ダンジョンに落ちた蒼灰の剣姫 ―永遠を失った少女は、もう一度“求める”― 作:天狐空幻
■第四話:剣姫と、血塗れの少年
振り下ろされる斧。
避けられない。
分かっている。
それでも、ベルは目を閉じた。
(……守る)
それだけを、思った。
――その瞬間。
風が、走った。
視界が、揺れる。
耳を裂くような音と共に、何かが断たれる。
次に聞こえたのは、
重い肉塊が崩れる音だった。
「……え……?」
ゆっくりと、目を開ける。
目の前には――
いなかった。
ミノタウロスが。
代わりに、そこに立っていたのは。
一人の、女性だった。
■剣姫
金色の髪。
腰まで届く長いそれが、わずかに揺れている。
手にした剣には、血が付いていた。
いや。
違う。
それは、血を“切り裂いた”残滓だった。
「……大丈夫?」
静かな声。
感情の起伏が薄い、それでいて確かに優しい響き。
ベルは、言葉を失った。
(……綺麗だ)
思考が、止まる。
心臓が、跳ねる。
顔が、熱くなる。
さっきまでの恐怖が、全部どこかに吹き飛んでいく。
ただ、目の前の存在に、意識が奪われる。
「……怪我、してる」
彼女――アイズ・ヴァレンシュタインは、ベルの顔を覗き込んだ。
その瞬間だった。
自分の状態に気付く。
顔。
手。
服。
全部が、真っ赤に染まっている。
ミノタウロスの血だ。
頭から、被ったように。
「……っっっ!!?」
一気に現実が戻る。
「ち、ちがっ、これは、その、えっと……!!」
言葉が崩壊する。
何を言っていいか分からない。
というか、それ以前に。
(近い近い近い近い!!)
距離が近い。
顔が近い。
綺麗すぎる。
無理。
「……?」
アイズは小さく首を傾げる。
その仕草すら、破壊力が高い。
ベルの脳が完全にパンクした。
■脱兎
「す、すみません!!」
叫ぶ。
何に対してか分からない謝罪。
そのまま。
アセリアを抱きかかえる。
「失礼します!!」
全力で走った。
逃げた。
まさに脱兎。
一瞬で、その場から消える。
■残された者
静寂。
風だけが、わずかに残る。
アイズは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……?」
状況が、少し理解できない。
助けた。
無事だった。
なのに。
――逃げられた。
「……なんで?」
ぽつりと呟く。
答えは出ない。
ただ。
脳裏に残る。
血塗れの少年。
そして、その瞳。
「……」
ほんの少しだけ。
気になった。
■ギルドへ
「はぁ……っ、はぁ……っ……!」
全力疾走。
街を駆け抜ける。
人々が驚いて道を開ける。
血まみれの少年が、少女を抱えて走っているのだから当然だ。
「ギルド……!」
扉を開ける。
勢いよく飛び込む。
「エイナさん!!」
叫ぶ。
受付のエイナが振り向いた。
そして――
「きゃあああああああああああああああ!!?」
悲鳴。
ギルド中に響き渡る。
当然だ。
全身血まみれの少年が突撃してきたのだから。
「ベルくん!? な、なにがあったんですか!?」
「だ、だいじょうぶです! 怪我じゃなくて、これ全部モンスターの血で――」
「その説明の前にシャワーです!! すぐに!!」
「は、はい!!」
圧に押される。
ベルはそのまま奥へと押し込まれた。
その拍子に。
「……ん」
腕の中のアセリアが、わずかに目を開けた。
「……ベル……?」
「アセリア!? 大丈夫!?」
「……うるさい……」
小さく呟く。
そして、再び目を閉じた。
だが、意識は戻りつつある。
■洗浄
冒険者用シャワールーム。
血を流す。
赤が消えていく。
現実も、少しずつ落ち着いてくる。
「……はぁ……」
壁にもたれる。
思い出す。
さっきの光景。
「……」
顔が、また熱くなる。
「……なんだったんだ……あの人……」
心臓がうるさい。
視線。
声。
仕草。
全部が焼き付いている。
■問い
着替えを済ませ、再びエイナの元へ。
「それで、何があったんですか?」
説明する。
ミノタウロス。
戦闘。
そして。
「金髪の……女の人に、助けられて……」
「……ああ」
エイナは納得したように頷いた。
「それはきっと、ヴァレンシュタイン氏ですね」
「ヴァレン……?」
「アイズ・ヴァレンシュタイン。ロキ・ファミリアの第一級冒険者です」
その名を聞いた瞬間。
ベルの中で何かが弾けた。
(アイズ……さん……)
繰り返す。
心の中で。
何度も。
「つ、強い人……なんですよね?」
「ええ。オラリオでも有名な“剣姫”です」
剣姫。
その響きだけで、胸が締め付けられる。
■本音
「……あの」
ベルが、恐る恐る口を開く。
「その……ヴァレンシュタインさんって……」
エイナがじっと見る。
「恋人とか……いるんですか?」
「……」
沈黙。
そして。
ふっと、微笑む。
「気になりますか?」
「え、あ、その、いや、別にそういうわけじゃ――」
「ふふ」
少しだけ、楽しそうに。
「どうでしょうね。でも一般的に言って、女性は強い男性に惹かれるものですよ」
「……!」
その言葉が、突き刺さる。
強い男。
今の自分とは、真逆だ。
拳を握る。
「……強く……」
小さく呟く。
「強く、なりたい……」
■余波
帰り道。
夕暮れの光。
静かな時間。
ベルは、ふと思い出した。
「……そういえば」
隣を見る。
アセリアが歩いている。
少しふらついているが、意識ははっきりしている。
「さっき……」
「……?」
「ミノタウロスを……一撃で……」
言葉を選ぶ。
「あの時、なんか……頭に輪っかが出て……そのあと、羽が……」
アセリアは少しだけ考えた。
「……わからない」
首を振る。
「……きづいたら……おわってた」
曖昧な記憶。
断片だけ。
「……そっか」
ベルはそれ以上聞かなかった。
ただ。
確かに見た。
あの瞬間。
少女が、別の“何か”に変わったような感覚。
■帰還
廃教会が見えてくる。
灯りが、点いている。
「ただいまー!」
ベルが扉を開ける。
そこには。
「おかえり、ベルくん、アセリアくん」
笑顔のヘスティアがいた。
その笑顔に。
ようやく。
一日が終わったと、実感した。