異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第40話

ターラを包囲していたケンプフ軍を粉砕し、焦土となった市街で泥まみれの再会を果たしたリーフたち。

コープルという無自覚な『光』を中心に、リノアン、マリータ、タニアたちの重く狂おしい情念が静かに火花を散らす中、アウグストの平坦な声が歓喜の余韻を無慈悲に断ち切った。

 

「……あの空の様子。どうやら『厄介な客』が、我々の勝利の臭いを嗅ぎつけてきたようですな」

 

リーフがハッとして西の空を見上げる。

夜明けの光を遮るように、上空の分厚い雲を突き破って現れたのは、巨大な黒い影の群れであった。

 

「……飛竜の大群! トラキア軍の竜騎士団です!!」

 

絶叫する伝令の声すら掻き消すような、無数の竜の羽ばたき。

それは逃げ遅れたフリージ軍の残党すらも威圧するように上空を旋回し、やがて一頭のひときわ巨大な黒竜が、リーフたちの陣取る広場へと重々しい風圧を巻き起こしながら降り立った。

 

竜の背から悠然と降り立ったのは、黄金の鎧に身を包んだ威風堂々たる偉丈夫――トラキア王国の王太子、アリオーンであった。

その右手には、数多の戦場を潜り抜けてきた、黒鉄(くろがね)の重槍が握られている。。

 

「……レンスターの王子、リーフよ。よくぞフリージの包囲網を独力で退けた。その将器、ダインの血を引く者として見事と褒めておこう」

 

アリオーンの声は深く、戦場に響き渡るような絶対的な覇気を帯びていた。彼がそこに立っているだけで、数千の兵力差を覆されたような重圧が解放軍の将兵の肩にのしかかる。

 

「アリオーン王子……。僕たちを、討ち取りに来たのか」

 

リーフは光の剣を構え直し、総毛立つような恐怖と重圧に耐えながら彼を睨み据えた。

 

「フリージの小役人(ケンプフ)からは、ターラを火の海にして反乱軍指導者達の首を差し出せと『指図』を受けている」

 

アリオーンは静かに目を伏せ、廃墟となりつつあるターラの街並みを見渡した。

 

「……だが、私はフリージの道化の音楽に合わせて踊るつもりはない。あのような下劣な輩に、トラキアの大地を好き勝手にさせるのは我が誇りが許さぬ。それに、私はターラの市民に同情している。これ以上、無辜の民の血を流すことは私の本意ではない」

 

「なら……!」

 

「武器を置き、このターラをトラキア軍に明け渡せ、リーフ」

 

アリオーンの言葉は、戦士としての挑戦状ではなく、冷徹な『政治的宣告』であった。

 

「私がこの街をトラキアの『直轄領』として占領すれば、フリージ軍もおいそれと手は出せない。帝国の狂気である『子供狩り』からも、市民を完全に保護すると約束しよう。……その代わり、君たち解放軍はこの地を立ち去れ。これは降伏勧告ではない、トラキアの民を救うための『取引』だ」

 

「ターラを、明け渡せだと……?」

 

リーフは奥歯を噛み締め、ギリッと血を滲ませた。

ミランダを見捨ててまで、幾重もの地獄の包囲網を食い破って駆けつけたこの街を。血反吐を吐いて勝ち取ったばかりのこの勝利を、戦わずして放棄しろというのか。

 

「リーフ様、アリオーン王子の提案に乗るべきです」

 

進み出たのは、軍師アウグストであった。

 

「今、ここで完全武装のトラキアの竜騎士団と干戈を交えれば、疲労の極致にある我々は全滅し、ターラは灰燼に帰す。……市民の命が保証されるのであれば、城という『石の塊』に固執する理由はありません。実を取り、名を捨てるのです」

 

「……ドリアス。あなたも、同じ意見か」

 

「……痛恨の極みにございます」

 

老騎士ドリアスは、血のにじむような声で首を縦に振った。

 

「我々の真の目的は、北の祖国・レンスターの奪還。ここで玉砕することは、北で待つレンスターの民を見捨てることと同義。……リーフ様、ここは泥水をすすってでも、屈辱に耐えて生き延びねばなりませぬ」

 

リーフの持つ光の剣が、小刻みに震えていた。

ミランダを暗黒の森に置き去りにし、今度は血を流して守り抜いたターラの人々を、敵国の支配下に置いて逃げ出さなければならない。

 

自分はどれだけ無力で、どれだけのものを切り捨て、泥を啜れば王になれるのか。少年の心は、自らの『業』の重さに完全に押し潰されそうになっていた。

 

その時。

泥と他人の血で汚れきったリーフの手を、両手でそっと、だがひどく強い力で包み込んだ者がいた。

ナンナだった。

 

「……泣かないでください、リーフ様」

 

彼女の瞳には、同情も、憐れみもなかった。ただ、地獄の底を共に歩むことを決めた者特有の、深く暗い、悲壮的なまでの決意と献身が宿っていた。

 

「あなたがターラを手放すという泥も、見捨てたミランダ様の血も、民からの恨み言も……すべて、私が共に被ります。だから、あなたは生きて。生きて、いつか必ず全てを取り戻す『王』になってください」

 

 

「……わかった。アリオーン王子の提案を呑む」

 

リーフは顔を上げ、絞り出すように言った。

 

「ターラは明け渡す。だが、徹底抗戦を望み、帝国への反逆を誓う市民や、共に戦ってくれた者たちの同行と、レンスターへ向かうための『物資の補給』は見逃してもらう」

 

「構わん。フリージの目を誤魔化すための時間は、私が稼ごう」

 

アリオーンはグングニルを下ろし、リーフという少年の背負った泥まみれの覚悟に、微かな敬意を込めて頷いた。

 

かくして、数万の血を流した『ターラ攻防戦』は、歓喜の勝利ではなく、「解放軍の屈辱的な戦略的撤退」という形で幕を下ろした。

アリオーンの暗黙の庇護のもと、十分な物資と、帝国への反逆を誓う数百の避難民を連れ、リーフたちは一路、北の祖国レンスターへの険しい行軍を開始する。

 

ターラを救うためにミランダを見捨て、そのターラをも手放した少年王の瞳には、かつての無邪気さは一片も残されていない。

 

だが、地獄は終わらない。

アリオーンの独断専行によるターラ占領に激怒した帝国軍は、北へ逃れるリーフたちを完全に殲滅すべく、最強の刺客を放っていた。

 

彼らの行く手には、残虐このうえないロプトの僧兵団と、飢えのために悪魔に魂を売った『シレジアの天馬騎士団』が、冷たい空を舞いながら待ち受けていたのである。

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