帝都バーハラ、中央玉座の間。地下空間。
「……アリオーン、殿……」
右足を砕かれ、限界を迎えていたサイアスは、血を吐きながらも天の槍が放つ神聖な光の波動に目を細めた。グングニルの放つ衝撃波が、サイアスを圧殺しようとしていたロプトウスの重力場を強引に削り取っていく。
「……鬱陶しい。トラキアの野蛮人が、ハイエナの分際でわたしの闇を塞げるつもりか」
ユリウスが不快げに眉をひそめ、右手の暗黒球の出力を上げようとした、その時である。
「そこまでだ、ユリウス!!」
雪崩れ込んできたのは、血と泥に塗れた銀の剣(ティルフィング)を構えたセリスを先頭とする、解放軍の主力部隊であった。
光の剣を抜くリーフ、戦斧を構えるヨハンとヨハルヴァ、聖杖『バルキリー』の神聖な光を纏ったセティ、そして――帝国最強の雷神、イシュタル。
十二聖戦士の血脈と神器が放つ凄まじい「光」の波動が、ユリウスの玉座を埋め尽くしていた暗黒のオーラを、物理的な圧力をもって押し返していく。
「……ユリウス様……」
イシュタルは、トールハンマーを握る手を震わせながらも、決して目を逸らさなかった。彼女の瞳にあるのは、絶対君主への恐怖ではなく、血塗られた帝国を終わらせるという覚悟である。
「……セリス。それに、わたしの可愛い小鳥(イシュタル)までが、反逆者の群れに混ざっているとはな」
ユリウスは、目前に集結した世界最強の戦士たちを前にしてなお、全く怯む様子を見せなかった。
それどころか、彼は玉座からゆっくりと立ち上がり、薄暗い虚無の瞳で彼らを「這いずり回る蟲の群れ」を見るように見下ろした。
「……少し、不快だ。貴様らのその薄汚い光ごと、まとめて暗黒の塵に変えてやる」
解放軍の主力と、暗黒神ロプトウス。
人類の存亡を懸けた絶望的な総力戦が、バーハラの中枢で火蓋を切った。
***
同時刻――帝都の北東、ヴェルトマー城・地下祭壇。
「……案内はここまでです。この奥に、目的の書があるはず」
ラインハルトの声が、血の匂いが充満する地下回廊に響いた。
彼に先導されて祭壇へと足を踏み入れたのは、レヴィン、ユリア、コープル。そして、コープルの背中を護るように付き従ってきたタニア、リノアン、マリータの三人、さらにリーフ軍から同行したサラであった。
祭壇の中央には、ラインハルトの雷撃によって全身の魔力回路を破壊され、地に這いつくばる大司教マンフロイの姿があった。
「グフフ……来たか、光の末裔ども……。だが、無駄だ。ロプトウスの力は絶対……貴様らの小賢しい足掻きなど、すべて我が主の糧となる……!」
死の淵にあってもなお、己の復讐と怨念に執着し続ける狂信の老父。
そのマンフロイの前に、一人の少女が音もなく歩み出た。
「……サラ、か。お前はロプトの血を裏切り、光の犬に成り下がったか……!」
「……おじいさま」
サラは、哀しげな瞳で、血塗られた祖父を見下ろした。
「ロプトの血が忌まわしいんじゃないわ。……迫害された過去にすがりついて、自分たちを迫害した人間と『同じこと(子供狩り)』をして喜んでいる、あなたのその惨めな姿が、どうしようもなく空っぽなのよ」
「な……貴様ッ!! 迫害の歴史を、我らロプトの民が受けてきた何百年もの屈辱を、貴様に何が分かる!!」
「分かるわよ。だって、私もその系譜を受け継いで生きているもの。……でもね、お祖父様。あなたがすがりついた『復讐』という名のロプトウスは、人間を滅ぼしたいだけ。あなたの狂気は、最終的に『ロプトの民すらもすべて生贄に捧げて終わる』のよ。……本当に一族を救いたかったのなら、あなたは『過去』じゃなく、『今』を生きるべきだった」
サラの透き通るような声が、冷たい刃となってマンフロイの核心を抉る。
「……あなたの復讐は、もうとっくにすり切れて、ただの狂気になってるわ」
「……あ、ぁぁ……」
マンフロイの目から、狂信の炎がフッと消え失せた。
何百年もの間、彼を、そしてロプト教団を突き動かしてきた「被害者としての絶対的な怨念」。それが、実の孫娘の冷徹な事実確認によって、単なる「空虚な自己満足」へと還元されてしまったのだ。
「……ワシは……ワシは、ただ……我らの、安息の地を……」
憑き物が落ちたように呟きながら、大司教マンフロイは、静かにその意識を暗闇へと沈めていった。
ラインハルトは、かつてフリージ家を、そして己の肉親を地獄へ突き落とした元凶のあまりにも惨めで虚しい崩壊を、冷ややかな、しかしどこか重苦しい眼差しで見つめ、静かにダイムサンダの残光を消した。
「……サラ。辛い役目を負わせたな」
レヴィンが静かに声をかけると、サラは「……別に」と短く返し、寂しげに背を向けた。
「ユリア。……行け」
レヴィンの言葉に促され、ユリアは祭壇のさらに奥、封印された隠し部屋の扉へと手を触れた。
彼女に流れるヘイムの血脈が鍵となり、重厚な石の扉が音もなく開く。
その台座の上に安置されていたのは、神々しいまでの絶対的な光を放つ魔道書――『聖書ナーガ』であった。
ユリアがその書を手に取った瞬間、彼女の全身を、ロプトウスの闇を完全に相殺するほどの、途方もない光の奔流が包み込んだ。
「……ユリア。お前に覚悟を聞いておこう」
レヴィンが、光に包まれるユリアに向けて、残酷な問いを投げかける。
「相手は、お前の血を分けた双子の兄だ。……お前は、ユリウスを殺せるか?」
その問いに、コープルがハッと息を呑む。
タニアは弓を握る手を震わせ、リノアンは祈るように杖を握りしめ、マリータは無言のまま剣の柄に手をかけた。彼女たちは皆、自分たちの入り込む余地のない「血と運命の重さ」を突きつけられ、息苦しいほどの焦燥感に焼かれていた。
だが、ユリアは揺るがなかった。
「……私は、兄を助けたい。優しいユリウスを、あの暗黒から救い出したい」
ユリアの瞳には、かつての記憶を失っていた頃の怯えはない。ただ、泥を被ってでも自分の意志を貫くという、極限の覚悟が宿っていた。
「けれど……兄の心を喰い潰し、この世界を地獄にしたロプトウスの呪いは、絶対に許しません。……私が、この光で、暗黒だけを滅ぼします」
その嘘偽りのない本音に、レヴィンは短く息を吐き、静かに頷いた。
「……立派になったな、ユリア」
「ユリア……!」
コープルが、たまらずユリアの傍へと駆け寄った。
「僕も……僕のフォルセティも、君と一緒にユリウス様を救うために使う! だから、絶対に一人で抱え込まないで!」
「ええ、コープル。……あなたの温もりだけは、絶対に離さない。私たちは、一緒に生きるのよ」
ユリアは、コープルの手を『決して逃がさない』と言わんばかりの強い力で、しっかりと握り返した。彼女の光もまた、無償の善意ではなく「彼に添い遂げる」という重い執着を孕んでいた。
その光景を見つめる三人の少女たちの間に、ひび割れるような静かな絶望と闘志が走る。
(……くそっ。あんな神様みたいな光、私みたいな山賊の娘にどうしろってんだよ……。でも……絶対にあいつの隣は譲らねえ……!)
タニアは、己の無力さに唇を噛み切りながらも、絶対にコープルの背中から離れないと、動揺を怒りに変えて足を踏みしめた。
(……光がなんだと言うのです。彼が背負う泥と血の匂いは、綺麗事だけの聖女には洗いきれません。……彼を本当に理解できるのは、私(リノアン)だけ……)
リノアンの瞳には、神聖な光への畏敬ではなく、それを出し抜いてでも少年の心臓を掴み取るという、静かで底知れぬ狂信(執着)が黒々と渦巻いていた。
(……神の光だろうと、暗黒の竜だろうと関係ない。コープルに危害を加えるなら、私がすべて斬り捨てる。……彼の命は、私(マリータ)の剣の所有物だ)
マリータは、一切の動揺を見せず、ただひたすらに「彼の害悪を排除する」という極限の排他思考(独占欲)を、刃のように研ぎ澄ませていた。
「……行きましょう、皆様。セリス皇子らがお待ちになっているはずです」
ラインハルトの鋭い声が、地下祭壇の息苦しい空気を切り裂いた。
「はい。……急ぎましょう、バーハラへ!」
聖書ナーガを手にしたユリアと、彼女に付き従うコープル達別働隊は、すべての因縁を終わらせるため、暗黒の玉座へと向かって全力で駆け出した。