ダンドラム要塞を陥落させ、イリオスという強力な魔法騎士を自陣に引き入れたリーフ率いる解放軍。
だが、彼らが勝利の余韻に浸る時間は一秒たりともなかった。
「……急げ。ターラの民は、今この瞬間も餓えと恐怖に耐えているんだ」
リーフは泥に塗れた銀の剣を鞘に納めるや否や、休む間もなく軍の西進を命じた。
兵たちの疲労はすでに限界を超え、行軍の列は重く、鈍い。だが、先頭を歩く少年の背中から立ち上る、己を焼き尽くすような『業』の気迫が、全軍を強制的に前へと引っ張り続けていた。
要塞のさらに西。ターラへと至る最後の障害が、鬱蒼と茂るトラキア半島最大の密林『ダキアの森』である。
「殿下、この森は厄介ですぞ。道は泥沼、視界は最悪。おまけにここは、トラキア全土の裏社会を牛耳る『ダンディライオン』と呼ばれる盗賊団の縄張りです」
ドリアスが周囲を油断なく警戒しながら進言する。
「もし彼らが我らに刃を向けるのならば、地の利を活かしたゲリラ戦で多大な被害を受けるとに……」
「な…なあ、本当に俺が先頭じゃなきゃダメなのか?」
ドリアスの言葉を遮るように、先陣を切らされていた元海賊のリフィスが、異様に周囲にびくつきながら不平を漏らす。
「頑張って下さい、リフィスさん。確かあなたは子ども時代をここで過ごしたのでしょう?今はあなたの土地勘が必要なんです」
後方からマチュアが彼を励ますが、リフィスは首をこれでもかと横に振った。
「わ、わかってねえな! この森を仕切ってる『パーン』って奴は、おっかねえ野郎なんだぞ!?それに俺はアイツとは少々ワケありで……」
「――へえ? ってことはやっぱりお前、リフィスだな?」
その声は、木々の梢からではなく、リフィスの背後の『泥濘の中』から突如として響いた。
「!!」
ドリアスやフィンが即座に武器を構える。
いつの間にか、リーフたちの周囲の木々、茂み、そして泥の中すらも、森と同化した無数の義賊たちによって完全に包囲されていた。音もなく喉元に刃を突きつけられているような、底知れぬ殺気が解放軍を包み込む。
そして、リフィスの目の前。木の幹に寄りかかるようにして、一人の男がニヒルな笑みを浮かべて立っていた。
大盗賊団「ダンディライオン」を率いる義賊、パーンである。
「ヒッ……!? パ、パーン……さん!?」
リフィスは完全に腰を抜かしかけ、震えながら泥の上を後退りした。
「……殺気はない。君が、ダンディライオンの頭目か」
リーフは光の剣の柄から手を離し、パーンを真っ直ぐに見据えた。
「ああ。あんたがレンスターの王子様か。……なるほど、噂以上にいい面構えをしてやがる。だが、あの無敵の帝国軍に喧嘩を売るにしては、随分とボロボロじゃねえか」
パーンは肩をすくめ、リーフの泥だらけの鎧を一瞥した。
「俺は義賊だ。貧しい民からは奪わねえが、勝ち目のない戦いに首を突っ込んで犬死にする趣味もない。……だがな」
パーンは視線を動かし、腰を抜かしているリフィスを見下ろした。
「リフィス…お前が、どうして逃げ出さずに一番槍の軍の先頭を歩いてる? ……帝国軍を相手に、だ」
「え……?」
リフィスは間の抜けた声を上げた。
「村一番ののろまで泣き虫でいじめられっ子だった……そんなお前が、震えながらでもこの地獄の最前線を歩いている。それほどまでに、この王子様は『信じるに足る神輿』だっていう証明じゃねえか?」
パーンはニヤリと笑い、リフィスに向けた視線を、微かな敬意の入り交じったものへと変えた。
「……フッ、悪くねえ。お前、少しは見どころのある面(ツラ)になったな。見直したぜ」
「お、俺が……? 見直した……?」
リフィスの顔に、ほんの微かな自尊心と、調子に乗った笑みが浮かび上がる。
「へ、へへっ! ま、まあな! 俺様が本気を出せば、帝国軍なんて目じゃねえってことよ! パーン、お前も俺の凄さにようやく……」
「……やっぱり前言撤回だ。どうもお前はお調子者のようだ」
「えっ!? ちょ、待って! もう少し見直してくれよ!!」
パーンの容赦ない返答に、リフィスはさすがに抗議の声をあげた。
極度の緊張状態にあった軍の空気が、その滑稽なやり取りによってわずかに緩む。
だが、パーンはすぐに表情を引き締め、リーフへと向き直った。
「茶番はここまでだ。……王子。俺たちダンディライオンは、あんたたち解放軍に手を貸す。ターラで耐え凌いでいる民のために、補給線をズタズタにしてやるよ。……だが、その前に、あんたに伝えておいた方が良いと思う『情報』がある」
パーンの凄みを帯びた声色に、アウグストとセティが同時に鋭い視線を向けた。
「……俺の裏の盗賊網からの確かな情報だ。ターラから【北】……暗黒の森方面へ向かう街道で、ロプト教団の厳重な護送馬車が目撃された」
「護送馬車……?」
「ああ。中には、反乱の象徴として生きたまま儀式に捧げられる予定の『最高の供物』が乗せられているらしい。……アルスターの王女、ミランダというそうだ」
「ミランダが……教団に!?」
リーフの頭から、サッと血の気が引いた。
「どうなさいますか、殿下」
ドリアスが、血を吐くような声で進言する。
「北へ向かえば、ミランダ王女を救えます! アルスターの姫君を見捨てるなど、騎士の道に反しますぞ!」
「お待ちを、ドリアス伯爵」
セティが、重苦しい声で反論する。
「パーンの情報が正しければ、王女の移送ルートは【北】。しかし、我々が目指すターラは【西】です。我々の兵力で軍を二手に分ける余裕は一切ありません。……どちらかを選べば、どちらかは確実に死にます」
リーフは泥だらけの地面に両手をつき、ギリッと奥歯から血が滲むほどに強く噛み締めた。
(アルスターが帝国に滅ぼされ、ミランダのお父上が処刑されたのは……きっと逃亡していた僕を、匿ってくれたからだ。僕のせいで、彼女は全てを奪われた……!)
彼女を見捨ててロプト教団の生贄にするなど、絶対に許されない罪だ。
だが、西のターラには、数万の無辜の民と、自分を信じて血を流しているコープルたちがいる。
「……リーフ様」
崩れ落ちそうになるリーフの背中を、ナンナが背後から強く、狂おしいほどの力で抱きしめた。
「お辛いのはわかります。でも……私たちは、ターラへ行かなければなりません。あなたが背負うその泥も、血も、見捨てたという恨み言も……すべて、私が共に被ります。あなたは、地獄に落ちてでも、王としての道を選んでください」
「……ああ」
リーフは泥だらけの顔を上げ、絞り出すように言った。
その瞳からは、少年の甘さが完全に抜け落ち、血塗られた『王』としての冷酷な決意が宿っていた。
「僕は、ミランダを見捨てる。……全軍、このまま西へ! ダキアの森を抜け、ターラを救う!!」
それが、負い目のあるミランダ王女との命を天秤にかけた、少年王の苦渋の決断であった。
「……承知した。俺たちも命を張ろう」
パーンはリーフの覚悟に深い敬意を込め、静かに頷いた。
かくして、ダキアの森の義賊という強力な手札を得た解放軍は、究極の二者択一という重すぎる業を背負いながら、ついに決戦の地・ターラへとその足を踏み入れていく。
時を同じくして、遥か北の地『イザーク』では、光の公子セリスが反逆の狼煙を上げようとしていた。