異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第56話

マンスターを完全に制圧した解放軍は、息つく暇もなく南下を開始した。 目指すは、トラキア半島の覇権を握る最強の軍事国家・トラキア王国の国境防衛拠点『ミーズ城』。

 

だが、豊かな平野部とは異なり、南トラキアの荒涼たる岩山と険しい峡谷は、進軍する解放軍の体力を情赦なく削り取っていった。 さらに、ミーズ城の城壁には無数の長距離弓(アーチ)が立ち並び、トラキアの重装歩兵たちが鉄壁の防御陣形を敷いて待ち構えている。正面から突撃すれば、解放軍の被害は甚大なものになるのは火を見るより明らかだった。

 

「……だから、私たちの出番ってわけね」

 

冷たい霧雨が降る岩山の影。ミーズ城を見下ろす崖の上に、三人の少女が息を潜めていた。 元ダンサーの斥候ラーラ、義賊のパティ、そしてサフィの妹であるティナ。解放軍の裏仕事を担う『影の部隊』である。

 

「ティナ。手が震えてるわよ」

 

ラーラが、隣で身を縮こまらせているティナに優しく、しかし生き抜くための厳しさを含んだ声をかけた。

 

「……だ、だって。もし失敗して見つかったら、あのトラキアの兵隊さんたちに殺されちゃう……」

「そうね。でも、あんたがここで『シーフ(盗み)の杖』を使わなければ、明日、城攻めに向かう私たちの仲間が何十人も串刺しにされて死ぬわ。……やるのよ。ためらった奴から死ぬのが、この世界なんだから」

 

パティが、冷たいダガーの刃で己の頬を軽く叩きながら、退路を断つように言い放つ。

 

泥に塗れて生き抜いてきた彼女たちに、騎士道や綺麗事は存在しない。あるのは「敵の牙をへし折ってでも、自分たちが生き残る」という生々しいエゴだけだ。

 

「……っ、やります! お姉ちゃんたちを、死なせはしない……!」

 

ティナは涙目で強く頷き、精神力を極限まで振り絞って『シーフの杖』を掲げた。 杖の先端から放たれた不可視の魔力波が、城壁の上のトラキア兵たちへと伸びていく。次の瞬間、兵士たちが構えていた長距離弓の弦や、重装兵の持つ特効武器(アーマーキラーなど)が、空間ごとごっそりと転送され、ティナの足元に山積みとなって現れた。

 

「な、なんだ!? 弓が消えたぞ!?」

「馬鹿な、武器が勝手に……ッ!?」

 

ミーズ城の防衛線が、不可解な武装喪失によって一気にパニックに陥る。

 

「上出来よ、ティナ。……さあ、丸腰になったトラキアの連中に、本隊の突撃をぶちかましてやりなさい!」

 

ラーラの合図と共に、崖下に待機していたセリスとリーフ率いる解放軍の本隊が、牙をもがれたミーズ城へと怒涛の勢いで雪崩れ込んだ。

 

「ええい、怯むな! 武器がなくとも、トラキアの誇りは死なん!!」

 

城門をこじ開けられ、血みどろの乱戦となる中、ミーズ城の将軍マイコフが血走った目で長槍を振るっていた。

 

「豊かな北の大地で温々と育った貴様らに、痩せ細った泥を啜って生きてきた我らトラキアの飢えが分かるか! 民を食わせるためならば、我らは悪鬼にでもなるのだ!」

 

「……痛いほど、分かっている」

 

マイコフの渾身の突きを、リーフの光の剣が重く、泥臭く弾き返した。

 

「だが、僕も……僕の民を、泥の中から救い出さなければならない。……あなたの怨念は、僕が背負う!」

 

正義と悪の戦いではない。互いの民の生存を懸けた、血みどろの生存競争。 リーフの放った刃が、マイコフの強靭な肉体を深々と貫く。

 

「見事、だ……若き、王よ……。トラキアの……未来を……」

 

マイコフは己の敗北を呪うのではなく、ただ故郷の痩せた大地を想いながら、血の海へと崩れ落ちた。

 

「ミーズ城、制圧しました……っ!」

 

フィンの報告に、リーフが荒い息を吐きながら頷こうとした、まさにその時。

 

頭上の雨雲を切り裂くような、凄まじい風切り音が轟いた。

 

「……反乱軍の将! 誇り高きトラキアの将兵を討ち取った罪、このアルテナと地槍ゲイボルグが許しはしない!」

 

天空より急降下してきた巨大な飛竜。その背に乗る、トラキア王女アルテナであった。 彼女の手には、キュアンとエスリンの命を奪い、トラバントが奪い去った悲劇の聖槍『ゲイボルグ』が禍々しい地のオーラを放って握られている。

 

「殿下、危ないッ!!」

 

フィンが絶叫し、リーフを庇おうと飛び出す。 だが、アルテナの強襲はそれよりも早かった。ゲイボルグの重い一撃が、リーフの光の剣と激突し、火花と共に凄まじい衝撃波を撒き散らす。

 

「くっ……あぁぁっ!」

 

リーフの足元の石畳が砕け、彼の腕の筋肉が悲鳴を上げる。

 

(なんだ……この、圧倒的な重さは……!)

 

アルテナは、憎き北の侵略者であるリーフの顔を、容赦なく睨みつけた。 だが――その瞬間、彼女の瞳が驚愕に見開かれた。

 

アルテナが想像していた「豊かな地で甘やかされた軟弱な王子」の姿は、そこにはなかった。 眼下にいる少年は、トラキアの誰よりも泥に塗れ、敵の返り血を浴び、飢餓と極限の疲労で頬をこけさせながらも、決して死者の呪いから目を逸らさない、凄絶な『王の瞳』をしていたのだ。

 

「……アルテナ、様……? まさか……その槍、それに、その顔立ちは……!」

 

激突の最中、リーフの傍らに辿り着いたフィンの声が、震え、裏返った。

 

「生きて……おいでだったのですか……! レンスターの公女、アルテナ様!! 私は……私はフィンです! かつて、あなたの父君キュアン様にお仕えした……!」

 

「な……何を言っているの!? 私はトラキアの王女、トラバントの娘だ! お前たちのような侵略者の……!」

 

アルテナが激しく動揺し、槍を押し込もうとする。

 

「違う! トラバントは、あなたの本当のご両親をトラキア砂漠で騙し討ちにし、あなたを誘拐したのだ! 目を覚ましてください……あなたが今、槍を向けているその方は、あなたの実の弟、リーフ王子なのです!!」

 

「弟……?」

 

アルテナの視線が、再びリーフの泥だらけの顔へと注がれる。

 

(この、泥を這いずり回って、血を吐くように私を睨みつけている少年が……私の、たった一人の血の繋がり……?)

 

「……アルテナ、姉さん」

 

リーフは、敵意を収めることなく、だが悲痛なまでの責任感を瞳に宿して彼女を見つめ返した。

 

「あなたがトラキアのために戦うというのなら、僕の命は差し出そう。……だが、僕はトラキア半島を一つにし、誰も飢えない世界を作るまで、絶対に立ち止まらない!」

 

その言葉、その悲壮な覚悟の気高さは、間違いなくトラバントの教えではなく、彼女の魂の奥底で眠っていた『聖騎士キュアン』の血脈が証明する真実であった。

 

「あ……あああ……っ!」

 

アルテナの脳内で、トラキアの王女としてのアイデンティティと、真実の血脈が激しく衝突し、彼女は耐えきれずに悲鳴を上げた。

 

「分からない……私は、誰を信じれば……! トラバント父上……!!」

 

アルテナはゲイボルグを引き抜き、混乱の極致のまま飛竜を反転させ、逃げるように南のトラキア城へと飛び去っていった。 空に消えていく実の姉の背中を、リーフは血の滲む手で剣を握りしめたまま、ただ無言で見つめ続けていた。

 

「……リーフ様」

 

ふと、傷ついたリーフの腕に、温かく、そしてひどく冷たい執着を帯びた手が触れた。 ナンナである。彼女は、大地の剣の杖の力でリーフの腕の傷を癒やしながら、その泥と血に塗れた手に己の頬をすり寄せた。

 

「実の姉君すら、あなたを理解できず、あなたに槍を向けたのですね。……可哀想な、私の王様」

 

「……ナンナ。僕は、戦う。血を分けた姉と殺し合うことになろうとも」

「ええ。どこまでも、お供いたします」

 

実の姉との残酷な再会は、リーフの抱える孤独と業をさらに深め、同時に彼にすがりつく少女たちの退路のない狂気を、より濃密なものへと煮詰めていった。 トラキア半島の最終決戦が、すぐ目の前まで迫っていた。

 

 

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