宇宙小市民物語スターエイジ・フールマンズ 作:アイアイホイホイおさるさん
16.
銀河連合外縁宙域――農業研究用スペースコロニー・T2R。
それは、次世代食料開発の最前線だった。
巨大な円筒型コロニーの内部には、人工の青空と太陽光が再現され、地表には広大な農業プラントと自然環境再現区域が広がっている。
重力制御によって作られた大地には森林、湿地、草原、河川までもが存在し、宇宙空間に浮かぶ人工施設とは思えないほど“地球らしい風景”が形作られていた。
その中心で行われていたのが、遺伝子改良食料の研究。
限られた資源で爆発的に人口が増加した銀河社会を支えるため、“より少ない土地で、より大量の食料を生み出す”ことが求められていた。
T2Rは、その答えになるはずだった。
「第七培養区画、成長率二八〇パーセントを突破!」
「第三プラントの穀物群、巨大化安定を確認!」
「タンパク質変換効率、基準値を大幅に上回っています!」
白い研究室。
透明モニターの光が飛び交う中、研究員たちは興奮気味に声を上げていた。
巨大スクリーンには、実験中の植物群が映し出されている。
通常の三倍以上に肥大化した穀物。
異様な速度で成長する野菜。
本来ではありえない規模まで巨大化した果実。
それはまさに“夢の食料”だった。
「これが完成すれば、食料問題は一気に解決するぞ」
「辺境惑星にも安定供給が可能になります」
「銀河連合本部も予算を増やすでしょうね」
期待。
興奮。
成功への確信。
研究室全体が熱気に包まれていた。
だが、その熱狂の中で、一人だけ険しい表情をしている男がいた。
年老いた科学者だった。
白衣を着崩し、伸びた髭を撫でながら、巨大スクリーンをじっと睨んでいる。
「……増殖速度が早すぎる」
低く呟く。
「え?」
若い研究員が振り返る。
「ですが、数値上は成功ですよ?」
「成功しすぎとる」
老人は眉をひそめた。
「植物細胞だけじゃない。周囲の微生物にも変異が広がっとるぞ」
モニターを操作する。
映し出されたのは顕微鏡映像。
通常ではありえない速度で分裂を繰り返す細胞群。
その一部は、すでに本来の形を失い始めていた。
「制御遺伝子が不安定化しとる。これ、増殖対象を選別できてないんじゃないか?」
「で、ですが自然環境再現区域への影響は限定的と――」
「“今は”じゃろうが」
老人は吐き捨てるように言う。
「遺伝子汚染が広がれば、生態系そのものが変わるぞ」
空気が少しだけ冷える。
だが、その空気を打ち消すように別の研究員が笑った。
「心配しすぎですよ」
「そうです。環境制御AIもありますし」
「異常があれば自動隔離されます」
楽観的な声。
この研究は莫大な予算と期待を背負っている。
だからこそ、“失敗”を想定したくない者も多かった。
老人は舌打ちする。
「……嫌な予感がするんじゃよ」
そのときだった。
――警報。
突如として、研究所全体に赤い警告灯が点灯した。
『警告。第三区画にて異常増殖を確認』
『警告。生態系バランスに深刻な変化を検出』
『警告。隔離壁作動――失敗』
研究室の空気が凍る。
「なに!?」
「どういうことだ!?」
モニターが切り替わる。
映像。
そこに映っていたのは――“森”だった。
いや、違う。
植物だ。植物が、増殖している。
爆発的な速度で。
樹木が膨れ上がり、蔓が壁を突き破り、芝生がまるで波のように広がっていく。研究施設そのものを飲み込む勢いで。
「馬鹿な……!」
「成長速度が制御限界を超えてる!」
「環境制御システムが追いつきません!」
警報音がさらに激しくなる。
『危険。危険。環境汚染レベル上昇』
『未知の変異反応を確認』
『警告。動物群にも変異反応――』
その瞬間。
映像の端で、“何か”が動いた。
巨大な影。
次の瞬間、カメラが激しく揺れる。
悲鳴。通信ノイズ。
そして――映像が途切れた。
研究室が静まり返る。
「……今の、なんだ」
誰かが呟く。
答えはない。
だが、その直後。
コロニー全域が激しく揺れた。
衝撃。
天井の照明が点滅する。
『警告。外壁区画に損傷確認』
『生物反応、急速拡大』
『危険レベル上昇』
「まさか……」
老人の顔が青ざめる。
「生物そのものまで変異し始めたのか……!?」
次の瞬間。
遠くから――“咆哮”が響いた。
低く。重く。
空気そのものを震わせるような声。
研究員たちの顔から血の気が引く。
「……なんだよ、あれ」
また揺れる。
今度はもっと近い。
壁の向こうで、何か巨大なものが動いている。
その時。
研究室の隔壁が、内側から吹き飛んだ。
爆音。
金属が捻じ曲がる。
悲鳴。
そして―― “それ”が現れた。
巨大な顎。
異常発達した筋肉。
赤黒い鱗。
二本の巨大な角。
恐竜のようでいて、どこか違う。
生物として歪すぎる怪物。
燃えるような目が、研究員たちを見下ろしていた。
誰かが震える声で呟く。
「……化け物」
次の瞬間。
怪物が、咆哮した。
炎が吐き出される。
研究室が爆炎に包まれた。
………
数時間後。
T2Rコロニーからの通信は、完全に途絶えた。
銀河連合は調査隊派遣を検討したが、辺境宙域での小規模事故として優先度を下げられ、本格調査は先送りとなる。
やがて。
人々は、その名を忘れていった。
――T2Rコロニー。
そこが“怪獣達の巣”になっているとも知らず。
***
宇宙は静かだった。
窓の外には無数の星々が流れ、黒い虚空の中を、一隻の小型宇宙船がのんびりと航行している。
ラクーン号。
年季の入った作業船だ。
外装には何度も補修した痕があり、塗装も剥げかけている。最新鋭とは程遠い、どこにでもある中古船。だが、それでも最低限の居住設備とジャンク回収用の作業アームを備えた、ジョンにとっては“家”そのものだった。
そして今、その船内には妙に気まずい空気が流れていた。
「……」
「……」
狭い居住スペース。
テーブルを挟み、ジョンとセリアが向かい合って座っている。
だが、二人とも微妙に目を合わせない。
理由は簡単だった。
十分ほど前。
ジョンは自室で、一人きりだと思っていた。
そして、完全に油断していた。
……健全な男が一人で部屋でする事と言えば、つまりはそういう事である。
そこにセリアが入ってきて、見られて、今に至る。
「……だからノックくらいしろって」
ジョンがぼそっと言う。
コーヒーの缶を片手に、露骨に気まずそうな顔をしていた。
「したわよ?」
セリアは平然としている。
紫の髪を指先でいじりながら、まるで本当に何でもないことのように言った。
「三回くらい」
「聞こえなかったんだよ……」
「すごい集中してたのね」
「やめろ」
即答だった。
セリアはくすっと笑う。
ぴっちりしたスーツ姿のまま椅子に座り、脚を組む。
「別にいいじゃない。男の人なんだから」
「よくねえよ……」
ジョンは深いため息をつく。
ローン返済が終わってからというもの、ラクーン号の生活は以前の“借金地獄モード”に比べればかなり平和になっていた。
朝は適当に起きる。
近場の宙域でジャンクを回収する。
売る。
帰る。
酒を飲む。
寝る。
そんなダラダラした生活。
緊張感も危機感も薄れた結果、ジョンも完全に気が抜けていた。
だからこそ、あんな事故が起きた。
「ていうか、お前は気にしなさすぎなんだよ」
「そう?」
セリアは首を傾げる。
「元々そういう用途のボディだし」
あっさりした言い方。それは事実だった。
そも、セリアは中古のセクサロイドだ。
本来は“そういう目的”のために作られた存在であり、人間の性的行動に耐性どころか知識も反応パターンも山ほどインストールされている。
だからジョンが一人で何をしていようが、彼女にとっては「別に珍しくないもの」でしかない。
「むしろ健全じゃない?」
「何がだよ」
「ちゃんと機能してるってこと」
「その言い方やめろ!」
ジョンは頭を抱える。
セリアは楽しそうに笑った。
「そんな恥ずかしがること?」
「恥ずかしいだろ普通!」
「ふーん」
わざとらしく頷く。
「じゃあ今度から気をつけるわ」
「頼む」
「ちゃんとドアロックしてるか確認してから入るようにする」
「そういう意味じゃねえ!」
セリアはまた笑う。
完全に面白がっていた。
ジョンはもう何も言わず、コーヒーを一気に飲み干した。
静かな船内。エンジン音だけが低く響いている。
ラクーン号は現在、廃棄衛星帯の近くをゆっくり漂っていた。
今日の仕事は一応終わっている。
回収したジャンクは貨物室に積み込んであり、あとは近くのステーションに持ち込めばいいだけだった。
「……平和ねえ」
セリアが背もたれに体を預けながら呟く。
「まあな」
「借金ないとこんなに空気違うんだ」
「全然違う」
ジョンは即答した。
「精神的に」
「前はずっとピリピリしてたものね」
「返済額見るたび胃が痛かった」
「よく生きてたわね」
「ほんとにな」
ジョンはぼんやり窓の外を見る。
宇宙。
静かで、広くて、退屈な景色。
だが、今はその退屈さが少し心地よかった。
戦車大会だの巨大兵器だの、そういう面倒事から離れられたのだから当然だ。
「しばらくは静かに暮らしたい……」
心底疲れた声で呟く。
その瞬間だった。
――ピピッ。
電子音。
ラクーン号のコンソールが点滅する。
「ん?」
ジョンが顔を上げる。
セリアも視線を向けた。
『受信信号確認』
『自動解析開始』
機械音声が響く。
モニターに波形データが表示される。
「……通信?」
セリアが身を乗り出す。
ノイズ混じりの音声。
断続的な発信。
かなり弱い。
だが――確かに、救難コードだった。
『……た……す……け……』
砂嵐のようなノイズ。
『……遭難……救援を……』
ジョンの表情が少し変わる。
「救難信号か」
「みたいね」
セリアがコンソールを操作する。
「かなり古い形式。発信源も不安定」
「場所は?」
「ちょっと待って……」
モニターに星図が表示される。
点滅する座標。
ラクーン号からそう遠くない宙域だった。
「……コロニー?」
セリアが眉をひそめる。
「登録番号、T2R」
その名前に、ジョンは聞き覚えがなかった。
「なんだそこ」
「調べる」
セリアの指がコンソールを滑る。
データベース検索。そして。
「……次世代食料研究コロニー」
「研究施設か」
「でも」
セリアの表情が少し曇る。
「かなり前に事故で閉鎖されてる」
「事故?」
「記録だと、“環境制御システム異常による施設機能停止”」
「雑だな」
「辺境だし、連合もあんまり気にしなかったんじゃない?」
ジョンは椅子に深く座り直す。
「……で、そこから今さら救難信号?」
「そういうことになるわね」
沈黙。
静かなエンジン音だけが響く。
セリアが横目で見る。
「行く?」
ジョンは少し考えた。
正直、嫌な予感はする。
閉鎖されたコロニー。
古い救難信号。
しかも今さら。
どう考えても面倒事の匂いしかしない。
だが――
「救助報奨金、出るよな」
「そこなのね」
「重要だ」
ジョンは真顔で言う。
「助けるだけで金になるなら悪くない」
「平和に暮らしたいって五秒前に言ってたのに」
「平和に暮らすにも金がいる」
「俗っぽいわねえ」
セリアは呆れながら笑った。
だが、その顔はどこか楽しそうでもある。
「じゃ、行きますか」
「ああ」
ジョンが操縦桿を握る。
ラクーン号の進路が変わる。
静かな宇宙の中で、船体がゆっくりと加速を始める。
モニターの先。
暗闇の中に浮かぶ、一つのコロニー。
T2R。
今はもう忘れられた場所。
だが、その内部で何が待っているのかを――この時の二人は、まだ知らなかった。