異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第18話

デューとファバルが、砂漠の彼方へと姿を消してから数日が経過した。

トラキア半島辺境、フィアナ村。村の奥にある集会所では、大人たちによる密やかな軍議が開かれていた。

 

「……マギ団の活動資金と物流の算段は、紫竜山の連中のおかげで目処が立った。セティやマチュアたちの鍛錬も仕上がりつつある。だが、俺たちには決定的に欠けているものがある」

 

腕を組んだレヴィンが、ひどく重い声で切り出した。

 

「大義名分、ですね」

 

傍らに立つセティが、師の言葉を的確に引き継ぐ。

 

「帝国やトラキア軍の暴虐から民を護るという志だけでは、いずれ限界が来ます。点在するレジスタンスや、身を潜めている旧レンスターの騎士たちを一つの巨大なうねりとして束ねるには、誰もが命を懸けて従うに足る『旗頭』が不可欠です」

「ああ。……だからこそ、あの子をこの村に迎え入れる」

 

レヴィンは地図の北側、レンスター方面からフィアナ村へと繋がる山道を指でなぞった。

 

「キュアンとエスリンの忘れ形見。槍騎士ノヴァの正当なる血脈……リーフ王子をな」

 

部屋の隅で控えていたエーヴェルが、静かに頷いた。

 

「過去の記憶は定かではないけど……国を奪われ、過酷な逃亡生活を強いられている幼き王子を放ってはおけない。フィアナの村は、全力で彼らを匿います」

 

最強の防壁たる女剣士の承諾を得て、レヴィンは深く頷いた。

 

***

 

数日後。

フィアナ村から遠く離れた、険しい岩山の合間に隠された小さな集落。

レヴィンは密かにフィンと接触し、フィアナ村への合流を打診していた。

 

「……エーヴェル殿、ですか」

 

フィンは使い込まれた槍を手入れする手を止め、その瞳に底知れぬ凄みを宿してレヴィンを見据えた。

 

「トラキアの裏社会でも、その女剣士の腕前は耳にしています。それに、マギ団の物流網と情報網があれば、帝国の目から隠れ潜むには好都合でしょう。……ですが」

 

フィンの声に、かつてないほどの鋭い殺気が混じる。

 

「殿下を『トラキア解放の旗頭』として表舞台に引きずり出すというご提案は、断じて承服いたしかねます」

 

フィンの言葉は絶対だった。

十年間。レンスター城が陥落したあの日から、彼は自分の命を削り、泥水をすすりながらリーフの命を繋ぐことだけを唯一の使命として生きてきたのだ。

準備も整わぬうちに反乱軍の象徴として祭り上げられれば、帝国とトラキア軍の標的になるのは明白だった。

 

「フィン。俺は今すぐ挙兵しろと言っているわけじゃない。マギ団という組織の核として、いずれ来るべき時のために……」

「いずれ、でも同じことです」

 

フィンは静かに、しかし断固たる決意で首を振った。

 

「殿下はまだ幼い。レンスター再興という血の宿命を背負わせるには、あまりにも細い肩です。私が……私の命が尽きるその日まで、殿下とナンナは私がこの槍で守り抜きます。それが、亡きキュアン様との約束なのです」

「……フィン。お前がどれほどの地獄を見てきたか、俺にはわかる。だが、いつまでも鳥籠の中で王子を守り切れると思っているのか?」

 

レヴィンの言葉に、フィンがギリッと唇から血が滲むほど強く噛み締めた、その時だった。

 

「フィン。僕たちは、フィアナ村へ行くよ」

 

粗末な小屋の入り口から、透き通った、しかし芯のある少年の声が響いた。

茶色の髪に、亡き父キュアンの面影を残す少年――リーフだった。その傍らには、彼を案じるように寄り添う金髪の少女、ナンナの姿がある。

 

「殿下! しかし……」

 

慌てて振り返るフィンを、リーフは静かに手で制した。

 

「レヴィン様の言う通りだ。僕たちがこうして逃げ隠れている間にも、帝国の圧政で苦しんでいる人々が大勢いる。ターラの人たちだって、決死の覚悟で戦いの準備をしているんだ」

 

リーフは腰に佩いた『光の剣』の柄を強く握りしめた。

 

「フィン、今まで僕を守ってくれて、本当にありがとう。でも……僕はもう、子供じゃない。いつまでも君の背中に隠れて、誰かが流した血の上に生き延びるのは嫌なんだ」

 

その言葉に、フィンは息を呑んだ。

十年間、ひたすらに守り抜くべき「か弱い存在」だった幼き主君。しかし、今彼の前に立っているのは、トラキアの過酷な運命から目を逸らさず、自らの足で立ち上がろうとする気高き王族の姿だった。

 

「リーフ様……」

 

ナンナが、祈るように両手で胸元を押さえてリーフを見つめる。

 

フィンの瞳の奥で、張り詰めていた糸がゆっくりと解けていった。亡き主君への誓い。親代わりとして育ててきた少年への愛。そして……いつか必ず訪れるとわかっていた「王の目覚め」に対する、圧倒的な歓喜と一抹の寂しさ。

 

「……御意に」

 

フィンは深く頭を下げ、その場に静かに片膝をついた。

 

「このフィンの命、これまでも、これからも……リーフ様と共にあります。地獄の底まで、お供いたしましょう」

 

レヴィンは静かにその光景を見守り、小さく息を吐いた。

トラキアを覆う分厚い暗雲を切り裂く、小さくとも確かな『光』が、ついにその意志を示した瞬間だった。

 

***

 

リーフ、フィン、ナンナの三人を伴い、フィアナ村へ向けての極秘の移動が始まった。

帝国軍の巡回を避けるため、昼夜を逆転させた過酷な山越えの道中。

 

「――止まれ」

 

斥候として先行していたレヴィンが、片手を挙げて一行の歩みを止めた。

 

冷たい月明かりに照らされた森の木陰から、一人の男が音もなく姿を現した。

漆黒のローブに身を包んだ、痩身の男。しかし、その瞳には聖職者特有の温もりなど微塵もなく、氷のように冷徹な、現実の価値を値踏みするような鋭い光が宿っていた。

 

「……ほう。こんな辺境の森に、随分と訳ありな一団がいるものだ」

 

男は、レヴィンの背後に立つフィン、そして彼に守られるように立つリーフを一瞥し、低く呟いた。

 

「あんたこそただの僧侶じゃないな。……その目、教団で祈りを捧げているような真似事をしてきた人間のものじゃねえ」

 

レヴィンが探るように風の魔力を手のひらに集めながら、鋭い殺気を向ける。

 

「いかにも。私はアウグスト。ブラギの教団を破門され、当てのない放浪を続けているただの迷い子に過ぎんよ」

 

アウグストは口の端を微かに歪めた。

 

「だが、少しばかり探し物をしていてね。以前、私が知恵を貸してやっていたイスの海岸の海賊団が……用事を済ませて戻ってみれば、跡形もなく壊滅していた。情報を追ってこの村の近郊まで来てみれば、どうやらその『掃除』をした張本人たちに会えたようだ」

 

レヴィンは微かに目を細めた。

 

「海賊の軍師をやっていたって? 破門されたとはいえ、聖職者が聞いて呆れるぜ」

「理想や祈りだけで民が救えるなら、このトラキアはとうに楽園になっている。世を動かすのは、泥にまみれた現実と、それを操る冷徹な力だけだ。……お前たちの戦いぶりと、その背後にいる『旗頭』の存在。どうやら、私が探していた『力』はここにあったようだな」

 

アウグストの視線が、リーフを真っ直ぐに射抜く。

レヴィンは即座に相手の知力と、その肚の底にある徹底した現実主義(マキャベリズム)を見抜いた。綺麗事では勝てないこの戦いにおいて、彼のような冷血な頭脳は喉から手が出るほど欲しい人材だった。

 

「……あんたのその現実主義、嫌いじゃねえ。俺たちマギ団には、まだ点在する勢力を結びつける『連絡将校』と、感情論を切り捨てる『軍師』が足りていねえ。……どうだ、俺たちに一枚噛む気はないか?」

 

フィンが即座に槍を構えようとするが、レヴィンは目でそれを制した。

 

「ふむ……」

 

アウグストは顎を撫で、小さく頷いた。

 

「悪くない提案だ。あのまま海賊を使い潰すより、遥かに面白い盤面になりそうだ」

 

「レヴィン様。このような素性の知れない男を、殿下の傍に置くなど……」

 

フィンが口を挟むが、それを遮ったのはリーフ自身だった。

 

「フィン、待って。……アウグストと言ったね」

 

リーフは、一回り以上年上の冷徹な元僧侶に向かって、怯むことなく一歩前へ出た。

 

「あなたの言う通り、理想だけでは誰も救えないかもしれない。でも、あなたには、トラキアの民を救うための『力』があるんだね?」

 

アウグストは、幼き王子の真っ直ぐな瞳を、無機質な視線で見つめ返した。

 

「力、か。……私はただ、盤面の駒を最も効率的に動かす術を知っているだけです、王子。それが結果的に民を救うか、あるいは更なる血の雨を降らせるかは、あなたの采配次第だ」

「……わかった。あなたの知恵を貸してほしい。僕は、誰もが笑って暮らせる国を創りたいんだ」

 

そのあまりにも純粋で、だからこそ危うい王子の宣言に、アウグストは沈黙した。

 

(あまりに青臭い理想論だ。……だが、あのレンスターの血脈を旗印にすれば、トラキアの民兵の士気も上がるだろう。使い道はいくらでもある)

 

こうして、アウグストは正式にマギ団の軍師として参画することになった。

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