異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第33話

マンスターの巨壁を素通りし、トラキア半島の泥濘を西へと急ぐリーフ率いる解放軍。

彼らの行く手、ターラへの道を完全に塞ぐように横たわるのが、トラキア最大の天然の要害『ノエル渓谷』であった。

 

両脇を切り立った絶壁に挟まれ、底を細く濁った川が流れるこの谷は、少数の兵で大軍を迎え撃つための完璧な死地である。

 

「……見事な布陣だ。あの指揮官は、レイドリックのような保身に走る無能ではないな」

 

雨に打たれながら谷底を見下ろし、軍師アウグストが低く唸る。

谷の入り口には幾重にも馬防柵が築かれ、その奥には重装甲のフリージ歩兵が分厚い壁を作っている。さらに、絶壁の中腹には無数のアーチナイトと長距離狙撃兵器(バリスタ)が配置され、谷へ足を踏み入れた者を一網打尽にする完璧な『殺戮の陣形』が完成していた。

 

陣の中央で指揮を執っているのは、フリージ軍の老将ラルゴ。

ターラ包囲網の総司令官であるケンプフから「この谷で反乱軍を完全に食い止めろ」という命令を受け、愚直なまでにその死命を全うしようとする、帝国軍にあって数少ない『真の武人』であった。

 

「……リーフ様。この陣形を正面から突破するのは、不可能に近いです」

 

フィンが、血の滲むような声でリーフに進言する。

 

「上からのバリスタの雨を凌ぎつつ、谷底の重装兵を突破するなど、我々の兵力では被害が甚大になりすぎます」

 

「だが、迂回している時間はない! ターラではコープルたちが……万の民が、今も死に物狂いで耐えているんだ!!」

 

リーフは焦燥に駆られ、銀の剣を強く握りしめた。

ミランダを見捨てるという血を吐くような選択までして、ターラを優先したのだ。ここで足を止めることなど、到底己の魂が許さなかった。

 

「僕が先陣を切る。セティ殿の風でバリスタの矢を逸らしてくれ。力ずくでも、この谷をこじ開ける!!」

 

リーフが狂気にも似た決意で谷底へ駆け下りようとした、まさにその刹那であった。

 

ドォォォォンッ!!

 

突如として、谷の奥――フリージ軍の背後から、凄まじい轟音が響き渡った。

それは落雷ではない。ラルゴが絶対の安全圏だと信じていた後方の陣地から火の手が上がり、無数の伏兵が一斉に襲い掛かった音であった。

 

「な、なんだ!? 背後から奇襲だと!? どこから沸いて出た!!」

 

完璧な陣形を誇っていたフリージ軍が、後方からの予期せぬ打撃に大混乱に陥る。

 

「……あの旗は!!」

 

リーフが目を見開く。

炎と泥に塗れた戦場の奥で翻ったのは、誇り高き『レンスター王国』の軍旗であった。

 

「リーフ様っ!! お待たせいたしました!!」

 

重厚な馬上から怒号を轟かせ、隻腕の老騎士が槍を振るって敵陣を蹂躙していく。

かつてフィアナ村でリーフに忠誠を誓い、周辺のゲリラや旧臣を束ねるために先行して離脱していた『情の軍師』、ドリアス伯爵であった。

 

「ドリアス伯爵……! みんなを……僕たちの兵を集めてくれていたのか!!」

「ええ。が泥水を啜りながら進軍されている間、この老いぼれがただ待っているわけにはいきませぬ! ターラから逃げ延びた義勇兵、そして我らがレンスターの誇り高き旧臣たち……全て、リーフ様のためにかき集めてまいりました!!」

 

ドリアス率いる別働隊の奇襲により、ラルゴの完璧な陣形は完全に前後に分断された。

 

「今です、王子! 挟み撃ちの好機、一気に谷底へ突撃を!!」

 

アウグストの冷徹な号令に、リーフの本隊が怒涛の勢いでノエル渓谷へと雪崩れ込む。

 

「させんッ!! 我らは誇り高きフリージの騎士! 貴様らのような反乱軍に、この防衛線を抜かせるわけにはいかん!!」

 

混乱する陣形の中央で、老将ラルゴが己の槍を天に掲げ、必死に部隊を立て直そうと咆哮を上げる。

だが、そのラルゴの前に、血で赤く染まった愛馬を駆り、隻腕の老騎士ドリアスが単騎で立ち塞がった。

 

「誇り高きフリージの騎士だと!? 笑わせるな、ラルゴ将軍!!」

 

ドリアスの怒声が、雷鳴のように谷間に響き渡る。

 

「貴様も数多の戦場を駆け抜けた歴戦の武人であろう! その武人が、なぜ国を奪い、罪なき子供たちを攫うロプトの悪鬼(帝国)の盾として使われる!! その槍は、誰を守るためのものだ!!」

 

「……ッ!!」

 

ラルゴの顔が、苦痛に大きく歪んだ。

彼は知っていた。現在帝国がトラキアで行っている「子供狩り」が、どれほど狂気に満ちたおぞましい所業であるかを。だが、軍人である以上、命令に背くことは己の存在意義(アイデンティティ)の否定となる。

 

「……黙れ!! 我が主はフリージ家のみ! 帝国がどれほど腐っていようとも、主命を全うすることこそが、騎士の誇りなのだ!!」

 

ラルゴは血を吐くような叫びと共に、ドリアスに向けて凄まじい一撃を繰り出した。

 

ガァァァンッ!!

 

ドリアスは片腕でありながら、その重い槍の一撃を己の槍の柄で真っ向から受け止めた。

両者の間に、火花と泥飛沫が散る。

 

「……愚かな。主君の狂気を正すこともできず、ただ盲目に従うだけのものを、騎士の誇りとは呼ばん!!」

 

ドリアスの片腕の筋力が限界まで膨れ上がり、ラルゴの槍を強引に弾き飛ばした。

その隙を突き、リーフの放つ『光の剣』の閃光が、ラルゴの愛馬の足を正確に薙ぎ払う。

 

「ぐわぁぁっ!!」

 

落馬し、泥濘に叩きつけられたラルゴの首元に、ドリアスの槍の穂先が冷たく突きつけられた。

 

「……勝負ありだ、ラルゴ将軍」

「……殺せ」

 

泥まみれの老将は、無念に唇を噛み切りながら、己の死を受け入れるように目を閉じた。

 

「指揮官の命は取った! これ以上無駄な血を流したくなければ、武器を捨てて降伏しろ!!」

 

ドリアスの宣言により、指揮官を失い、完全に包囲されたフリージ軍の防衛線は音を立てて瓦解した。

ノエル渓谷の地を血で染め上げた激戦は、リーフ軍の劇的な勝利で幕を下ろしたのである。

 

「ドリアス伯爵……! ありがとう、あなたが来てくれなければ、ここを抜けることはできなかった」

 

リーフは泥だらけのラルゴの横で、隻腕の忠臣の手を両手で固く握りしめた。

 

「もったいないお言葉。ですがリーフ様、休んでいる暇はありませぬ」

 

ドリアスは、血に濡れた槍を西へと向けた。

 

「この谷を抜けた先には、ターラを包囲する帝国の最大拠点『ダンドラム要塞』があります。……あそこには、あの卑劣なケンプフの息がかかった将軍が駐留しているはず。ターラを救うためには、あそこを落とさねばなりません」

 

「ああ……わかっている。行くぞ!!」

 

リーフの力強い号令が響く。

 

過酷な強行軍は、いよいよダンドラム要塞へと続いていくのであった。

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