帝都バーハラの南、シアルフィ城。
セリスの父シグルドが生まれ育ち、そして悲劇の始まりとなった因縁の地に、セリスとリーフが率いる解放軍の本隊が迫っていた。
城の最上階、重厚な石造りのテラスに、一人の男が立っている。
グランベル帝国皇帝、アルヴィス。
彼は、己の私室から『ファラフレイム』が持ち出されたこと――庶子サイアスが自分の不器用な遺志を受け取り、解放軍と共に世界を救うための反逆を開始したことを、すでに悟っていた。
だが、彼は逃げない。
ディアドラを奪い、シグルドを謀殺し、世界を暗黒神に売り渡した彼には、もはや生き延びる資格も、救済される権利もない。彼に許された最後の『仕事』は、新しき光の器(セリス)に自分という巨悪を討たせ、その剣に世界を背負う覚悟を刻み込ませることだけであった。
***
同じ頃、シアルフィ城の暗い地下道。
白髪の司祭パルマークは、周囲の気配を極度に警戒しながら、何十人もの怯える孤児たちを連れて秘密の逃走路を急いでいた。
(皇帝陛下は、ご自身の命と引き換えに、この子供たちを私に託された……)
パルマークの胸の奥底で、熱いものが込み上げる。
そして彼の懐には、サイアスから密かに託された古い布包み――セリスに届けるべき『希望の品』が、ずっしりと重く抱えられていた。
独裁者として憎まれながらも、最期まで帝国の泥を一人で被ろうとするかつての主君の仇。パルマークは、はるか頭上のテラスにいるであろう孤独な皇帝の背中に向けて、暗闇の中で深く、深く頭を下げ、歩みを早めた。
***
数刻後。
シアルフィ城の城門を突破し、中庭へと雪崩れ込んできたセリスの前に、紅蓮の皇帝が立ちはだかった。
「……アルヴィス!!」
セリスの手に握られた銀の剣が、激しい怒りと憎悪に震える。
愛する父と母を惨殺し、世界を地獄に突き落とした元凶。どれほどこの瞬間を待ち望んだか。どれほど、この男を切り刻んでやりたいと願ったか。
「……よくぞここまで来たな、セリスよ。だが、貴様らごときの光で、この帝国の闇は晴らせんぞ!」
アルヴィスの手から、凄まじい熱量を持った炎の魔法『ボルガノン』が放たれる。ファラフレイムを失ってなお、彼の魔力は常人を遥かに凌駕する圧倒的な暴力を伴っていた。
「くっ……!」
セリスは炎の直撃を避けながら、泥に塗れた石畳を蹴って肉薄する。
激突。炎と銀の刃が交差するたびに、激しい衝撃波が周囲の空気を焼き焦がす。
「どうした、セリス! その程度の剣で、この私を討てると思っているのか! 貴様の親(シグルド)の無念は、その程度か!!」
アルヴィスの口から放たれる悪逆非道な嘲笑。だが、その瞳の奥には、彼自身も気づいていない、底知れぬほどの『自己への絶望と、死への渇望』が渦巻いていた。
「はあああぁぁぁぁッ!!」
セリスの渾身の一撃が、ボルガノンの炎を切り裂き、アルヴィスの胸当てを深く抉った。
「が、はっ……!」
鮮血が舞い、アルヴィスの巨体がゆっくりと石畳の上に崩れ落ちる。
「……父上……母上……!」
セリスは、肩で息をしながら、倒れ伏した仇の姿を見下ろした。
これで、復讐は終わった。この男が死ねば、世界は救われるはずだった。
「……終わったのですね、セリス様」
静まり返った中庭に、パルマーク司祭がゆっくりと歩み寄ってきた。彼の腕の中には、古い布で大切に包まれた二つの品が抱えられている。
「セリス様。これを……『さるお方』より、お預かりしております。そして、地下の子供たちも無事に」
布が解かれ、中から現れたのは、美しく澄んだ光を放つ『聖なるサークレット』と、シグルドの魂そのものである聖剣『ティルフィング』であった。
「これは……母上の……そして、父上の……!」
セリスは震える手で、ティルフィングの柄を握りしめた。
その瞬間、彼の脳裏に、静かで、慈愛に満ちた声が響き渡った。
(……セリス・・・、セリス・・・・)
「だ、誰だ? ぼくの名前を呼ぶのは?」
(……セリス・・・・・大きくなって・・・)
「も、もしかして母上!? 母上なのですか?」
セリスの視界が白く染まり、そこには、かつてアルヴィスに囚われながらも、最期まで愛する者たちを護ろうとした母・ディアドラの幻影が立っていた。
(・・・こんなに立派に育って・・・レヴィン様に感謝しなくては・・・・・)
(・・・セリス、仲間を、お友達を大切にね・・・いつでも感謝のきもちを忘れないように・・・・)
「・・・は、はい・・・・母上! 私はついにアルヴィス皇帝を倒しました! 父上の無念をはらしたのです!」
セリスは、必死にすがりつくように叫んだ。
だが、ディアドラの霊は、ひどく悲しそうな瞳で彼を見つめた。
(そう・・・・、じゃあユリウスとユリアは・・・・)
「ユリウスとユリア!? 母上は、どうして二人を……ごぞんじなのですか?」
ディアドラの姿が薄れ、代わりに、炎に焼かれたはずの父、聖騎士シグルドの堂々たる姿が現れた。
(セリス)
「あなたは? まさか・・・父上!?」
(セリス、思い上がってはならぬ。……アルヴィスが倒れたのは、おまえの力ではない・・・)
シグルドの声は、決して復讐を讃えるものではなかった。
「えっ、父上・・・それはいったい!?」
(セリスよ、人の悲しみを知れ。真実は一つだけではない。……それがわからなければ、この戦いは無意味となろう・・・)
「ち、父上! 待って下さい!」
セリスが手を伸ばすが、シグルドとディアドラの霊は、ティルフィングの光の中へと静かに溶けて消えていった。
「……真実は、一つではない……」
セリスは、血に濡れた剣を握りしめたまま、その場に立ち尽くした。
パルマークから託された品々。そして父の言葉。
皇帝アルヴィスは、自分を倒すための武器を隠し、自らの手で子供たちを逃がし、無抵抗に近い形で自ら死を選んだ。彼もまた、ユリウスという暗黒の狂気を生み出してしまった絶望の中で、もがき苦しんでいた一人の人間だった。
復讐の達成感や喜びなど、欠片もない。
アルヴィスを殺したことで、彼が背負っていた『世界を地獄にした罪と、それを終わらせる責任』という途方もない重圧が、そっくりそのままセリスの肩にのしかかってきたのだ。
「……行きましょう、セリス様」
傍らに立つリーフが、自らの光の剣を握り直し、静かに声をかけた。
「アルヴィス皇帝が残した願いも、君の父上が言った真実の重さも……あなた一人で背負う必要はない。私も一緒に背負います」
「ええ……。行きましょう、リーフ王子」
セリスは、己の内に渦巻く憎悪と悲しみをすべて噛み殺し、ティルフィングを天高く掲げた。
ただの復讐者であった少年は、今この瞬間、他者の業すらも背負って世界を導く【真の聖王】として覚醒したのである。
解放軍の士気は、最高潮に達している。
彼らの次なる目的地は、すべての因縁が交差する帝都バーハラ。
サイアスの仕掛けた宮廷クーデターの火種が、いよいよロプト帝国の心臓部を焼き尽くす時が来ていた。