朝、目を覚ましたとき、昨日よりも少しだけ身体が軽く感じた。環境が変わったからなのか、それとも単純に気持ちの問題なのかは分からないけど、この空間で眠ること自体が、もう自然なこととして馴染んできている気がする。
窓の外に視線を向けると、柔らかい光が差し込んでいて、草地には昨日のままポケモンたちの気配が残っていた。全員が完全に落ち着いたわけではないけど、少なくともこの場所から離れる様子はない。
「……悪くない朝だね」
小さく呟いてから、ゆっくりと起き上がる。
ヒノアラシの方を見ると、少し離れた位置で丸くなっていた。声をかけると、ゆっくりと顔を上げてこちらを見る。
「起きた?」
近づきすぎない距離でそう言うと、ヒノアラシは小さく身体を伸ばした。完全に慣れているわけではないけど、少なくともこちらを避ける様子はない。
「今日は、出かける予定なんだ」
ゆっくりと伝える。言葉が全部通じているわけじゃないとしても、こうやって声をかけることで、少しずつ共有できるものが増えていく気がする。
「エンジュシティに行ってみようか」
そう言うと、ヒノアラシはわずかに身体を揺らした。その反応を見て、一緒に行く意思はあるのだと判断する。
「じゃあ、行こうか」
ロトム図鑑に視線を向けると、すぐに反応が返ってくる。
「了解ロト!エンジュシティに転移するロト!」
空間が歪み、ゲートが開く。その向こうに見える景色は、昨日まで見ていたものとはまったく違っていた。
一歩踏み出した瞬間、空気の質が変わる。
静かで、どこか落ち着いた気配。風の匂いも少し違っていて、木と土の香りに混ざって、どこか懐かしいような感覚があった。
視界に広がるのは、整えられた木造の建物と、ゆったりとした街並み。
「……京都みたいだな」
思わずそう呟く。前の世界で実際に見た景色と重なる部分があって、それがそのまま形になったような印象を受ける。
派手さはないけど、落ち着きがあって、歩いているだけで気持ちが整っていくような空気。
「歴史ある街ロト!ジョウト地方の文化が色濃く残ってるロト!」
「なるほど、そういう場所なんだね」
ゆっくりと歩き出す。石畳の道を踏む感触や、風に揺れる木の音が、ひとつひとつ丁寧に感じられる。
ヒノアラシも隣で歩いていて、昨日よりも自然に距離が近い。こういう静かな場所の方が合っているのかもしれないと思う。
通りを進んでいると、和装の女性が視界に入る。髪を結い上げて、色鮮やかな着物を着ているその姿は、この街の雰囲気にとてもよく合っていた。
「……舞妓さん、か」
思わず小さく呟くと、その女性がこちらに気づいて軽く会釈をしてくる。
「こんにちは」
穏やかな声で挨拶されて、自然とこちらも頭を下げる。
「こんにちは」
短いやり取りだけど、その落ち着いた所作がこの街の空気をそのまま表しているように感じる。
そのまま少し歩くと、視界の先に大きな建物が見えてくる。
「……あれが、スズのとうか」
スズのとうは、まっすぐに伸びる美しい塔で、周囲の景色と調和しながらも、しっかりと存在感を放っていた。
「伝説に関係する場所ロト!」
「そうなんだね」
その姿を少しだけ眺めてから、視線を横に移す。
もうひとつ、少し離れた場所に見える建物があった。
「……あっちは」
「やけたとうロト!昔、火事で焼けた塔ロト!」
「なるほど……」
外観はスズのとうとは違って、崩れた部分が目立つ。完全な形ではないけれど、その分だけ時間の経過を強く感じる場所だった。
「少し、あっちも見てみようか」
自然とそう思って、足を向ける。
やけたとうに近づくにつれて、空気が少し変わる。さっきまでの穏やかな雰囲気とは違って、どこか静かで、深い気配がある。
中に入ると、さらにその感覚が強くなる。
崩れた柱や床の跡が残っていて、かつての姿を想像させるような空間が広がっている。
「……静かだな」
小さく呟くと、ヒノアラシも動きを止めて周囲を見ている。さっきまでとは違う空気を感じ取っているのかもしれない。
その時、ふと視線の先で何かが動いた。
一瞬だけ、青い影が通り過ぎる。
「……今の」
思わず言葉が漏れる。
ロトム図鑑がすぐに反応する。
「反応ありロト……!」
視線を向けると、そこにいたのは一匹のポケモンだった。
青くしなやかな体に、風のように揺れるたてがみ。
「……スイクン」
名前を口にした瞬間、そのポケモンがゆっくりとこちらを見る。
ただ見られているだけなのに、不思議と圧迫感はなくて、むしろ澄んだ水の中にいるような静けさがある。
ヒノアラシも動かず、その場でじっとしている。
「……ここにいたんだね」
無理に近づこうとは思わない。ただ、その存在を受け止めるように静かに言葉を置く。
スイクンはしばらくこちらを見ていたけれど、やがてゆっくりと向きを変えて、音もなく奥へと消えていった。
その姿が見えなくなったあとも、しばらくその場に立っている。
「……すごいな」
自然とそう呟く。出会えただけで十分だと思える存在だった。
ヒノアラシの方を見ると、まだ少し緊張した様子で立っている。
「大丈夫だよ」
静かにそう声をかけて、少しだけ空気を整える。
やけたとうの中には、さっきの余韻だけが残っていた。
それが、この場所の持つ意味の一部なのかもしれないと思いながら、ゆっくりとその場を後にする。