異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第51話

東の巨大城塞、コノート。 フリージ家がトラキア半島の統治拠点とするこの城の広間は、今やかつての栄華を失い、陰惨な重圧に包まれていた。

 

「……メルゲンが落ちただと!? リンダの魔法騎士団も全滅したというのか!!」

 

北トラキア王にしてフリージ軍の総司令官、ブルームの怒号が石造りの広間に響き渡る。 その足元で、泥に塗れた将軍ケンプフが、ガタガタと震えながら平伏していた。

 

「も、申し訳ございません、ブルーム様! 奴ら、地形を利用して悪魔のような雷撃を……! こ、このケンプフの策が破れたわけではなく、天候が……っ!」

 

「黙れッ!!」

 

ブルームの蹴りがケンプフの顔面を打ち据え、彼は無様に床を転がった。

 

「ターラの鎮圧に失敗し、メルゲンを陥落させ、あまつさえセリス軍のレンスター入城すら許した! お前が『天才的な策』とやらを講じるたびに、我がフリージの将兵が犬死にしているのが分からんのか! ラインハルトの半分でも将器があれば……!」

 

『ラインハルト』。 その名を聞いた瞬間、床に這いつくばるケンプフの瞳の奥に、血走ったような醜悪な劣等感と憎悪が渦巻いた。

 

(あの男はもう左遷されたはずだ! なのに、なぜ誰もが俺をあの男と比べる! 俺の方が優秀だ、俺の方が……天才なのだ!)

 

「……ククク。ブルーム王も、部下の人選には苦労なさっているようだ」

 

その時、広間の暗がりから、カサカサと乾いた笑い声が響いた。 漆黒のローブに身を包み、この世のすべての悪意を煮詰めたような気配を纏う男。ロプト教団の司教にして、トラキア半島を暗躍する影の支配者・ベルドである。

 

「ベルド……! 貴様ら教団の『子供狩り』のせいで、民の反乱が激化しているのだぞ! これ以上、我が軍の指揮に口出しするな!」

 

ブルームは怒りを露わにするが、ベルドは意に介さない。

 

「おやおや、教団の力がなければ、とっくにこの半島は崩壊しておりますよ。……そこのケンプフ将軍。汚名を返上したくば、私が『良い策』を授けましょう」

 

ベルドの蛇のような目が、ケンプフを射抜く。

 

「レンスターに駐留するセリス軍。彼らは強大ですが、所詮は『正義』を名乗る子供の集まり。……民間人の犠牲を極端に嫌う。将軍の部隊でレンスターの防衛線を突き、周辺の村ごと焼き払ってしまえば、奴らは必ず陣形を崩して罠にかかる」

 

それは、軍の規律も誇りも何もない、ただの無差別虐殺の提案であった。 ブルームが顔色を変えて止めようとしたが、極度の恐怖と劣等感で正気を失っていたケンプフは、狂ったように顔を上げた。

 

「そ、それだ! 民衆ごと火の海にして、セリスを誘い出し、伏兵で一網打尽にする! 完璧だ、俺の天才的な頭脳とベルド司教の策が合わされば、セリスなど恐れるに足らん!!」

「狂ったかケンプフ! 我がフリージの軍を、名誉なき虐殺の駒にする気か!」

 

ブルームの制止を振り切り、ケンプフは狂笑を上げながら広間を飛び出していった。それを見送るベルドの口元には、卑劣な嘲笑が浮かんでいた。

 

一方その頃。 南のアルスター城を目指して泥濘の街道を進軍するリーフ軍の陣中。 兵糧の限界と疲労の中、リーフは馬上で重い目蓋を開け、前線を見据えていた。

 

「……随分と、重いものを背負っているのね。泥と、血と……たくさんの死んだ人の声で、あなたが潰れそうに見えるわ」

 

ふと、鈴を転がすような、場違いに無邪気な声が聞こえた。

 

「誰だ!」

 

護衛のフィンが即座に槍を構える。 リーフの馬のすぐ傍らに、いつの間にか一人の少女が立っていた。銀色の髪に、どこか現実離れした透明なオーラを纏う少女・サラであった。 周囲の兵士たちは誰一人として、彼女がどうやってこの厳重な警戒網を抜けてきたのか気づかなかった。

 

「……君は?」

 

リーフが光の剣に手をかけながら問う。

 

「私はサラ。……セリス様みたいにキラキラしてない、泥だらけのあなたの魂が面白くて、見に来たの」

 

サラは、リーフの疲労しきった顔を覗き込み、くすくすと笑った。

 

「……リーフ様から離れなさい」

 

冷たい声と共に、ナンナがリーフの前に立ちはだかった。その大地の剣の切先は、正確にサラの心臓を捉えている。 ミランダもまた、炎の魔法の熱を指先に灯し、獲物を威嚇する獣のような鋭い瞳でサラを睨みつけていた。

 

「どこの馬の骨とも知れない女が、気安くリーフ様に近づかないで。焼き殺すわよ」

 

二人の少女から放たれる、息が詰まるほどの強烈な敵意。 だが、サラは全く怯えることなく、むしろ楽しそうに首を傾げた。

 

「……あなたたちも、彼と同じ泥の匂いがする。……いいわ、私も混ぜて。あなたのその重い運命、私も一緒に遊んであげる」

 

ロプトの異端児の唐突な合流は、過酷な行軍に、さらなる混沌と予測不能な情念の火種を投げ込むこととなった。

 

そして、時は少し遡り、レンスター城外。

 

「撃て!! 村ごと反乱軍を火あぶりにしろ!!」

 

ケンプフの絶叫と共に、フリージの魔法部隊がレンスター郊外の集落へ無差別に炎(ファイアー)を放ち始めた。 燃え上がる村。逃げ惑う罪なき市民。それを助けようとセリス軍が城から出てきたところを、伏兵のアーマーナイトで包囲して殲滅する。それが、天才(と自称する男)の考えた起死回生の罠であった。

 

「……どうだ! これで光の皇子も終わりだ! 俺はラインハルトを超えたのだ!!」

 

高台でふんぞり返るケンプフ。 だが、彼が想定していた『セリス軍の混乱』は、一切起こらなかった。

 

「……愚直なまでに、下劣な策だ」

 

燃え盛る炎を切り裂いて、一陣の黒い暴風が吹き抜けた。 漆黒の甲冑に身を包んだ黒騎士アレスが、魔剣ミストルティンを片手に、たった一騎でケンプフの本陣へと突撃してきたのだ。

 

「な、なんだあの狂犬は!? なぜ本隊と連携せずに突っ込んでくる! 伏兵の部隊は何をしている! 迎撃しろ!」

 

ケンプフが慌てて指示を出すが、遅かった。

 

「伏兵? ああ、森に隠れていた奴らのことか」

 

アレスの背後から、神剣バルムンクを肩に担いだシャナンが、血の付いた刃を払いながら静かに現れる。ケンプフが絶対の自信を持っていた伏兵は、アレスとシャナンという規格外の武力によって、わずか数分で完全に解体されていた。

 

「ひ、ひぃぃっ!?」

「罪なき民を盾にし、炎で焼く。……それが貴様らの誇りか。虫唾が走る」

 

アレスの冷酷な瞳がケンプフを射抜く。 魔剣が空気を裂く音がした。ケンプフの護衛についていた重装騎士たちの首が、次々と宙を舞う。

 

「ば、馬鹿な! 俺の天才的な策が……! なぜだ、なぜ俺の前にこんな化け物どもが……!」

 

ケンプフは剣を放り出し、泥だらけになって逃げ出そうとした。

 

「そこまでだ、フリージの将軍」

 

退路を塞いだのは、銀の剣を静かに構えたセリスであった。

 

「民を無差別に焼くような軍隊を、僕は決して許さない」

 

セリスの瞳に宿る、圧倒的で絶対的な『正義の光』。それは、己の才覚と卑劣さだけで生き残ろうとしてきたケンプフにとって、最も直視できない眩しすぎる処刑の光であった。

 

「ま、待て! 命だけは……俺は天才なんだ、殺すのはもったいないぞ! 帝国に口利きをしてやるから……!」

 

惨めに命乞いをするケンプフ。 トラキアの覇権を握ると豪語した男の最期は、誰の宿敵にもなれないまま、ただの卑劣な悪党としての無様な懇願であった。

 

「……消えろ」

 

アレスのミストルティンが一閃。 ケンプフの首は、自分が命じて火を放った村の泥濘へと、呆気なく転がり落ちた。

 

セリス軍による圧倒的な制圧。 ケンプフの失態と無惨な死は、北トラキアの命運が完全に解放軍へと傾いた決定的な証左であった。 この知らせを受けたブルームが、どれほどの絶望を抱いて次なる決断を下すのか。戦局は、ついに最終局面へと突入しようとしていた。

 

 

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