ノエル渓谷の激戦を制し、ついにドリアス伯爵との合流を果たしたリーフ軍。
彼らが次に直面したのは、渓谷のさらに西、ターラへの最後の巨大な蓋としてそびえ立つ『ダンドラム要塞』であった。
要塞の城壁は高く、周囲は深い空堀で囲まれている。ここを力攻めで落とすには、数倍の兵力と数週間の時間が必要だ。しかし、リーフたちにはターラを救うための時間が一刻も残されていない。
「……厄介な城ですな。ですが、城とは中にいる人間の『質』でその堅牢さが決まるものです」
雨除けの陣幕の中で、アウグストが冷たく言い放つ。
「斥候からの報告によれば、現在ダンドラム要塞を預かっているのは、オルトフ司教。……そして、彼の指揮下で実質的な前衛を担っているのが、魔法騎士イリオスとのこと」
「オルトフ司教に、イリオスだと?」
フィンが、かつての記憶を辿るように眉をひそめた。
「オルトフ司教はケンプフにへつらうだけの無能な男だ。だが、イリオスは違う。平民の出でありながら、己の魔力と剣技のみで魔法騎士の地位まで上り詰めた……帝国軍にあっても屈指の猛将だ。まともにやり合えば、こちらの被害は計り知れない」
フィンの言葉に、アウグストはむしろ愉快そうに口角を吊り上げた。
「無能な指揮官と、有能な部下。……軍隊において、これほど『内側から崩しやすい』組み合わせはありません。セティ殿、ドリアス伯爵。城の『中』を空っぽにするための、少しばかり泥臭い一芝居を打ちましょう」
軍師たちの冷徹な目線が交差する。
彼らはすでに、敵の『誇り』と『強欲』を食い物にする冷酷な盤面を描き上げていた。
***
一方、その頃。
ダンドラム要塞の司令室では、司教オルトフが苛立ちに任せて卓を叩き割らんばかりに喚き散らしていた。
「ええいっ! ノエル渓谷のラルゴが敗れただと!? 奴は何をしているのだ、あのような堅牢な陣を敷いておきながら!!」
オルトフは軍服を震わせ、ターラ方面のケンプフから届いたばかりの『死守せよ』という命令書を握り潰した。
「ケンプフ将軍は、ターラ包囲で身動きが取れんのだ! このまま反乱軍どもがこの要塞に押し寄せてくれば、この私の地位が、名誉が……っ!」
「……オルトフ司教。落ち着いてください」
パニックに陥るオルトフに対し、部屋の隅で腕を組んでいた男が、底冷えのするような低い声でたしなめた。
フリージの誇る魔法騎士、イリオスである。
「反乱軍はノエル渓谷の突破で相当な被害を出しているはず。対してこちらは無傷の城壁と、十分な物資がある。城門を固く閉ざし、私のサンダーマージ部隊を城壁に配置して徹底的な『防御』に徹すれば、奴ら如きにこのダンドラムは絶対に落とせません」
イリオスの進言は、極めて真っ当で、軍事的に完璧な最適解であった。
だが、オルトフはそれを聞いた瞬間、顔面を憎悪と屈辱で真っ赤に染め上げた。
「黙れ、平民上がりが!! 貴様のような下賤な血の者に、この私への指図など許さん!!」
「……」
「防御に徹するだと!? それでは『反乱軍を恐れて城に引きこもった』と、本国から臆病者のそしりを受けるではないか! 私の武勲と名誉に傷がつく!!」
オルトフはイリオスに歩み寄り、その胸倉を掴みかからんばかりの勢いで怒鳴りつけた。
「いいか! 貴様は要塞の守備隊の『半分』を率いて、直ちに城外へ出撃しろ!! そして、ノエル渓谷で疲弊しきっている反乱軍を、一息に踏み潰してこい!!」
「……正気ですか、司教」
イリオスは、オルトフの手を冷たく払い除けた。
「敵はあのマンスターを抜け、ラルゴ将軍を討った連中です。不用意に城外へ打って出れば、各個撃破される危険がある。ここは堅実に……」
「口答えするな!! これは上官である私からの絶対の命令だ!!」
オルトフの絶叫が、司令室に響き渡る。
「貴様が手柄を立てれば、それは指揮官である私の手柄となる。……もし断るというのなら、貴様がこれまでに血反吐を吐いて得た地位など、私の権限で今すぐ剥奪してやるぞ!!」
「……ッ!!」
イリオスの瞳の奥で、激しい屈辱と殺意が渦巻いた。
彼は、こんな腐りきった豚のような男の下で働くために、血のにじむような努力で魔法を修めてきたわけではない。だが、平民である彼にとって「地位の剥奪」は、これまでの人生の全てを否定されることに等しい。
「……承知いたしました、オルトフ司教」
イリオスはギリッと奥歯を噛み締め、膝をついて頭を垂れた。
「直ちに主力部隊を率いて出陣し、反乱軍を谷の出口で邀撃いたします。……ですが、司教。万が一、私が敵の奇策にハマり、城外で孤立した場合は……必ず、残りの守備兵を率いて救援においでください」
「ふん。貴様がしくじるようなことがあれば、の話だがな」
オルトフは嘲笑いながら、イリオスに背を向けた。
(……この馬鹿が。反乱軍が弱っていると信じ込んでいるのか。俺が出払った後の城がどうなるか、想像すらできねえとはな)
イリオスは暗い瞳でオルトフの背中を睨みつけると、重い足取りで司令室を後にした。
かくして、ダンドラム要塞の重厚な城門が開き、イリオス率いるフリージ軍の主力が、雨の降りしきる平野へと進軍を開始する。
それは、アウグストとセティが描いた作戦の、巨大な顎の真下へと自ら歩みを進める行為に他ならなかった。