宇宙小市民物語スターエイジ・フールマンズ 作:アイアイホイホイおさるさん
1.
宇宙は静かだ。
音がない、という意味ではない。船内には常に、機械の唸りと微かな振動がある。生命維持装置が空気を循環させる音、電力系統のかすかな共鳴、冷却パイプを流れる液体の脈動。
だがそれらはすべて“内側”の音だ。
外には、何もない。
真空は、すべてを拒絶する。
音も、熱も、そして人の営みさえも。
だからこそ、時々――本当にどうでもいいことを考えてしまう。
「なあセリア。人類ってさ、なんで宇宙に出たんだと思う?」
ジョン・サトウは操縦席にだらしなく身体を預けたまま、そんな問いを投げた。
背もたれは軋み、ツナギには油の染みが何層にも重なっている。短く切った黒髪は寝癖のまま固まり、無精ひげは三日どころではない。年齢は三十。見た目はそれ以上。
彼の人生はだいたいこんな感じだった。
中途半端に働いて、中途半端に生きて、気がついたら宇宙でゴミを拾っている。
「ロマン、とか言いたいところだけど」
隣のシートに座る女――セリアは、脚を組んだままモニターを眺めていた。
紫色の髪は人工的な光沢を持ち、ぴっちりとしたスーツは身体のラインを強調している。無駄に整った顔立ちと、わざとらしいほどの色気。
そして、その中身は中古のセクサロイドだ。
「現実的には、ゴミ捨て場が欲しかったからじゃない?」
彼女はあっさりとそう言った。
「夢も希望もねえな」
「現実ってそういうものよ。地球で捨てきれなくなったものを、宇宙に押し出しただけ。で、今はその宇宙のゴミをあなたが回収してる」
セリアが軽く顎で示す。
スクリーンには、ゆっくりと回転する金属片が映っていた。
外壁の一部。古い輸送船か、コロニーの残骸か。表面は焼け焦げ、微細なクレーターが無数に刻まれている。
価値としては、鉄くず。
だが、それでも売れる。
「夢を語るには腹が減りすぎてるんだよ」
ジョンはぼやきながら操縦桿を握る。
ラクーン号がわずかに姿勢を変え、機体下部から伸びた回収アームがゆっくりと動き出す。
「もうちょっと左。流されてる」
「分かってるって」
セリアの指示は正確だ。彼女の演算能力は、人間のそれを軽く上回る。
ジョンはそれに従い、微調整を繰り返す。
無重力空間での作業は繊細だ。ほんのわずかな推力でも、対象は簡単に軌道を変えてしまう。
やがて。
ガコン、と鈍い衝撃。
アームの先端が金属片をしっかりと掴んだ。
「よし、一個ゲット」
ジョンは小さくガッツポーズをする。
その様子は、子供じみていると言えばそうだが――この仕事では、それくらいの達成感がなければやっていられない。
「今日の夕飯はちょっと豪華にするか」
「その台詞、今週三回目」
「言うだけならタダだろ」
「実現しない夢って、悲しいわね」
セリアは肩をすくめ、わざとらしくため息をついた。
ジョンはちらりと横目で彼女を見る。
この女は、本当に妙な存在だ。
本来は“そういう用途”で作られた機械のはずなのに、今は宇宙船のナビゲーター兼作業補助。しかもやたら口が回る。
「なあ、セリア」
「なに?」
「お前さ、本来の用途、完全に忘れてるよな」
「仕事に誇りを持ってるだけよ」
「ジャンク回収に?」
「パートナーとして、ね」
にこり、と笑う。
その笑顔は完璧すぎて、逆に信用できない。
「その顔やめろ。絶対なにか企んでる」
「いつもよ」
「なおさらタチ悪いわ」
軽口を叩き合う。
それが、この船の日常だった。
ラクーン号は、小型の作業船だ。
戦闘能力はない。速度も大したことはない。だが、積載量と作業効率に特化している。
船内は狭く、雑然としている。
壁にはスパナや溶接機がぶら下がり、床には解体途中の機械部品が転がる。簡易ベッドとキッチンが一応あるが、生活の質はお察しだ。
それでも、ここがジョンの家だった。
「……ん?」
そのとき、セリアの表情がわずかに変わった。
「どうした?」
「センサーに変な反応。ちょっと大きいわね」
モニターが切り替わる。
映し出されたのは――明らかに“破片”ではない構造物だった。
巨大なリング状の外郭。
複数のドッキングアーム。
ところどころが破損し、外装が剥がれ落ちている。
「……宇宙ステーション、か?」
ジョンは思わず身を乗り出した。
「たぶん。識別信号は死んでる。航路データにも登録されてない」
「未登録ってことは……」
「放置されたまま、ってこと」
二人の視線が合う。
その意味は同じだった。
「当たりか、ハズレかは中身次第ね」
「ハズレでもスクラップになる」
「夢がないわねえ」
「さっきお前が言ったんだろ」
だが、ジョンの口元はわずかに緩んでいた。
こういう発見は久しぶりだ。
大物の予感がする。
「行くぞ」
「はいはい。どうせ止めても行くでしょ」
「当然だ」
ラクーン号は進路を変え、ゆっくりとステーションへ接近する。
距離が縮まるにつれ、その異様さがはっきりしてくる。
外壁には無数の傷。
焼け焦げた跡。
爆発で吹き飛んだような欠損部。
「戦闘の跡、かな」
セリアが分析する。
「物騒だな……」
「でもその分、未回収のまま放置されてる可能性が高い」
「つまり?」
「お宝の山」
その言葉で、ジョンの中の何かが完全にスイッチを入れた。
危険?
関係ない。
貧乏の方がよっぽど現実的な脅威だ。
「決まりだ。中に入る」
「死なない程度にね」
「お前も働けよ」
「私は繊細なの」
「どの口が言う」
やがてラクーン号は、破損したハッチへと滑り込む。
外光が遮断される。
闇が、船体を包み込む。
センサーだけが頼りの空間。
内部は完全に無人のはずだった。
だが。
「……なあ、セリア」
「なに?」
「こういうのってさ」
「うん」
「だいたいロクなこと起きないよな」
ほんのわずかな沈黙。
そして、セリアはいつもの調子で言った。
「今さらでしょ」
ラクーン号は静かに停止する。
ハッチの向こうには、無重力の通路が広がっている。
照明は死に、空気もほとんど残っていない。
完全な廃墟。
――の、はずだった。
ジョンは、理由の分からない違和感を覚える。
静かすぎるのだ。
廃墟特有の“死んだ静けさ”とは、どこか違う。
もっと――
何かが潜んでいるような。
「セリア、内部スキャンは?」
「ノイズが多いわね……構造データも崩れてる」
「生体反応は?」
「なし」
「じゃあ安全か」
「“たぶん”ね」
「その言い方やめろ」
ジョンは苦笑しながらも、工具ベルトを締め直す。
稼ぐチャンスだ。
多少の不安くらい、飲み込むしかない。
「行くぞ」
「了解、相棒」
ハッチがゆっくりと開く。
その向こうに広がる、暗闇。
ジョンは一歩、足を踏み出した。
――その瞬間。
どこか遠くで。
金属が、わずかに擦れる音がした。
人のものではない。
もっと硬質で、重く、冷たい音。
そしてそれは、確かに“こちらへ向かって”いた
***
ハッチの向こうは、完全な無音だった。
ジョンが最初に感じたのは、“軽さ”だった。
磁気ブーツが床に触れるたび、カチ、カチ、と規則的な音が鳴る。無重力に近い環境の中で、その音だけがやけに強調されていた。
背後ではラクーン号の外部ライトが、細い光の柱を通路へと差し込んでいる。だがその光も、数十メートル先で闇に飲まれていた。
「……空気、ほぼ死んでるな」
ジョンはヘルメット越しに呟く。
簡易宇宙服の内側で、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。
「生命維持装置は完全停止。最後に動いてたのは……数年、いやもっと前かも」
セリアの声が通信越しに届く。彼女は船内からサポートしているが、外部ドローンを経由して視界は共有されていた。
「つまり、完全に廃墟ってことか」
「その割には、構造がまだしっかりしてるのが気になるけどね」
ジョンは周囲を見回す。
通路の壁面は、かつては白かったのだろう。今は煤け、ところどころに焦げ跡が残っている。パネルは剥がれ、配線がむき出しになっていた。
しかし――崩壊しているわけではない。
“壊された”のではなく、“止まった”だけのような印象。
「なあセリア」
「なに?」
「これ、戦争の跡って言ってたよな」
「外装の損傷パターンから見ると、その可能性が高いわね」
「でも中、妙に綺麗じゃないか?」
「……確かに」
セリアの声がわずかに低くなる。
「破壊されて放棄されたにしては、内部の荒れ方が不自然。避難が計画的だった可能性もある」
「計画的に逃げたのに、こんなとこ放置するか?」
「さあ。上の事情は知らない」
ジョンは肩をすくめる。
考えても仕方ない。
彼の仕事は考古学ではなく、回収だ。
「とりあえず、使えそうなもん探すか」
「了解。右側の区画に格納庫があるはず」
「了解、ナビさん」
通路を進む。
磁気ブーツが床を叩く音だけが、やけに響く。
やがて、広い空間へと出た。
格納庫だった。
天井は高く、複数のドッキングベイが並んでいる。だが、そのほとんどは空だった。
残っているのは――壊れた機体の残骸だけ。
「……派手にやられてるな」
ジョンは近くの機体に手を伸ばす。
外装は裂け、内部フレームが露出している。コクピット部分は完全に潰れていた。
「武装は?」
「持ってないタイプね。輸送用か、作業機」
「ってことは、逃げる側だったのか」
「たぶんね」
ジョンは機体の一部を外し、工具で内部を確認する。
基盤は焼けているが、一部のパーツは使えそうだ。
「よし、これ持って帰るか」
「小さいわね」
「コツコツ積むのが大事なんだよ」
彼は慣れた手つきでパーツを外し、回収バッグに放り込む。
その間も、妙な感覚が消えない。
静かすぎる。
死んだ場所の静けさではない。
何かが“潜んでいる”ような――そんな違和感。
「……セリア」
「なに?」
「さっきから妙に落ち着かないんだけど」
「それ、直感?」
「まあな」
「珍しく当たるかもね」
「不安になる言い方やめろ」
軽口を叩きながら、次の区画へ向かう。
格納庫を抜け、さらに奥へ。
通路は徐々に狭くなり、生活区画らしき場所へと変わっていく。
扉は半開きのまま止まり、内部には散乱した家具や私物が漂っていた。
「……人がいた痕跡はあるな」
ジョンは壁に貼られた写真の残骸を拾う。
そこには、笑顔の家族らしき姿が写っていた――半分焼け焦げているが。
「急いで逃げた感じね」
「でも死体はない」
「回収されたか、最初からいないか」
「どっちも嫌だな」
ジョンは写真を元の場所に戻す。
妙に胸の奥がざらつく。
こういう場所は苦手だった。
金になるから来ているだけで、本当は――あまり好きじゃない。
「……で、次は?」
「中央制御区画。そこが一番“当たり”の可能性が高い」
「了解」
再び通路を進む。
その途中で、ジョンは足を止めた。
「どうした?」
「……今、音しなかったか?」
沈黙。
セリアは数秒間、センサーを走らせる。
「……ノイズ以外は検出なし」
「いや、確かに――」
そのとき。
ギィィ……と。
遠くで、金属が歪むような音が響いた。
ジョンの背筋に冷たいものが走る。
「……セリア」
「聞こえたわ」
今度は彼女もはっきりと認識した。
「生体反応は?」
「なし。でも――」
「でも?」
「何か、動いてる」
次の瞬間。
ドン、と重い振動が床を伝った。
遠くから、確実に“何か”が近づいてくる。
ゆっくりと、しかし確実に。
「……おいおい」
ジョンは苦笑する。
「やっぱりロクなことにならねえじゃねえか」
「言ったでしょ」
セリアの声は、わずかに緊張を帯びていた。
暗闇の奥。
何かが動く。
複数の脚が床を掴む音。
重い金属が擦れる音。
そして――
低く唸る、機械の駆動音。
やがて、それは姿を現した。
巨大な影。
ヤシガニのように広がる装甲。
左右に構えた巨大なハサミ。
中央には、鈍く光るセンサーアイ。
そして、その下部――
ゆっくりと回転を始める、ガトリングガン。
「……おいセリア」
「なに?」
「“無人”って言ってたよな、このステーション」
「言ったわね」
「じゃあアレなんだよ」
「無人“戦闘ロボット”でしょうね」
一瞬の沈黙。
そして。
ガトリングが、唸りを上げた。
「走れええええ!!」
ジョンは反射的に床を蹴った。
直後、弾丸の嵐が通路を引き裂く。
金属片が弾け、火花が散る。
「ちょ、ちょっと待ってあんなの聞いてない!」
「私も初見よ!」
「役に立たねえ!」
「失礼ね!」
怒鳴り合いながら、ジョンは全力で通路を駆ける。
背後では、重い脚音が迫ってくる。
逃げ場のない廃ステーション。
武装なしのジャンク屋と、口だけは達者なセクサロイド。
そして、戦闘用に設計された殺戮機械。
「……詰んでねえかこれ!?」
「まだ諦めるには早いわ!」
「いい案あんのか!?」
「これから考える!」
「今すぐ考えろ!」
弾丸が壁を抉り、通路が崩れ始める。
ジョンは歯を食いしばる。
逃げるしかない。
――いや。
生き残るには、それ以上の何かが必要だった。