異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

44 / 46
第44話

レンスターの南方に広がる荒涼とした平野部。 アルスター城から逃れてきた数百の市民たちは、恐怖と疲労で泥濘に足をとられながら、北を目指して這うように進んでいた。その後方からは、反乱分子を皆殺しにすべく、フリージ軍の追討部隊が砂埃を上げて迫っている。

 

「ひぃぃっ! 追いつかれる!」

「誰か、助けてくれ……!」

 

逃げ惑う市民の背中に帝国の凶刃が振り下ろされようとしたその瞬間、鋭い風の刃と、一陣の剣閃が追討部隊の先頭を薙ぎ払った。

 

「下がりなさい! ここは私が引き受けます!」

 

ターラの領主であった少女・リノアンが、光の魔法(オーラ)を展開して市民たちを庇う。 その前衛では、剣聖の血を引く少女・マリータが、一切の無駄を省いた神速の剣技で帝国の重装騎士の鎧の隙間を的確に貫き、紫竜山の猟師であるタニアが、後方の魔道士たちを容赦なく射抜いていく。

 

「急いで! 止まると的になるわよ!」

 

タニアが怒鳴り、マリータが血振るいをして次の敵を見据える。彼女たちの瞳には、強大な帝国への恐怖はない。過酷な戦場において己の存在価値(強さ)を証明し、ひたすらに泥と血を浴びて死線を潜り抜けてきた刃の冷徹さがあった。

 

そこへ、リーフ率いる解放軍の本隊が雪崩れ込み、帝国軍の追討部隊を完全に粉砕した。

 

「……追撃部隊は片付いた。みんな、もう大丈夫だ」

 

血に濡れた光の剣を収め、リーフが息を切らしながら市民たちに歩み寄る。

 

「僕はレンスターのリーフだ。君たちを保護し、レンスター城へ案内する」

 

その名を聞いた瞬間。 安堵に泣き崩れるかと思われた市民たちの間に、異様なほどの重く、刺々しい沈黙が落ちた。 やがて、血まみれの服を着た初老の男が、泥だらけの地面から立ち上がり、憎悪に満ちた目でリーフを睨みつけた。

 

「……リーフ王子、だと? 解放軍だと?」

 

男の声は、絶望と怒りでひび割れていた。

 

「ふざけるなッ!我々アルスターの民が、帝国に対して決死の反乱を起こした時、お前たちはどこにいた!! 我々がどれだけ援軍を乞うても、お前たちは動かなかったじゃないか!」

「そうだ! お前たちが見捨てたせいで、我々の家族は殺され、地獄のような拷問や略奪を味わわされたんだぞ!」

 

次々と上がる市民たちの怨嗟の声。 投げつけられた泥の塊がリーフの頬を打ち、赤い跡を残す。

 

「……っ」

 

マリータが反射的に剣の柄に手をかけようとしたが、リーフがそれを無言の手で制した。 リーフは、飛び交う罵声と泥を一切避けようとはしなかった。彼らが放つ憎悪は、国を奪われ、守るべきものを守れなかった自分自身の『罪』そのものだったからだ。

 

「リーフ様を、責めないで……!」

 

たまらず進み出たのは、ミランダであった。

 

「先日の蜂起の失敗は……無謀にも立ち上がった方々に『必ず援軍が来る』と確かなき支援を約束し、死なせてしまった……私、ミランダの責任です!」

「ミランダ王女……! 王女こそ、なぜ彼らを庇うのです! 我々が流した血は、いったい何だったというのですか!」

 

市民たちの悲痛な叫びに、ミランダの言葉が詰まる。彼女自身、彼らと全く同じ恨みをリーフに抱いていたのだ。 理不尽に国を奪われた者の怒りは、正論などでは決して消えない。

 

「……彼を罵りたくなる気持ちは分かります。ですが、公平ではありません」

 

冷たい雨を切り裂くように、シレジアの王子セティが進み出た。

 

「リーフ王子は、君たちを救うために自軍の兵站を限界まで削り、敵の精鋭が迫る中を強行軍で駆けつけてきたのも事実です。……彼が背負う過去の罪がどれほど重くとも、今、あなたたちの命を繋ぎ止めた彼が流した血の重さを、無かったことにはできません」

 

理路整然としたセティの糾弾に、市民たちがたじろぐ。 そこへ、負傷した市民の傷を癒やしていた幼き神父・コープルが、静かに立ち上がった。 ブラギの血を引く彼の纏うオーラは、凄惨な戦場にあってなお、犯しがたい神聖な重みを持っていた。

 

「……誰も、皆さんの怒りを間違っているとは言いません。でも、どうか見てください」

 

コープルは、泥と他人の血に塗れ、ただ黙って石を投げられ続けているリーフの姿を指した。

 

「彼は、あなたたちの恨みも、絶望も、すべて自分の血肉として背負おうとしている。……それが王になる者の呪いなら、どうか今は、彼にその呪いを背負わせたまま、生き延びるために彼の手を取ってあげてください」

 

その静かで深みのある声に、市民たちの怒号が徐々に鳴りを潜めていく。 完全に納得したわけではない。だが、目の前の少年王が、自分たちと同じように地獄の泥水の中を這いずり回っている事実だけは、彼らの目にも痛いほど伝わっていた。

 

「……申し訳ありません、リーフ王子。私の民が、あのような……」

 

ミランダが、唇を噛み締めながらリーフの傍らに寄り添う。

 

「謝らないでくれ、ミランダ。彼らの怒りは正当だ。……僕が、必ずアルスターを取り戻す。それまで、どうか耐えてほしい」

 

リーフは泥を拭いもせず、ただ真っ直ぐに彼女の目を見て誓った。

 

「……はい。あなたに、どこまでもついて行きます」

 

ミランダの瞳には、かつての恨みは完全に消え去り、自らの民の業すらも背負ってくれるリーフへの、退路のない絶対的な依存と愛着だけが焼き付いていた。 その光景を、軍の最後尾から冷徹な眼差しで見つめている者たちがいた。

 

「……愚かなほどに泥を被る。だが、あの理不尽なまでの怨嗟を受け止める背中こそが、流民どもを繋ぎ止める『鎖』となる」

 

氷のように冷たい声で、アウグストが呟く。

 

(綺麗事だけではトラキアは統治できん。あの憎悪の石礫は、王子にとって必要な『帝王学』の一つに過ぎない)

 

そして、アウグストのさらに後方。 リーフの斜め後ろに立つナンナは、彼に投げつけられた泥の跡を、暗く、熱を帯びた瞳で見つめていた。

 

(リーフ様。世界中の誰もがあなたを理不尽に恨み、あなたに泥を投げつけるなら……私は、そのすべての人々を呪いましょう)

 

怨嗟と泥に塗れた市民たちを護衛しながら、リーフ軍は重い足取りでレンスター城へと帰還する。 だが、その城もまた、すでにコノートの帝国軍から大規模な反攻作戦の標的とされていた。 トラキア半島の覇権を懸けた血みどろの防衛戦が、いよいよ始まろうとしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。