐに伝えないと」

 

そのまま彼女たちは、堀北たちのもとへ向かった。

 

 

その夜。

 

堀北は、静かに端末を見つめていた。

 

長谷部たちから共有された仮説。

 

『全員が犯人である可能性』。

 

それは、これまでの断片をすべて繋ぐ一本の線だった。

 

だが同時に、それを確定させるには決定的な何かが足りない。

 

「……南雲先輩」

 

堀北は小さく呟いた。

 

この仮説を証明するためには、学校側の評価構造に踏み込む必要がある。

 

そのためには――。

 

「会いに行くしかないわね」

 

彼女は静かに決意した。

 

数日後。

 

堀北鈴音は、生徒会長である南雲雅にコンタクトを取ることになる。

 

それは、この長いトンネルの中で、初めて出口に繋がるかもしれない扉だった。

 

だが同時に、その先に待っている真実は、

これまで以上に残酷なものである可能性もまた、彼女は理解していた。

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