アイズを伴って降り立った第5層。そこは、初心者冒険者にとっては最初の壁となる場所だ。だが、今のヘスティアファミリアには、その「壁」を物理的に粉砕しかねない怪物がいる。
「……やっぱり、おかしい」
道中、アイズは何度も小さく呟いていた。
白ひげは、一切の武器を抜いていない。ただ、悠然と通路の真ん中を歩いている。それだけで、壁の穴から飛び出そうとしたウォー・シャドウが、その覇気に当てられて、穴の中で失神し、ボトボトと地面に落ちていくのだ。
「あ、改めて見てもやっぱりすごい光景だ....」
ベルが呟く。
「グララララ!!この程度の雑魚を相手にするのは時間の無駄だからな」
ベルが戦々恐々と魔石を回収する中、突如として迷宮の空気が一変した。
「……っ!」
アイズがいち早く剣を抜き、ベルを背後に隠す。
通路の先、暗闇から現れたのは、本来この階層には存在しないはずの異常事態——【強化種】の群れだった。
十数体の大型魔物が、異様な殺気を放ちながら迫る。アイズが風を纏おうとした瞬間、白ひげがその前に大きな手を出した。
「小娘、下がってろと言ったはずだ。……ベル、よく見ておけ」
白ひげは一歩、踏み出す。
「俺にとってのファミリアってやつを教えてやる」
迫り来る魔物を前に、白ひげは静かだが地響きのような声で告げる。
「俺にとって、この『ファミリア』ってのは、ただの所属じゃねェ。……守るべき家族だ。……こいつらが腹一杯食えて、安心して眠れる場所を作る。そのためなら、俺はこの世界のルールごと、叩き伏せてやる」
そう言った白ひげは巨大な薙刀「むら雲切」に振動の力をまとい始めた。
「天下無双!!」
「……ギィッ……!?」
魔物たちは、悲鳴を上げる間もなかった。
強化種の硬い外皮も、再生能力も関係ない。振動は魔物の体組織を内側から粉砕し、さらに背後の頑強な岩壁ごと、数百メートル先まで通路を「更地」に変えた。
静寂が戻った通路で、アイズは震える手で剣を鞘に収めた。
彼女が求めてきた「力」。それは、魔法を研鑽し、レベルを上げ、技術を極めた先に得られるものだと思っていた。
だが、目の前の男の力は、そのどれにも当てはまらない。
「……あなたは、どうしてそんなに迷いがないの?」
アイズの問いは、切実だった。
「守りたいものが多ければ、足が止まるはず。……背負うものが重ければ、剣は鈍るはずなのに」
白ひげは、粉塵の舞う通路の先を見つめたまま、静かに笑った。
「逆だ、小娘。……一人で立ってる奴の足なんてのは、ちょっとした嵐で簡単に折れちまう。……だがな、後ろに守るべきガキどもがいて、そいつらが俺の服の裾を握りしめてる。……そうなると、膝ってのは、何があっても地面につけられねェんだ」
白ひげは振り向き、呆然としているベルの頭を大きな手で乱暴に撫でた。
「ベル。お前が強くなりてェのは、誰のためだ?」
「……それは……」
ベルは、隣に立つアイズを見、そして自分を受け入れてくれた女神(ヘスティア)を思い浮かべた。
「……僕は……みんなと、笑っていたいから。……神様や、ニューゲートさん、アイズさんを守れるくらい、強くなりたいです!」
「グララララ!! いい答えだ!」
白ひげは満足そうに笑い、そしてベルとアイズに向き直った。
「だがな、小娘、ベル……自分一人の力で全て守れると思うなよ。まだお前ェらはハナッタレのガキどもだ。誰かを頼り、誰かに頼られる『覚悟』をつけろ。それが強さに繋がることもある。」
アイズは、自分の胸に手を当てた。
いつも一人で強くなろうと、自分を追い込んできた。だが、この巨大な男の背中に並んでいると、不思議と「一人ではない」という感覚が、冷えていた心に熱を灯していく。
「……少しだけ、わかった気がする。……お父さん」
「だから、お父さんじゃねェと言ってるだろうが……。まァいい、行くぞベル。これだけ暴れりゃ、今夜は特上の酒が飲めるはずだ」
「はい! ニューゲートさん!」
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ダンジョンでの「異常事態」の報告を受け、ギルド内が騒然とする中、ヘスティア・ファミリアの一行は地上へと帰還していた。
ベルの背負い袋には、第一層から第十層までの魔石が溢れんばかりに詰め込まれている。
「グラララ! ベル、今日は大漁じゃねェか。ヘスティアに美味いもんでも買っていってやれ」
「はい! ニューゲートさん! これなら、みんなが満足できるだけのご飯を買えそうです!」
アイズもまた、どこか憑き物が落ちたような穏やかな顔で、二人の後ろを歩いていた。
だが、その平穏を破ったのは、鋭い嘲笑と、野獣のような殺気だった。
「――おいおい、何だぁ? そのマヌケなツラは」
ギルドのホールに、一際ガラの悪い声が響く。
そこに立っていたのは、【凶狼】ベート・ローガ。ロキ・ファミリアの主力であり、実力主義を地で行くレベル5の冒険者だ。
彼は、アイズが「弱小ファミリア」の、しかも「得体の知れない巨漢」と共にいるのが気に入らないらしく、苛立ちを隠そうともせずに近づいてきた。
「アイズ、テメェ何しけてんだ。ギルドの調査ってのは、こんなデカブツとピクニックすることだったのか?」
「ベート、やめて」
「うるせェ! ギルドの調査ってのは、こんなゴミの介護をすることじゃねェはずだ!」
ベートの視線が白ひげを射抜く。レベル1の癖にやけにでかい図体。彼にはそれが図体だけの雑魚に見えていた
「おい、オッサン。テメェだ。どこの馬の骨か知らねェが、アイズの隣に立っていいのは『強ェ奴』だけだ。テメェみてェな出来損ないは、ダンジョンの肥やしがお似合いなんだよ!」
ベートが地を蹴った。レベル5の超速が、ギルド内の空気を爆ぜさせる。
「消えな、雑魚!!」
ドガァァァン!!
猛烈な衝撃音が響き、周囲の冒険者たちが悲鳴を上げる。ベートの右足は、寸分の狂いもなく白ひげの脇腹を捉えていた。レベル5の全霊を込めた蹴り――並の冒険者なら内臓ごと粉砕される一撃。
だが。
「……何ッ……!?」
ベートの顔が、驚愕に歪む。
蹴り込んだ足から伝わってくる感触は、肉のそれではない。まるで「山」を蹴ったような、絶望的な不動。
白ひげは、避けもしなければ、防御もしていなかった。
二百六十と七の太刀、百と五十二の銃弾、四十と六の砲弾を受けてなお倒れなかった「金剛の肉体」。レベル5の蹴撃ごときでは、彼の歩みを止めることすら叶わない。
「……なんだァ?」
地響きのような声が、ベートの頭上から降る。
「今のが『挨拶』か? 随分と、軽い足音じゃねェか」
「テメェ……!!」
ベートが距離をとろうとした瞬間、白ひげが動き始めた。
ただの、右拳。大気を、空間を、そして理を握りつぶすような一撃。
「が、は......ッ!?」
白ひげの拳がベートの胸元に、触れるか触れないかの距離で叩きつけられた。
パキィィィィィィンッ!!!
大気がガラスのようにひび割れた。次の瞬間、ベートの体は紙屑のように跳ね飛ばされた。
衝撃波はベートを一直線に吹き飛ばし、ギルドの分厚い石壁を突き破り、そのまま裏路地まで彼を「弾き飛ばした」。
レベル5の戦士が、受け身を取ることすら許されず、ただの一撃で完全に沈黙した。
静寂。
あまりの光景に、ギルドにいた数百人の冒険者たちが、息をすることさえ忘れて固まっている。
白ひげは、まるで塵でも払うかのように、ベートに蹴られた脇腹を大きな手で一拭きした。
「俺に挑もうなんざ百年早ェよ、アホンダラ」
「さァ帰るぞベル。今夜はあのワン公の分まで、最高に美味い酒を飲むぞ」
「は、はい!! ニューゲートさん!!それではお疲れ様でした、アイズさん!」
「うん、またね」
こうして、オラリオの「常識」は、海賊王と渡り合った男の拳によって、文字通り粉砕された。
翌朝、ギルドの壁に空いた大穴と共に、「白い髭の怪物」の名は、街中の神々の知るところとなる。
白ひげの技が少なすぎる( ;∀;)