異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第52話

ケンプフの討死、そして彼が率いていたフリージ軍主力部隊の完全な消滅。 その報せは、東の統治拠点『コノート城』の玉座に座るブルームに、決定的な絶望をもたらした。

 

「……終わった。イシュトーも、ライザも、そして北の防衛線も……すべてが、あの反乱軍の子供たちにすり潰されたというのか」

 

玉座にへたり込むブルームの顔には、かつて北トラキアを恐怖で支配した王としての威厳は欠片も残っていなかった。

 

「おや。天才将軍どのも、やはり所詮は小石の足掻きに過ぎませんでしたか」

 

広間の暗がりから、ロプト教団の司教ベルドが、薄ら笑いを浮かべながら歩み出てきた。

 

「無様なものですな、ブルーム王。強大な帝国軍が、たかが子供の集まりにここまでコケにされるとは」

 

「貴様ぁっ……! 誰のせいでこのトラキアがこれほどまでに荒れ狂ったと思っている!」

 

ブルームは血走った目でベルドを睨みつけ、腰の剣に手をかけた。

 

「貴様らロプト教団が、領民から無差別に子供を奪い、恨みを買ったからだ! その尻拭いをさせられ、戦力を削り落とされたのは我がフリージだぞ!!」

 

だが、ベルドは全く意に介さず、冷ややかな蛇の目でブルームを見下ろした。

 

「八つ当たりは見苦しいですよ、王よ。……もはや、フリージの軍事力は底を突いた。このコノート城が落ちるのも時間の問題でしょう。私は、南のマンスター城にいるレイドリックの元へ戻り、教団の防りを固めるとします。……せいぜい、帝国の盾として立派に時間稼ぎを果たしてください」

 

「待て! 貴様、私を見捨てる気か!!」

 

ブルームの制止も虚しく、ベルドの足元にワープの魔法陣が展開される。 漆黒の闇が司教の体を包み込み、次の瞬間、広間にはカサカサとした嘲笑の余韻だけを残して、教団の影は完全に消え去った。

 

「……おのれ。おのれぇぇぇっ!!」

 

ブルームの悲痛な咆哮が、虚しく広間に響き渡る。 帝国の中枢(ユリウス)からの支援はなく、ロプト教団にも切り捨てられた。頼みの綱であった有能な将ラインハルトは左遷され、トラキアから遠ざけられたままである。

 

(……我がフリージは、ここで終わるというのか)

 

ブルームは、力なく玉座に崩れ落ちた。 だが、彼の中には、下劣な権力欲に溺れたブラムセルやケンプフとは違う、グランベル帝国における名門・フリージ家当主としての『最後の意地』が燻っていた。

 

「……伝令を出せ」

 

ブルームは、泥を吐き出すような声で傍らの副官に命じた。

 

「南のアルスター城に駐留している守備隊、および周辺の全軍勢に対し、直ちに城を放棄し、このコノート城へ撤退するよう伝えよ。……全戦力をこの城に結集し、セリスの軍勢を迎え撃つ!」

 

かくして、フリージ軍のトラキア半島における支配領域は、最後の砦であるコノート城のみへと極限まで収縮していった。

 

その数日後。 泥濘の街道を南下し、悲願であった『アルスター城』へと辿り着いたリーフとミランダの前に広がっていたのは、予想だにしない光景であった。

 

「……もぬけの殻、ですな」

 

軍師アウグストが、開け放たれたアルスター城の正門を見上げて淡々と呟く。

 

「コノートのブルームが、戦力不足を悟って兵を退いたのでしょう。我々は、一滴の血も流さずにアルスターを奪還したことになります」

 

「アルスターが……解放された」

 

ミランダは、震える足で祖国の城門をくぐった。 だが、彼女の胸を満たしたのは、国を取り戻したという歓喜ではなく、ひどく冷たく、虚ろな感覚であった。 城は荒れ果て、かつて彼女を愛してくれた父(アルスター国王)の姿はどこにもない。ただ、帝国兵が略奪し尽くした後の、血の匂いと泥の跡だけが残されていた。

 

「……ミランダ」

 

背後から、リーフがそっと彼女の肩に触れた。

 

「僕の力が足りなかったばかりに、君の国をこんな姿にしてしまった。……本当に、すまない」

 

その言葉を聞いた瞬間、ミランダの瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。 彼女は振り返り、リーフの泥だらけの胸にすがりつくように顔を埋めた。

 

「謝らないで……。もう、いいんです、リーフ様」

 

ミランダの細い指が、リーフの背中の甲冑に強く、痛いほどに食い込む。

 

「城なんて、どうでもいい。……私にはもう、帰る場所なんてない。私が生きる理由は、私のためだけに地獄を歩いて、ここまで連れてきてくれた……あなただけなの」

 

国を取り戻しても、彼女の魂の穴が埋まることはなかった。否、むしろ「国」という目的を失ったことで、彼女のリーフに対する『退路のない依存』は、ついに完全なものとして完成してしまったのだ。

 

「……リーフ様。これで、トラキア北部の反帝国勢力は完全に一つに繋がりました」

 

その光景を背後から静かに見つめていたナンナが、穏やかな声で告げた。

 

「残るは、東のコノート城に引き籠ったブルームの軍勢のみ。……セリス様の軍と共に、終わらせましょう。私たちが背負った、この血と泥の清算を」

 

ナンナの瞳の奥には、ミランダがリーフに縋り付く姿を見ても、もはや一切の嫉妬は湧かなかった。

 

(ええ、お泣きなさい、ミランダ王女。でも、リーフ様が背負っている『本当の暗闇』は、私にしか共有できないのだから)

 

北のレンスター城から進軍を開始するセリス軍の本隊。 そして、南のアルスター城から北上するリーフ軍。

 

トラキア半島を二分した巨大な解放軍の顎(あぎと)が、今まさに、絶望の淵で牙を剥くフリージの老王の喉首を噛み砕こうとしていた。

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