病魔を操ると言う特殊な性に自身で怯える生粋の疫病神
時に崇められたほどの古い妖は、尽きぬ悔恨と不安から酔いつぶれ、絡み酒となる
「どうにもできない自分が嫌なんだよぉ」
「土蜘蛛が病んでどうするのよ」
泣き言が止まらないヤマメに、あんたは病ませる側でしょう、とパルスィも呆れている。
疫病は広がる病。
意志を越えて際限なく害を成す力に一番怯えているのは自分だと、心底嫌になると語らうのは気さくな土蜘蛛。
お祭り騒ぎの片隅で酔いつぶれ、ぐでんと座敷の壁にもたれたまま唸るヤマメに、小振りな水入り瓢箪を渡しに来た橋姫。
抱えたままになっていた酒瓶を瓢箪に入れ替えたところで手を取られ、そのまま絶対に逃さないという蜘蛛の面目を感じる怠絡みに捕まってしまった。
力比べが大好きな連中に囲まれ、しかし自分の本気は見せられず。
人となりは好かれていても、こちらの全力を知らない輩には下に見られ、知っているものには一線引かれしまっている現状。
過去思いのままに力を使った記憶と、その後に起こった未曽有の大災害。
許してくれと願われても最早どうしようもない、本人でさえもただ収まるまで待つしかない、取り返しのつかない病毒の蔓延。
二度とあんな思いはしたくないと、楽しく喧嘩をしていても高揚する気持ちに水を差すように記憶がよみがえってくる。
立派にトラウマにまでなっているそれに、どうすればいいのか、いやどうにもできないとヤマメは悲嘆に暮れていた。
「制御不能は恐怖の代名詞よ。妖怪としては願ったり叶ったりじゃない」
そんな面倒な土蜘蛛に、面倒臭そうに橋姫が答える。
妬ましいよりも腹立たしいわ、と。
人は制御できないものに恐れを抱く。
どれだけ強大な力であっても、「殴れば倒せる」なら勇気も沸くし、「言えば聞く」なら恐怖は薄れる。
しかし自分では制御できないと分かった途端、距離を取り、どうにかして刺激することを避けていくものだ。
自然現象然り、超常現象然り。
あるいは神と、あるいは妖と定義して恐れることで、人は自分の手に負えないものに対して何とか折り合いをつけてきたのだ。
神妖たちが狂う程に欲しているそれを生まれながらに得ておいて、何を嘆く必要があるものかと。
「贅沢な。美女に生まれたら生まれたで苦労がある、みたいな話をブスに語られても、その顔切り刻んでやろうかとしか思わないわよ」
「こっわ。普段からそんなこと考えてんの?」
「厭味ったらしい悩みを呑みの席で考えてるより、よっぽど健全だわ。要らないなら寄こしなさいよ」
「う……おぉ」
おいおいと笑いながら見返そうとしたヤマメは、瞬き一つなくこちらを見据える本気の目に怯んでしまった。
憤怒と、嫉妬と、羨望と。
思わず避けてしまいそうなほどの感情を孕んだ手が掴みかかってくるような、音の無い圧を感じる。
この力を、本気で望んでいる者がいる。
慄くヤマメは、いくらか酔いも覚めてしまったようだ。
驚いた言葉とは裏腹に表情は静まっており、目にもいくらか理性が戻っているようにも見える。
それを認めたパルスィは、少し歩こうとでも言うように身振りで外を示した。
――
「お前らのために手加減してやってるのに、勘違いしてんじゃねえよって言ってみる?」
店を出たところで橋姫が露悪的な提案をしてみれば、おいおいと案の定眉根が寄った。
冗談よ、と流してそのまま足を進めれば、慌てて土蜘蛛もついてくる。
提灯に照らされた道行は明るくもどこか薄暗く、取りようのない暗闇がそこかしこに揺蕩っている。
月見もできない、星も探せない地底のことだ。
暗寄りな明暗入り混じるその地獄に、せめて風流をと酒飲み連中の騒ぎが途切れることなく重なって、常と化した非日常が続いていた。
慣れた繁華街をのんびりと歩きながら待っていれば、ゆらゆらと俯きながらも、ようやく人の好い返しが返ってきた。
「……気ぃ遣わせてるのはこっちだからさ。向こうに何かしてくれってのも、ね。お門違いな気がしてるんだ」
「別にそいつらだってご立派な感性してるわけじゃないわ」
「わぁ。そっちにも噛み付く」
遣わせてると相手に察せられる程度の気遣いなんてしない方がマシ、と鼻で笑う橋姫は端から気を利かせる気などないのだろう。
下手くそ共め、それこそもっと気を遣え、と流れるように続く罵倒はやけに真に迫っている。
眉間にビキリと刻まれた皺も、細かく震える瞼も含めて、とても隣の土蜘蛛に気を使っているようには見えず、純粋にそういう輩を嫌悪しているように聞こえた。
嫌な思い出でもあるのだろうか、なるほどその勢いは半端なものではない。
何かのスイッチが入ってしまったのか、酔ってもいないのに、いやだからこそ楽しそうな酔っ払いを見るたびに舌打ちしているような有様だ。
遠慮も躊躇いもなく両者を腐しながら、辛辣に過ぎる橋姫は歪んだ顔で言葉を紡ぐ。
「神罰下さない神様を舐めてるようなお気楽な連中になんて、そのうち何か掛けてやればいい。健康で居られるのは誰のおかげか、その身に染みるといいわ」
「おー。そう聞くと罰くらい当たってもいいと思うけど……」
「『当たってもいい』じゃない。『当てていい』の。あんたがやるのよ」
「『やりたくない』って相談に『やっちまえ』と返されると、背中押されてるんだか引っ張り戻されてるんだか分からないな」
「情けない背中を蹴ってるだけよ。向きなんかどっちでもいいじゃない」
動けないから苦しいんでしょ。
そう呟いた横顔にしばし見惚れて、そうだな、なんて身にならない返ししかできなかった。
長く長く、悩んだことだったのだ。
心の中ではもう諦めて、解決のために何をする気力もなく。
しかしそんな止まってしまっている自分が、嫌で嫌で仕方なかったのだ。
酒の力でようやく吐き出したそれを、「遠慮してんじゃねぇ」と荒っぽく蹴り飛ばしてくれた姿が、提灯の明かりに透けてやけに眩しく見えた。
適当な相槌だったことがばれたのだろう。
本当に痛い、容赦のない肘鉄に笑いながらじゃれていれば、気付けばいつもの橋の上まで辿り着いていた。
渡された水を飲んだからでもないだろうが、淀んでいた心は幾分かすっきりしていた。
欄干に肘を置き、残った酒気も吐き出すように長く息をする。
「とりあえず本気を出さなくても勝てるくらい、鍛え直してみるかね」
「……そっち?さすが絶世の美女様は言うことが違うわね」
「惚れちゃう?」
「切り刻んでもいいならね」
「こっわ。普段からそんなこと考えてんだ」
そう言って笑顔になったヤマメは、少しの間空を見上げて、気合を入れるように「よし」と呟く。
ちらりと横目で見たその顔は、橋姫から見ても、潰れた酔っ払いよりはマシに見えただろう。
さてそろそろ解散かと改めて声を掛けようと向き直った橋姫は、いつの間にか渋い顔に戻っていた友に驚き、思わず「どうした」と聞いてしまった。
そんな友人に、いや頑張ると決めたのはいい、気合も十分、英気も養えたと小気味よく答えが返る。
ならば良いではないかとでも言いたいところだろう、長々と付き合った相談相手としても片眉が上がった。
それを見て軽く笑い、しかしまぁ一番の問題はな、と難しい顔で前置きしたヤマメが、至極真剣な様子で友と目を合わせた。
「一番本気を求めてるのが、勇義なんだよなぁ」
「あれはダメよ」
――死ぬまで殴り合いしてる馬鹿に付ける薬も毒も無い――
厄だって気にしないのだ、ましてや病なんて、と欄干に額を付けて本気で嘆く橋姫を見て。
結局一番の問題が解決していないことに、ヤマメは心から笑ってしまった。