異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第21話

深夜のフィアナ村。

村人たちが寝静まった後も、アウグストの構築した地下連絡網によってもたらされた「旧レンスター騎士団の健在」という報せの熱は、集会所の中に静かに燻り続けていた。

 

リーフたちと今後の戦術方針を共有し終えた後。

見張りに立っていたセティが、音もなく集会所の扉を開け、レヴィンの傍らに立った。

 

「……村の南側、森の境界に張っておいた魔力感知の結界に、微かな反応がありました。帝国軍や山賊の気配ではありません。『たった一人』で、こちらの結界を刺激せぬよう、極めて慎重に近づいてくる者がいます」

 

「単独での極秘接触か。アウグスト、心当たりは?」

「……私の手配した密偵ではありませんな。ですが、もし私の推測通りであれば」

 

アウグストが目を細めた、その時だった。

 

「推測など不要です。あの方以外にあり得ない」

 

それまで壁際で息を潜めていたフィンが、弾かれたように顔を上げた。

フィンは迷うことなく集会所の扉を開け放ち、冷たい夜風が吹き込む村の広場へと歩み出る。

 

雲の切れ間から差し込む月明かりが、広場の中心に立つ一人の初老の男の姿を照らし出していた。

使い込まれた重厚な外套。歴戦の傷跡が深く刻まれた顔つき。そして、右腕の袖が風に力なく揺れている、隻腕の老騎士。

 

「……ドリアス、伯爵」

 

フィンの喉の奥から、空気が擦れるような音が漏れた。

 

「おお……フィン。フィンではないか」

 

ドリアスと呼ばれた隻腕の老騎士は、フィンの姿を認めるなり、その顔をくしゃくしゃに歪ませて駆け寄った。

二人の騎士は、互いの肩を強く抱き寄せた。過酷な十数年の時を越え、骨が軋むほどの力で互いの生存を確かめ合う。

 

「生きて……生きていてくださいましたか、ドリアス伯爵。あなたの右腕は」

「レンスター城が落ちたあの日、殿下を逃すための殿軍を務めた際の傷だ。片腕はトラキア軍に置いてきたが、命まではくれてやらなかったわ」

 

ドリアスは笑い飛ばしたが、その目からは大粒の水滴が泥土に落ちていた。

そして、ドリアスの視線が、フィンの背後から歩み出てきた茶髪の少年に縫い付けられる。

 

キュアンの面影を色濃く残し、腰に『光の剣』を佩いた少年の姿に。

 

「あ、ああ……なんという事だ。我が君……リーフ殿下」

 

ドリアスはその場に両膝をつき、泥だらけの地面に額を擦り付けるようにして平伏した。

 

「よくぞ……よくぞご無事で……! この不忠者ドリアス、殿下のお顔を再び拝することができるとは、生きていてこれほどの喜びはございません……!!」

 

老騎士の絞り出すような慟哭が、夜のフィアナ村に響く。

リーフは駆け寄り、ドリアスの残された左手を両手でしっかりと握りしめた。

 

「顔を上げてください、ドリアス伯爵。あなたが僕のために片腕を失い、それでも生き延びて反乱の準備を進めてくれていたこと、聞きました。……本当に、ありがとう」

「で、殿下……ッ」

 

王子の、十年前とは見違えるほどに確かな体温と力強い掌。それを受けたドリアスは、もう声を殺すことすらできず、子供のように肩を震わせて泣き崩れた。

フィンもまた、主君と戦友の再会に、ただ無言で目を伏せ、奥歯を噛み締めていた。

 

「感動的な再会ですな。ですが、感傷に浸る時間はそう長くはありませんぞ」

 

アウグストの低く平坦な声が、その場の熱を刃物のように断ち切った。

 

ドリアスが顔を上げ、残された左手で乱暴に目元を拭う。暗がりから歩み出たアウグストへ向けられた眼光には、明確な殺気が宿っていた。

 

「お前は……なぜ、ブラギの破戒僧が殿下の御前にいる」

「『軍師』として雇われたからです。感情論でしか動けない理想主義者が、殿下の血を無駄に流させないように」

「貴様……ッ」

 

ドリアスが残された左手で腰の剣に手を掛けようとするが、フィンが間に入ってその腕を制した。

 

「お待ちください、ドリアス伯爵。彼の策と連絡網がなければ、我々はあなた方の生存すら知ることができなかった。今は、感情を抑える時です」

「フィン……お前がそういうのなら、剣は収めよう。だが、私はこの男のやり方を信用せんぞ」

 

ドリアスはアウグストから視線を外すと、再びリーフに向き直った。

 

「殿下。私はアウグストの連絡網を通じて、殿下がこのフィアナの地に身を寄せられていることを知りました。……ですが、私はすぐにこの村を去らねばなりません」

「どうしてですか。せっかく再会できたのに……!」

 

リーフが弾かれたように声を上げる。

 

「帝国軍の監視は日に日に厳しさを増しております。私がこの村に長居すれば、殿下のみならず、この村の人々にまで累が及ぶでしょう。……それに、ターラやアルスター方面で、決起のための『兵』を束ねる者がどうしても必要なのです」

 

ドリアスは、リーフの手を自らのゴツゴツとした手で包み込んだ。

 

「アウグストが『理』を束ねるというのなら、私は『情』を束ねましょう。……殿下はどうか、この村で力を蓄えていただきたい。そして、来たるべき蜂起のその日、どうか我々を勝利へと導く『光』となってください」

 

役割分担の明確な提示。

それは、幼き王子にトラキアの未来を託すという、老騎士の命を懸けた誓いであった。

 

「……わかりました。ドリアス伯爵、どうか死なないで。必ず、また生きて会いましょう」

「御意に。……我が命、殿下のために」

 

再び深く頭を下げたドリアスは、フィンと視線を交わすと、夜明け前の闇の中へと溶け込んでいった。

 

「……行ったか」

 

レヴィンが息を吐く。

 

「理のアウグストと、情のドリアス。……これでリーフ軍を支える『両翼』が揃ったわけだ。だが、両極端すぎる二人の軍師を使いこなすのは、容易じゃねえぞ、リーフ」

「はい。でも、僕は逃げません」

 

リーフは、ドリアスが消えた暗闇を真っ直ぐに見据えたまま、力強く頷いた。

 

フィアナ村を包む夜明け前の静寂。

しかし、その静寂の裏側で、トラキア全土を揺るがす巨大な歯車が、確かな音を立てて噛み合い始めていた。

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