異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

5 / 19
第5話

シレジア国境を越え、広大な荒野に差し掛かったある夜。

猛吹雪を抜けたレヴィン一行は、吹きさらしの風を凌ぐため、中立を標榜する傭兵団の野営地に頼らざるを得なかった。

 

過酷な雪中行軍は、ただでさえ傷ついたレヴィンの体力を削り、四つの幼い命の世話をしているシルヴィアに高熱をもたらしていた。そして何より、身重のフュリーの体をこれ以上冷やすわけにはいかなかった。

 

「……宿代と飯代の代わりに、ウチの若い衆の前で一踊りしてもらうぜ。それなら火の側も毛布も貸してやる」

 

野営地の顔役である粗野な傭兵の要求に、フードを目深に被ったレヴィンは奥歯を噛み締めた。デューが懐の短剣に手を掛けようとするのを制止し、交渉を続けようとした矢先だった。

 

「私がやります。シレジア騎士として、どのような苦役にも耐えてみせます」

 

少しお腹の膨らみが目立ち始めたフュリーが、毅然と前に出たのだ。

高熱でうなされるシルヴィアに代わり、彼女は薄布を繋ぎ合わせたような、露出の激しい踊り子の衣装に身を包んだ。

 

「ひゅーっ! いい脚してんじゃねえか、姉ちゃん! もっとこっち来て見せろよ!」

「ほら、おひねりだ! 胸の谷間にねじ込んでやるからしゃがめよ!」

 

野営地の焚き火を囲む荒くれ者たちの歓声。吐き気を催すような安酒と汗の入り混じった臭気。

誇り高き天馬騎士として常に甲冑で肌を隠してきた彼女にとって、それは鎧を剥ぎ取られ、裸で飢えた獣たちの前に放り出されるに等しい物理的な苦痛だった。

 

「なんだよ、動きが硬えな! 愛想笑いの一つもできねえのか!」

 

酔っ払いたちのねっとりとした視線が、フュリーの白い太腿や、慣れない露出に震える腹部を舐め回す。投げつけられた銅貨が冷えた素肌を打ち、卑猥な言葉が耳を打つたび、彼女の足元はもつれ、ステップは乱れた。

無意識に、お腹の子供を庇うように両手が重なる。自分がただの「消費される肉」として扱われる感覚に、胃液がせり上がってくる。張り付いたような笑顔の裏で、彼女はただひたすらに耐え続けた。

 

……夜更け。

喧騒が去り、静まり返った野営地の粗末な天幕の中。

フュリーは薄暗いランプの光の下、踊り子の薄い衣装を強く握りしめたまま、膝を抱えていた。声を出さずに、ただただ涙がこぼれ落ちる。

天幕の奥では、4つの小さな命が、身を寄せ合うようにして安らかな寝息を立てている。その無垢な寝顔と、自らのお腹の重みを感じるたびに、男たちの視線に晒された今日の肌の悪寒がフラッシュバックする。

 

そこへ、熱が下がり、少し顔色の良くなったシルヴィアが、ふわりとした大判のショールを持って近づいてきた。彼女はフュリーの隣に腰を下ろすと、冷え切って震えるその華奢な肩を、温かいショールでそっと包み込んだ。

 

「……シルヴィア、さん……申し訳、ありません。私、上手く踊れなくて……」

 

フュリーが顔を覆い、絞り出すように謝罪する。

 

「私……ずっと、あなたのことが羨ましかったんです。無邪気で、明るくて……レヴィン様のおそばで、いつも男の人たちを魅了して、楽しそうに舞っていて……。私も、あなたのように器用に、誰かの心を惹きつけられるような女になれれば……もっと、違う生き方があったのではないかと……」

 

それは、不器用な女の痛切な本音だった。

 

だが、シルヴィアはフュリーを揶揄うことも、哀れむこともしなかった。

彼女は自分の細い腕で、ショール越しにフュリーの身体をぎゅっと抱きしめた。シルヴィアの甘い香油の匂いと、微かに混じる汗の匂いが、フュリーの強張った神経を解きほぐしていく。

 

「……怖かったでしょ、フュリー」

 

シルヴィアの静かな声に、フュリーは顔を上げた。

 

「男たちの目。値踏みするようなねっとりとした手。卑猥な言葉。……舞台の上ってね、本当はすごく怖くて、冷たい場所なんだよ。あたしも、最初は毎日泣いてた。自分がただの肉の塊みたいに思えて、惨めで、吐き気がして」

「シルヴィア……」

「でもね、あたしにはこれしかなかったから。愛想笑いをして、身体を売るみたいに踊らなきゃ、生きていけなかったから。……だから、今日、身重の体であたしたちのためにあそこに立ってくれたフュリーのこと、あたしは世界で一番カッコいい、強いお母さんだと思ったよ。本当に、ありがとう」

 

シルヴィアの底知れぬ優しさと重い言葉に、フュリーの心の中で固まっていた氷が、ゆっくりと溶け出していった。

その計り知れない強さと、女としての深い痛みに触れ、フュリーは初めて、シルヴィアの胸の中で声を上げて泣き崩れた。シルヴィアは自分のお腹を痛めて産んだ子をあやすように、フュリーの背中を優しく撫で続けた。

 

「……悪かったな、二人とも」

 

入り口の幕を少しだけ開け、レヴィンが静かに頭を下げていた。

 

「王だなんだと偉そうなことを言っておいて、結局俺は、お前たちをこんな泥沼に引き摺り込んでる。俺がもっと、うまくやれていれば……すまねえ」

 

「レヴィン様、どうか頭をお上げください。これは、私が……私たちが、生きて未来を繋ぐために自ら望んだことです」

 

フュリーが涙を拭い、自らの膨らみ始めたお腹を愛おしげに撫でながら、毅然として答える。その目には、騎士としての誇りとは違う、泥水をすすってでも生き抜く一人の母としての逞しい光が宿り始めていた。

 

「それに……」と、シルヴィアが静かに、しかし力強く言った。

 

「あたしたち、これで本当の『家族』になれた気がする。……フュリー、明日からはあたしが、客の視線をいなして、上手く立ち回る『腰の振り方』をみっちり教えてあげる」

 

それは冗談でもギャグでもない。これから先、泥に塗れた逃亡生活の中で、女が武器を持たずに生き延びるための『生存術』の継承であった。

 

「……はい。ご指導、お願いします」

 

フュリーは、その泥臭い優しさに戸惑いながらも、真面目に、そして確かに氷が溶けたように微かに微笑んだ。

その凄絶で美しい女たちの連帯を前に、レヴィンは限界まで張り詰めていた表情を、疲労と共に静かに緩めた。

外ではデューが見張りに立ち、冷たい風の中、彼らの新しい絆を黙して見守っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。