宇宙小市民物語スターエイジ・フールマンズ   作:アイアイホイホイおさるさん

32 / 48
32.

 夕暮れだった。

 赤く染まった空が、静かな住宅街を照らしている。

 

 惑星リベルタ。

 銀河連合の中でも比較的平和な居住惑星であり、広大な海と温暖な気候で知られる場所だ。

 

 その郊外。

 小さな一軒家の窓から、柔らかな灯りが漏れていた。

 家の中は静かだった。

 壁には古びた写真が飾られている。

 若い頃の夫婦。

 研究施設の仲間達。

 そして宇宙リーグの野球チームのポスター。

 長年生活してきた痕跡が、部屋のあちこちへ残っていた。

 キッチンでは、一人の老婆が夕食の準備をしている。

 白髪混じりの髪を後ろでまとめた、小柄な女性だった。

 年齢は六十代後半。

 顔には深い皺が刻まれている。

 だが、その目はどこか優しかった。

 彼女は時折、窓の外を見る。

 そしてまた小さく溜息をつく。

 

「……今日も、帰ってこないわねぇ」

 

 ぽつりと呟く。

 彼女の夫は長い間帰ってきていなかった。

 T2Rコロニーの事故。音信不通。

 銀河連合からは「生存は絶望的」という連絡まで受けている。

 それでも。彼女は完全には諦めきれなかった。

 玄関には、古びた男物の靴が今も置かれている。

 食器棚には、夫が使っていたマグカップもそのままだ。

 帰ってくるかもしれない。

 そんな淡い期待を、ずっと捨てられずにいた。

 その時だった。

 

 ピンポーン。

 

 玄関チャイムが鳴る。

 老婆は顔を上げた。

 

「……?」

 

 宅配か何かだろうか。

 彼女はエプロンで手を拭きながら玄関へ向かう。

 そしてドアを開けた。

 そこに立っていたのは。

 

「……おう」

 

 ボサボサの白髪。

 伸び放題の髭。

 だがその顔は、見間違えるはずもなかった。

 老人は照れ臭そうに頭を掻く。

 

「ただいまじゃ」

 

 老婆の目が見開かれる。

 持っていた布巾が床へ落ちた。

 

「……あなた」

 

 声が震える。

 

「あなた……!?」

 

 次の瞬間。

 老婆は老人へ飛びついていた。

 

「生きてたのねぇ……!!」

「お、おうおう、そんな泣くでないわい」

 

 モラゴ・ジョンソンは困ったように笑う。

 だがその目も少し潤んでいた。

 何年ぶりだろうか。

 事故以来、ずっと生きて再会できる保証など無かった。

 コロニーで死ぬと思った事も何度もある。

 それでも。

 帰ってこられた。

 この家へ。

 妻の元へ。

 老婆――ジョンソン夫人は、何度も夫の肩を叩いた。

 

「馬鹿! 本当に馬鹿よあなた!!」

「ガッハッハッ! すまんすまん!」

「全然連絡もないし……!」

「いやぁ、色々大変でのう!」

 

 そう言って豪快に笑うモラゴ。

 その笑い声を聞いた瞬間、ジョンソン夫人はまた涙を流した。

 ようやく実感したのだ。

 本当に帰ってきたのだと。

 

 

 数十分後。

 家の中には、久しぶりの賑やかな空気が戻っていた。

 モラゴはリビングのソファーへ深々と座っている。

 

「くぁぁぁぁ~……やっぱ家は最高じゃのう」

 

 全身の力が抜ける。

 遭難生活。怪獣。極寒のコロニー。

 そんな地獄のような日々を過ごした後だからこそ、この平穏が身に染みた。

 ジョンソン夫人が冷蔵庫から缶ビールを持ってくる。

 

「はい」

「おおっ!!」

 

 モラゴの顔が一気に輝く。

 冷えたビール。

 缶の表面には細かな水滴が浮かんでいた。

 老人は震える手でそれを受け取る。

 

「これじゃ……ワシが求めておったものは……!」

「大げさねぇ」

「大げさなものか!!」

 

 モラゴは缶を開けた。

 プシュッ!!

 炭酸の音。

 その瞬間、老人の顔が本気で幸せそうになる。

 そして一気に飲んだ。

 

「ぐっ……ぐっ……ぐっ……」

 

 喉が鳴る。

 冷えた液体が身体へ染み渡っていく。

 数秒後。

 

「ッッッッッ~~~~~~~~~~!!」

 

 モラゴは天井を仰いだ。

 

「生き返るわい!!」

 

 ジョンソン夫人が呆れたように笑う。

 

「ほんとビール好きなんだから」

「遭難中ずっと飲めんかったからのう!」

 

 その時。

 テレビから賑やかな実況が流れた。

 

『さあ宇宙リーグ決勝戦! 本日のカードはマーズ・タイタンズ対ジュピターズ!!』

「おおっ、始まっとる!!」

 

 モラゴが嬉しそうにテレビを見る。

 野球中継だった。

 老人はソファーへ深く座り直す。

 片手にはビール。目の前には野球。隣には妻。

 窓の外では、平和な夕暮れが広がっている。

 何でもない日常。

 だが。

 モラゴにとって、それは命懸けで取り戻した宝物だった。

 老人はビールを飲みながら、小さく笑った。

 

「……帰ってこれたんじゃなぁ、ワシ」

 

 

 ***

 

 

 宇宙は静かだった。

 どこまでも続く漆黒。

 星々の瞬きだけが、広大な闇の中へ点々と散らばっている。

 その中を、一隻の小型作業船がのんびりと漂っていた。

 

 ラクーン号。

 

 ジョンとセリアの家であり、仕事場であり、そして帰る場所でもある宇宙船だ。

 船体は相変わらずボロボロだった。

 外装には継ぎ接ぎされた装甲板が何枚も貼り付けられ、塗装はところどころ剥げ落ちている。

 大型輸送船のような迫力も無ければ、軍用艦のような威圧感も無い。

 言ってしまえば、宇宙港の片隅で安く売られていそうな中古船そのものだった。

 だが。

 その薄汚れた船は、間違いなくジョン達の人生そのものでもあった。

 船内には低いエンジン音が響いている。

 

 ブゥゥゥゥゥン……。

 

 古い機関特有の微振動。

 少し油臭い空気。

 居住区には工具箱やジャンクパーツが積み上がり、テーブルの上には食べ終えたカップ麺の容器まで放置されている。

 生活感の塊だった。

 しかしジョンにとっては、こういう雑多な空間の方が落ち着く。

 病院の清潔な部屋より、よほど性に合っていた。

 その居住区の奥。狭い個室の中で。

 

「…………」

 

 ジョン・サトウは死んだような顔をしていた。

 ベッドへ座り込んだまま、魂が抜けたように固まっている。

 目は泳ぎ。

 口元は引きつり。

 全身から「気まずい」という感情が滲み出ていた。

 その理由は単純だった。

 部屋の入口。

 そこへ、セリアが立っていたからだ。

 紫色の長髪。ぴっちりしたスーツ。豊かな胸を腕組みで持ち上げながら、セリアは半目になっている。

 

「……ねえ」

「……はい」

「アンタさぁ」

 

 セリアは呆れたように溜息をついた。

 

「またなの?」

「…………」

 

 ジョンは答えられなかった。

 数分前。

 ジョンは部屋で一人、つまる所のマスターベーションをしていた。

 長い遭難生活から帰還し、久しぶりに落ち着いた日常へ戻った事で、色々と溜まっていたのだろう。

 しかし。

 そこへセリアが普通にドアを開けて入ってきた。

 結果。

 現場を見られた。

 しかもこれ、一度目ではない。以前にも似たような事があった。

 まるで成長していない。

 

「……ノックくらいしろよ」

 

 ジョンがぼそっと言う。

 するとセリアは即答した。

 

「自分の部屋でもないのに普通に鍵閉めてないアンタが悪いでしょ」

「ぐうの音も出ねぇ……」

 

 ジョンは顔を覆う。

 耳まで赤かった。

 一方、セリアの方はそこまで深刻そうではない。

 元々セクサロイドなのだ。

 性行為だの性欲だのに関しては、一般人とは感覚が違う。

 むしろ一人で勝手にダメージを受けているジョンの方を見て、少し面白がっている節すらあった。

 

「別に減るもんじゃないんだから、そんな落ち込まなくてもいいじゃない」

「減るんだよ社会的尊厳が」

「誰に対してよ」

「お前に」

「今さら?」

 

 セリアが吹き出す。

 ジョンはベッドへ倒れ込みたくなった。

 だがその時、セリアが軽く左腕を動かした。

 人工皮膚に覆われた、美しい女性型の腕。

 以前失われた左腕だった。

 T2Rコロニーでデスマンティスからスケイルを庇った際、切断された腕。

 あの後、銀河連合の医療施設で正式な修復処置を受け、現在は完全に元通りになっている。

 指先も自然に動く。

 肌の質感も人間そっくりだ。

 ジョンはそれをちらりと見た。

 

「調子どうだ?」

「ん? 問題ないわよ」

 

 セリアは手を開閉して見せる。

 

「まあ鉤爪アームも嫌いじゃなかったけどね」

「まだ言ってんのか」

「海賊っぽくて格好良かったじゃない」

「お前そういうの好きだよな……」

 

 ジョンが呆れたように笑った、その時だった。

 ピッ。

 居住区のモニターが自動起動する。

 

『本日のニュースをお伝えします――』

「ん?」

 

 ジョンがリモコンを手に取る。

 画面にはニュースキャスターが映し出されていた。

 

『先日発生したT2Rコロニー事故について、銀河連合政府は正式な調査結果を発表しました』

 

 その言葉に、ジョンとセリアの空気が少し変わる。

 T2Rコロニー。あの地獄だった。

 怪獣。死と隣り合わせの遭難生活。

 忘れようにも忘れられない。

 ニュース映像には、雪に覆われたT2Rコロニーが映っていた。

 白銀の人工天体。

 周囲には調査船が飛び交っている。

 

『事故原因は環境テロ組織“グリーンズ”による研究施設への破壊工作と断定されました。なお内部で確認された遺伝子変異生物群については、現在も調査が続いています』

 

 ジョンは深くソファーへ座り込む。

 

「やっと発表かよ……」

「まあ隠し通せる規模じゃないものね」

 

 セリアも隣へ腰掛けた。

 ニュースは続く。

 

『また、事故現場から回収された遺伝子研究サンプルについては、食料問題改善へ向けた研究資料として再利用される予定です』

「……はぁ?」

 

 ジョンが顔をしかめる。

 

「あれだけの事故起こしといて、まだ続けんのか?」

 

 呆れ半分、本気半分だった。

 何人死んだと思っている。

 どれだけ危険だったと思っている。

 だがセリアは少し苦笑するだけだった。

 

「まあねぇ……」

 

 彼女は肩をすくめる。

 

「でも、食料問題そのものは無くなってないし」

「……」

「人間が宇宙に広がりすぎたのよ」

 

 セリアはモニターを見つめたまま続ける。

 

「コロニーも増えた。居住惑星も増えた。人口も増えた。なのに食料生産は追いついてない」

 

 その声はどこか現実的だった。

 

「だから結局、誰かが研究しなきゃいけないのよ」

 

 ジョンは何も言えなかった。

 危険だ。だが必要でもある。

 宇宙時代というのは、そういう矛盾の上で成り立っている。

 ニュース映像が切り替わる。

 

『なお、T2Rコロニー内で確認された巨大生物群については、銀河連合管理下の自然保護惑星へ移送されました』

「……ん?」

 

 ジョンが画面を見る。

 映像には巨大輸送船。

 そして広大な森林型自然保護区。

 その中を、一体の小さな怪獣が走っていた。

 

『グルルルルッ!』

「……ミニソドム!」

 

 セリアが思わず声を上げる。

 小さな怪獣は元気そうだった。

 その後ろでは、親のソドムらしき巨大な影も歩いている。

 どうやら駆除ではなく、保護対象になったらしい。

 ジョンは静かに息を吐いた。

 

「……生きてたか」

 

 脳裏へ浮かぶ。

 雪の中、必死に火炎を吐いていた小さな怪獣の姿。

 怖かっただろう。だが同時に、あいつは確かにジョン達を助けようとしていた。

 セリアが小さく笑う。

 

「よかったわね」

「ああ」

 

 ジョンも少し笑った。

 

「元気なら、それでいいさ」

 

 ラクーン号は今日も宇宙を漂う。

 ジャンクを拾い。時々借金に追われ。時々死にかける。

 そんな冴えない毎日。

 だが。

 それでもジョン達は生きていた。

 広大な宇宙のどこかで。

 今日もまた、変わらない日常を続けながら。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。