異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第53話

東の巨大城塞、コノート。 フリージ家の最後の砦となったこの城は、今やセリス・リーフ両軍による完全な包囲網の中にあった。

 

「……セリス軍が西門を突破! 防衛線、崩壊します!」

 

絶望的な報告が響き渡る玉座の間で、ブルームは静かに目を閉じ、己の運命を受け入れようとしていた。

 

(ラインハルト、イシュタル……お前らがいれば、フリージはこんな惨めな最期を迎えずに済んだのだろうか)

 

***

 

その頃、はるか遠く、グランベル帝国の帝都バーハラ。

 

「お父様……! お願いですユリウス様、私をコノートへ向かわせてください!」

 

雷神の異名を持つフリージの王女イシュタルが、悲痛な声で皇子ユリウスにすがりついていた。彼女の傍らには、彼女の専用武器である聖器トールハンマーが置かれている。

 

「だーめ。イシュタルは僕の傍にいるって約束したじゃないか」

 

ユリウスは、無邪気で、それゆえに底知れず残酷な笑みを浮かべてイシュタルの髪を撫でた。

 

「ブルームはもう終わりだ。あんな無能な老いぼれのところへ、僕の愛するイシュタルを行かせるわけにはいかないよ。それとも……君もあのラインハルトみたいに、僕を裏切る気かい?」

 

「っ……!」

 

『ラインハルト』という名を出された瞬間、イシュタルの顔色から血の気が引いた。彼女がユリウスに逆らえないのは、彼への愛だけではない。逆らえば、左遷されたラインハルトの命すらどうなるか分からないという、漆黒の恐怖支配(呪い)が彼女をがんじがらめに縛り付けていたのだ。

 

「……申し訳、ありません。私は……ユリウス様の、傍に……」

 

イシュタルは血の滲むような思いでトールハンマーから手を離し、静かに目を伏せた。 それは、娘が父親の死を確信し、見殺しにすることに同意させられた、残酷極まりない瞬間であった。

 

***

 

トラキア半島、コノート城。

 

「……そうか。イシュタルも、来ないか」

 

ブルームは本国からの援軍の兆しなしという部下の報告を聞き、自嘲気味に笑った。

 

「あの優しい娘が、父親を見捨てるはずがない。……ユリウス皇子に、いや、あのロプト教団の化け物どもに、完全に羽交い締めにされているのだな」

 

ブルームは、玉座の傍らに立てかけてあった大盾と長槍を手に取った。

 

「ブルーム様! 逃げてください、裏口からならまだ……!」

「馬鹿を言え。フリージの王が、背中を見せて泥水を啜れるか」

 

ブルームの瞳から、それまで彼を覆っていた卑小な権力欲や焦燥感は消え去り、『雷神』トードの血を引く武人としての、研ぎ澄まされた光が戻っていた。

 

「総員、玉座の間を死守せよ! 侵入してくる反乱軍どもに、フリージの誇りを骨の髄まで刻み込んでやれ!!」

 

直後、玉座の間の巨大な扉が吹き飛び、セリスとリーフ率いる解放軍が雪崩れ込んできた。

 

「そこまでだ、ブルーム! 武器を捨てて降伏しろ!」

 

セリスが銀の剣を構え、降伏を勧告する。 だが、ブルームは哄笑と共に雷魔法(トロン)を解き放ち、解放軍の前衛を弾き飛ばした。

 

「甘いぞ、光の皇子! 我がフリージの血は、泥に塗れて生き延びるより、戦場で焼け焦げることを望む! さあ、私の首を獲ってその覇道を証明してみせよ!」

 

老王の咆哮と共に、凄惨な死闘が幕を開けた。 ブルームは雷魔法と長槍を巧みに操り、セリスとリーフの二人がかりの猛攻を正面から受け止める。その顔には死の恐怖はなく、むしろ己の全霊を懸けて強敵と打ち合うことへの、純粋な武人の歓喜すら浮かんでいた。

 

「はぁぁぁっ!!」

 

リーフの光の剣がブルームの槍を弾き、その隙を突いてセリスの銀の剣が老王の胸当てを深々と貫いた。

 

「ぐっ……おぉ……」

 

ブルームは大量の血を吐きながら、ドスンと膝をついた。だが、その手はまだしっかりと武器を握りしめていた。

 

「……見事だ。お前たちのような若獅子に討たれるなら……我が武骨な人生も、悪くは、ない……」

 

ブルームは、セリスとリーフの顔を満足げに見つめ、そのまま事切れた。

 

広間に、重い沈黙が落ちる。

 

「……見事な最期だった。敵ながら、立派な武人だ」

 

セリスが静かに剣を収め、リーフもまた、無言で目を伏せて敬意を表した。

 

「……おやめなさい、お二人とも」

 

そのヒロイックな感傷を、氷のように冷たい声が切り裂いた。 背後から歩み出た軍師アウグストであった。彼の隻眼は、死んだブルームを一切の感情を交えずに見下ろしていた。

 

「あの男が最期に見せた意地など、ただの自己満足に過ぎません。彼は自分の名誉のために戦って死んだが、彼がトラキアに招き入れた『子供狩り』の犠牲者たちは、今も暗闇の中で泣き叫んでいるのですよ。……悪行の限りを尽くした権力者が、死に際だけ立派に振る舞ったからといって、それを讃えるのは統治者として最大の愚行です」

 

アウグストの言葉は、氷の刃のように鋭く、そして紛れもない正論であった。

 

「……アウグストの言う通りだ」

 

リーフは、顔を上げ、冷徹に言い放った。

 

「彼が武人として立派だったことと、彼が為した罪は別の問題だ。だが……だからといって、死体に唾を吐き、死者から誇りまで奪うような真似は、僕にはできない」

 

リーフは、アウグストを見据えて真っ直ぐに言った。

 

「罪は裁く。だが、職務を全うして散った者への敬意すら捨ててしまえば、僕らはただの『復讐する獣』になってしまう。……僕は、そういう国を作るつもりはない」

 

セリスもまた、リーフの横に並び立ち、深く頷いた。

 

「わたしも同意見です。……アウグスト殿。あなたの厳しい忠告には心から感謝する。あなたのような人がいてくれるからこそ、わたしたちは独りよがりな正義に溺れずに済む」

 

「……」

 

アウグストは鼻を鳴らし、そっぽを向いた。

 

「甘い。甘すぎますな。……ですが、まあ、獣の国を作るよりは、いくらかマシな夢物語かもしれませんな」

 

アウグストの口調は相変わらず辛辣だったが、その冷徹な隻眼の奥には、二人の若き指導者が持つ「器の大きさ(泥を被りながらも光を失わない強さ)」に対する、かすかな満足の光が宿っていた。 フィンもまた、アウグストの背後で、成長した主君の姿に静かに微笑みを見せていた。

 

「さて……感傷に浸る時間は終わりですぞ、リーフ王子」

 

ドリアスが進み出て、次なる戦局を指し示す。

 

「コノートが落ちた今、我々が次に向かうべきは、南の『マンスター城』ですぞ。あそこには、いまだレイドリックと……ロプトの司教ベルドが巣食っております」

 

リーフの瞳に、激しい闘志と業の炎が燃え上がる。 ついに、トラキア半島最大の元凶たるマンスターへの、血塗られた進軍が始まろうとしていた。

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