異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第4話

猛吹雪のシレジア雪原。

アゼルたちと別の道を駆け出したレヴィンとシルヴィアの行く手は、容赦のない自然の脅威と、背後から這い寄る帝国の魔の手によって完全に塞がれようとしていた。

 

膝の高さまで積もった新雪に足を取られ、レヴィンの呼吸が再び浅く、不規則な摩擦音を立て始める。シルヴィアは二つの小さな命――ぐずり始めている幼子のリーンと、その後に生を受けた首も満足にすわっていない赤子のコープル――を片方を背中に背負い、片方を分厚いマントの奥深くに抱き抱え、凍える指でレヴィンの腰のベルトにしがみつくようにして歩みを進めていたが、彼女の華奢な足取りもとうに限界を迎えていた。

 

(ここまでか……。いや、まだだ。俺がここで倒れれば、こいつらが……)

 

薄れゆく意識を、焼けた内臓の痛覚で無理やり繋ぎ止め、レヴィンが再び『フォルセティ』の魔力を命を削って引き出そうとした、その時。

猛吹雪の頭上から、空気を鋭く叩き切るような羽ばたきの音が響いた。

 

「レヴィン様……! シルヴィア!」

 

白い雪煙を激しく巻き上げて舞い降りたのは、シレジアの誇る天馬騎士、フュリーだった。

だが、その姿は普段の凛としたものとは程遠かった。愛馬マーニャの純白の羽には痛々しい赤黒い血の跡がこびりつき、フュリー自身の甲冑も至る所に焼け焦げた痕や刃こぼれがある。

そして何より――彼女は天馬から降り立った瞬間、無意識に自らの腹部を庇うように押さえていた。その平坦だったはずの腹部は、厚い防寒具越しにも僅かに膨らみ始めているのがわかる。彼女の胎内には、エッダの血を引く双子の命(セティとフィー)が確かに息づいていた。

 

「フュリー……! お前、城の防衛は……その体で、何でここまで!」

 

「王妃様より、絶対の命を受けました。何があってもレヴィン様と、次代のお子様たちを逃がせ、と……! さあ、急いで天馬に――」

 

身重の体で死線を潜り抜けてきたフュリーは、気丈に振る舞いながらも、その瞳の奥には今にも崩れ落ちそうなほどの絶望と極度の疲労が泥のように渦巻いていた。彼女の焦点の合わない視線が、レヴィンの背後、足跡の続く吹雪の向こう側を無意識に探しているのを、レヴィンは見逃さなかった。

彼女が探しているのは、シレジアの王族ではない。彼女が全身全霊で愛したただ一人の男、エッダの司祭クロードの姿だ。

 

レヴィンは奥歯を噛み締め、鉄の味がする肺から空気を絞り出した。残酷な事実を、少しでも早く突きつけるために。

 

「……フュリー。クロードは、いない」

 

「え……?」

 

「バーハラで、あの男は……俺たちを逃がすために、自分の命をすり潰して『リザーブ』の杖を振った。俺が今生きてお前の前に立っているのは、あいつの命の残り火だ。……すまねえ」

 

雪が、音もなく降り積もる。

フュリーの顔から、一瞬にして全ての感情と血の気が抜け落ちた。ピンと張り詰めていた背筋の糸がぷつりと切れ、手から手綱が滑り落ちる。シレジア騎士としての矜持と、一人の女としての巨大な喪失感が、彼女の胸の奥で凄まじい軋みを上げた。

 

「クロード、様が……。嘘です、あの方は、神の加護が……私に、必ず生きて帰って、この子を抱くと……っ」

 

膝から雪に崩れ落ちそうになったフュリーの肩を、レヴィンが力強く掴んだ。内臓の痛みに顔を歪めながらも、その手には絶対的な『生』への執力が込められていた。

 

「泣くのは後だ! お前が今ここで死んだら、あいつの命がけの祈りはどうなる! クロードがお前に託したのは、一緒に死ぬことじゃない……その腹の中の命を、未来へ繋ぐことだろ!」

 

「……っ!」

 

「生きろ、フュリー。俺たちと一緒に泥水をすすってでも……その子を産んで、育て抜くんだ。それが、あいつの最期を見届けた俺からの、王としての絶対の命令だ」

 

フュリーの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ落ちた。彼女は手袋越しに顔を覆い、たった一度だけ、獣のように悲痛な嗚咽を雪原に響かせた。だが、すぐに顔を上げ、自らの腹部を強く抱きしめながら、血の滲むような決意と共に深く頷いた。

 

「……はいッ! この命に代えても、必ずや……!」

 

「待たせたな、お姫様方! 泣き言は国境を越えてからにしな!」

 

そこへ、雪溜まりの死角からデューが音もなく現れた。その手には、帝国の斥候から奪い取った血濡れの短剣が握られており、背中には泣き疲れている幼子の息子(ファバル)と赤子の娘(パティ)が背負い込まれている。雪原には彼が始末したであろう重装兵の死体が幾つも転がっている。

 

「東の谷沿いの見張りを三つ、永遠に眠らせてきた。猛吹雪で魔力探知も鈍ってる。今ならこの網の目を抜けられるぜ!」

 

「でかした、デュー。行くぞ!」

 

天馬の背にシルヴィアと二人の赤子と二人の幼子を乗せ、身重のフュリーが手綱を引く。レヴィンはデューに肩を貸されながら、シレジアの冷たい雪原を、文字通り血を吐くような思いで進んだ。

帝国の追手が放つ松明の灯りが吹雪の向こうで揺れるたび、デューが暗闇に紛れて死の舞踏を演じ、無音で血路を開く。極限の緊張感と凍える寒さの中、彼らは何度全滅の危機に瀕したか分からない。

それでも、彼らは止まらなかった。腹の中に宿る命と、託された願いの重さだけが、彼らの足を前に進ませていた。

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