オレは二人が幸せな未来が視たいんや!   作:ラスアス最高

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第2話

 ジョンの遺書は、私の部屋に置いた。

 

 最初は、持って帰るつもりなんてなかった。あの部屋に置いていくべきだと思った。ジョンの机の上に、四年分の「もしもの時用」と一緒に揃えておくべきだと思った。

 

 でも、できなかった。

 最新版だけ、持って帰った。

 

 ディーナは何も言わなかった。ジェシーも何も言わなかった。ただ、私が封筒を上着の内側に入れるのを見て、二人とも少しだけ目を伏せた。

 

 たぶん、分かっていたんだと思う。

 今の私には、それを置いて帰ることも、全部読むこともできなかった。

 

 中途半端だった。

 

 ジョンが嫌いそうな、中途半端。

 でも、アイツが死んだあとまで、アイツの好みに合わせてやる義理なんてない。

 

 そう思ったのに、部屋に戻ってから、私はしばらく封筒を開けられなかった。

 

 ベッドの端に座って、机の上に置いた封筒を見る。

 

 茶色い紙。

 ジョンの字。

 もしもの時用 最新版。

 

 アイツは、たぶん笑って書いた。何もない日に、もしものために。毎年ちゃんと更新して、自分が死んだ時のために。

 

 それが腹立たしかった。

 

 準備が良すぎる。

 そして、その準備の中に自分の生存だけが入っていない。

 

 私は立ち上がって、封筒を机の引き出しに突っ込んだ。乱暴に閉めたら、中で何かがぶつかる音がした。

 

 それで少しだけ気が済んだ。

 次の日、町は普通に動いていた。

 

 煙突から煙が上がって、馬小屋では誰かが餌を運んで、食堂では鍋が火にかけられていた。子どもが走って、大人に怒られて、誰かが柵の修理に向かう。

 

 当たり前だ。

 ジョンが死んでも、町は止まらない。でも、止まらないことが、嫌だった。

 

 朝食の席で、ディーナは私の向かいに座った。いつもなら、隣に座ることも多い。でもその日は向かいだった。たぶん、私の顔を見ようとしていた。

 

 「食べた?」

 

 「見たらわかるでしょ」

 

 皿の上のパンは、ほとんど減っていなかった。

 

 ディーナは私の皿を見て、それから自分の皿を見た。何かを言おうとして、やめた。

 

 頭の中のアイツが、勝手に喋る。

 

 “エリー、飯は食え。空腹デバフ舐めんな。”

 

 ――—うるさい。

 

 そう返したくなる。そしたらアイツは、たぶん私の皿に勝手にパンを半分置く。私が睨むと、悪びれもせずに笑う。

 

 そういうのが、もうない。

 

 「ジョンのこと、考えてる?」

 

 ディーナが言った。

 

 私はパンを指でちぎった。

 

 「考えてないように見える?」

 

 「見えない」

 

 「じゃあ、聞かないで」

 

 きつい言い方になった。分かっていた。でも止まらなかった。

 

 ディーナは怒らなかった。

 それが余計に嫌だった。

 

 「ごめん」

 

 「謝んないで」

 

 「じゃあ謝らない」

 

 「今謝ったじゃん」

 

 「今のは無し」

 

 私は少しだけ顔を上げた。

 ディーナはわざと真面目な顔をしていた。その顔が、ジョンと悪だくみしている時の顔に少し似ていて、胸の奥がざらついた。

 

 「何その顔」

 

 「どの顔?」

 

 「今の」

 

 「いつもの美人の顔だけど」

 

 「うざ」

 

 ディーナは少し笑った。

 私も笑いそうになった。でも、笑えなかった。ディーナも途中で笑うのをやめた。

 

 食堂の奥で、誰かが「JJコンビなら昨日の内に片づけてただろ」みたいなことを言った。すぐに別の誰かが小さく咳をした。会話が途切れた。

 

 ジェシーの名前は出なかった。

 

 ジョンの名前も出なかった。

 

 でも、出ていた。

 出ていないのに、そこにいた。

 

 私はパンを口に入れた。味はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 巡回表から、ジョンの名前が消えていた。

 

 正確には、線が引かれていた。

 新しく書き直せばいいのに、誰かが古い表にそのまま線を引いた。ジェシーとジョン。そう並んでいたところの、ジョンの名前だけに黒い線が引かれている。

 

 その横に、別の名前が書き足されていた。

 

 ジェシーはそれを見ていた。

 表情は変わらない。いつもの真面目な顔だった。でも、私には分かった。たぶん、ディーナにも分かった。ジェシーはあの黒い線を、ただの訂正として見ていない。

 

 「変えればいいのに」

 

 私は言った。

 ジェシーはこちらを見た。

 

 「何を」

 

 「表。新しく作ればいいでしょ。汚いし」

 

 ジェシーは巡回表を見た。少しだけ黙って、それから言った。

 

 「マリアが忙しい」

 

 「じゃあ、あんたがやれば」

 

 「やるよ」

 

 「今やれば」

 

 「今は巡回前」

 

 「じゃあ帰ってから」

 

 「分かった」

 

 会話が止まった。

 

 ――—分かった。

 

 それだけで終わる。

 頭の中のアイツが、また勝手に割り込んできた。

 

 “いや、ここで新しい表を作ったら負けな気がする。今の表には歴史がある。JJコンビの歴史が。いやジェシー、そんな顔すんなって。冗談じゃん。半分くらい。”

 

 ……うるさい。

 

 そう思った。

 でも、実際には何も起きない。

 

 ジェシーは巡回表から目を離した。

 

 「今日、外には出るな」

 

 「何で」

 

 「マリアから言われてる」

 

 「私だけ?」

 

 「お前とジョエルとトミー」

 

 「最高。問題児扱いじゃん」

 

 「問題児だろ」

 

 頭の中で、アイツが得意げに言った。

 

 “エリーは問題児じゃないです。高難易度クエストです。”

 

 意味は分からない。でも、そういうことを言う。言って、私に睨まれて、笑って逃げる。

 

 私はジェシーを見た。

 

 「あんたは?」

 

 「俺は出る」

 

 「代わりの人と?」

 

 「そう」

 

 「ふうん」

 

 ジェシーは少しだけ眉を動かした。

 

 「言いたいことがあるなら言え」

 

 「別に」

 

 「エリー」

 

 「ジョンじゃなくてもいいんだなって思っただけ」

 

 言ってから、自分で最悪だと思った。

 

 ジェシーの顔が固まった。

 

 ディーナが息を呑む音がした。

 

 取り消したかった。でも、言葉は戻らない。銃弾と同じだ。撃ったら戻らない。

 

 頭の中のアイツが、今度は低く言う。

 

 “撃つ時は考えろ。”

 

 

 ジェシーは怒らなかった。

 ただ、少しだけ目を伏せた。

 

 「よくない」

 

 低い声だった。

 

 「よくないに決まってるだろ」

 

 私は何も言えなかった。

 ジェシーは巡回表を見た。

 

 「でも、誰かが出る。誰かが見回る。誰かが壁の外を見る。ジョンがいなくても、それは変わらない」

 

 「……分かってる」

 

 「俺は分かってない」

 

 ジェシーは言った。

 

 「分かってないまま、行く」

 

 その言い方が、ひどく静かだった。

 怒鳴られる方が楽だった。怒ってくれた方が、こっちも怒れた。なのに、ジェシーはただ言った。分かってないまま行く、と。

 

 私は巡回表を見た。

 

 黒い線。

 

 ジョンの名前。

 

 その横に書き足された別の名前。

 

 「……ごめん」

 

 言うと、ジェシーは少しだけ肩をすくめた。

 

 「翻訳担当だからな」

 

 「何それ」

 

 「最新版」

 

 胸が詰まった。

 ジェシーは苦く笑った。

 

 「たぶん、あいつなら今のやつも訳せって言う。エリーは怒ってるだけです、とか。怒ってるから刺します、とか」

 

 「刺さないし」

 

 「蹴るくらいはするだろ」

 

 「するかも」

 

 ほんの少し、空気が緩んだ。

 

 でも、ジョンはいなかった。

 緩んだ空気の中に、いないことだけが残った。

 

 ジョエルの家には行かなかった。

 行く理由はいくらでもあった。怪我の具合を確認するとか、トミーの様子を聞くとか、マリアに頼まれたとか、適当に言えばいい。

 

 でも、行かなかった。

 あの日から、ジョエルとはまともに話していない。

 

 葬式では見なかった。ジョンの部屋を片付けた日も、会わなかった。

 

 町の中で遠くに見かけたことはある。杖をついて、ゆっくり歩いていた。右脚を引きずって、顔をしかめて、それでも誰かの手を借りようとはしなかった。

 

 ジョエルらしい。

 ジョエルらしくて、腹が立った。

 

 あんたは生きている。

 

 ジョンは死んだ。

 

 その事実が、ジョエルを見るたびに形を持つ。

 

 でも、ジョエルが死んでいたらよかったなんて思わない。

 

 思えない。

 それもまた、腹が立った。

 

 ジョエルに対してなのか、ジョンに対してなのか、自分に対してなのか、分からない。分からないことばかりだった。

 

 私は部屋に戻って、机の引き出しを開けた。中には、ジョンの遺書がある。最新版だけ。

 

 何度も読んだわけじゃない。

 でも、だいたい覚えていた。

 

 『オレのために死ぬなよ〜』

 

 『復讐ルートには行くな』

 

 『あれはクソ長い負けイベントです』

 

 『オレのために人生をバグらせるな』

 

 どれもふざけた言い方なのに、意味は逃げられないくらい重かった。

 

 ジョンは、あの先を知っていた。

 

 ……たぶん。

 私たちが復讐に行ったらどうなるか。誰が壊れるのか。何を失うのか。そういうものを、アイツは知っていたのだと思う。

 

 だから止めた。

 止めるために、死んだ。

 

 でも、だったら。

 だったら、なんで自分が死ぬことで何が起きるかは分からなかったんだ。

 

 私は引き出しを閉めた。閉めたあと、また開けた。

 

 馬鹿みたいだった。

 紙を取り出して、机の上に置く。最新版の封筒。ジョンの字。見るだけで喉が詰まる。

 

 その横に、白い紙を置いた。何かを書こうと思った。

 

 誰に。

 

 ジョンに。

 

 違う。ジョンには届かない。

 

 ディーナに。

 

 違う。ディーナには言葉で言える。たぶん。言えるかは分からないけど、生きているから、まだ言える。

 

 ジェシーに。

 

 違う。あいつはもう、分かりすぎるくらい分かっている。

 

 ジョエルに。

 

 手が止まった。

 

 ペン先が紙の上で止まる。黒い点がじわっと広がった。

 

 ジョエル。

 

 書いたら、何かが変わる気がした。

 

 書かなければ、何も変わらない気がした。

 

 どちらも怖かった。

 頭の中のアイツが、軽い声で言う。

 

 “喧嘩してもいい。許せなくてもいい。でも、生きてるうちに怒った方がいい。死んだら、文句も届かない。これはマジ。”

 

 うるさい。

 死んだやつが言わないで。

 

 でも、ジョンの言葉は消えない。

 

 私は紙に、ジョエル、と書いた。

 

 何度も失敗した。

 最初の紙には、怒りしかなかった。

 

 あんたが嘘をついたせいで。

 

 あんたが病院で。

 

 あんたが私のためって顔で。

 

 そこまで書いて、ぐしゃぐしゃに丸めた。

 

 次の紙には、謝罪しかなかった。

 

 ごめん。

 ジョンが死んだ時、私は。ジョエルを見られなかった。

 

 それも丸めた。

 

 次は何も書けなかった。

 ペンを握ったまま、窓の外を見た。雪が少しだけ降っていた。窓枠に薄く積もっている。

 

 頭の中のアイツが、雪を見て勝手に喋る。

 

 “雪の日イベントは信用するな。滑ると体力が削れる。寒冷地マップは物資が渋い。”

 

 意味は分からない。

 意味は分からないのに、声だけは分かる。

 

 私は笑えなかった。

 新しい紙を出した。

 

 今度は、短く書くことにした。

 長く書くと、嘘が混じる気がした。正しいことを書こうとすると、言い訳になる気がした。

 

 だから、短く。

 逃げられないように。

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 ジョエルへ。

 

 まだ許せない。

 

 たぶん、すぐには無理。

 

 ソルトレイクのことも、嘘をついたことも、私の人生を勝手に決めたことも、全部。

 

 でも、話さないまま死なれるのは、もう嫌だ。

 

 ジョンが死んだ。

 

 アイツは、勝ったつもりで死んだ。

 

 ジョエルと私が生きているなら勝ちだって、本気で思ってた。

 

 私は、それがムカつく。

 

 すごくムカつく。

 

 でも、アイツがそこまでして残した時間を、また黙って潰すのも嫌だ。

 

 だから話したい。

 

 今すぐ許すって意味じゃない。

 

 仲直りしたいって言えるほど、まだ整理もできてない。

 

 でも、逃げたくない。

 

 あんたにも逃げてほしくない。

 

 返事はいらない。

 

 でも、読んで。

 

 それから、いつか話して。

 

 生きてるうちに。

 

 エリー。

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 書き終わって、しばらく紙を見ていた。

 

 短い。

 短いのに、手が震えていた。

 

 これを渡したら、何かが始まる。たぶん。始まらないかもしれない。ジョエルは黙るかもしれない。読んで、しまって、何も言わないかもしれない。私も結局逃げるかもしれない。

 

 でも、それでもいいと思った。

 

 少なくとも、紙は渡せる。

 言葉を全部口にするよりは、まだできる。

 

 ジョエルの家の前まで行くのに、ひどく時間がかかった。

 

 町の中なのに、遠かった。

 道の途中でディーナに会った。何かを運んでいる途中だった。私の手元を見て、それが手紙だと分かったらしい。

 

 「行くの?」

 

 「たぶん」

 

 「たぶん?」

 

 「行く。……たぶん」

 

 ディーナは少しだけ笑った。

 

 「それ、行くって言うんだよ」

 

 「うるさい」

 

 「うん」

 

 ディーナはうなずいた。それから、私の肩に軽く触れた。

 

 「待ってる」

 

 「どこで」

 

 「どこでも。必要なら探して」

 

 「何それ」

 

 「便利でしょ」

 

 私は小さく息を吐いた。

 

 「……ありがと」

 

 ディーナは何も言わず、荷物を抱え直して歩いていった。

 

 ジョンの家で、ディーナに向けた手紙の部分を読んだことを思い出す。

 

 『エリーの隣にいてくれてありがとう』

 

 アイツに言われるまでもない。

 でも、言われたせいで、余計に分かってしまった。

 

 私は、ひとりではたぶん、ここまで来られなかった。

 

 ジョエルの家の前に着いた。

 扉の向こうから、微かな物音がした。椅子が床を擦る音。ゆっくりとした足音。たぶん、杖の音。

 

 逃げたくなった。

 今ならまだ帰れる。手紙を引き出しにしまって、なかったことにできる。ジョンのせいにして怒り続けることもできる。ジョエルを見ないまま、何日でも、何週間でも。

 

 でも、死んだら届かない。

 文句も、怒りも、許すかどうかも。

 

 ―――全部。

 

 私は扉を叩いた。

 

 一回。

 少し間が空いて、足音が近づいてくる。

 

 扉が開いた。

 ジョエルがいた。

 

 顔色は悪かった。右脚に体重をかけないように立っている。左手には杖。頬の痣は薄くなっていたけれど、消えてはいない。

 

 私を見て、ジョエルは少しだけ目を見開いた。

 

 「エリー」

 

 久しぶりに、名前を呼ばれた。

 それだけで、喉の奥が痛くなった。

 

 「入るか」

 

 ジョエルが言った。

 私は首を横に振った。

 

 「これ」

 

 手紙を差し出した。

 ジョエルは手紙を見て、それから私を見た。

 

 「今、読むのか」

 

 「あとでいい」

 

 「分かった」

 

 ジョエルは手紙を受け取った。指先が少しだけ震えていた。怪我のせいなのか、別の何かなのかは分からない。

 

 沈黙が落ちた。

 

 

 

 

 「ジョンの」

 

 ジョエルが言った。

 

 私は顔を上げた。

 

 「遺書を読んだ」

 

 胸が跳ねた。

 

 「マリアから聞いた。全部じゃない。最新のやつだ」

 

 「……そう」

 

 「俺宛てもあったらしいな」

 

 「ある」

 

 「そうか」

 

 ジョエルは手紙を見た。

 

 「何を書かれてた」

 

 聞かれて、すぐには答えられなかった。

 

 ジョンの言葉が浮かぶ。

 

 『生きててくれ』

 

 『エリーと話してくれ』

 

 『それで、できればギターを続けてくれ』

 

 『娘はやらんぞって顔、何回かしてた』

 

 『あなたとエリーが生きているなら、オレは勝ちです』

 

 どれを言えばいいのか分からなかった。

 

 「生きろって」

 

 結局、それだけ言った。

 ジョエルは目を閉じた。

 

 長い沈黙だった。

 

 「そうか」

 

 その声は、かすれていた。

 

 「馬鹿だよね」

 

 私は言った。

 

 ジョエルは目を開けた。

 

 「馬鹿だ」

 

 静かな声だった。

 

 「本当に、馬鹿な子だ」

 

 

 その言葉に、胸が締め付けられた。

 ジョエルはジョンのことを、子どもとして見ていた。私の友達で、少し怪しくて、危なっかしくて、妙に近い距離にいる男の子。たぶん、時々本気で警戒していた。

 

 娘はやらんぞって顔。

 ジョンの遺書に書いてあった言葉を思い出して、泣きそうになった。

 

 「私、まだ怒ってる」

 

 「俺にか」

 

 「うん」

 

 ジョエルは頷いた。

 

 「分かってる」

 

 「ジョンにも怒ってる」

 

 「……ああ」

 

 「自分にも」

 

 ジョエルは何も言わなかった。

 

 私は息を吸った。

 

 「でも、話さないまま死なれるのは嫌だ」

 

 その言葉を口にした瞬間、何かが崩れそうになった。

 

 ジョエルの顔が歪んだ。

 

 「エリー」

 

 「今はいい」

 

 私は言った。

 

 ジョエルは口を閉じた。

 

 「今はまだ、ちゃんと話せない。だから手紙にした。返事はいらない。でも、読んで」

 

 「ああ」

 

 「逃げないで」

 

 ジョエルは手紙を握った。

 

 「ああ」

 

 短い返事だった。

 でも、逃げるための返事には聞こえなかった。

 

 私は頷いて、踵を返した。

 

 「エリー」

 

 呼ばれて、足を止める。振り返らなかった。

 

 「ジョンは」

 

 ジョエルの声が、一度止まった。

 

 「ジョンは、笑ってたな」

 

 喉が詰まった。

 

 「うん」

 

 「俺には、何で笑ってたのか分からなかった」

 

 私にも分からない。

 たぶん、ジェシーには少しだけ分かっていた。でも、それでも全部じゃない。

 

 ジョン本人だけが、分かっているつもりで死んだ。

 

 「勝ったつもりだったんだと思う」

 

 私は言った。

 

 「ジョエルと私が生きてたから」

 

 ジョエルは何も言わなかった。

 だから、続けた。

 

 「でも、勝ちじゃない」

 

 今度は、ちゃんと振り返った。

 ジョエルは扉のところに立っていた。手紙を持ったまま、苦しそうな顔をしていた。

 

 「勝ちじゃないよ、ジョエル」

 

 ジョエルは私を見て、ゆっくり頷いた。

 

 「分かってる」

 

 その一言だけで、もう限界だった。

 私は逃げるように歩き出した。ジョエルは追ってこなかった。追える脚でもなかったし、追わなかったのだと思う。

 

 雪が降っていた。ジョンの墓の上にも、たぶん降っている。

 

 『オレのために死ぬなよ〜』

 

 あの軽い文字が、頭の中で揺れる。

 

 死なない。

 

 今はまだ、それくらいしか言えない。

 

 復讐にも行かない。

 

 たぶん。

 

 いや、行かない。

 行ったら、ジョンが作ったものを壊すことになる。

 

 ジョエルが生きていることも、私がここにいることも、ディーナも、ジェシーも、トミーも、まだ同じ町で息をしていることも。

 

 アイツが勝ちだと思って笑った全部を、私が負けに変えることになる。

 

 そんなの、腹が立つ。

 死んだあとまで勝った顔をされるのもムカつくけど、その勝ちを私が壊すのはもっとムカつく。

 

 だから行かない。

 でも、許したわけじゃない。

 

 ジョンも。ジョエルも。自分も。

 まだ、何も。。

 

 それでも手紙は渡した。

 言葉は、死んだら届かない。

 

 だったら、生きているうちに投げつけるしかない。たとえそれが、紙一枚ぶんの弱いものでも。

 

 私は雪の中を歩いた。

 遠くで、誰かが笑う声がした。子どもが走って、大人に怒られている。煙突から煙が上がる。馬が鳴く。町は普通に続いている。

 

 ジョンが守りたがった日常。

 

 ジョンが、自分を入れ忘れた日常。

 

 それが、ひどく腹立たしくて。

 

 ひどく、失いたくなかった。

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