異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第54話

北トラキア有数の都市、マンスター。 長きにわたり、子供狩りと恐怖政治によって数多の血を吸ってきたこの巨大な城塞都市に、ついに解放軍の刃が届いた。

 

「城門が開いたぞ! マギ団の連中が、内部から防衛線に火を放ったんだ!」

 

雨と泥に塗れた前線で、パーンが短剣の血を振り払いながら叫んだ。彼の足元には、裏道から侵入して音もなく喉を掻き切った帝国兵の死体が転がっている。その後方では、リフィスが「お、俺は後ろで援護するからな!」と壁の影に隠れながら、震える手で鍵開けの道具を弄っていた。

 

城内は、すでに潜入していた『マギ団』の蜂起によって大混乱に陥っていた。

 

「今だ、突入せよ! 民を苦しめるレイドリックの首を獲れ!」

 

セリスとリーフの号令の下、解放軍の本隊が城の奥深くへと雪崩れ込んでいく。

 

玉座の間。 そこには、重厚な甲冑に身を包み、禍々しい闇のオーラを放つ大剣を構えた大男――マンスターの支配者、レイドリックが待ち構えていた。

 

「……おのれ、反乱軍のネズミどもめ。この私を誰だと思っている! 私はマンスターの王、レイドリックだぞ!」

 

彼の顔は極度の焦燥と怒りに歪んでいた。だが、その手にある大剣『ロプトの剣』から溢れ出す暗黒の気配は、決して虚仮威しではなかった。

 

「リーフ様、下がってください! あの剣のオーラは異常です!」

 

先陣を切って飛び込んだフィンが槍を突き出すが、ロプトの剣が放つ粘り気のある闇の結界に威力を完全に殺され、逆にレイドリックの重い一撃に弾き飛ばされた。 いかなる名剣や魔法の威力をも半減させ、攻撃者の生命力を削り取る呪われた魔剣。それが、レイドリックがロプト教団に魂を売り渡して手に入れた「絶対の盾」であった。

 

「効かん、効かんぞ! 貴様らの刃など、このロプトの剣の前では木の枝も同然よ! さあ、私の前にひれ伏し、命乞いをしろ!」

 

レイドリックの醜悪な哄笑が玉座の間に響く。

 

「……命乞いをするのは、あなたの方だ、レイドリック」

 

冷たい怒りを孕んだ声と共に、リーフがゆっくりと歩み出た。

彼が腰から抜き放ったのは、愛用の光の剣ではない。

 

開戦の直前、マンスターに先行潜入していたセティが、マギ団の決死の陽動と引き換えに城内の宝物庫から奪取し、玉座へと乗り込む直前のリーフへ託した一つの聖なる刃――『ブラギの剣』であった。

 

「そ、その剣は……!?」

 

レイドリックの顔色が変わる。ブラギの剣から放たれる清浄な光が、ロプトの剣の暗黒のオーラを中和し、ジリジリと焦がし始めていた。

 

「あなたは自らの保身と権力のために帝国に尻尾を振り、このマンスターで数え切れないほどの子供たちを泣かせ、民を泥水の中に突き落とした。……あの日、僕たちが門の前を素通りした時も、あなたは自分の城から一歩も出ず、民の犠牲から目を背け続けた」

 

リーフは、ブラギの剣を真っ直ぐに正眼に構えた。彼の背後には、大地の剣を抜き放ち、リーフと共にこの男の首を獲る覚悟を決めたナンナがピタリと寄り添っている。

 

「……あなたの罪は、万死に値する。ここで終わらせる」

 

「ええい、小僧風情が! 舐めるなァァッ!」

 

恐怖を振り払うかのように、レイドリックが大上段からロプトの剣を振り下ろす。 だが、リーフは逃げなかった。ブラギの剣が下から跳ね上がり、闇の結界を紙のように切り裂いて、魔剣の刃を強烈に弾き返した。

 

「がっ……!?」

 

体勢を崩したレイドリックの胸板に、リーフの刃が深く、容赦なく突き立てられた。さらにその側面から、ナンナの剣がレイドリックの腕の関節を正確に貫く。

 

「ごぶっ……あ、あぁ……」

 

レイドリックは口から大量の血を吐き出し、玉座の階段を無様に転げ落ちた。

 

「すまぬ…許してくれ…私は、帝国の言うとおりにしてきただけなのだ。私も嫌だったのだが、仕方なかったのだ。なっ…だから…たっ…助けてくれ…。何でも言うことをきく。ほら…このとおりだ…」

 

這いつくばりながら、泥水と血に塗れて命乞いをする男。かつてマンスターを支配した男の最期は、あまりにも惨めで、生への執着だけが残った浅ましい姿であった。

 

「……あなたの言葉には、もう何の価値もない」

 

リーフの瞳に、一切の憐憫はなかった。 振り下ろされたブラギの剣が、レイドリックの首を完全に断ち切った。

 

「……終わったか」

 

セリスが静かに歩み寄る。だが、その直後。 玉座の奥、隠し扉の向こうに広がる地下祭壇から、空気を凍らせるような死の気配が噴出した。

 

「ククク……愚かな。レイドリックの豚など、所詮は我が教団の使い捨ての駒に過ぎん」

 

暗闇の中から姿を現したのは、ロプト教団の司教ベルドであった。彼の手には、対象の肉体を永遠の石へと変える呪われた暗黒魔法『ストーン』の魔道書が握られている。

 

「貴様ら反乱軍の主力は、ここで全員石の彫像に変えてくれるわ。……百年にわたる我らロプトの怨念、その身で味わうがいい!」

 

ベルドが魔道書を開いた瞬間、祭壇の周囲に凄まじい石化の呪いが展開されようとした。 まともに浴びれば、セリスもリーフも一瞬で石のオブジェと化す、絶対的な初見殺しのトラップ。

 

「……させない」

 

だが、その呪いの波動を、真っ向から打ち消す光があった。 ベルドの眼前に、無音で進み出た銀髪の少女――サラである。

 

「サ、サラ様!?何故私のストーンの魔道を……血迷われたのか!?」

 

ベルドが驚愕に目を剥く。サラの持つ異端の力、そして彼女が教団から持ち出していた『キアの杖』の光が、石化の呪いを水際で完全に相殺していたのだ。

 

「ベルド……あなたたちの闇は、もう古い匂いがする。カビ臭くて、つまらないの」

 

サラは、無邪気で残酷な笑みを浮かべて小首を傾げた。

 

「私はね、もっと綺麗で、泥だらけの光を見つけたの。だから……あなたたちは、もういらない」

 

「き、貴様ぁっ! 裏切り者の異端児めぇぇッ!」

 

ベルドが激高し、ヨツムンガンドの暗黒魔法を放とうとする。 だが、その呪文が詠唱されるよりも早く。

 

「……光の裁きを」

 

セリスの銀の剣と、リーフの光の剣が、左右から同時に閃いた。

 

「が、ああっ……!!」

二つの英雄の刃が、十字にベルドの胴体を切り裂く。

 

「馬、鹿な……我らロプトの……大いなる、闇が……こんな子供、たちに……」

 

百年にわたって世界を裏から操り、トラキア半島を地獄の底へと沈めた巨悪。その陰謀の糸を引いていた男は、怨念の呪詛を吐き散らしながら、サラの冷たい視線の下で完全に絶命した。

 

「……終わったのですな」

 

血と臓物に塗れた祭壇の入り口から、アウグストが歩み入ってきた。

 

「レイドリックとベルドの討死。これで、マンスターの行政および教団の暗闇は、文字通り『物理的に』排除されました」

 

「ああ……」

 

リーフは、剣の血を払い、重く息を吐いた。 故郷を奪われ、逃亡生活を強いられ、数多の血を流してきた果ての決着。だが、彼の胸に晴れやかな歓喜はなかった。自分が背負うべきトラキア統一の道は、この血みどろの玉座の上に、まだ果てしなく続いているのだ。

 

「兵を休ませろ。……そして、直ちに市街の治安維持と難民の保護に当たれ。略奪を働く者は、いかなる理由があろうと斬る」

 

リーフの命令は、もはや少年のものではなく、レンスターの王としての重みを持っていた。アウグストとドリアスは、その主君の背中を見て、深く、無言で一礼した。

 

マンスター城の陥落。 それはトラキア半島北部の完全なる解放を意味していた。だが、南にはまだ、トラバント王率いるトラキア王国の正規軍という、最強の竜騎士団が血に飢えたまま控えている。

 

息を突く暇もなく、戦局は半島全土を巻き込む巨大な渦へと、彼らを引きずり込んでいく。

 

 

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