異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第50話

レンスター城の防衛線が、ついに物理的な限界を迎えようとしていたその時。 絶望に覆われていた南東の平野部から、地鳴りのような馬蹄の音が響き渡った。

 

「……側面より、別働隊! 突撃!!」

 

アレスの魔剣とシャナンの神剣が敵の重装甲を紙切れのように引き裂き、セリス率いる騎馬隊がフリージ軍の背後を完全に蹂躙する。

 

「セリス様が……解放軍が、来てくれたぞ!!」

 

城壁の上で、絶望の淵にあったリーフ軍の兵士たちが歓喜の声を上げる。 アゼルたち別働隊によって魔道三姉妹の脅威を取り除かれ、メルゲンから最短ルートを駆け抜けてきたセリス軍の猛攻により、フリージの包囲陣は完全に分断され、統制を失って東のコノート方面へと敗走していった。

 

レンスターの絶望的な籠城戦は、北の英雄たちの到着によって劇的な幕を下ろした。

 

***

 

冷たい雨が上がる頃。 死体と泥に塗れたレンスター城の中庭で、二人の若き指導者はついに邂逅を果たした。

 

城の正門が重々しい音を立てて開かれる。 出迎えたリーフの姿を見た瞬間、馬から降り立ったセリスは息を呑んだ。

 

シャナンやオイフェ、歴戦の勇士たちを従え、聖なる光を纏うかのように輝かしいセリス軍の威容。 対するリーフの軍は、全員が極度の飢餓で頬がこけ、甲冑は敵の返り血と泥で本来の紋章すら見えない「亡霊」のような有様であった。

 

「……セリス、様」

 

リーフは泥に塗れた手で光の剣を地に突き立て、膝をつこうとした。

 

「……不甲斐ない姿を見せてしまった。僕がもっと……力のある王であったなら、ここまで味方に血を流させることはなかったはずだ」

 

リーフが自嘲気味に顔を伏せようとした、その時。

 

セリスは無言のまま泥だらけの地面に膝をつき、リーフの肩を、力強く、そして優しく掴んで引き止めた。

 

「……セリス様!?」

「謝らないでください、リーフ王子」

 

セリスの瞳に、哀れみや同情は一切なかった。そこにあったのは、凄惨な地獄を一人で耐え抜いた者に対する、底知れぬ敬意と、彼自身が抱える『業』の暗い影であった。

 

「補給もない状態で、これだけの市民を抱え、フリージの大軍から城を死守し抜く……。そんな狂気じみた地獄、わたしの軍であっても耐えられたかわからない。あなたは、自分の魂を削って彼らの命を繋ぎ止めたのです。……あなたは立派な、トラキアの王だ」

 

イシュトーを絶望に追いやり、電撃戦で数多の兵を丸焦げにしてきたセリスだからこそ、リーフがどれほどの泥を啜ってここまできたのかが痛いほど理解できた。 泥に塗れた少年王と、血塗られた光の皇子。二人は互いの背負う呪いの重さを感じ取り、静かに、だが決して離れない強さで手を握り合った。

 

***

 

数時間後、軍議の間。

 

「感動の再会に水を差すようで恐縮ですが、状況は最悪の一歩手前です」

 

アウグストが、冷徹な声で広げられた地図を指した。

 

「我が軍がレンスターを落としたことで、東のコノート城で息を潜めていたブルーム本隊が、全軍を挙げてここへ進軍を開始するはず。さらに南のアルスターにも、再編された帝国軍が駐留している。……二方面からの同時攻撃を受ければ、この城は今度こそ落ちます」

 

「軍を、二つに分けるしかありませんね」

 

オイフェが、アウグストの言葉を引き継ぐように盤面を見据えた。

 

「我々セリス本隊が、このレンスター城に駐留し、コノートからのブルーム軍を完全に食い止める『盾』となります。その間に、リーフ王子の軍が南下し、アルスター城を急襲して落とす」

 

本来であれば、疲弊しきったリーフ軍を城で休ませ、無傷のセリス軍がアルスターへ向かうのが軍事の定石である。だが、リーフは一切の躊躇なく首を縦に振った。

 

「……アルスターは、僕たちで落とす。あの国の民には、僕が先頭に立つと約束したんだ」

 

その言葉は、軍略を無視したリーフの『エゴ(業)』であった。 だが、リーフの背後に控えるミランダは、その言葉を聞いた瞬間、息が止まるほどの強烈な歓喜と情念に全身を貫かれていた。

 

(ああ……この方は、どこまでも泥を被って、私と私の民のための『剣』となってくださる……!)

 

自分を救うために破滅の道を往こうとする少年王の背中を見つめ、ミランダの彼に対する依存は、もはや己の命すら躊躇いなく投げ出せる狂信の域へと達していた。

 

「……リーフ王子。我が軍からも、数名の戦力を貴軍に合流させましょう」

 

セリスの提案により、両軍は決戦に向けて戦力の再編とわずかな休息に入った。

 

同じ頃、城内の野戦病院。

 

「コープル……! コープル、しっかりして!」

 

過度な杖の酷使によって昏倒したコープルを、リノアンが血の気を失った顔で抱きしめていた。その傍らでは、マリータが己の無力さに唇から血が出るほど噛み締め、タニアが震える手で彼の冷たい額を拭っている。

 

そこへ、静かな足音と共に、二つの人影が現れた。 セリスの導き手たるレヴィンと、透き通るような神気を纏った少女、ユリアである。

 

「……父、さん……?」

 

薄れゆく意識の中で、コープルが微かに目を開ける。 レヴィンは、死にかけている実の息子を見下ろしながら、表情には一切の動揺を出さなかった。だが、その冷徹な仮面の奥で、誰よりも安堵に息を吐き出していた。

 

「……無茶ばかりしやがって。少しは頭を使って生き延びる術を覚えろ、馬鹿息子が」

 

突き放したような言葉とは裏腹に、その響きには確かに父親としての不器用な情が滲んでいた。

 

そして、レヴィンの背後から、清らかな光を纏う少女が静かに歩み出てきた。 聖者の血を引く少女、ユリアである。

 

「コープル……あなた、命を削りすぎているわ。私の杖で……」

 

ユリアが、深い慈愛と、かつて旅を共にした者としての親愛を込めて、癒やしの杖を掲げようとした。

 

――その瞬間。 天幕の中の空気が、呼吸もできないほどの重く冷たい『殺気』によって完全に凍りついた。

 

「…………」

 

コープルの寝台を囲むように立っていた三人の少女――マリータ、リノアン、タニアの瞳から、一切の感情が消え失せていた。

 

彼女たちは、ユリアという圧倒的な「神聖なる光」を前に、本能的な恐怖と、己の生存領域を侵されることへの強烈な『危機感』を抱いていた。 激しい防衛戦の中、自分たちが血と泥に塗れて、この少年の命を必死に繋ぎ止めてきたのだ。彼が倒れそうな時、魔力を分け与え、敵を切り刻んで守り抜いてきたのは自分たちだ。 それなのに、この穢れを知らない光の少女が、その圧倒的な力で彼を癒やし、彼の心の一番深い場所を奪っていってしまったら。

 

自分たちは、何のために血を流したのか。自分たちの『居場所』は、どこへ消えてしまうのか。

 

「……ユリア様」

 

ターラの領主であったリノアンが、極めて丁寧な、しかし絶対零度の声で静かに進み出た。

 

「お心遣い、感謝いたします。ですが……コープル様の治療は、私たちが既に行っております。彼の命は、私たちが……『私が』、責任を持ってお守りいたします」

 

マリータは何も言わず、ただ柄に手を置いた剣の切先を、わずかにユリアの足元へと向けていた。タニアもまた、折れた弓を強く握り締め、ユリアの放つ光からコープルを隠すようにその前に立ちはだかる。

 

「え……?」 ユリアは、三人の少女から放たれる射抜くような威圧感に、戸惑うように足を止めた。ユリアには悪意など欠片もない。だが、だからこそ、血と泥の中で「彼を独占すること」に狂信的な意味を見出している彼女たちにとって、ユリアの無垢な光は最大の脅威であった。

 

「……リノアン、みんな……大丈夫だよ」

 

コープルが、ひどく疲れた顔で苦笑しながら、三人の少女の服の裾をそっと引いた。

 

「ユリアも、ありがとう。……でも、もう少しだけ、彼女たちの手当てを受けさせてほしいんだ」

 

その言葉を聞いた瞬間、マリータたちの張り詰めていた肩の力が、ほんのわずかに抜けた。 コープルが自分たちを『選んでくれた』。その事実だけが、今の彼女たちの乾ききった魂を潤す、唯一の免罪符だった。

 

過酷な再会と、静かに煮詰まる情念の牽制。 トラキア半島の覇権を懸けた戦いは、セリス軍とリーフ軍という二つの刃によって、いよいよ帝国の中枢(コノートとアルスター)へと迫ろうとしていた。

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