難題続きの情勢に寝不足だという主を助けたいと願う一途な従者
橋の上を行ったり来たり、似合いもしない悩む姿に、渋々といった様子で声がかかる
「さとり様の心配事は、あたしらには難しいんだ」
「でしょうね」
悩む主に困りごとを聞いてみたら、それの何に困っているのか分からなかったのだと。
そうして首をかしげていたら、よくよく撫でてもらって、お散歩に行ってらっしゃいと送り出されてしまった。
散歩は好きだけれど、さとり様の一番の従者としてはご主人様の力になりたい。
ただ自分の馬鹿な頭では、何を心配しているのかが分からないのだと。
「利口さを求められないなんて羨ましいわ」
そう返されたのを聞いて、黒猫はきょとんと眼を丸くしている。
よく考えてみなさいな、と。
そう言いかけて止めることにした。
多分だけれど出来ないし、この子の主はそんなことを期待していないだろうから。
「八雲の所なんか大変よ。働かないとダメだ、賢くないとダメだ、凄くないと意味が無いって。常に一生懸命走り回ってないとホントに首切られちゃうんだって」
「ひぇ!冷たい奴だとは思ってたけど、何もそこまでしなくてもいいのにね」
「その点さとりは優しいわね。あいつはあなたたちが窓辺でお昼寝していても、撫でてくれるでしょう?」
「そうさ!」
聞く人によっては皮肉に捉えられてもおかしくないが、主人が優しいと褒められたことこそ一番大事なのだろう。
欄干の上で誇らしげに胸を張り、大きな鼻息まで出している。
しかし少しすると、それも困ったような憂い顔に変わってしまった。
でも最近のご主人は笑ってくれることが減ったのだ、と。
八雲を筆頭に様々な来客があり、時には一日中座る間もないほどあちこちを歩き回っている。
見かけると撫でてくれていた手も、よく分からない書類で埋まってしまっている。
どんどん隈が濃くなっていくそんなご主人を見ていると、一番の従者としては何かせねばという使命感に駆られるのだという。
だからこうして、散歩中でも一生懸命考えているところだと。
「どうせ馬鹿が手伝ったって手間が増えるだけよ。いくら考えたって休んでるのと変わらないのだから、おとなしく膝の上にでも乗っていなさいな」
――という内容をオブラートに包んで伝えてみた。
きっと黙って傍にいてくれることが一番癒しになり、余計なことを考えない方が心配もしないだろうから。
考えを読むのに疲れたサトリと、考えることが苦手な獣。
ある意味一番理想的で幸せな関係にいるのにそれに気付かず思い悩んでいるのは、何と勿体なく、もどかしいことだろうか。
おとなしくする以外に、できることは無いんだろうか、と性懲りもなく聞いてくる小さな姿に言い聞かせる。
「聞いてみればいいじゃない。あなたのご主人様は賢いんでしょう?」
「そっか!」
お前たちだけで判断するとろくなことにはならない、と暗に伝えてみるが、伝わってはいないだろう。
一度納得はしたようだが、しかし質問するにも忙しそうだ、となおも躊躇いがあると見える。
その様子を見て、なりたい姿がやけに具体的に思えた橋姫が詳しく聞いてみれば、主人に言わずともすべてを察する、『完璧な従者』を最近見たのだという。
名前を呼ばれただけでお茶とお菓子を出してきて、移動に合わせて隙なく日傘をさし、常に一歩後ろで控えていた。
自分たちもあんなかっこいい従者、頼れる従者になれば、ご主人も嬉しいはずだ、と熱弁してきた。
なるほど、主人の困っている様子とそこに丁度よく立派な従者が見えたものだから、余計なことを考えたのだろう。
「それを見て、さとりは何か言っていたかしら」
「えー、と……」
必死に思い出しているのだろう、頭を抱えて唸り始めた黒猫から目を反らす。
いい景色でもあれば暇つぶしになっただろうが、殺風景な暗闇では保養にもならない。
まあ何も無いよりは猫の唸り声がしているだけ良いのか、と取り止めのない考えまで浮かぶ。
そうして仕方なく遠くの騒がしい明かりに目を向けていれば、そうだ!という嬉しそうな声と共に目の前に猫の顔が近づいてきた。
「あれすごいね!ってお空と話してて。さとり様にも聞いたら、『そうね』って言ってたよ」
「ふーん。さとりもすごいと思ったのね」
「あと、出てった方の扉を見て『大変ね』って言ってた」
どっちが?と口にしかけたが、この子に聞いてもしょうがないだろう。
常に未来を見据えながら従者に完璧を期待する吸血鬼か、そんな未来思考の化け物の求めることに完璧に応え続ける従者か。
どちらを読んだのだとしても、サトリから見れば果てしなく疲れるものだったのだろう。
どちらに向けて言ったのだとしても、羨ましいという気持ちから出た言葉ではなさそうだ。
思い出せたのがそんなに嬉しかったのか、落ちそうなほど乗り出していた体を押し戻しながら、やはりその路線には行かせない方が良いだろうと考える。
「さとりには、その従者が大変そうに見えたのかもしれないわね」
「それは、そうさ。だってきっと大変だもの」
「八雲と一緒ね」
完璧で良い例は見たのだから、完璧で(お燐にとって)悪い例も見せてみよう。
先ほどやけに陰口に乗り気だったのは、今主人を疲れさせている内の一人が他ならぬ八雲だったからなのだろう。
あの無駄に知性を見せつけてくる主従を連想させれば、抱いている忌避感に従って『立派な従者』という方向性を治せるかもしれない。
そう考えて軽く口に出してみれば、思っていたより深く刺さったのか、理解できないものを見た猫のような表情をしていた。
呆けている内に追い打ちをかけてみる。
やれ躓いただけで「情けない」と小言が飛んだ。
やれ言葉遣いを一つ間違えただけで「学が無い」とねちねちと詰められた。
やれせっかく異変の解決に乗り出した者に「この程度で」と不満を垂らした。
別に従者に言ったことではないものも含めて、八雲の傲慢で窮屈で排他的なエピソードをいくつも語ってみせた。
案の定すごい表情になったお燐は、その小さな頭を捻りながらのたうち回っていた。
「八雲みたいな従者になりたいの?」
「……あそこは嫌さ。冷たいんだ」
「怖いわね。失敗したら、さとりがあなたの首を切っちゃうようになるかもしれないわ」
「さ、さとり様はそんなことしないもん!」
「分からないわよ。従者が八雲みたいに立派になったんだもの。主人も八雲みたいに厳しくならなきゃって思ってしまうかもしれないわ」
「う~……」
具体的な想像でもしたのだろう。
そんなさとり様は嫌だと、黒猫は来ない未来に一丁前に憂いている。
杞憂しておいおいと鳴く姿にもう十分だろうと察したのか、「でも大丈夫」と橋姫は笑う。
「優しいさとりはそんなことしないでしょうね。きっと、あなた達に『大変な』思いはさせたくないでしょうから」
本人達ができるかできないかという話にはせずに、あくまで優しさからさとりが完璧な従者を求めないだろうと橋姫は伝えてみる。
とりあえず立派な人だと褒める風に話しておけば、乗りやすいだろうと。
八雲みたいな嫌な奴にはならないだろうと。
だってさとりは八雲と違って云々~。
「そりゃあそうさ!!!」
声でっか。
随分と元気になったようだ。
まあ比較してとことん下げてしまったから、次会った時は八雲に対して不躾な態度をとるかもしれないが、その辺はさとりの方でうまくやってほしい。
とはいっても、ペットに馬鹿にされたくらいで目くじら立てるのも品格を疑われるだろうから、あまり心配はいらないだろう。
『完璧=八雲=嫌いなもの』という嫌なイメージも付けられただろうから、ついでに一人で暴走することが無いように、緩い釘でも刺しておこう。
そんな考えに至ったパルスィは、話は終わりだと合図するように、お燐を持ち上げて足元に降ろしてやった。
「勝手に察してくれるからって、会話を疎かにしちゃ相手のことは知れないままよ。あなたはサトリじゃないんだから」
しゃがみこんで、頭を撫でてやる。
大きく頷いた黒猫は、「ちょっとさとり様に聞いてくる」とようやく重い腰を上げたようだ。
いそいそと走っていきそうになる後ろ姿を見下ろして、さとりのことを一番に考えているようなことも言ってみる。
「報告なんて来なくていいから。膝の上にでも乗っててあげなさい」
その言葉に嬉しそうに振り替えった黒猫は、鳴き声を一つ残して闇に紛れるように去っていった。
見るともなしに見送った橋姫は、深く考えずにしゃべるのも、それはそれで疲れるものなのだと実感した。
「……両片思いの惚気話でも聞いた気分だわ」
ああ、妬ましい。
そう零した橋姫は、いい暇つぶしになったと軽く伸びをした。