異世界転生 作:魔導科学
「じゃ、次は私が・・・」
ゴモリーさんが、いつもの柔らかな微笑みを湛えたまま、すっと手を挙げる。
彼女の持つランタンがゆらりと揺らぎ、その端正な顔立ちを暖かな橙色に染め上げた。
「哀お母様のお話は、アイデンティティの消失・・・いわば『内側』が消える恐怖でしたけれど。
私のお話は、もう少し『外側』、そう・・・『場所』にまつわるお話です」
彼女は、手元の光を愛おしそうに見つめながら、鈴を転がすような声で語り始めた。
「あるところに、魔法の鏡が自慢の宿屋がありました。
その鏡を覗き込むと、一番美しかった頃の自分や、会いたかった死者の姿が映ると評判でした。
ある旅人の男が、物珍しさからその宿に泊まりました」
ゴモリーさんの瞳が、怪しく、けれど優しく俺を射抜く。
「男が鏡を覗くと、そこには確かに亡くなったはずの愛する妻が立っていました。
彼は狂喜乱舞し、来る日も来る日も鏡の前で過ごしました。
でも、ふと気づいたのです。
鏡の中の妻が、少しずつこちら側に『せり出して』きていることに。
そして、自分の足元が、冷たいガラスのように透け始めていることに」
彼女はそこで言葉を切り、ゆっくりと俺たちの方へ身を乗り出してきた。
「鏡は、等価交換。
あちら側の住人をこちらに呼ぶには、こちら側の住人があちらへ行かなければならない。
・・・彼が異変に気づいた時には、もう声が出ませんでした。
鏡の中の妻は、彼が持っていたパンを食べ、彼が着ていた服を纏い、彼が愛した世界へ歩き出していった。
入れ替わりに鏡に閉じ込められた彼は、今も冷たい銀の世界から、自分の顔をした『何か』が幸せに暮らす様子を眺めているそうです」
ゴモリーさんの指が、ランタンのスイッチに掛かる。
「ねえ、皆さんは大丈夫?
今、歩いているその廊下、座っているその椅子・・・そこは本当に、皆さんが元いた『現実』と同じ場所?
もしかしたら、もう誰かと入れ替わって、鏡の向こう側に迷い込んでしまっているかもしれませんよ?」
こ、怖え!
思わず、声が出そうになったよ!
「ふふ、なんてね」
ゴモリーさんが楽しげに目を細めた瞬間、パチン、と音が響いた。
二つ目の明かりが消え、闇の領域がじわじわと広がる。
ゴモリーさんのいた場所がどろりとした闇に呑み込まれ、残された俺たちの光が、先ほどよりもずっと細く、頼りないものに見えてきた。
「・・・じゃあ次、私」
リリーさんが、どこか遠くを見るような瞳でランタンを引き寄せた。
彼女の指先が、オレンジ色の明かりを不気味に揺らす。
「・・・この話は、実際にみた夢の話。
真っ暗なトンネルの中を走る魔導ジェットコースターに乗っている夢。
その夢で、妙に無機質なアナウンスが響く」
リリーさんの声が、一段と低く、冷たく沈む。
「『・・・次は〜、活造り〜。活造りです〜』
そう流れると、猿のモンスターたちが現れて、悲鳴を上げる最初の席の乗客を、生きたまま鋭い刃物でバラバラに捌き始めた。
辺りは一瞬で血の海になり、私は恐怖で動けなくなる。
けれど、無情にも次の放送が流れる。
『・・・次は〜、えぐり出し〜。えぐり出しです〜』」
確か、これって『猿夢』だよな?
リリーさんも転生者だから、おそらく前世の知識を引っ張ってきたんだろう。
前世の俺が初めてこの話を読んだとき、正直、震えが止まらないくらい怖かったのを覚えている。
「・・・二番目の犠牲者は、スプーンのような器具を持った猿のモンスターたちに囲まれ、生きたまま両目を、中身を、抉り出された。
・・・そして、ついに私の番が来る」
リリーさんが、すっと俺の顔を覗き込んだ。
その瞳には、先ほどまでの彼女の優しさは微塵も感じられない。
「『・・・次は〜、挽肉〜。挽肉です〜』
その瞬間、私は自分の身体が巨大なミンチ機にかけられる感覚を想像して、死に物狂いで目を覚ました。
・・・冷や汗をかいて、心臓は破裂しそう。
ああ、夢で良かった、と安堵した」
リリーさんの指が、ゆっくりとランタンのスイッチに掛かる。
「・・・でも、その数日後、私は再びあの悪夢に引きずり込まれた。
光のない闇、漂う鉄錆の臭い。
耳元で、あの冷え切ったアナウンスが響く。
『また逃げるんですか? ・・・次に来たら、分かってますよね?』」
リリーさんは思い出し笑いをするように、口角を吊り上げた。
「・・・頭にきたから、元凶の猿を仕留めて捕らえた。
誰に牙を剥いたのか、その身に刻み込んだ。
・・・今ではすっかり、私の忠実な家畜。
肩もみやお茶出しまでこなす、甲斐甲斐しい僕になった」
パチン。
音がして、リリーさんの明かりが消えた。
周囲の人たちのランタンはまだ点いているというのに、彼女の姿だけが不自然な闇に呑まれ、俺の背筋をかつてないほど冷たい戦慄が駆け抜けた。
「・・・リリーさん?」
恐る恐る声をかける。
「アンタ・・・やっぱり、ドSじゃん!」
俺の叫びが、暗闇に溶ける。
すると、闇の向こうから、熱を帯びた吐息混じりの声が返ってきた。
「・・・リョウ、安心する。私は、ドM」
闇に目が慣れてくる。
他の人たちが灯す遠巻きの光に、リリーさんの頬がじわじわと、熟れた果実のように赤らんでいくのが浮かび上がった。
期待と不安を入り混じらせ、潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
「・・・ドMだからこそ・・・どこをどう責められたら嫌か、手に取るように分かる」
リリーさん?
一体なんの講釈を、されてるんでしょう?