異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第15話

果てしなく続くトラキアの荒野を抜け、一行は再び、険しい岩山に囲まれた辺境の地――フィアナ村へと足を踏み入れていた。

 

「……なるほど。この子達を、しばらく村で預かればいいのね」

 

村の自警団を束ねる女戦士・エーヴェルは、腕を組みながらレヴィンを見据えた。その鋭くもどこか温かみのある眼差しは、レヴィンの背後に立つセティやコープル、そして彼を取り巻く少女たちに向けられている。

 

「ああ。俺は少し外さなきゃならねえ用ができた。このイカれた大地で、こいつらが帝国に見つからずに『爪と牙』を研ぐには、あんたの庇護下に入るのが一番だと判断してな」

 

エーヴェルは小さく息を吐き、やがて静かに頷いた。

 

「いいでしょう。子供を見捨てるほど、私の血は冷えていません。……それに」

 

エーヴェルの視線が、コープルの背中に隠れるようにして立っているマリータに止まった。

 

「その子からは、ひどく張り詰めた剣気の才能を感じます。私でよければ、剣の型を教えてあげましょう」

「……」

 

マリータが、ハッと顔を上げる。

 

「私は、コープルを守れる強さが欲しい。誰にも負けない、最強の剣に……」

「ええ。けど、私の稽古は血を吐くほど厳しいですよ。覚悟しておいてね」

 

かくして、マギ団の若き火種たちはフィアナ村を拠点として地下に潜り、静かに、しかし確実にその力を蓄え始めることとなった。

紫竜山からはタニアが足繁く下りてくるようになり、リノアンとマリータ、そしてタニアによる、コープルという「絶対的な体温(居場所)」を巡る無言の領土争いが、フィアナ村の狭い空間で息苦しいほどに定着していく。

 

誰が彼の隣に座るか。誰が彼の手を引くか。

少女たちは一切の言葉を交わさず、ただ自身の体温をコープルに擦り付けることで、己の生存圏を主張し合うという、血の流れない死闘を繰り広げていた。

 

それを見届けたレヴィンは、一人村を後にし、トラキアの内陸を抜ける荒野の街道へと向かった。

 

***

 

帝国兵や傭兵、そしてならず者たちが夜な夜な集う、砂埃に塗れた辺境の宿場町。

酸いも甘いも噛み分けた悪党たちの熱気と、安酒の饐えた匂い、そして微かな血の臭いが充満する酒場の片隅。

そこに、場違いなほど軽快に硬貨を指先で弾きながら、薄暗いランプの光の中で冷たい眼差しを落とす男がいた。

 

「……よぉ、レヴィン。相変わらず死臭のするツラしてんなぁ」

 

かつてシグルド軍の最年少として戦場を駆け抜け、今や裏社会で帝国の輸送部隊を震え上がらせている男――デューであった。

バーハラの悲劇から十年。その身のこなしには一切の隙がなく、擦り切れた外套の裏に隠された幾つもの刃からは、トラキアの泥を啜って生き延びてきた本物の暗殺者の凄みが漂っていた。

 

「……口の減らねえ小僧だ。でもまあ、お前が帝国から巻き上げた裏金のおかげで、ガキ共が飢えずに済んでるんだ。感謝はしてるさ」

 

レヴィンは向かいの席に腰を下ろし、濁ったエールを一気に煽った。

 

「で? オレをわざわざこんな所に呼び出したってことは……何か用があるんだろ?」

 

デューの瞳が、刃のように鋭く細められた。

 

レヴィンは空になったジョッキをテーブルに置き、周囲の喧騒に紛れさせるように、極めて低く、重い声で告げた。

 

「……見つけたぜ、デュー。フィアナの村でな」

 

カチン、と。

デューの指先で踊っていた硬貨がテーブルに落ち、不規則な音を立てて転がった。

 

「……へ?」

 

デューの顔から、一切の表情が抜け落ちた。

 

「おい、レヴィン。冗談でも言っていい事と悪い事があるぜ。オレの……オレのブリギッドが、生きてるってのか!?」

 

ダンッ!とテーブルを叩き、身を乗り出してレヴィンの胸倉を掴みかかるデュー。その手は、十年の血みどろの闘争でも決して震えなかったはずの指先が、痙攣するように激しく震えていた。

彼の脳裏に、強くて、不器用で、誰よりも温かかった彼女の記憶が暴力的にフラッシュバックする。夜の天幕で交わした熱。黄金色の髪から香る、潮風と森の匂い。そのすべてが、今の今まで彼の心臓をナイフのように抉り続けてきたのだ。

 

「落ち着け。生きてはいる。……だが、彼女は過去の記憶を完全に失っていた」

 

レヴィンはデューの震える手を静かに外し、残酷な事実を叩きつけた。

 

「今は『エーヴェル』と名乗り、フィアナの村の領主として生きている。お前のことも、子供たちのことも……自分が誰であったかすら、細胞の欠片も覚えていねえ」

 

「……記憶、が……」

 

デューはその場に力なく崩れ落ちるように座り込み、硬くタコのある両手で顔を覆った。

 

「……オレは、どうすりゃいい。今すぐあいつに会って、その熱を確かめてえ。でも、あいつの中にオレがいないなら……オレはただの、見知らぬ人殺しじゃねえか……っ」

 

指の隙間から、押し殺したような、獣の呻きにも似た嗚咽が漏れる。十年の果てに見つけた希望は、同時に「自分だけが過去に取り残されている」という絶対的な絶望でもあった。

 

「……デュー。お前がトラキアを渡る道中、俺も同行する。だが、すぐに名乗り出るのは得策じゃねえ。まずは素性を隠して、少しずつ彼女との距離を測れ。……お前なら、泥水の中からでもう一度、あの女に熱を思い出させることくらいできるだろ」

 

レヴィンの静かな言葉に、デューはしばらく顔を覆ったまま震えていたが、やがて大きく息を吸い込み、乱暴に顔を上げた。

 

「……当たり前だろ。オレを誰だと思ってんだ」

 

その瞳には、絶望を食い破るほどの強烈な執着が宿っていた。愛する女がこの空の下で呼吸をしている。その物理的な事実だけで、彼の止まっていた血流は再び恐ろしい熱を持って循環し始めていたのだ。

 

「行くぜ。道中の帝国の金庫は全部カラにして、女を口説き直すための資金にしてやる」

 

***

 

数日後。

トラキア半島の荒涼とした国境地帯を、二つの影が疾走していた。

 

月明かりの下、デューのダガーが銀色の軌跡を描く。

馬車を護衛していたフリージ軍の兵士たちは、悲鳴を上げる間もなく喉笛を正確に掻き切られ、あるいは頸動脈を貫かれて次々と地に伏していく。血の雨を降らせながら、デューは一切の感情を排した「死神」として作業を遂行していた。

 

「おいおい、派手にやりすぎるなよ。血の匂いで『蠅』が寄ってくる」

背後から歩み寄ったレヴィンが、死体を跨ぎながらため息をつく。

 

デューが血糊を払い、馬車の荷台を漁ろうとした、その時だった。

 

突如として、二人の周囲の空間がぐにゃりと濁音を立てて歪み、紫色の魔力光が夜闇を乱暴に切り裂いた。

 

「空間転移(ワープ)の魔法陣……!? こんな辺境に、誰が!」

レヴィンが即座に魔道書を展開し、デューもダガーを逆手に構えて背中合わせに立つ。

 

閃光が収まった後、荒野の泥土の上に現れたのは、ボロボロの修道服に身を包んだ、銀色の髪を持つ一人の少女だった。

 

「……あ……ああ……っ」

 

少女は地面に這いつくばり、ひび割れた人形のようにガタガタと震えながら、虚ろな瞳で宙を見つめていた。その顔は蒼白で、心に修復不可能なほどの致命的なトラウマ――何か決定的な「破壊」を目の当たりにした絶望――を負っているのは一目瞭然だった。

 

「おい、こんな所にこどもが……! どうなってんだ!?」

 

デューが駆け寄ろうとした瞬間、少女を追ってきたかのように、空中に複数の黒い靄が出現し、そこからロプト教団の暗黒魔道士たちが次々と姿を現した。

 

『見つけたぞ……。不安要素は、塵も残さず消し去れ!』

 

「ロプト教団だと……!?」

 

レヴィンの眼光が、絶対零度のそれに変わる。

 

『……レヴィン……ユリアを……お願い……』

 

その時。荒野を吹き抜ける風に乗って、レヴィンの脳髄に直接『声』が響いた。

それは、かつてバーハラの地で共に戦い、今や帝国の皇妃となっていたはずの女性――ディアドラの、血を吐くような悲痛な思念だった。

 

(ディアドラ……!? まさか、この空間転移は、お前が最期の命を削ってこの子を……!)

 

直感的にすべてを悟ったレヴィンは、静かな、しかし絶対的な殺意を込めて魔道書を開いた。

 

「デュー! その子を連れて伏せろ!!」

 

デューが目にも止まらぬ速さで少女を抱き抱え、馬車の陰へと滑り込む。

直後、レヴィンの両手から放たれた『風の刃(エルウィンド)』が、暗闇を緑色の閃光で染め上げた。

 

『ギャアアアアッ!?』

 

暗黒魔道士たちの詠唱が完了するより早く、極限まで圧縮された真空の刃が彼らのローブごと肉体を両断し、周囲の岩肌ごと空間を削り取るように消し去っていく。血飛沫と暗黒魔法の残滓が、荒野の風に吹かれて完全に霧散していった。

 

「……終わったぜ、レヴィン。で、この子はどうすんだ?」

 

馬車の陰から、意識を失った少女を抱き抱えたデューが歩み出てくる。

 

「……俺たちが保護する。その子は、ディアドラの娘だ。……恐らく、ディアドラが命がけでこの子だけを転移させたんだろう」

 

レヴィンは、眠る少女の顔にかかる銀色の髪をそっと払った。

 

「ユリア……。それが、この子の名前だ」

 

「ディアドラ様の……そうか。なら、絶対に帝国に渡すわけにはいかねえな」

 

デューは、自分の腕の中でひきつけを起こすように小さく震えるユリアを、かつて自分が置いてきた子供たち(パティとファバル)に重ねるように、不器用ながらも力強く抱き直した。

 

「記憶も心も完全にぶっ壊れちまってるみたいだが……フィアナに行けば、コープルの治癒もあるし、エーヴェル……いや、ブリギッドもいる。少しは落ち着くだろ」

 

「ああ。……だが、ユリアの存在はきっと奴ら(教団)にとってイレギュラーだ。追手は決して止まねえぞ」

 

レヴィンは夜空を見上げ、トラキアを覆う分厚い暗雲を睨みつけた。

 

記憶を失った聖戦士の妻と、心を破壊されたナーガの皇女。

二つの失われた過去を背負い、レヴィンとデューは、少女たちの情念が渦巻くフィアナの村へと歩みを早めた。

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