宇宙小市民物語スターエイジ・フールマンズ 作:アイアイホイホイおさるさん
T2Rコロニーは、闇の中に浮かんでいた。
巨大な円筒型の外殻。
本来ならば外壁各所に点灯しているはずの誘導灯は半分以上が沈黙し、わずかに残った光だけが黒い宇宙空間にぼんやりと滲んでいる。
死んでいる――そんな印象だった。
「……なんか、思ったより嫌な感じね」
ラクーン号の副操縦席で、セリアがぽつりと呟く。
フロントモニターに映るコロニーは、巨大な墓標のようにも見えた。
ジョンは無言のまま操縦桿を握る。
古びた宇宙港区画が近づいてくる。
ドッキング用のライトは明滅を繰り返し、外壁にはところどころ巨大な亀裂が走っていた。
「本当に生きてるやついるのか?」
「救難信号は出てる」
セリアが端末を確認する。
「でも、信号源が妙に動いてるのよね」
「動いてる?」
「位置が微妙にズレる」
「遭難者が移動してるとかじゃなくて?」
「それにしては変」
セリアは眉をひそめる。
「一定のパターンがないの。ふらふらしてる感じ」
「……嫌な言い方するな」
「実際嫌な感じだもの」
ラクーン号が減速する。
スラスター噴射の振動。
宇宙港の巨大ハッチが近づく。
本来なら自動管制システムが船を誘導するはずだが、応答はない。
完全な沈黙。
「管制、生きてないか」
「非常電源だけ残ってる感じね」
セリアが通信を飛ばす。
「T2Rコロニー、こちらラクーン号。救難信号を受信した。応答できるか?」
ノイズ。砂嵐のような雑音。
返事はない。
「……反応なし」
「歓迎されてないな」
「そもそも歓迎できる人がいるのかも怪しいけど」
ジョンはため息をつきながら操縦を続ける。
ラクーン号がゆっくりと宇宙港内部へ侵入していく。
巨大な隔壁の向こうは暗かった。
照明はところどころ死んでおり、非常灯の赤い光だけがぼんやりと空間を照らしている。
広い。
そして静かだった。
宇宙港内には何隻もの船が放置されていた。
小型輸送船。
作業艇。
観光用シャトル。
どれも中途半端な位置で停止している。
まるで“逃げようとして、そのまま止まった”みたいに。
「……なんだこれ」
ジョンが低く呟く。
「放棄されたにしては変だな」
「急いで逃げた感じはあるわね」
セリアも周囲を見回す。
「でも、人の気配が全然ない」
それが不気味だった。
普通、こういう閉鎖施設でも管理ドローンくらいは動いている。
だが、このコロニーには“活動音”がまるで存在しない。
機械音。人の声。足音。
それら全てが存在しない。何もない。
あるのは、ラクーン号のエンジン音だけだった。
ジョンは指定区画へ船を着陸させる。
鈍い衝撃。
固定完了ランプが点灯する。
「……行くか」
「ほんとに行くのね」
「ここまで来て帰れるか」
「まあ、そうだけど」
二人は装備を確認する。
ジョンは作業用ジャケットの上から簡易防弾ベストを着込み、腰に護身用に購入した古いレーザーピストルを下げる。
セリアも携行ライトと小型ショックガンを持った。
「武器、それだけ?」
「ジャンク屋だからな」
「頼りないわねえ」
「お前が前出ろ」
「やだ」
即答だった。
ジョンは鼻を鳴らす。
そして、ラクーン号のハッチがゆっくり開いた。
――ギィィィ……。
重い金属音。
冷たい空気が流れ込んでくる。
宇宙港内部は薄暗く、非常灯の赤色だけが床を照らしていた。
二人の靴音が静かに響く。
「……広いな」
ジョンが周囲を見回す。
巨大な格納庫。
吹き抜け構造の天井。
何十メートルもあるクレーン設備。
だが、そのすべてが止まっていた。
まるで時間だけが切り取られたみたいに。
「ねえ」
セリアが小声で言う。
「なんか臭わない?」
「臭う?」
ジョンが鼻を鳴らす。
微かに。
本当に微かにだが。
湿った土のような臭いが混ざっていた。
「……植物?」
「そんな感じ」
宇宙港の空気ではない。
もっと生っぽい臭い。
自然の臭い。
その時だった。
――カタン。
遠くで何かが動いた。
二人が同時に顔を上げる。
暗闇。
コンテナの隙間。
だが、そこには何も見えない。
「……今の」
「聞こえた」
ジョンがゆっくり銃に手をかける。
静かだ。
だが、静かすぎる。
何かいる。
そんな感覚だけが肌に張り付いて離れない。
セリアがライトを向ける。
白い光がコンテナ群を照らす。
何もいない。
だが――
「……見られてる」
セリアが小さく呟く。
「何?」
「気配」
彼女は周囲を警戒しながら言う。
「なんかいる」
ジョンも感じていた。
視線。
物陰からこちらを窺う何か。
それが一つじゃない。
複数。
暗闇の中を、這い回るように動いている。
「……帰るか?」
「今さら?」
「ちょっとだけ後悔してる」
その瞬間だった。
――ガンッ!!
凄まじい音。
何かが天井から落下した。
「うおっ!?」
ジョンが反射的に後退する。
床に落ちた“それ”は、人間ほどの大きさを持っていた。
細長い身体。
鎌のような巨大な前脚。
昆虫めいた外骨格。
黒ずんだ複眼。
「……なによこれ」
セリアの声が引きつる。
その怪物は、ゆっくりと立ち上がった。
カマキリ。
古い図鑑で見た、地球を起源に持つ肉食の昆虫。
だが、巨大すぎる。
そして一匹ではなかった。
――ガサガサガサ。
周囲の暗闇が動く。
コンテナの隙間。
天井。
物陰。
そこから次々と現れる無数の影。
赤い複眼が、闇の中で一斉に光った。
「……嘘でしょ」
セリアが呟く。
ジョンは乾いた声を漏らした。
「歓迎はされてるみたいだな……!」
次の瞬間。
巨大なカマキリの怪物――デスマンティスの群れが、一斉に飛びかかってきた。
金属を引っ掻くような耳障りな鳴き声。
細長い脚が床を叩き、赤い複眼が暗闇の中でぎらつく。
「来るぞ!」
ジョンが叫ぶ。
最初の一匹が跳んだ。
異様な跳躍力だった。
人間の背丈を軽々と超え、一直線にジョンへ飛びかかってくる。
「っ!」
ジョンは咄嗟にレーザーピストルを抜いた。
――バシュッ!
青白い閃光。
至近距離で撃ち抜かれたデスマンティスの胸部が焼け弾ける。
だが、止まらない。
「うおっ!?」
ジョンは横に転がる。
次の瞬間、巨大な鎌がさっきまで彼の頭があった場所を切り裂いた。
床材が紙のように裂ける。
「硬っ……!」
「頭狙って!」
セリアがショックガンを撃つ。
高圧電流が一匹に直撃し、火花が散る。
デスマンティスが痙攣しながら倒れ込む。
だが、後ろから別の個体が飛び出してきた。
「数多すぎるって!」
セリアが叫ぶ。
周囲の暗闇が蠢いている。
十匹。二十匹。いや、それ以上。
コンテナの上。
天井の配管。
あらゆる場所に張り付いていた。
そのすべてがこちらを狙っている。
「ラクーン号に戻るぞ!」
ジョンが叫び、走り出す。
セリアも続く。
宇宙港内に銃声と足音が響く。
背後からは、無数の脚音。
ガサガサという不快な音が追いかけてくる。
「なんなのよあれ!?」
「知らねえよ!」
ジョンはコンテナを飛び越えながら怒鳴る。
「研究施設って聞いてたぞ!」
「私もそんな巨大昆虫ランドだとは聞いてない!」
天井から一匹が落下する。
ジョンが咄嗟に蹴り飛ばす。
重い。
昆虫とは思えない重量だった。
外骨格が鈍く軋む。
「くそっ!」
さらに後方から二匹。
三匹。
デスマンティスは包囲するように動いていた。
知能がある。
少なくとも、本能だけで動いている感じではない。
「ハッチ見えた!」
セリアが叫ぶ。
ラクーン号まであと数十メートル。
だが、その瞬間だった。
――ガァン!!
轟音。
目の前の天井が崩れ落ちる。
「なっ!?」
巨大な金属片が床に突き刺さり、通路を完全に塞いだ。
煙。火花。崩落音。
ラクーン号への道が閉ざされる。
「冗談でしょ……!」
セリアの顔が引きつる。
その瓦礫の向こう側。
暗闇の中で、複数の赤い目が光っていた。
デスマンティス。
待ち伏せしていたのだ。
「……囲まれてる」
ジョンが低く言う。
左右。後方。全部いる。
完全に追い込みにきていた。
「どうするの!?」
「走るしかない!」
「どこに!?」
「知らん!」
ジョンは半ばやけくそ気味に叫ぶ。
そして、近くの非常通路へ飛び込んだ。
セリアも続く。
背後からデスマンティスの群れが迫る。
通路は暗く、狭かった。
非常灯だけが赤く点滅している。
二人の荒い呼吸。
金属床を蹴る音。
そして――追跡音。
ガガガガガッ、と無数の脚が壁を這う。
「速っ……!」
セリアが息を切らす。
デスマンティスは壁や天井を自在に移動していた。
人間より遥かに速い。
「閉めろ!」
ジョンが横の隔壁操作盤を叩く。
非常シャッターが降下する。
だが、その直前。
一匹が滑り込んできた。
「っ!」
ジョンが発砲。
頭部が吹き飛ぶ。
緑色の体液が壁に飛び散る。
その直後。
――ドン!! ドン!! ドン!!
シャッターの向こう側から衝撃音。
デスマンティス達が体当たりしている。
金属が歪む。
「時間の問題ね……」
セリアが顔を青くする。
「逃げるぞ!」
二人はさらに奥へ進む。
通路は次第に変化していった。
最初は普通の施設通路だった。
だが、途中から様子がおかしくなる。
「……なんだこれ」
ジョンが足を止める。
壁。
そこに植物が絡みついていた。
蔓。苔。巨大化したシダ植物。
まるで何十年も放置された遺跡みたいに、通路全体が緑に侵食されている。
「こんなの、宇宙港の中に普通ある?」
「あるわけないでしょ……」
セリアも周囲を見回す。
湿気。
土の臭い。
空気そのものが変わっていた。
さらに奥へ進む。
そして――二人は、そこで完全に立ち止まった。
「……は?」
セリアが呆然と声を漏らす。
通路の先。
巨大な隔壁の向こう。
そこに広がっていたのは――“森”だった。
いや、森どころではない。
ジャングルだ。
見上げるほど巨大化した樹木。
密集する草木。
天井近くまで伸びた蔓。
湿った空気。
鳴き声。
どこかで水が流れる音。
そして、濃密すぎる生命の気配。
本来、人工コロニー内部に存在するはずのない景色。
「……なんだよ、これ」
ジョンが呟く。
理解が追いつかない。
コロニーの内部だ。
宇宙空間に浮かぶ人工施設だ。
なのにそこには、“地球の秘境”みたいな光景が広がっていた。
しかも。
ただの自然じゃない。
植物が大きすぎる。
異様なのだ。
木々はビルのように巨大化し、葉は人間ほどのサイズがある。
根は床を突き破り、コンクリートを飲み込んでいた。
「遺伝子実験って……こういうこと?」
セリアの声がかすれる。
ジョンは答えない。
答えられなかった。
その時。
――ドォォン……。
遠くで、大地が揺れた。
二人が顔を上げる。
ジャングルの奥。
木々の向こう側。
何か巨大な影が動いた。
鳥の群れが一斉に飛び立つ。
そして。
低く、重い咆哮が響いた。
空気そのものを震わせるような声。
それを聞いた瞬間、本能が理解する。
――ここはもう、人間の場所じゃない。
ジョンとセリアは、無言で顔を見合わせた。
そして同時に思った。
とんでもない場所に来てしまった、と。