宇宙小市民物語スターエイジ・フールマンズ 作:アイアイホイホイおさるさん
潜水艇は暗い水路をゆっくり進み続けていた。
ゴウン……ゴウン……という低い駆動音が船体全体へ響く。
古いエンジン特有の不安定な振動が、床を通して足元へ伝わっていた。
船内は相変わらず狭い。
元々二人乗り用の小型艇へ六人も押し込まれているのだ。
湿気。
熱気。
機械油の臭い。
狭い鉄の箱の中に閉じ込められている感覚が、じわじわ精神を削ってくる。
特に、さっきの触手との遭遇以降は誰も口数が減っていた。
窓いっぱいに張り付いた巨大な吸盤。
水の奥にいた巨大な影。
あれを見た後では、軽口を叩く気にもなれない。
「……もう来ないでほしいのでござる」
ネドリーが半泣きで呟く。
タブレットを抱え込むようにして座り、完全に怯えていた。
「次来たら絶対漏らすでござる……」
「漏らすなら中央制御塔についてからにしなさいよ」
セリアが言う。
「この船トイレないんだから」
「最悪の情報でござる!!」
その時だった。
前方の暗闇に、ぼんやりと巨大な影が浮かび上がる。
「……?」
ジョンが目を細めた。
モニター越しに、人工的な構造物が見えてくる。
巨大な鉄骨。ライト。クレーンアーム。水中ゲート。
そして。
「……おお」
ジョンが思わず息を漏らした。
広い。 あまりにも広かった。
暗い水路の先に広がっていたのは、巨大な地下港だった。
中央制御塔地下に建設された潜水艇用ドック。
天井は遥か上。
コロニー内部だというのに、まるで地下都市のようや空間だった。
古びた照明が点滅している。
壁には巨大な整備レール。半ば水没した作業足場。錆びた搬入クレーン。
放置されて久しいはずなのに、施設自体はまだ形を保っていた。
「ここが中央制御塔でござるか……」
ネドリーが呆然と呟く。
潜水艇はゆっくり港内へ進入していく。
暗い水面が波打ち、船体が静かに揺れた。
ジョンは慎重に操縦桿を操作する。
こんなボロ船で壁にぶつけたら終わりだ。
「係留ポイント確認」
セリアがコンソールを見ながら言う。
接続モードではないが、機械操作は相変わらず得意だった。
「左側のドック、生きてるわ」
「よし……」
ジョンはゆっくり潜水艇を寄せていく。
ガコン。
鈍い音と共に潜水艇が接岸した。
エンジン停止。
船内へ静寂が広がる。
全員が少しだけ安堵の息を吐いた。
「た、助かったのでござる……」
ネドリーがその場へ崩れ落ちる。
「もう二度と水中とか行きたくないのでござる……」
「まだ帰りがあるわよ」
「やめてぇ!?」
そのやり取りを聞きながら、スフラが静かに周囲を見回していた。
どこか懐かしむような目。
「……この潜水艇」
彼がぽつりと呟く。
「元々は、この地下港用に配備されていた調査艇なんです」
ジョンが振り返る。
「調査艇?」
「ええ」
スフラは穏やかに頷いた。
「中央制御塔下部の用水路や環境設備を点検するためのものですよ」
その口調は自然だった。
だが、ジョンは妙な違和感を覚える。
この男、施設について詳しすぎる。
「……詳しいな」
ジョンが言う。
スフラは柔らかく笑った。
「元研究員ですから」
だが、その笑顔の奥に何か引っかかるものがあった。
ジョンがそれ以上問いかけようとした、その時。
――ピピッ。
再び通信音が鳴った。
『……た……す……け……て……』
船内の空気が一瞬で凍る。
あの声だ。
ノイズ混じりの救難信号。
地下港へ到着してから、むしろ受信感度はさらに強くなっていた。
『……たす……け……て……』
まるで、すぐ近くから聞こえてくるようだった。
「……やっぱりここから発信されてるのでござるか」
ネドリーが青ざめながら呟く。
ジョンは険しい顔でモニターを睨んでいた。
するとモラゴが、重い溜息を吐く。
「……やはりの」
「博士」
ジョンが振り返る。
「さっきから何か知ってる感じだったよな」
モラゴは数秒黙った。
やがて観念したように口を開く。
「ワシら研究者の間では、あれは“スキウラ”と呼ばれておった」
「スキウラ?」
「元はただのタコじゃ」
その一言に、全員の顔が引きつる。
「……タコ?」
スケイルが聞き返す。
モラゴは頷いた。
「T2Rでは次世代食料研究だけでなく、生物の知能向上実験も行われておった」
「うわ、絶対ロクなことにならないやつ」
セリアが即答する。
「その通りじゃ」
モラゴが苦い顔で答える。
「タコは元々知能が高い生物での。道具を使う。迷路を解く。人間の行動パターンも学習する」
彼は続ける。
「じゃから、“さらに知能を向上させれば有益な生物を作れるのではないか”……そう考えた連中がおった」
「結果がアレかよ……」
ジョンが顔をしかめる。
「最初は小型じゃった」
モラゴは手で小さな丸を作る。
「普通のタコ程度のサイズ。水槽に収まるくらいのの」
「じゃあなんであんな怪獣に……」
「わからん」
モラゴは険しい顔で首を振った。
「本来、被検体は全て殺処分されたはずなんじゃ」
「はず?」
「危険性が確認されたからじゃよ」
彼の声が重くなる。
「スキウラは異常な学習能力を持っておった。研究員の動きを覚え、設備を操作し、さらには……」
モラゴはスピーカーから流れるノイズ混じりの音声へ目を向ける。
『……た……す……け……て……』
「音を真似るようになった」
全員が黙った。
「救難信号も、おそらくあやつの仕業じゃ」
「……え」
ネドリーが固まる。
「獲物を誘うための“鳴き真似”みたいなものじゃろう」
モラゴは低く言った。
「人間をおびき寄せ、自分の縄張りへ近づけるためのの」
船内の空気がさらに冷える。
ジョンはゆっくり窓の外を見る。
暗い地下港。
静かな黒い水面。
その奥。
見えない闇の中に、“何か”がいる。
そんな確信だけがあった。
『……た……す……け……て……』
地下港には、不気味な静寂が満ちていた。
潜水艇のエンジンは停止している。
さっきまで船内へ響いていた低い駆動音が消えた事で、余計に周囲の静けさが際立っていた。
聞こえるのは、水滴の落ちる音だけ。
――ピチャン。
――ピチャン。
広大な地下空間のどこかで反響し、妙に長く耳へ残る。
そして。
『……た……す……け……て……』
あの声だけが、暗闇の奥から聞こえていた。
ノイズ混じりの救難信号。
だが今ではもう、全員が理解している。
これは救難信号ではない。
人間を誘うための鳴き真似だ。
「うぅ……」
ネドリーが顔を引きつらせる。
「知った後だと怖さ倍増でござる……」
アリスがネドリーの服をぎゅっと掴く。
「なんか嫌な感じなのです……」
ジョンは窓の外を睨んでいた。
広すぎる地下港。
照明は死にかけていて、所々がぼんやり点滅しているだけだ。
巨大クレーン。
半ば水没した作業床。
錆びついたコンテナ。
その全てが黒い影になっている。
どこに何が潜んでいても不思議ではない。
『……たす……け……て……』
その時だった。
ジョンが眉をひそめる。
「……?」
声が遠くなっている。
さっきまで、まるですぐ近くで聞こえていたはずなのに。
『……た……す……』
ザザ……。
ノイズが弱まる。
さらに遠ざかる。
そして。
『…………』
完全に聞こえなくなった。
潜水艇内へ沈黙が落ちる。
「……消えた?」
スケイルが小さく呟く。
数秒。
誰も動かない。
全員が耳を澄ませていた。
だがもう、あの声は聞こえない。
ジョンがゆっくり息を吐く。
「……行った、のか?」
ネドリーがその場へ崩れ落ちた。
「よ、よかったぁぁぁ……」
「まだ安心するのは早いわよ」
セリアはそう言いつつも、少しだけ肩の力を抜いていた。
アリスも胸を撫で下ろす。
「怖かったのです……」
その時。
モラゴが低い声で言った。
「……いや」
全員の視線が向く。
モラゴは地下港の暗闇を睨んだままだった。
「諦めたとは思わん方がいい」
「え?」
スケイルが聞き返す。
モラゴは険しい顔で続けた。
「スキウラは賢い。獲物が自分の縄張り内におると理解しておるなら、そう簡単に逃がすとは思えん」
ジョンが顔をしかめる。
「じゃあなんで離れたんだよ」
「わからん」
モラゴは首を振った。
「じゃが、待ち伏せくらいは普通にやる」
その一言で、せっかく緩んだ空気が再び張り詰めた。
待ち伏せ。
つまり今も、どこかでこちらを見ている可能性がある。
ジョンはゆっくり地下港を見回した。
暗闇。
黒い水面。
巨大な構造物の影。
確かに、何か巨大な怪物が潜むには十分すぎる場所だった。
「……とにかく降りるぞ」
ジョンが言う。
「ここでずっと潜水艇に籠もってても仕方ねえ」
誰も反対しなかった。
潜水艇のハッチがゆっくり開く。
ギギギ……と重い金属音。
湿った空気が船内へ流れ込んできた。
カビ臭い。
水の臭い。
そしてどこか生臭い匂いも混じっている。
「うわ、空気最悪……」
セリアが顔をしかめる。
ジョンが先に外へ降りた。
地下港の床は濡れていた。
長年放置されていたせいで、水溜まりだらけだ。
靴裏がぬるりと滑る。
天井は遥か上。
巨大な地下空間が闇の中へ広がっていた。
そのスケール感だけで、人間がどれだけ小さいか思い知らされる。
「すげぇ……」
ジョンが思わず呟く。
かつてここには、研究員や整備員が大勢いたのだろう。
だが今は誰もいない。
残っているのは、放棄された施設だけ。
静かすぎる廃墟だった。
続いて他の面々も上陸してくる。
ネドリーは完全に腰が引けていた。
「絶対なんか出るでござるよここ……」
「今さら?」
セリアが言う。
「怪獣コロニーの時点でずっと出てるわよ」
「そういう意味じゃなくてぇ!」
アリスはきょろきょろ周囲を見回していた。
「なんだか海の底みたいなのです」
確かにそんな雰囲気だった。
青白い非常灯。
湿った空気。
水音。
巨大な空間。
まるで沈没した海底基地に迷い込んだようだ。
その時だった。
――ガコン。
どこかで音が鳴った。
全員が硬直する。
「……!」
ジョンが即座にレンチを構える。
セリアの鉤爪がカチリと開く。
音は地下港の奥から聞こえた。
――ガシャ……。
何かを引きずる音。
湿った肉が床を這うような音。
ズ……ズズ……。
近づいてくる。
ネドリーが青ざめる。
「き、来たのでござるか!?」
スケイルも息を呑む。
「スキウラ……?」
ジョンは暗闇を睨んだ。
だが見えない。
音だけが近づいてくる。
ズル……ズル……。
その瞬間。
暗闇から“それ”が現れた。
「うわっ!?」
スケイルが悲鳴を上げる。
巨大なヒルだった。
全長二メートル近い肉塊。
ぬめった赤黒い皮膚。
円形に開いた口の内側には、細かい牙が何重にも並んでいる。
しかも一匹ではない。
次々と。
ゾロゾロと。
水路。壁。配管。
あらゆる場所から巨大ヒルが這い出してくる。
「ブラッドクローラーじゃ!!」
モラゴが叫ぶ。
「生物の臭いに集まってきおった!!」
「十分最悪なんだけど!?」
ジョンが叫ぶ。
ブラッドクローラー達は粘液を垂らしながら、一斉にこちらへ向かってきた。
飢えている。
その動きだけで本能的に理解できた。
そして次の瞬間。先頭の一匹が、大口を開けて飛びかかってきた。