扉の前に立って、外の空気をひとつ深く吸い込む。拠点の周りは相変わらず静かで、風に揺れる草の音だけが一定のリズムで耳に届いている。ここにいれば何も困らないだろうと分かっているのに、それでも外へ出てみたいと思うのは、やっぱりこの世界をちゃんと見てみたいからなんだろう。
振り返ると、少し距離を置いた位置にヒノアラシがいる。まだ完全に慣れているわけじゃないけど、さっきよりもこちらを観察する視線に硬さがないのが分かる。
「……外に行ってみようと思うんだけど」
声をかけると、ヒノアラシは小さく身体を揺らした。拒否する様子はないけれど、積極的についてくる感じでもない。その反応を見て、無理に連れていくのはやめておこうと自然に思う。
「ここで待っててもいいし、一緒に来てもいい。どっちでも大丈夫だから」
そう言うと、ヒノアラシは少しだけ視線を逸らして、それからゆっくりとこちらへ歩いてきた。完全に距離が詰まるわけではないけれど、ついてくる意思はあるらしい。
「……来るんだね」
その選択が少し嬉しくて、無意識に口元が緩む。まだ信頼されているわけじゃないのは分かっているけど、それでも一歩踏み出してくれたことが伝わってきた。
その時、ロトム図鑑がふわりと浮かびながらこちらに寄ってくる。
「どこに行くロト?初めての外出ロトよ!」
「そうだね……」
少し考えてから、頭に浮かんだ場所の名前をそのまま口にする。
「ヤマブキシティに行ってみようか」
「了解ロト!カントー地方の中心都市、ヤマブキシティに転移するロト!」
ロトム図鑑の声が軽く弾むと同時に、空間の一部が歪むように揺れて、そこに円形のゲートが現れる。向こう側には、さっきまでとはまったく違う景色が広がっていた。
街の色だ。
自然の緑とは違う、建物と道路が作り出す整った景観。その向こうに人の気配があるのが分かる。
「……行こうか」
そう呟いて、一歩踏み出す。
ゲートを抜けた瞬間、空気が変わったのをはっきりと感じた。さっきまでの静けさとは違って、どこか生活の音が混じっている。人の話し声や、足音、遠くで鳴くポケモンの声が重なり合って、街としての“動き”がある。
視界に広がるのは高い建物と整った道路。人の行き来も多くて、ここがこの地方の中心なんだということが一目で分かる。
「……思ってたより、ちゃんと都会だな」
ゲームで見ていた時の印象はあったけど、実際に立ってみるとスケールが違う。建物の高さや人の多さ、そこに混ざるポケモンたちの存在が、画面越しとはまったく違う現実感を持っている。
「当然ロト!ここは大都市ロトよ!トレーナーも多いし、企業も集中してるロト!」
「なるほど、そういう場所なんだね」
説明を聞きながら、周囲をゆっくりと見て回る。人の足元を歩く小型のポケモンや、肩に乗っているポケモンもいて、それぞれが自然に共存しているのが分かる。
「……いいな、この感じ」
無理に何かをする必要がなくて、ただ歩いているだけでも新しい発見がある。こういう時間の使い方をしたかったんだと、改めて思う。
ヒノアラシの方を見ると、少しだけ身体を低くして周囲を警戒しているようだった。知らない場所だから当然の反応だと思う。
「人が多いから、少し落ち着かないよな」
そう声をかけると、ヒノアラシは一瞬こちらを見て、それからまた周囲へ視線を戻した。完全に安心しているわけじゃないけど、逃げ出す様子はない。
「無理に慣れなくていいから、ゆっくりで大丈夫だよ」
自分のペースでいいという意味を込めてそう言うと、ヒノアラシはほんの少しだけ力を抜いたように見えた。
そのまま街を歩き始める。目的地を決めているわけじゃないけど、それでも進むたびに景色が変わっていくのが面白い。店が並んでいる通りに出ると、食べ物の匂いが漂ってきて、思わず足が止まりそうになる。
「……ちゃんと生活してるんだな、この世界も」
当たり前のことなのに、どこか新鮮に感じる。ポケモンと一緒に暮らす人たちの姿が、自然にそこにある。
「当たり前ロト!ここは現実の世界ロトよ!」
ロトム図鑑の言葉に小さく頷く。
「そうだよね」
視線を上げると、遠くに大きな建物が見える。街の中でもひときわ目立つ存在で、あれが何なのかを考えるまでもなく分かる気がした。
「……あれがジムか」
「正解ロト!ヤマブキシティのジムロト!」
ロトム図鑑が嬉しそうに答えるのを聞きながら、その建物を少しだけ眺める。中ではきっと、バトルが行われているんだろう。
「今回は、やめておこうかな」
そう呟くと、ロトム図鑑が少し意外そうな声を出す。
「挑戦しないロト?」
「うん。今日は観光に来ただけだし」
戦うことが目的じゃないというのは、最初から決めていたことだ。見て楽しむだけでも十分だし、それで満足できる。
「……そういうスタイルロトね」
納得したような声を聞きながら、再び歩き出す。
ヒノアラシはまだ少し距離を保ちながらついてきているけれど、その歩幅が少しだけ揃ってきていることに気づく。
「……少しは慣れてきたかな」
小さく呟くと、ヒノアラシは一瞬だけこちらを見た。その視線に、さっきよりもほんの少しだけ柔らかさがある気がして、思わずまた口元が緩む。
街の中を歩きながら、目に入るものすべてが新鮮で、ただ見ているだけで時間が過ぎていく。急ぐ必要はなくて、やりたいことだけを選べるこの感覚が、思っていた以上に心地よかった。
「……いいな、こういうの」
誰に言うでもなくそう呟いて、もう少しだけこの街を歩いてみようと思った。