卑怯を嫌う潔癖さゆえにせっかくの騒ぎでも喧嘩相手を減らしてしまう鬼の頭領
見舞いついでに呑みに連れ出し、しかし振り返ってばかりの鬼は横顔しか見せない
「純粋な力比べは、久しぶりでね」
何度目か分からない話をまたしてしまい、耳のタコを掻きながら咎められ、鬼の頭領は困ったように笑っていた。
浸るような思い出語りは、時代に忘れられた鬼にこそ似合うものだろうか。
ぽつぽつと言葉を出す間に、通りの名物でもある大提灯を臨む二階の濡れ縁で茫洋と杯を傾けている。
その様は慣れ親しんだもので、座敷から透かすように見える澱みのない呑み姿は貫禄さえ感じるが……。
楽しいことを語っているはずなのに寂しげに。
面白いことを喋っているはずなのに退屈そうに。
表情と口調が一致しない姿はやけに染み付いていて、束の間の興奮と長い長い暇を、何度となく繰り返してきただろうことが嫌でも伝わってきた。
あいつは良かった。あの頃は良かった。
今はこんなやつばかりだ。最近はこうなんだ。
人と吞んでいるというのに横顔ばかり見せるその姿は、仮にも王を冠する者とは思えないほど女々しく、不愉快なものだった。
驚くほどの口通りの良さと共にひどく傷口に染みる名酒よりも、よっぽど癪に障ってしまう。
「言い訳探しの方が上手くなったんじゃない?」
痛みに眉を寄せながらでも、つい呟いてしまった。
まあいいけど、と次を注いで、小卓の端にあったつまみを寄せれば、鬼が作ったとは思えないほど華やかな香りがした。
何かの柑橘に季節の香料を加えているのだろうか、明るい色味に瑞々しさが光っている。
四季が極端に薄い地獄の中で風情を感じるとは、随分と粋な料理もあるものだ。
趣味が良いと気分も上がる。
腕を上げたのか誰かに教わったのか、また来ようと決めてさっぱりとした漬けに舌鼓を打てば、過去に囚われてばかりの馬鹿のことも許せるだろう。
口の中で香りと混ざり、更に深みが増した酒に満足して顔を上げてみれば、二の句が継げなくなった鬼が固まっていた。
無視して次を注ぐ。
「……そう見えるか?」
何故かひどく嬉しそうに隣に来た勇義からつまみを避けて、自分のことさえ見えていない、と鼻で笑う。
「浴びてばかりじゃダメみたいね。そのお酒で目でも洗ってきたら?じゃないと、どこかの従者みたいに盲目になるわよ」
「懲りないな、お前……。いや、酒で洗う方が危ないだろう」
「鬼なら入れても痛くないでしょ」
違いない、と勇義が笑う。
そんなやり取りをしている内に、すいと頭を越すように手が伸ばされたと思ったら、避けた小鉢が盗られていた。
そのままカパリと空けられてしまって、割と本気の力で下から見える顎を叩く。
腹が立つことに、何の影響もなさそうだ。
特に気にせず飲み込んだ後、先ほどの自分と同じく流れるように一杯、ぐびりと喉を鳴らして深い息を吐いた。
「美味い」
「自分のを食べなさいよ!」
「いや、パルスィがあんまり美味そうに食べてるから。こっちの方がいいのかと思ってな」
「んなわけないでしょう、馬鹿舌が」
橋姫の前で人のものを盗るとは何事か。
睨み上げれば、悪い悪いと一言謝って自分の分の小鉢を移動させてくる。
舌打ち一つ残して箸を伸ばせば、変わらない味が口に広がった。
「喧嘩好きだ、殴り合いが好きだって謳いながら、相手にケチばかり付けて。随分と高尚なお眼鏡ね」
「適う相手が中々居なくてな」
目元を掻きながら鬼が笑う。
そこに薄縁の眼鏡を幻視して、似合わなくもないか、と詮のないことを考える。
「退屈を気取って嘆いてるけど、選り好みしてるのは貴方の方よ。『最近はつまらない』なんて。自分でそうしてるんじゃない」
「卑怯な奴は嫌いなんだ」
「嫌いなら尚のこと、卑怯なことが出来ないように策ごと潰してやりなさいよ。戦わない理由にはならないわ」
「……それでもいいんだがな。ただ、策を潰した後が一当てで終わってしまったら楽しみも何も無いじゃないか」
「全員が全員そうでもないとは思うけど。実感籠ってるわね」
「策を力で押し潰すのが趣味なら良かったんだが、私が好きなのはやっぱり殴り合いでね。そんなやつばかりと喧嘩しても、退屈なのは変わらない。困ったことに、卑怯者は成長も遅いんだ」
待ってばかりは空しいものさ、とそう憤る。
正々堂々を真に体現する強者故の言葉だろう、一度はそんな風に言ってみたいものだ。
とはいえそれだけ強くなってしまえば、仕方がないのだろうか。
弱い者いじめが好きでもなければ、強者が圧倒的弱者と遊んでも満足するのは難しいのかもしれない。
理屈としては分かるが実感は欠片も無いために、こちらとしても薄い言葉しか返せない。
「待ってるからじゃない?」
とりあえず揚げ足だけ取ってみる。
待ってる間が暇ならば、待たなくて済むように何かしてればいい。
当たり前のことであり、具体的な何かがあるわけでも無いが、まあ相槌みたいなものだ。
老人みたいに過去を振り返ってばかりいるよりは、何か行動していた方がいいに決まっている。
「胡坐ばかりかいてないで。呑んでばかりいないで。好きならもっと楽しもうとしなさいよ」
語ってばかりだとつまらないでしょう?
適当に発破をかければ、次のつまみが来たようだ。
時間的にもこれで終わりだろう。
締めは酒に合うものか、酒を飛ばせるものだといいが。
そんなことを考えながら料理を受け取り、勇義の前にも置けば、「パルスィ」とやけに真剣に名前を呼ばれた。
「何?」と伝えるように視線だけ向ければ、希酒に喜ぶ一歩手前みたいな期待顔の鬼が見えた。
「私と特訓しよう!」
「嫌」
失敗した。
退屈そうな姿は消えたが、代わりに地獄で一番鬱陶しい輩を作ってしまったかもしれない。
地獄で最も強い鬼に物理的に絡まれてしまっては、酒を一杯呑むことすら難しい。
……そうだ、ちょうどいいからあの土蜘蛛を差し出そう。
そんなことを考えながら、橋姫は最後の料理を味わえるように全力で肘を伸ばした。
後に八雲まで巻き込んだ大騒動となる『勇義の押し掛け武者修行』は、ここから始まった。