Fate/ZERO-ONE Others night   作:古鉄の夜

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序節 プロローグ 後編

 その日の夜……。自室で就寝していた慎二は顔の横で何かがゴソゴソと蠢めく物音を聞きとり、何事かと目を覚ました。

 

「ひっ——!!?」

 

 目の前にいたのはバスケットボールほどもあるグロテスクな蟲だった。慎二は全身の毛が逆立つ感覚に襲われ飛び起きざま、咄嗟に手にした枕でその蟲を叩きつけた。蟲は反対側の壁にぶつかり、無数の脚をもぞもぞと動かしながら、半開きの自室のドアから外へと消えていった。

 

「なっ……なんだよ! なんなんだよあれぇッ!? あんな蟲見たことないぞ!? どっから入ってきやがった!!? ——ハッ! そうだ桜!」

 

 驚愕で喉を震わせながら大声を上げる慎二。相手にこちらへ危害を加えるつもりがあったのかは分からない。だが次の瞬間、妹の顔が脳裏をよぎる。

 ドアを開けて入ってくることができるなら、奴は桜のもとにも向かうかもしれない。慎はベッドから跳ね起き、部屋を飛び出した。ハウスキーパー用の掃除用具入れから武器になりそうな箒を掴み、一目散に桜の部屋へと駆けた。

 

「桜っ!? 部屋にいるのか! 今、僕の部屋に変な蟲が入ってきたんだ。お前の所に来ていないかっ!? 返事をしてくれ!!」

 

桜の部屋のドアを乱暴に叩き、大声で呼ぶ慎二。しかし返事はなく、焦った彼はドアノブに手をかけた。すると部屋のドアはあっけなく開いてしまった。

 ——まさか。

 

「桜っ! 入るぞ!!」

 

 嫌な予感が胸を締めつける。慎二は勢いよくドアを蹴り開けた。年頃の少女の部屋にしてはあまりにも殺風景。しかし、ベッドの中に桜の姿はなかった。

 

「桜! くそっ! 一体どこに行ったんだ!?」

 

 慎二は妹に何か良くないことが起きたのではと、思わず手で顔を覆った。

 その時、開け放たれたドアがかすかに音を立てた。慎二が顔をそちらに向けると、そこには先程の蟲がドアからこっちを覗き見ていた。

 

 

 

「っ!? 野郎っ!」

 

 咄嗟に箒の柄の部分を蟲へと向けた。だが蟲は慎二に興味を示さず、廊下へと去っていった。

 

「なんだ……? ま、まさか……」

 

 嫌な予感が止まらない。慎二は箒を構えながら廊下に出る。廊下の曲がり角の先に蟲がいる。慎二はその後を、奴が廊下を這っていった跡を慎重に追っていった……。

 朝を待って他の人間と共に行動を起こすべきかも知れない。だが慎二には、ここで退けば取り返しがつかないかもしれないという思いが頭から離れなかった。

 

 

「この扉は……? 屋敷にこんなものあったか……?」

 

 所々に錆の浮いた大きな両開きの鉄扉。僅かに開いたその先に蟲の跡が続いている。

 慎二は物心付いた頃から屋敷で暮らしていたがこんな場所に扉があるなど知らなかった。

 何故か。……魔術で隠蔽されていた? この家で魔術を行使できるのは……そして扉の向こうにあの蟲がいるということは……桜が、妹の姿が見えないということは……。

 慎二は喉がカラカラに渇いていくのを感じた。それでもこの先に桜がいるのならば、進むしかない。

 

「う…ぷっっ!! なんだこの匂いは……? それにこの音! まさかさっきの奴が大勢いやがるのかっ!?」

 

 扉を抜けたその先は石造りの蔵のような場所だった。階段を下るにつれて、生き物の放つすえた臭気が鼻を突いた。そして下から何か悍ましい()()が蠢動する耳障りな音が蔵の底から響いてくる。

 

「…………?」

 

 階段を下るに連れて蟲のうごめく音の他とは別に人の声らしきものが混じり始めた。

 ……苦鳴とも恍惚とも取れる呻き声。その声を聞いたことがある、という予感を慎二は全力で打ち消しながら震える脚で階段を一段、また一段下っていく。

 ……蔵の中心に蟲が寄り集まっている。ちょうど人一人は覆い隠してしまいそうな、身の毛もよだつそのカタマリから呻き声は発せられていた。

 そして……見た。蟲の群れが割れた先に見えた見知った人間の顔。生気の失せた……目から光が完全に消えたその顔。

 

――()

 

「う、うぅぅううっっ!! ああああああああああああああああああああぁぁああぁぁあああぁぁぁーーーーーーっっっ!!!!」

「……え、うあぃょ……え、あっ……? にい、さん? い、いや……見ないで。見ないでください……っっ」

 

 慎二の口から絶叫が迸った。これまでの人生でこんな……喉が裂けるような叫びを上げたことはなかった。

 それに蟲に埋もれた桜の目に僅かに光が戻る。そして、それが今、一番知られたくなかった人に……自分の秘密が……今日、仲直りできたばかりの兄に知られてしまったという絶望が桜の心を塗り潰していく。

 

「……さ、桜っっ……!」

「……いやっ……見ないでくださいっっ!」

 

 全身を蟲に集られながら桜は怯えた目で見てくる兄から顔を背ける。慎二は困惑しながらも、妹を助けようと箒の柄を握りしめると振りかぶった。

 

 

「おやぁ……慎二よ。いかんなあ。修行を覗き見るなどと……」

「そ、その声……ぞ、臓硯……じいさんなのか? どっ、どこに――ううぅっ!?」

 

 桜の横に分かれた蟲の群れが寄り集まって小柄な老人が現れた。慎二と桜の祖父。――間桐臓硯。

 ……蟲の集合体を変形させて身体を構成している? 間桐の魔術属性は「水」特性は「吸収」――()()()()()()()()()()()()()。それが間桐の魔術の本質――まさかそれでこの醜悪極まりない蟲達を使役しているのか?

 

「……馬鹿なッ!? 僕が文献で見た間桐本来の魔術はこんなモノではなかった! ――い、いや、それよりじいさん! これは一体どういう事だ!? あんた、桜に何をしてやがるんだ!?」

「カッ! 全く出来の悪い孫の癖に口だけは一丁前で嫌になるわい……まぁ、良かろう。教えてやるわい。慎二よ、お前も間桐が衰退しておるのには気付いておろう……冬木の土地と間桐……いや、正確にはマキリの魔術は相性が悪かった。お前に至ってはもはや魔術回路が一本も通っておらん。一族の出涸らしじゃわい」

 

 ――役立たずめ。実の孫へそう吐き捨てた。そして臓硯の口から語られる真実。没落していく子孫に己は既に見切りをつけていること。間桐。マキリが大陸――ロシアから日本に渡ったそもそもの理由。聖杯降臨の儀式。その聖杯を得て不老不死となり、永遠に間桐の当主として君臨する。

 ……自分も、そして桜もその繋ぎでしかない。桜の身体にこの蟲――刻印蟲を幼い頃から棲まわせ、間桐の魔術を身体に馴染ませる為に魔術的改造を施し、次代の間桐を産ませる為の――聖杯を得る為の優秀な手駒を手に入れる胎盤でしかないのだと。

 

「なんてことをっ!!? こんな下種な真似が許される筈がないっ! やめさせろ。今すぐにだ!!」

「……に……いさ、ん」

 

 桜の――いや、人としての尊厳を完璧に無視しきった臓硯のやり方……慎二は憤怒の炎を瞳に宿して叫んだ。桜は自分の身を案じて、怒ってくれている兄のその言葉を聞き、虚ろになりかけていた瞳に一瞬だが、光が戻った。だがそれすらも蟲の与えてくる痛苦と快楽に吞み込まれていく。

 

「お前も桜もこの間桐に属する以上、儂の所有物。当主である儂の決定に異を唱える資格などないわ。……それにお前はもう魔術とは無関係なのじゃろう……? 桜に魔術の全てを押し付けて、凡俗に堕していくお前なぞ儂も興味はない……所詮、間桐が世間体を保つ為の“道具”でしかない……ククク、カカカカカカ……」

 

 その言葉に慎二はハッとなる。桜はこんな拷問めいた魔術の鍛錬を何年も受けてきた。そしてそれを自分は知ろうともしていなかった。悲しそうな目で自分を見ていたのは、この家の魔術の本性にまるで無知な兄を憐れんでいたから。

 でも……それでも桜はその不満を僕に見せず、家族として接しようとしてくれていた、のか?

 そんなこの子に僕はなんと口にした。何を考えていた? 現実に折り合いを付けて桜に、妹に家督を譲る聞き分けの良い兄を演じて自分を慰めようとしてはいなかったか?

 

「あ、ああ……ち、違う……ちがうんだよ、桜。ぼ、ぼくは……おまえと……おまえと……ただ……話がしたかっただけ、なんだ……」

「に、いさん……にいさん……」

 

 妹の凄惨極まりない姿――無知という罪を犯していた自分を嫌というほど直視させられる。手にした箒を床に落とし、両手で頭を抱えて呻く。桜は罪の意識に苛まれる慎二へと蟲の海に埋もれた右手をなんとか伸ばそうとしたが……。

 

「あ、ああ、ああああ、あああああああぁぁぁあああああぁああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっっ!!!」

 

 慎二は頭を激しく振りながら蟲蔵から脱兎の勢いで階段を駆け上がっていった。それに桜は絶望と共に手をくたりと落とし、また蟲の海に沈めてしまう。

 

 ――もう、二度と兄さんとは普通の兄妹になれないんですね……せっかく、今日やさしくしてくれたのに……。

 

 苦しむ孫二人の姿を間桐の翁は、愉快でたまらないと言わんばかりの喜悦の滲んだ笑みを浮かべながらそれを鑑賞していた。

 

 

 

「あ、あれが……あんなモノが僕が継承したかった間桐の魔術……? あんな、あんな悍ましい……さ、桜はあれをこの家に来てからずっと……ッ……ッッ!! なんて馬鹿だったんだ僕はぁっ!!」

 

 自室のドアを叩きつけるように閉めるとその場に蹲る。あんなモノに憧れていた自分は、桜からすればさぞ滑稽に見えただろうな。

 ……この家はお前が継げ、だと? なんと浅はかなことを口にしてしまったのか。

 ……もし魔術を使える素質があったらあの地獄にいたのは自分だったのだろう。それに汚い安堵感を覚えてしまっている自分が憎たらしかった。

 情けない。悔しい。あまりの不甲斐なさに自分を殺したくなる。だが——

 

 

——……! い、今すぐはちょっと思いつきませんけれど、明日までには考えておきます!——

 

——はい! 兄さん! 今日の献立は白米にわかめの味噌汁、鯵の開きときんぴらごぼうですよ!——

 

 

 ……朝、妹が見せてくれた心からの、可愛らしい笑顔が慎二を自己嫌悪の海に沈むことを許さなかった。

 

 ——このまま終わっていいのか。

 

  ……何故、臓硯は僕が桜と向き合おうとしたその日の夜——間桐の、そして桜の受けてきた仕打ち。その真実を話した? ……臓硯の顔に浮かぶ愉悦の表情。苦しむ自分と桜を見るのが、愉しくて愉しくて堪らないといったあの語り口。

 

「……臓硯……あの屑野郎っ!!」

 

——一生、負け犬のままでいいのか——

 

 兄妹としてやり直そうとしていた自分達を、どん底に突き落としてその様を嘲笑う為か。だから、あの蟲を自分の部屋に放ち、僕をあの蟲蔵に誘った。

 

——なにより妹が奴の道具にされたまま、朽ち果てるのを見過ごしていいのか?——

 

 

——お前はそれでいいのか——

 

 

「馬鹿な! そんな運命が受け入れられるかっ!!!」

 

 自分の内から響いてくる問いかけに慎二は怒鳴り返した。

 助けなければ。桜を、たった一人の妹を。

 だがどうする? 奴は……臓硯は強すぎる。魔術を使えない“今の”自分では一瞬で殺されて終わりだろう。それに強くなるとしてもこの家は臓硯が支配している。自分が翻意を示せば、脅威となる前にやはり殺される。

 慎二は頭を掻き毟った。

 

「……やはり家を出るしかない……っ!」

 

 もはや臓硯を始末するのに手段を選ぶつもりは無かった。魔術に限定するつもりはない。あらゆる手管を用いてこの世から消してやる。この屋敷にいては強くなれない。

 だが、それは桜を臓硯のいる屋敷に一人残して、去らなければならないことを意味している。

 自分から話をしたいと言った舌の根も乾かぬ内から、反故にしなければならないとは……。

 

「だが、それでもここにいては絶対に桜を助けられないっ!!」

 

 慎二は立ち上がった。向かう先はこの家の書斎だ。

 

 

「……あった。臓硯め。見えづらいとこに蟲を使った魔術書を隠してやがったな。僕が見た所で何が出来る訳でもないと魔術によるロックも掛けてなかったか。

 ……………な、なんだ、これは? さ、桜はこんな惨い責め苦を間桐に引き取られてからずっと受けてきたってのか!? クッ……!」

 

 臓硯の抹消は確定として、桜を救出するにはあの子が受けた間桐の外法を知らなければならない。慎二は書物の棚を洗いざらいひっくり返して目的の書物。臓硯が行使する蟲を使った魔術が記載された書物を発見した。

 早速、その書の内容を一字一句余さず頭に叩き込んでいく。間桐慎二は天才だ。その記憶力は常人の比ではない。意識して記憶すれば書物の内容を丸暗記するなど造作もない。しかもそれを速読でやってしまう程だ。

 ……読めば読むほど非道い魔術だ。全身の肉という肉、神経という神経。それらを蟲に喰らわせながら、肉体に馴染ませて造り替える。神経という痛みの根を喰われる……その痛みは筆舌に尽くしがたいものだろう。

 常人ならば気が触れてしまってもおかしくはあるまい。

 ……もう笑えないほど傷つけられていた筈なのに、それでも桜は僕に笑顔を向けてくれていたのか……。

 噛み締めていた唇からブチリ、と音を立てて血が流れた。鉄臭い味が口内に広がっていく。慎二は血眼で書物の内容を目で追っていった。

 

「後でノートに写本しておかなければな……」

 

 次に慎二は間桐の代々の先祖が魔術礼装を貯め込んでいた蔵にやってきた。背負ったバッグには最低限の日用品。それと持てるだけの現金を詰めてある。臓硯は表向き、直系の孫である慎二にまとまった額の金を渡してはいたのだ。しかし、その本性を知った今、慎二にとってこれは最早、強くなるための手段でしかなかった。

 この先、生活がどうなるか分からない。……最悪、自給自足による生活も覚悟しなければならなかった。

 蔵にある魔術礼装。その中から、自身の魔力に依存しない、礼装そのものに魔力が込められたもの。あるいは自分で改造を加えた物を選んでバッグに詰めていく。

 その内のいくつか。改造された礼装に込められた魔力は桜にやってもらった物もあった。存在を隠蔽するもの、認識を誤認させるもの、簡易的な結界を張るものの……慎二は自身で魔力が練れない問題を礼装や魔道具を介してなんとかならないかと試行錯誤していた時期があった。

 間桐の魔術特性である変化と吸収。血が枯れ果てたとはいえ、慎二にはその特性から魔力を礼装の中で循環させながら、一つ所に留める技術を独自に確立していたのだ。

 結局、自分の魔力で魔術を行使するのは叶わず、失敗だと結論するしかなかったが……。

 それでもトリガーヴォイスを介して礼装に込められた簡易魔術を発動する物はなんとか作り出せた。本職の魔術師には子供騙しとしか取られないだろうが。

 それと高価そうな宝石類も幾つか見繕った。金に困った時は、これを換金して虎口を凌ぐしかない。……もしくは交渉に利用するか。

 臓硯は恐らくこれらには見向きもしない。やつにとっては不老不死になること。それに関する魔術こそが全てで、それ以外は些事。自分が屋敷を出たとしても関心すら示さないだろう。

 

 ……準備は整った。臓硯と桜はまだ……蔵にいるのだろう。瞬間、猛烈に後ろ髪を引かれる思いに駆られたが——

 

「桜……必ず助けに戻るから……必ず!!」

 

 自分が14年間過ごした屋敷。慎二は絞り出すような声でそう呟くと屋敷に背を向けて、立ち去っていった。

 

 

「臓硯……今は逃げ出した僕を侮っているがいい……ツケは絶対に払わせてやる……!」

 

 そして臓硯への計り知れない怨嗟の念を抱えながら……。

 

 

——ふぅん? 良い“悪意(モノ)”持ってるじゃない。これは様子見するっきゃないわね♪——

 

 そんな慎二の様子を彼方から面白そうに伺っている漆黒の女がいた。その相貌に酷薄な微笑みを浮かべながら……。




さて、ここから慎二の戦いが始まります。果たして、彼の足搔きは蝶の羽ばたき(バタフライエフェクト)を引き起こせるのか。
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