視界が白く弾けた瞬間、ブレーキ音と何かがぶつかる鈍い衝撃が重なって、身体が宙に浮いたような感覚があった気がする。痛みを感じるより先に、頭の中だけが妙に冷静で、「あ、これまずいかもな」とどこか他人事みたいに考えていた自分がいたのを、はっきり覚えている。
それから先の記憶が途切れて、次に目を開けた時には、まるで何もなかったみたいに静かな場所に立っていた。
足元を見ても、地面があるのかどうか分からない。ただ白いだけの空間がどこまでも続いていて、上下も左右も曖昧で、自分が立っているのか浮いているのかさえ判断がつかないまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……ここ、どこなんだろうね」
口に出してみると、ちゃんと声が響いたことに少しだけ安心する。夢にしては妙に感覚がはっきりしているし、かといって現実だと言い切るには、さっきまでの出来事との繋がりがどうしても噛み合わない。
交通事故、だったはずだよな、と記憶を辿る。仕事帰りの夜道、信号が変わるのを待って、横断歩道を渡ろうとして、横から来た車のライトが視界いっぱいに広がって――そこで終わっている。
「……まあ、そういうことか」
自分で言葉にしてみると、不思議と納得してしまうのが妙だった。普通ならもっと取り乱してもいいはずなのに、焦りや恐怖があまり湧いてこないのは、状況が現実離れしすぎているせいなのかもしれない。
「察しがいいね」
ふいに後ろから声がして、ゆっくり振り返る。いつからそこにいたのか分からないけれど、気づいた時には一人の人物が立っていた。
年齢も性別もはっきりしない、不思議な雰囲気の人で、白い空間に溶け込むみたいに輪郭がやや曖昧に見える。そのくせ、目だけはやけに楽しそうに細められていて、こちらを観察しているのが分かる。
「……神様、ってやつかな」
自分でもずいぶんあっさりした言い方だと思ったけれど、その人は特に否定もせず、軽く肩をすくめて笑った。
「まあ、そんなところ。呼び方は何でもいいよ」
「そうなんだね」
肯定されると、やっぱりそういう状況なのかと改めて実感が湧く。非現実的なはずなのに、こうして普通に会話が成立しているせいで、逆に受け入れるしかない気分になってくるのが不思議だった。
「君は交通事故で死んだ。ここはその後の処理みたいな場所だと思ってくれればいい」
「……そうなんだね」
はっきり言われても、驚きよりも「やっぱりそうか」という感覚の方が強かった。さっきの記憶がやけに鮮明に残っているせいで、変に納得してしまう。
「で、これからどうする?」
「どうする、っていうと」
「そのまま消えるか、どこかに転生するか。まあ、よくあるやつだね」
軽い調子で言われて、思わず少しだけ考える。消えるという選択肢に対して特別な感情が湧かなかったのは、自分でも意外だったけれど、それでももう一度何かを始められるなら、その方がいいと思った。
「転生でお願いしたいかな」
「即決だね」
「もう一回やり直せるなら、その方がいいと思って」
自分の言葉を聞きながら、ずいぶん落ち着いているなとどこかで思う。けれど焦ってもどうにもならない状況だと分かっているからか、自然とこういう選び方になっていた。
「いいよ。じゃあどこに行きたい?」
そう聞かれて、頭に浮かんだのはひとつしかなかった。昔からずっと好きで、時間がある時はつい触れてしまうくらいには馴染みのある世界。
「ポケモンの世界に行きたい」
口にした瞬間、相手の目が少しだけ見開かれて、それから楽しそうに笑った。
「いいね、それ。ゲームもアニメも知ってる感じ?」
「全部、って言えるくらいには」
「へぇ、じゃあそれなりにやっていけそうだ」
軽く頷きながらそう言われて、自分でも少しだけ安心する。知識がある分、有利に動ける場面もあるだろうし、何より好きな世界で過ごせるなら、それだけで十分だと思えた。
「ジム巡りとか、チャンピオン目指すとかは?」
「いや、そこはいいかな」
即答すると、相手は少し意外そうに眉を上げた。
「やらないの?」
「見るのは好きだけど、自分でやるなら別のことがいいかなって」
自分の中ではかなりはっきりしている考えだった。バトルも嫌いじゃないけれど、それよりも惹かれていたのは、あの世界での生活そのものだった気がする。
「じゃあ、何したいの?」
少しだけ考えてから、言葉を選ぶ。
「ポケモンと普通に暮らしたい。好きな場所に行って、景色見たり、出会ったりして」
自分で言ってみて、それが一番しっくりくる願いだと思えた。無理に強くならなくてもいいし、誰かと競わなくてもいい。ただその世界にいて、ゆっくり過ごせたらそれでいい。
「戦わない方向か」
「完全にゼロじゃなくてもいいけど、メインにはしたくないかな」
「なるほどね」
相手は少しだけ顎に手を当てて考える仕草を見せてから、にやりと笑った。
「いいよ、その願い。ちょっと面白そうだし」
「そうなんだね」
あっさりと許可が出たことに、内心ほっとする。もう少し条件を詰められるかと思っていたけれど、思ったよりも話が早い。
「その代わり、いくつか特典つけてあげるよ。安全に暮らしたいんでしょ?」
「うん、できれば」
「じゃあ、自分だけの拠点を用意する。自然豊かで、人はいない空間」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中に広がるイメージがあった。静かな森や草原、風の音だけが聞こえる場所で、ポケモンと過ごす時間。
「いいね、それ」
思わず少しだけ声が弾む。
「さらに、そこには生活に必要なものは全部揃えておく。料理も掃除もロボットがやってくれるし、材料も困らないようにする」
「……かなり快適そうだね」
「でしょ?その分、君は好きに動いていい。旅でも観光でも」
言われてみると、自分の望んでいた形にかなり近い。何かに追われることもなく、やりたいことに時間を使える環境。
「あと、移動手段も用意する。行きたい場所を伝えれば、すぐに行けるようにするよ」
「それは助かるな」
「細かい説明は向こうでやるから、実際に使いながら覚えていけばいい」
ひと通り話を聞き終えて、自然と頷く。ここまで整っているなら、不安よりも楽しみの方が大きい。
「他に欲しいものは?」
少しだけ考える。何か足りないものがあるとすれば、それはきっとひとつだけだ。
「最初に一緒にいるポケモンがいたら嬉しいかな」
「最初から連れていく?」
「うん。できれば、ちゃんとした相棒として」
相手は少しだけ考えるように視線を上げてから、納得したように頷いた。
「いいよ。それも用意しておく」
「ありがとう」
自然とそう言葉が出る。ここまで願いを聞いてもらえるとは思っていなかったから、素直にありがたかった。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
そう言われて、周囲の白い空間がゆっくりと揺らぐように歪み始める。視界が少しずつ薄れていく中で、次に目を開けた時には、まったく違う場所に立っているんだろうと分かっていた。
「楽しんでね、ハルト」
最後にそう声をかけられて、意識がすっと遠のいていく。
これから始まるのは、戦うための人生じゃなくて、ただ好きな景色を見て、好きなポケモンと過ごす時間。
それを思うと、不思議と胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。