「お父、様……?」
信じられないものを見るように、マリータがおずおずと顔を出す。その瞬間、ガルザスの殺気立っていた瞳が微かに揺れた。
「……奴隷商人に攫われたと聞き、トラキア中を探し回った。来い、マリータ。俺と一緒に……」
「嫌っ……!」
ガルザスが差し出した無骨な手を、マリータは小さく悲鳴を上げて拒絶した。
彼女は弾かれたようにコープルの背中にしがみつき、その小柄な身体を盾にするようにして震え始めたのだ。
「……どういうことだ。その小僧に、何をされた」
実の父親の手を払いのけ、見知らぬ少年に狂ったように縋り付く娘。ガルザスの声に再び剣呑な殺気が混じり、手が背中の大剣へとゆっくりと伸びかけた。
「待ってください」
一触即発の空気を割って、コープルがマリータを庇うように両手を広げた。
「マリータは、僕たちが助けました。でも、彼女の心にはまだ酷い傷が残っているんです。……今はまだ、無理に連れ出そうとしないでください」
「……お前は」
「僕はコープルです。マリータは、僕が絶対に守ります」
コープルのその言葉を聞いた瞬間、マリータは嗚咽を漏らし、背後からコープルの服の裾をさらに強く握りしめた。
奴隷商人の檻の中で絶望に沈みかけていた彼女を、自らの体温で強引に引きずり上げてくれた絶対的な救済者。
ガルザスは、眼前の少年の底知れない瞳と、それにすがりつく娘の異常なまでの依存状態をじっと見つめ……やがて、背中の大剣から手を離し、重い溜息を吐き出した。
自嘲するように、自らの血塗られた手を見つめる。
「……お父様」
マリータが、コープルの背中から半分顔を出し、震える声で紡いだ。
「ごめんなさい……私、お父様と一緒には行けない。私は……コープルと一緒に、トラキアに残りたい」
「トラキアに残るだと? この大地に、子供だけで残って何をするつもりだ」
「戦うの」
マリータの瞳に、剣士としての鋭い光が宿った。
「セティたち……『マギ団』のみんなと一緒に。……私を救い出してくれた、コープルの剣になるために」
そのあまりにも重い決意に、レヴィンは微かに目を細め、タニアとリノアンは無言で唇を噛んだ。マリータのコープルに対する感情は、もはや「運命の共犯者(剣)」としての強烈な狂信の領域に達していた。
ガルザスはしばらくの間沈黙し、やがて諦めたように首を振った。
「……好きにしろ。俺は血で血を洗う傭兵だ。お前たちガキの抵抗運動に付き合って、帝国を敵に回すような義理はない。……協力はしない」
ガルザスは踵を返し、背を向けた。
「だが、妨害もしない。……俺の娘の命を救ってくれたこと、その小僧には借りがあるからな」
「……マリータ。剣の腕が鈍ったら、容赦はせんぞ」
「はい……! ありがとう、お父様!」
オードの血を引く剣鬼の姿が街道の土煙の向こうに消えていくのを、一行は静かに見送った。
「……とんでもねえ親父殿だな。俺様、睨まれただけで寿命が十年縮んだぜ……」
リフィスが青ざめた顔で座り込み、ガチガチと歯の根を鳴らしていた。
「レヴィン殿。これで、マリータも我々『マギ団』の同志ですね」
セティが凛とした表情でレヴィンに語りかける。
「ああ。イザークに送り返す手間が省けたってもんだ。……だが、コープル」
レヴィンが、マリータに再びギュッと抱きつかれているコープルを冷徹に見下ろした。
「あんな剣鬼の前で、よく堂々と娘を囲い込めたな。……お前のその無自覚な振る舞い、そのうち本当に取り返しがつかなくなるぞ」
「え? 囲い込むなんて……ただ、マリータが安心してくれるなら、僕は……」
コープルは純粋無垢な顔で首を傾げる。
「そこが一番タチが悪いって言ってんのよ!!」
タニアが耐えきれずに叫び、リノアンも「……油断も隙もありませんね」と冷や汗を拭う。 帝国軍の苛烈な支配が迫るトラキアの荒野。 だが、彼らの行く手には、血生臭い闘争の中にあっても決して失われない、若き命の熱量と、仄暗くも温かい情念が確かに息づいていた。