総理大臣、ダンジョンを駆ける~憲政史上最低支持率◤4.6%◢の総理大臣がダンジョンで無双した結果、日本までもが無双する~   作:三月菫

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第19話 恐山ダンジョン⑤

 死者の回廊で、迅一郎の前に立ちはだかる階層主。

 その正体不明の敵に、彼は仮の名を与えた。

 

 〝夜叉〟と――。

 

 無機質なコンソールとモニターに囲まれたうす暗いモニタールームにて。

 通信越しにその言葉を聞いた瞬間、結月は思わず声を張り上げた。

 

「総理! 逃げてください!」

 

 自分の声が、はっきりと震えているのを自覚する。

 冷静沈着を信条とする自分が、ここまで取り乱すのは初めてのことだった。

 

「レーダーには一切敵性反応がありません! 敵は隠密技能(ステルス)を持っています! しかもかなりの高レベルの——!」

 

 敵性反応を示すサブモニターには、何の反応も映らない。

 ノイズのような霧の波形だけが流れ続けている。

 その事実が、未知の階層種が持つ()()をはっきりと示していた。

 

 隠密(ステルス)技能——。

 

 それは、ダンジョンにおいて自身の存在を遮断する能力。

 通常、ダンジョンに出現するモンスターは体内に大量の瘴気を蓄えており、探索者はその瘴気濃度をレーダー等の計測機器で察知、計測することで敵の位置を把握している。

 しかし、ステルス技能があるモンスターは、その瘴気の流出を完全に遮断し、感知を不可能にしてしまう。

 ゆえに、探索者は自らの感覚だけで戦うしかない。

 俗に、()()()()()の異名を取る、悪名高いスキルだ。

 

 しかもここ、恐山ダンジョンにおいては立ち込める濃霧が五感を狂わせる。

 これまでこの回廊を抜けた探索者は一人もいない。

 皆、あのダンチューバー紅マロのように、何が起きたかも分からぬままに、無惨に斬り伏せられたのだろう。

 

 さしもの迅一郎とて、命の保証はない。

 そんな死の予感が、結月の胸を締めつける。

 

「総理、至急撤退を——! 撤退ルートのパターンを算出します!」

 

 結月は唇を噛みしめ、震える声を張り上げた。

 

「……!? 入口が!? 消失している……!?」

 

 マップ情報を確認すると、入口の表示が消えていた。

 一度入ったら戻れない――一方通行の構造だ。

 

 ダンジョンでは珍しくない仕掛けだが、結月はそれを見落としていた。

 焦りで、目の前の情報を正しく処理できていない。

 

『まずは落ち着こう、白瀬くん——』

 

 その一方で、迅一郎の声は落ち着き払っていた。

 

『至急、救護班の派遣手続きを。これまでの探索でルートは安全処理(クリア)している。死者の回廊前までの派遣は可能なはずだ。それと、政府広報で残酷な動画を映し続けるわけにはいかない。迷宮配信倫理規定に基づきプロトコルBへ切り替えを。モザイク処理と視聴年齢警告を実施を頼んだ』

「総理! そんなことよりも今は撤退を――!」

『撤退ルートは塞がれている。おそらく階層主を倒すことで扉が開かれる仕組みだろう。敵との戦闘は避けられない』

「そう、り……!」

 

 その静かな声に、結月の心が揺れる。

 死の気配が渦巻く現場にいるはずなのに、迅一郎はいつも通り——いや、いつも以上に落ち着き払って、淡々と指示を出していた。

 

『敵の外見特徴から、これより敵を〝夜叉〟と仮称。君の方では夜叉の正体特定に向けて、分析を頼む。並列処理になるが、なに、君の事務処理能力なら造作もないことだろう——』

 

 この人は、どうしてこの状況で、そんな冷静でいられるのか。

 普通の人間なら、恐怖に押しつぶされてもおかしくないはずなのに。

 

 それが、余計に結月の胸を締めつけた。

 彼女が恐れているのは、夜叉そのものではなかった。

 迅一郎——自分の最愛の人が、命の危険を顧みずに前へ進むこと。

 その結果、喪われてしまうもの。

 それが、何よりも恐ろしい。

 

 現に結月は()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 迅一郎の亡き妻クリス——

 

 結月にとって彼女は、恩人であり、憧れであり、かけがえのない友人だった。

 そんなクリスが命を落とした理由は、自分ではない誰かの命を優先したからだ。クリスは小さな命の灯を守ることと引き換えに、自分の命を散らしてしまった。

 

 今の迅一郎も、あのときのクリスと同じだ——

 いや、そんな気高い二人だからこそ、惹かれ合ったのだろう。

 

 結月の胸に、あの日の悲しみの記憶がはっきりとよみがえる。

 とても、冷静でいることなどできなかった。

 

『大丈夫だ。()()

「え……?」

 

 そんな彼女の名前を、迅一郎はゆっくりと呼んだ。

 それは公の場では決して口にしない、二人の時だけの特別な呼び名。

 

『僕は死なない。なぜなら僕には昴くんとの約束があるからね』

「昴くんとの……約束、ですか?」

『彼の病を治すため、全力で応援をする。僕はそう彼と約束をした。少なくともその約束を果たすまでは、僕は死ぬわけにはいかない』

 

 迅一郎の言葉に、結月は息をのむ。

 彼の政治家としての覚悟と信念が、通信越しに、ひしひしと伝わってきた。

 

 どんな危機的状況にあっても、彼は決して迷わない——

 それが和泉迅一郎という人間なのだと改めて思い知らされる。

 

『結月、バックアップを頼む。この死地を脱するためには、君の力が必要だ』

「先輩……」

 

 迅一郎の言葉が、結月の胸を熱くする。

 同時に胸の奥に込み上げてきたのは、自分を恥じる気持ちだった。

 

 死地に身を置く迅一郎と比べて、自分は安全が保証されたオペレータールームにいる。

 それにもかかわらず、無様に取り乱し、必要な後方支援がおろそかになっていた。

 

 そんなことでどうする。

 本当に迅一郎を死なせたくないなら、自分にはやらなければいけないことがある。

 

 自分が、迅一郎を支えなくてはならないのだ!

 

「……っ!」

 

 結月は小さく息を吸い、両手で思いきい自分の頬を叩く。

 ばしん、と乾いた音が室内に響いた。

 頬にじんじんと響く痛みとともに意識が澄み渡り、彼女はまっすぐ前を向いた。

 

「申し訳ありませんでした()()。お見苦しい姿を――プロトコルBの切り替え完了しました」

 

 結月は姿勢を正し、真剣な声で言葉を紡いだ。

 

「総理、恐山ダンジョンの特性を顧みるに、敵は死霊種(アンデッド)の可能性が高いです」

 

 そう言うやいなや、結月は椅子を机に引き寄せて、両手をコンソールへと走らせた。

 指先が光るキーを叩くたび、モニターがめまぐるしく切り替わり、数値とデータが更新されていく。

 

「――ダンチューバー紅マロの被害状況から、敵は遠距離攻撃を使っていると判断できます。被弾の直前に聞こえた鈴の音……それがなんらかの攻撃トリガーになっている可能性が高い。鈴の音が聞こえたら、敵の攻撃に警戒してください」

『鈴の音か……了解だ』

「配信はプロトコルB継続、救護班は鳥居前を目指し派遣を依頼しました。あわせてルート開放に備えて緊急搬送体制を構築。これには少々お時間をいただきます――」

 

 結月は現時点で必要な手配を終え、迅一郎に必要な情報をすべて伝えきる。

 

 けれど、それだけで終われない。

 自分の言葉で、どうしても伝えたい情報(想い)があった。

 理性が「余計だ」と止めても、心がそれを押し切った。

 

「先輩……絶対に、生きて帰ってきてください。死んだりしたら、絶対に許しませんから」

 

 短い沈黙のあと、迅一郎の低く落ち着いた声が返ってきた。

 

『もちろんだ結月。僕は絶対に生きて帰るとも』

 

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