宇宙小市民物語スターエイジ・フールマンズ 作:アイアイホイホイおさるさん
夕焼けが、工場の屋根を赤く染めていた。
ウエスターシティの外れにあるミューディの整備工場は、昼間の熱をまだ残していて、コンクリートの床からじんわりと熱気が立ち上っている。
あちこちに積まれた部品の山、壁に立てかけられた古い工具、天井を走るクレーンのレール――どれも使い込まれていて、ここがただの作業場ではなく、“長く続いてきた場所”だということを静かに語っていた。
その中心に、ジーヘッドは据えられている。
外装はほとんど外され、骨格のようなフレームが剥き出しになり、無数のケーブルと補助アームが絡みつくように接続されている姿は、
戦うための機械というよりも、解体と再構築の途中にある巨大な存在だった。
時折、火花が散る。
金属が擦れる音、ボルトを締める鈍い振動、圧縮空気の抜ける音。
それらが混ざり合い、工場特有のリズムを刻んでいた。
「……ほんと、よく壊れずに帰ってきたわね」
ミューディが脚立に乗ったまま、ジーヘッドの関節部を覗き込みながら呟く。
汗で少しだけ張り付いたドレッドヘアを鬱陶しそうに払いながら、レンチを回す手は止まらない。
「これ、あと一発まともにもらってたら、普通に動かなくなってたわよ」
「でも動いた」
工場の壁にもたれながら、ジョンが気のない調子で返す。
疲れは隠しきれていないが、声にはまだ余裕があった。
「動いたから勝った」
「はいはい、結果論ね」
ミューディは肩をすくめる。
だが、その口元はわずかに緩んでいる。
「でも、そのツケは全部ここに来てるんだから。今から死ぬ気で直すのはあたしなんだけど?」
「頼りにしてる」
「軽い!」
即座にツッコミが飛ぶ。
だがそのまま、ミューディはふっと息を吐いた。
「……まあいいわ」
レンチを一度離し、ジーヘッドのフレームを軽く叩く。
「明日までに、ちゃんと“勝てる状態”にしてやる」
その言葉には、冗談めいた響きはなかった。
ただ真っ直ぐで、職人としての意地が乗っている。
ジョンは小さく頷いた。
「それで十分だ」
そのやり取りのすぐそばで。
セリアはジーヘッドの背部に接続されていた。
細いケーブルがいくつも伸び、彼女の首筋や腕に取り付けられた端子と繋がっている。目は閉じられ、姿勢は微動だにせず、呼吸すら感じ取れないほど静かだった。
まるで、機体の一部。
『……接続状態、安定。構造補正、進行中』
発せられた声は、やはりいつもより淡々としている。
感情の起伏が削ぎ落とされたような、均一な響き。
ジョンはそれをしばらく見ていたが、やがて視線を外した。
「……違和感あるな」
ぽつりと呟く。
ミューディが工具を動かしながら答える。
「接続してる時はああなるの。機体の演算に引っ張られるっていうか、意識のリソースそっちに回してるから」
「便利なんだろうけどな」
「便利よ。めちゃくちゃ」
カン、と工具を置く音。
「でも、“人っぽさ”は減る」
その言葉に、ジョンは小さく鼻を鳴らした。
「減りすぎだろ」
「でしょ」
ミューディは苦笑する。
やがて、セリアの接続が解除される。
ケーブルが外れ、彼女の身体がわずかに揺れた。
数秒の間。
まるで深い水の中から浮上するように、ゆっくりと目が開く。
「……終わりました」
声は、元に戻っていた。
先ほどまでの無機質さは薄れ、ちゃんと“彼女の声”になっている。
「おかえり」
ジョンが軽く言う。
セリアは一瞬きょとんとしたあと、小さく頷いた。
「ただいま……でいいのかしら」
「いいんじゃない?」
ミューディが肩越しに笑う。
「ほら、ちょうどいいタイミング。休憩にしましょ」
工場の外では、すでに炭火が起こされていた。
簡易的なグリルの上で、赤くなった炭がじわじわと熱を放っている。夜の空気は少しだけ涼しくなり、その中で立ち上る煙がゆっくりと流れていく。
「前祝いってやつ」
ミューディが肉の乗った皿を運びながら言う。
「決勝前夜なんだから、これくらいはやらないと」
「負ける気はないってか」
「当然」
即答だった。
網の上に肉が置かれる。
じゅう、と音が鳴り、脂が落ちて小さく炎が上がる。
香ばしい匂いが広がる。
戦場とはまるで違う、穏やかで、どこか懐かしい空気。
「はい、焼けたわよ」
ミューディがトングで肉をひっくり返しながら言う。
ジョンはそれを受け取り、一口かじる。
「……うまいな」
「でしょ」
得意げに笑う。
その横で、セリアは炎をじっと見つめていた。
ゆらゆらと揺れる火。
その光が、彼女の瞳に映る。
少しして。
「ねえ」
不意に、セリアが口を開いた。
さっきまでよりもずっと自然な、いつもの調子で。
「接続してるときの私、あれちょっと嫌かも」
あっさりした言い方だった。
ジョンが視線を向ける。
「嫌?」
「うん。なんていうか……無機質すぎるのよね」
自分で言いながら、少しだけ眉をひそめる。
「ちゃんと動いてるのはわかるんだけど、あとで思い返すと、“あれ私だった?”ってなる感じ」
「へえ」
ミューディが面白そうに反応する。
「自覚あるんだ」
「あるわよ、それくらい」
セリアは肩をすくめる。
「効率はいいのはわかるんだけどね。あそこまで感情切り落とされると、ちょっと味気ないっていうか」
少し考えるように、炎を見つめる。
「もう少しこう……普通のまま繋がれたらいいのに、って思うのよ」
重くはない。
ただの違和感。
でも、確かにそこにある感覚。
ジョンはしばらく黙って、それを聞いていた。
炭火がぱち、と弾ける。
夜の気配が、ゆっくりと濃くなっていく。
炭火の赤が、夜の中で静かに揺れていた。
昼間の熱気が嘘のように引き、工場の外にはひんやりとした風が流れている。遠くからはウエスターシティの喧騒が微かに届き、ここだけが少し切り離されたような、不思議な静けさに包まれていた。
網の上では、肉の焼ける音が続いている。
じゅう、と脂が落ち、炎が小さく跳ねる。
その光を見つめながら、セリアはまだ少しだけ考え込んでいるようだった。
「……でも、まあ」
ふっと肩の力を抜くように言う。
「必要なのはわかってるのよね。あの状態のほうが、ジーヘッドの反応も良くなるし」
「そりゃな」
ジョンは頷く。
「お前が“人間らしいまま”だったら、あの精度は出ないだろ」
「やっぱりそうよね」
少しだけ残念そうに笑う。
けれど、その表情は重くはない。
「だからまあ、完全に嫌ってわけじゃないの。ただ――」
炭火をつつきながら、小さく言う。
「ちょっと味気ないだけ」
「贅沢だな」
「でしょ?」
セリアは軽く笑った。
そのやり取りを聞いていたミューディが、トングをくるくる回しながら口を挟む。
「でもさ、それ言えるってことは大丈夫ってことじゃない?」
「どういうこと?」
「完全におかしくなってるなら、“違和感ある”って思えないでしょ」
肉をひっくり返しながら、あっさりと言う。
「ちゃんと戻ってきてる証拠よ、それ」
「……まあ、それもそうか」
セリアは少し考えてから頷いた。
納得した、というよりは、「そういう見方もあるか」と受け入れた感じだった。
そのまま、しばらくの間は他愛もない時間が流れる。
焼けた肉をつまみ、簡単な飲み物を回し、明日のことをあえて話題にしない。
戦いの直前だからこそ作られた、意識的な“余白”。
やがて。
ミューディが、ふと手を止めた。
トングを網の端に置き、炎をじっと見つめる。
「……この工場さ」
ぽつりと呟く。
「元々は、あたしのじいちゃんのだったのよ」
ジョンが視線を向ける。
セリアも、静かに耳を傾ける。
「小さい頃からずっとここにいてさ。工具の音とか、油の匂いとか、全部当たり前だった」
ミューディは少しだけ笑う。
懐かしむような、でもどこか照れくさいような笑い方。
「じいちゃん、めちゃくちゃ厳しくてね。最初にレンチ持たせてもらったとき、“締め方が甘い”ってそれだけで怒鳴られてさ」
「お前が怒鳴られる側か」
「失礼ね」
軽く睨むが、すぐに表情は戻る。
「でもさ、不思議と嫌じゃなかったのよ。ちゃんとやれば褒めてくれるし、“機械は嘘つかない”って口癖みたいに言ってて」
炎がぱち、と弾ける。
「ちゃんと触ればちゃんと応えてくれる、って」
ミューディは、ジーヘッドが見える工場の方へ視線を向けた。
「だから、この場所も……機械も、けっこう好きでさ」
ほんの少し、声が落ちる。
「なのにさ、あいつ――ドン・ジーツーが来て、“ここはもう終わりだ”みたいな顔で言うわけよ」
吐き捨てるように言う。
その目には、はっきりとした苛立ちが浮かんでいた。
「土地ごと全部買い上げるとか言って、断ったら嫌がらせしてきて……ほんと最悪」
「だろうな」
ジョンは短く返す。
ミューディは肩をすくめる。
「正直さ、最初はもう無理かなって思ったのよ。あいつの資金力とか権力とか、どう考えてもこっちが勝てる相手じゃないし」
そこで、一度言葉を切る。
そして、少しだけ笑った。
「でもさ」
視線がジョンに向く。
「あんたが来た」
あっさりとした言い方だった。
だが、その中に含まれる意味は軽くない。
「ボロボロの機体で大会出るとか言い出してさ。普通なら止めるでしょ」
「止めなかったな」
「面白そうだったし」
即答だった。
だが、次の言葉は少しだけ柔らかい。
「……あと、“やれるかも”って思ったのよ」
炎の光が、ミューディの横顔を照らす。
「この工場、あたしが継いだものだけどさ。ここで終わらせたくないのよ」
静かに言う。
「じいちゃんが残した場所だから、っていうのもあるけど……それだけじゃなくて」
少し考えてから、言葉を選ぶ。
「ここで、まだ何か作れる気がするのよ」
ジョンは黙ってそれを聞いていた。
風が一度、強く吹く。
炭火が揺れ、火の粉が小さく舞う。
「だからさ」
ミューディは肩をすくめる。
「明日、勝ちなさいよ」
あっさりした口調。
けれど、それは命令でも願いでもなく、ただの“当然”みたいな言い方だった。
「賞金もいるでしょ?あたしも工場守れるし」
「ついでか」
「メインよ」
即答。
そして、にやっと笑う。
ジョンは少しだけ息を吐いた。
空を見上げる。
夜はもう深く、星がいくつか瞬いている。
「……勝つさ」
短く言う。
それ以上の言葉はいらなかった。
「理由はいくつかあるけどな」
少しだけ間を置く。
「借金とか、工場とか……」
そして、視線を二人に向ける。
「まあ、それだけでもない」
それで十分だった。
セリアが小さく頷く。
「じゃあ、安心ね」
軽い調子で言う。
「その言い方だと、負ける未来が見えないもの」
「プレッシャーかけるな」
「期待してるだけ」
くすっと笑う。
ミューディも、満足そうに頷いた。
「よし、それでいい」
トングを持ち直す。
「じゃあ食べなさい。冷める前に」
再び、肉が網の上で音を立てる。
何気ない時間。
けれど、それは確かに“明日の戦いに繋がる時間”だった。
工場の奥では、ジーヘッドが静かに佇んでいる。
修復途中のまま、それでも確実に“明日”へ向かっている。
炎の光と、鋼の影。
そのあいだで、三人は同じ時間を共有していた。
やがて、火は少しずつ弱まり。
夜はさらに深くなる。
決戦は、もうすぐそこだった。