異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第77話

帝都バーハラ、中央玉座の間。

暗黒神ロプトウスの消滅によって、常人を狂わせるほどの瘴気は晴れた。だが、そこに輝かしい勝利の空気など微塵も存在しなかった。

 

「……ユリウス様。今はただ、お眠りください」

 

正気を取り戻し、泣き崩れて気を失ったユリウスは、解放軍の兵士たちによって厳重に、しかし決して乱暴ではない手つきで拘束され、玉座の間から運び出されていった。もはや彼に暗黒神の力はなく、凄惨な記憶(自分が犯した大虐殺)だけを抱えて生き地獄を味わうことになる、ただの哀れな青年に過ぎなかった。

 

残されたのは、血と泥に塗れた解放軍の将兵たちと、破壊の爪痕が深く刻まれた大理石の空間だけである。

 

「……終わったのですね、セリス様」

 

リーフが、光の剣の血糊を払いながら、静かに歩み寄った。

セリスの視線の先には、主を失い、冷たくそびえ立つ帝国の玉座があった。かつて父シグルドを謀殺したアルヴィスが座り、そして世界を地獄に突き落としたユリウスが君臨した、呪われた血の椅子。

 

「……ええ。ですが、ここからが本当の戦いの始まりかもしれません」

 

セリスは、疲労の色を隠そうともせず、低く重い声で吐き捨てた。

 

「アルヴィスが一人で被って死んだ帝国の悪徳。ロプト教団がこの大陸に撒き散らした憎悪と死骸……。私たちは、この呪われた椅子に座って、そのすべてを清算しなければならないのだから」

 

その時、玉座の間の静寂を破り、重傷を負いながらも杖をついた一人の男が進み出た。

ヴェルトマーの血を引く天才軍師、サイアスである。

彼の背後には、同じく武装を完全に解除したラインハルトとイシュタルが、死装束を纏うかのような静謐な覚悟を湛えて並び立っていた。

 

「……セリス皇子。一つ、申告させていただきます」

 

サイアスは、折れた右足を庇いながら、セリスの前に深く片膝をついた。

 

「アルヴィス皇帝の庶子にして、ヴェルトマーの血脈に連なる者として……私、サイアスは、グランベル帝国の帝位継承権を完全に放棄することを宣言いたします。この世界に、帝国による統治は二度と必要ありません」

「サイアス殿下……」

「新たな時代を導くのは、人々の悲しみと泥を共に背負う、新たな王国でなければならない。セリス皇子……いえ、セリス王。どうか、グランベルの新たな王として、我々を裁いていただきたい」

 

サイアスの言葉と共に、ラインハルトとイシュタルもまた、冷たい石の床に膝をつき、深く頭を垂れた。

 

「我ら三名、クーデターを起こしセリス軍に協力したとはいえ……グランベル帝国の重鎮として、世界を恐怖で支配した体制の盾であった事実に弁解の余地はありません。我々の保身や沈黙が、結果として多くの子供たちの血を流させた」

 

ラインハルトが、氷のような無表情のまま、武人の誇りを込めて自らの罪を申告する。

 

「この首を刎ねられても、一切の異存はございません」

 

「……フリージの軍政を敷き、トラキアやミレトスで人々を抑圧したのは……私です」

 

イシュタルもまた、一切の命乞いをしなかった。だが、彼女の顔にあるのは武人の潔さではなく、憎む対象すら失い、魂が完全に空っぽになってしまった事への『退廃的な虚無感』であった。

 

「どうか、私を処断し、その首を大陸中に晒してください。……もう、すべてを終わらせたい。それが、私にできる最後の贖罪です」

 

彼らは命乞いをしているのではない。新しい王国がスムーズに統治を始めるために、旧帝国の象徴である自分たちを必要悪として見せしめに殺せと、極めて政治的で冷徹な進言を行っているのだ。

 

「……あなたたちは、本当に業が深い」

 

セリスは、己の身を挺してまで世界の泥を被ろうとする三人の敗者を見下ろし、小さく息を吐いた。

 

「アウグストの言う通りだ。あなたたちの首を広場に晒せば、民衆は一時的に歓喜し、私の統治はやりやすくなるでしょう。……ですが、それでは明日食べる麦は育たない」

「……!」

「アルヴィスやユリウスが被った泥を、今度はあなたたちの命で清算して、私が綺麗な王座に座るなんて……そんな逃げは、父(シグルド)の霊が許さない」

 

セリスは、ティルフィングを鞘に収め、明確な『王としての冷酷な威圧感』をもって宣言した。

 

「サイアス、ラインハルト、イシュタル。……あなた方の帝国将官としての爵位・権限はすべて剥奪します。ですが、死んで楽になることは許しません」

「セリス王……!」

「生きて、あなたたちが搾取し、焼き払ってきた民の恨みを一生浴びながら、この焼け野原に麦を植え続けなさい。泥まみれになって復興に尽くすこと……それが、あなたたちへの判決です」

 

サイアスは、自らを死なせてすらもらえない若き王の決定――生存という名の無期懲役に、ただ深く首を垂れることしかできなかった。ラインハルトもまた、黙してその重い判決を受け入れた。

だが、イシュタルだけは、死に場所すら奪われ、空っぽのまま生きることを強制された絶望に、ただ震える唇を噛み締めていた。

 

彼らがすべての権力から身を引いたことで、グランベルの中枢を担っていた大貴族の当主の座は、完全に空白となった。だが、その空白を埋めるべく、すでに重い覚悟を決めた第一世代の者たちが静かに歩み出ていた。

 

「……ヴェルトマー家は、僕が継ぐ」

 

炎の魔道士アゼルが、かつての若さを消し飛ばしたような沈痛な面持ちで、サイアスの横に立った。

 

「兄さん(アルヴィス)が何のために罪を犯し、何のために一人で死んでいったのか……。ずっとシレジアへ逃げ続けていた僕には、それを止める資格もなかった。だからこそ、その焼け焦げた灰を被って、一族の咎を片付けるのは、生き残った実の弟の役目だ」

 

彼の瞳には、敬愛していた兄を失った悲しみと、第一世代としての重すぎる『後悔の業』が刻み込まれていた。

 

「……フリージ家は、私が預かるわ」

 

アゼルの妻であるテュルテュもまた、かつての天真爛漫な少女の面影を完全に捨て去り、冷酷な現実を受け入れた当主の顔で口を開いた。

 

「お父様(レプトール)が間違え、お兄様(ブルーム)が意地を張り、お義姉様(ヒルダ)が狂気に染めたフリージの血。……そのすべての責任を、イシュタル一人だけに背負わせて殺すなんて、大人として絶対に許さない。……泥まみれになっても、私が一からフリージ家を直してみせるわ」

 

旧世代の誇りと呪いは断ち切られ、生き残った者たちが、途方もない絶望の跡地で「今日をどう生かすか」という新しい戦いを始めようとしていた。

 

ここに、恐怖で大陸を支配した「ヴェルトマー朝グランベル帝国」は、文字通り跡形もなく自然消滅した。

そして、光の聖王セリスを頂点とする「シアルフィ朝グランベル王国」が、瓦礫と血の海に沈む大陸を統治するという、美しくも過酷な歴史の第一歩を踏み出したのである。

 

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