異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第17話

フィアナ村に束の間の平穏と活気が根付いていく一方で、世界の裏側で蠢く闇は、確実にその濃度を増していた。

深夜。村外れにあるレヴィンの隠れ家では、分厚い羊皮紙の地図が広げられ、ランプの頼りない灯りが二つの険しい顔を照らし出していた。

 

「……帝国の表立った軍の動きは、ある程度予測がつく。だが、問題はその後ろ盾だ」

 

レヴィンは地図の中央――トラキア半島とグランベルを隔てる広大なイード砂漠を指先でトントンと叩いた。

「俺たちは、ロプト教団という組織の根幹を何も知らねえ。奴らが集めた子供たちをどこへ運び、何を企み、どれほどの戦力を隠し持っているのか。……影を恐れて剣を振り回しても、疲弊して死ぬだけだ。敵を倒すには、まず敵を知る必要がある」

 

「同感だな」

 

腕を組んで壁に寄りかかっていたデューが、真顔で頷く。

 

「これだけ各地で非道な『子供狩り』をやっておきながら、教団の連中は見事なまでに尻尾を出さねえ。信者どもは口を割る前に自害しやがるし、末端の傭兵は何も知らされてねえ。……なら、直接その腹の中に飛び込んで、内臓から調べ上げるしかねえだろうよ」

 

デューの視線が、地図上の『イード神殿』の文字を鋭く射抜いた。

 

「デュー。お前、まさか……」

「オレが潜入する。教団は神殿の警護や汚れ仕事のために、腕の立つ傭兵や荒くれ者を常に金で集めてるはずだ。そこに紛れ込む」

 

レヴィンが息を呑む。

 

「正気か? あそこは暗黒魔道士の巣窟だぞ。並の変装や潜入工作なんて、奴らの呪術の前じゃ一瞬で見破られる。見つかれば、ただの死じゃ済まねえ」

「オレを誰だと思ってんだ。帝国の宝物庫だろうが、死神のベッドの下だろうが、気づかれずに潜り込むのが『幻の盗賊』の仕事だろ?」

 

デューはニヤリと不敵に笑うが、その奥にある暗い炎をレヴィンは見逃さなかった。

記憶を失った妻、エーヴェル。そして、理不尽に心を壊されたユリア。これ以上、自分の手の届く範囲で悲劇を繰り返させないための、退路を断った覚悟だった。

 

「……待ってくれ。俺も行く」

 

不意に、部屋の入り口から声が響いた。

扉の隙間から現れたのは、自身の背丈とさして変わらない長弓を背負った少年――ファバルだった。彼は真っ直ぐな瞳で、父親であるデューを見据えていた。

 

「ファバル……! お前、起きてたのか。ダメだ、こいつは子供の遊びじゃねえ!」

 

デューが慌てて歩み寄るが、ファバルは一歩も引かなかった。

 

「遊びだなんて思ってない! 父さん一人が不審な傭兵として潜り込むより、腕の立つ弓使いの『息子』を連れて稼ぎに来た猟師の親子ってことなら、教団の連中も怪しまないはずだ!」

「それはそうだが……ッ! お前にもしものことがあったら、オレはパティに、エーヴェルさんに顔向けできねえ!」

 

「俺だって、母さんのためになにかしたいんだ! それに……」

 

ファバルは弓の柄を強く握りしめた。

 

「フィアナには、剣を必死に振るっているマリータやタニア、そしてみんなを癒やそうと頑張ってるコープルやユリアがいる。俺だけ安全な村に隠れて待ってるなんて、絶対に嫌だ!」

 

まだ成長途中の細い肩。しかし、その内側に秘められた聖戦士ウルの一族としての気高き血脈が、少年の言葉に抗いがたい説得力を持たせていた。

 

レヴィンは静かに二人のやり取りを聞いていたが、やがてフッと息を吐いた。

 

「……デュー。ファバルの言う通りだ。単独で嗅ぎ回る素性の知れない男より、身内を連れて日銭を稼ぎに来た貧しい傭兵コンビの方が、悪党の隠れ蓑としては遥かに自然だ。……それに、こいつの弓の腕は、すでにそこらの大人を凌駕している」

「レヴィン……! お前まで……っ」

 

デューは頭を掻きむしり、やがて深い諦息とともにファバルの肩にポンと手を置いた。

 

「……絶対に、オレのそばから離れるな。怪しい魔道士に声をかけられても、田舎者のガキのふりをして目を合わせるな。いいな?」

「うん……! ありがとう、父さん!」

 

ファバルの顔に、ようやく年相応の明るい笑みが浮かんだ。

 

数日後の早朝。フィアナ村。

村人たちが目を覚ますより早く、旅の支度を終えたデューとファバルは、静かに村を立とうとしていた。

 

「にーちゃん、絶対無理しないでよ……! 危なくなったら、お父さん置いて逃げていいからね!」

 

見送りに来たパティが、涙目でファバルの服の袖を引っ張る。

「おいおい、オレの扱いはそれかよ」とデューが苦笑する。

 

「パティ、あんたも泣いてないで、あたしから『探索の技術』をしっかり教わりなさいよ!」

 

その後ろで、ラーラが胸を張ってパティの肩を叩く。さらにその後方では、元海賊のリフィスが「俺様も探索なら負けてねえぜ!」としゃしゃり出ていた。

 

「気をつけてな、ファバル。弓の弦が切れたら、あたしが新しいのを編んでおいてやるからさ!」

朝練前のタニアが、少し眠そうな目をこすりながら力強く親指を立てる。そのすぐ横では、女剣士マチュアが「あんたの斧の素振りも、ファバルの弓の正確さを少しは見習いなさいよね」と容赦のないツッコミを入れていた。

 

「デュー殿、ファバル。……どうか、ご無事で」

 

マギ団の代表として、セティが深く頭を下げる。コープルもユリアの手を引いたまま、真摯なまなざしで二人を見送っていた。

 

そして、最後に歩み出てきたのは、村長のエーヴェルだった。

 

「デュー。あなたたちがどこへ行き、何をしようとしているのか……深くは聞きません。ですが、必ずこの村に帰ってくると約束してください。パティのためにも……そして」

 

彼女は言葉を切り、無意識に自分の胸元を押さえた。

 

「……どうしてか、あなたたちがいなくなると思うと、胸の奥が張り裂けそうになる。必ず、無事で戻ってきてください」

 

その言葉は、記憶を失ったエーヴェルからの、魂の底からの見送りだった。

デューは鍔広の帽子を深く被り直し、その表情を影で隠しながら、いつもの飄々とした声で応えた。

 

「ああ、約束するぜ、村長さん。パティをよろしく頼む。……行くぞ、ファバル」

「はい!」

 

二つの影が、朝靄の立ち込めるトラキアの荒野へと溶け込んでいく。

目指すは、大陸最大の禁忌――イード砂漠の深奥である。

 

容赦なく照りつける太陽。ひび割れた大地と、どこまでも続く死の流砂。

数日後、過酷なイード砂漠を縦断した二人は、陽炎の向こうにそびえ立つ禍々しい巨大な建造物――イード神殿のふもとに広がる、薄汚れた傭兵たちの野営地に辿り着いていた。

 

「……止まれ。見ない顔だな」

 

野営地の入り口で、顔の半分を火傷の痕で覆われた黒装束の暗黒魔道士が、氷のような声で二人の行く手を阻んだ。その周囲には、瞳孔の開いた不気味な剣士たちが武器を構えて立っている。

 

「へへっ、お役目ご苦労さんです、旦那」

 

デューは卑屈な笑みを顔に貼り付け、わざとらしく腰を低くして揉み手をした。

 

「オレは流れの傭兵でしてね。こっちは息子のファバル。トラキアの戦火から逃げてきたんですが、食い詰めちゃいまして。ここは気前よく金貨を弾んでくれるって噂を聞いて、汚れ仕事でも何でもやる覚悟で来やした」

 

暗黒魔道士の淀んだ瞳が、デューとファバルを値踏みするようにねっとりと舐め回す。

ファバルは父の言いつけ通り、怯えたような田舎の少年のふりをして、視線を落として震える演技を完璧にこなしていた。だが、その背に負った弓の弦には、いつでも指をかけられるよう絶妙な重心が保たれている。

 

「……ちょうど、西の巡回部隊の『捨て駒』が減っていたところだ。中へ入れ。ただし、神殿の内部には決して近づくな。教団の秘儀を覗き見ようとした者は、その日のうちに砂漠の砂の一部となる」

「ひぃっ! わ、わかってますとも! 言われたことだけきっちりやらせてもらいやす!」

 

魔道士が道を空け、二人は野営地の奥へと足を踏み入れた。

周囲からは、血と汗と、そして微かに漂う……『子供たちの泣き声』のような幻聴が、砂風に混じって聞こえてくる。

 

デューは鍔広の帽子の下で、周囲の警備の配置、テントの数、そして神殿へと続く搬入口の経路を、瞬時に脳内に焼き付けていた。

 

(どんな分厚い金庫だろうが、鍵穴は必ずある。ロプト教団……てめえらの腐った腹の中、このオレが全部白日の下に晒してやるよ)

 

ファバルと視線を交わし、微かに頷き合う。

世界を覆う闇の真相を暴くため、幻の盗賊とその血を継ぐ若き弓使いの、命がけの潜入調査が幕を開けた。

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