異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第13話

トラキアの荒野を抜け、険しい岩山の隙間に隠れるように存在する小さな集落。

帝国軍の目も届きにくいこの辺境の地に、レヴィン一行が辿り着いたのは、サフィを助け出してターラへの道を急いでいた道中のことだった。

 

「……止まれ。誰だ」

 

集落の入り口に差し掛かった瞬間、殺気を孕んだ鋭い声が一行の足を止めた。

岩陰から姿を現したのは、粗末な旅のマントを羽織った一人の騎士だった。身なりこそみすぼらしいが、その手には使い込まれた鉄の槍が握られ、歴戦の猛者特有の隙のない構えを見せている。

 

「その声……まさか」

 

レヴィンが目を見開き、フードを深く被り直すのも忘れて歩み出た。

 

「お前……フィンか。レンスターの、フィンだな」

 

槍を構えていた騎士――フィンの瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれた。

 

「あ、あなたは……レヴィン王子!? 馬鹿な、バーハラの戦いで、あなたは……!」

「色々とあってな。泥水をすすって、這い戻ってきたのさ」

 

レンスター陥落の悲劇から約十年。

過酷な逃避行を続け、幼き主君を守り抜いてきた孤独な騎士の肩が、微かに震えていた。

 

「レヴィン様……! ご無事で、本当に……!」

 

フィンは槍を下ろし、その場に片膝をついて深く頭を垂れた。その背後から、ボロボロの服を着た二人の子供たちが、おずおずと顔を覗かせた。茶色の髪の少年と、金髪の少女。彼らこそ、トラキアの未来を背負う亡国の王子リーフと、ナンナであった。

 

集落の粗末な小屋の中。

レヴィンとフィンは、これまでの十年間、互いがどのように生き延びてきたのかを静かに語り合った。

 

「そうか……キュアンとエスリンの遺児は、お前が育て上げていたんだな」

「……はい。ですが、帝国とトラキア軍の追手は執拗で、ターラを逃れてからは、こうして辺境の村を転々とする日々です。リーフ様には、辛い思いばかりを……」

 

フィンの沈痛な言葉に、小屋の隅で控えていたセティが進み出た。

 

「フィン殿。初めまして、私はセティと申します」

 

十歳の少年でありながら、その立ち振る舞いにはシレジア騎士の気品と、冷徹な魔道士としての威厳が備わっていた。

 

「私たちは、このトラキアの大地で『マギ団』という抵抗組織を立ち上げました。帝国による苛烈な搾取と、非道な子供狩りを止めるためです。……フィン殿。どうか、私たちと連携し、いつの日かリーフ王子を旗印として共に立ち上がってはいただけませんか」

 

セティの真っ直ぐな進言に、フィンは驚きの表情を浮かべ、やがて目を伏せた。

 

「……志は立派だ、セティ殿。だが……私には、リーフ様をお守りするという絶対の使命がある。まだ幼い殿下を、表立った戦いの矢面に立たせるわけにはいかないのだ」

「……承知しております。今はまだ、その時ではないと」

 

セティは引き下がらなかった。

 

「ですが、いずれ必ず時は来ます。その時まで、私たちマギ団は地下に潜り、帝国の目を引き付け、民を護ります。……リーフ王子が剣を掲げるその日のために、私たちがトラキアの荒野を切り拓く盾となります」

 

フィンの瞳が揺れた。十歳の少年の口から出た言葉とは到底思えない、血を吐くような覚悟。

 

「……感謝する、セティ殿。君たちのその言葉だけで、私はあと十年は戦えそうだ」

 

フィンは微かに微笑み、セティの肩にそっと手を置いた。

 

***

 

大人たちが小屋の中で重苦しい会談を行っている頃。

集落の裏手にある小さな泉のほとりでは、まったく別の、血流を凍らせるような殺伐とした空間が形成されていた。

 

「コープル、こちらのお水は冷たくて美味しいですよ。喉は渇いていませんか?」

 

リノアンが、上品な微笑みを浮かべながら、木彫りのカップをコープルの口元にそっと運ぶ。

 

「ありがとう、リノアン。でも、まずはマリータから……」

 

コープルが視線を向けようとするよりも早く、彼の上着の裾を両手でギュッと握りしめていたマリータが、鋭い刃のような視線でリノアンを睨みつけた。

 

「……いらない。私は、コープルが飲んだ後でいい」

 

マリータはそう言い捨てると、自分の居場所(テリトリー)を死守するかのように、コープルの細い腕に自分の身体をさらに深く、隙間なく絡みつかせた。

 

コープルは実年齢こそ彼女たちと同じ十歳だが、発育が遅く小柄なため、どう見ても七、八歳の幼い子供にしか見えない。だが、その華奢な身体から滲み出る底知れぬ包容力と甘い香油の匂いが、少女たちの情操をすでに完全に狂わせていた。

 

「……ちょっと、どきなよ。あんたがへばりついてたら、そいつが動けねえだろ」

 

泉で顔を洗っていたタニアが、乱暴に水を蹴り上げて近づいてきた。その声は低く、苛立ちに満ちている。

 

「僕なら大丈夫だよ、タニア。それより、足の怪我、もう痛まない? まだ無理はしないでね」

 

コープルがタニアに向けて、心の底から心配そうに微笑む。

 

「……っ、あたしはダグダの娘だぞ。これくらいもう治ってる」

 

タニアは舌打ちをして顔を背けるが、距離は引かない。マリータへの対抗心と、己もあの熱に触れたいという飢餓感から、無意識のうちにコープルの反対側の腕の至近距離まで陣取っていた。

 

「……あ〜あ、やってらんねえぜ」

 

少し離れた木陰からその光景を眺めていたリフィスが、小石を泉に投げ込んだ。

 

「なんだってあんなヒョロガキが、あんなに囲い込まれてんだ? トラキアの荒野を生き抜くには、俺様みたいなタフでワルな魅力が必要だってのによぉ」

 

リフィスはギリッと歯ぎしりをする。彼もサフィにいいところを見せようと荷物持ちを頑張っているのだが、当のサフィはマギ団の理念に感銘を受け、セティやアスベルたちの話し合いの方にばかり気を取られていた。

 

「ねえリフィスさん。サボってないで、水汲みを手伝ってよ」

 

通りかかったアスベルが、容赦なくリフィスに空の樽を押し付ける。

 

「……へいへい、わかってやすよ」

 

***

 

翌朝。

レヴィン一行は、フィンたちと再会の約束を交わし、集落を後にしようとしていた。

 

「コープル……本当に行っちゃうの?」

 

マリータが、血の気の引いた手でコープルの袖を掴んで離さない。

 

当初の予定では、マリータの安全を考慮し、レヴィンが彼女をイザークのティルナノグへ送り届ける手はずになっていたのだ。

 

「うん。イザークは安全だし、シャナンさんたちもいる。マリータの傷が癒えるまで、そこで待っててほしいんだ」

 

コープルはマリータの手を優しく包み込み、真摯なまなざしで語りかけた。

 

「嫌……! 私は、コープルのそばにいたい。コープルがいないと……私は、また暗闇に……っ」

 

マリータの顔が蒼白になり、過呼吸気味に肩が震え始める。彼女にとって、コープルから引き離されることは、再びあの奴隷商人の絶望の底へ突き落とされることに等しい恐怖だった。

 

「待て。その娘は、俺が連れて行く」

 

緊迫する空気の中、街道の奥から地鳴りのような足音が響き、一人の男が姿を現した。

全身を黒い装束で包み、背には巨大な大剣を背負った、狼のように鋭い眼光を持つ男。

 

「お前は……!?」

 

「レヴィンが即座に警戒態勢を取り、セティが魔道書を構える。ただ歩いてくるだけにも関わらず、その男の身のこなしには一切の隙がない。何よりその圧倒的な剣気は、イザークの王族(シャナン)と同じ『オードの血』を引く剣士特有の、底知れぬ死の匂いを漂わせていた。」

 

だが、ガルザスの視線はレヴィンたちではなく、コープルの背後に隠れたマリータに真っ直ぐに注がれていた。

 

「……探したぞ、マリータ」

 

ガルザスの低く掠れた声には、血の匂いを纏った凄腕の傭兵のそれとは違う、不器用な父親の響きが混じっていた。

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