宇宙小市民物語スターエイジ・フールマンズ 作:アイアイホイホイおさるさん
夕暮れだった。
赤く染まった空が、静かな住宅街を照らしている。
惑星リベルタ。
銀河連合の中でも比較的平和な居住惑星であり、広大な海と温暖な気候で知られる場所だ。
その郊外。
小さな一軒家の窓から、柔らかな灯りが漏れていた。
家の中は静かだった。
壁には古びた写真が飾られている。
若い頃の夫婦。
研究施設の仲間達。
そして宇宙リーグの野球チームのポスター。
長年生活してきた痕跡が、部屋のあちこちへ残っていた。
キッチンでは、一人の老婆が夕食の準備をしている。
白髪混じりの髪を後ろでまとめた、小柄な女性だった。
年齢は六十代後半。
顔には深い皺が刻まれている。
だが、その目はどこか優しかった。
彼女は時折、窓の外を見る。
そしてまた小さく溜息をつく。
「……今日も、帰ってこないわねぇ」
ぽつりと呟く。
彼女の夫は長い間帰ってきていなかった。
T2Rコロニーの事故。音信不通。
銀河連合からは「生存は絶望的」という連絡まで受けている。
それでも。彼女は完全には諦めきれなかった。
玄関には、古びた男物の靴が今も置かれている。
食器棚には、夫が使っていたマグカップもそのままだ。
帰ってくるかもしれない。
そんな淡い期待を、ずっと捨てられずにいた。
その時だった。
ピンポーン。
玄関チャイムが鳴る。
老婆は顔を上げた。
「……?」
宅配か何かだろうか。
彼女はエプロンで手を拭きながら玄関へ向かう。
そしてドアを開けた。
そこに立っていたのは。
「……おう」
ボサボサの白髪。
伸び放題の髭。
だがその顔は、見間違えるはずもなかった。
老人は照れ臭そうに頭を掻く。
「ただいまじゃ」
老婆の目が見開かれる。
持っていた布巾が床へ落ちた。
「……あなた」
声が震える。
「あなた……!?」
次の瞬間。
老婆は老人へ飛びついていた。
「生きてたのねぇ……!!」
「お、おうおう、そんな泣くでないわい」
モラゴ・ジョンソンは困ったように笑う。
だがその目も少し潤んでいた。
何年ぶりだろうか。
事故以来、ずっと生きて再会できる保証など無かった。
コロニーで死ぬと思った事も何度もある。
それでも。
帰ってこられた。
この家へ。
妻の元へ。
老婆――ジョンソン夫人は、何度も夫の肩を叩いた。
「馬鹿! 本当に馬鹿よあなた!!」
「ガッハッハッ! すまんすまん!」
「全然連絡もないし……!」
「いやぁ、色々大変でのう!」
そう言って豪快に笑うモラゴ。
その笑い声を聞いた瞬間、ジョンソン夫人はまた涙を流した。
ようやく実感したのだ。
本当に帰ってきたのだと。
数十分後。
家の中には、久しぶりの賑やかな空気が戻っていた。
モラゴはリビングのソファーへ深々と座っている。
「くぁぁぁぁ~……やっぱ家は最高じゃのう」
全身の力が抜ける。
遭難生活。怪獣。極寒のコロニー。
そんな地獄のような日々を過ごした後だからこそ、この平穏が身に染みた。
ジョンソン夫人が冷蔵庫から缶ビールを持ってくる。
「はい」
「おおっ!!」
モラゴの顔が一気に輝く。
冷えたビール。
缶の表面には細かな水滴が浮かんでいた。
老人は震える手でそれを受け取る。
「これじゃ……ワシが求めておったものは……!」
「大げさねぇ」
「大げさなものか!!」
モラゴは缶を開けた。
プシュッ!!
炭酸の音。
その瞬間、老人の顔が本気で幸せそうになる。
そして一気に飲んだ。
「ぐっ……ぐっ……ぐっ……」
喉が鳴る。
冷えた液体が身体へ染み渡っていく。
数秒後。
「ッッッッッ~~~~~~~~~~!!」
モラゴは天井を仰いだ。
「生き返るわい!!」
ジョンソン夫人が呆れたように笑う。
「ほんとビール好きなんだから」
「遭難中ずっと飲めんかったからのう!」
その時。
テレビから賑やかな実況が流れた。
『さあ宇宙リーグ決勝戦! 本日のカードはマーズ・タイタンズ対ジュピターズ!!』
「おおっ、始まっとる!!」
モラゴが嬉しそうにテレビを見る。
野球中継だった。
老人はソファーへ深く座り直す。
片手にはビール。目の前には野球。隣には妻。
窓の外では、平和な夕暮れが広がっている。
何でもない日常。
だが。
モラゴにとって、それは命懸けで取り戻した宝物だった。
老人はビールを飲みながら、小さく笑った。
「……帰ってこれたんじゃなぁ、ワシ」
***
宇宙は静かだった。
どこまでも続く漆黒。
星々の瞬きだけが、広大な闇の中へ点々と散らばっている。
その中を、一隻の小型作業船がのんびりと漂っていた。
ラクーン号。
ジョンとセリアの家であり、仕事場であり、そして帰る場所でもある宇宙船だ。
船体は相変わらずボロボロだった。
外装には継ぎ接ぎされた装甲板が何枚も貼り付けられ、塗装はところどころ剥げ落ちている。
大型輸送船のような迫力も無ければ、軍用艦のような威圧感も無い。
言ってしまえば、宇宙港の片隅で安く売られていそうな中古船そのものだった。
だが。
その薄汚れた船は、間違いなくジョン達の人生そのものでもあった。
船内には低いエンジン音が響いている。
ブゥゥゥゥゥン……。
古い機関特有の微振動。
少し油臭い空気。
居住区には工具箱やジャンクパーツが積み上がり、テーブルの上には食べ終えたカップ麺の容器まで放置されている。
生活感の塊だった。
しかしジョンにとっては、こういう雑多な空間の方が落ち着く。
病院の清潔な部屋より、よほど性に合っていた。
その居住区の奥。狭い個室の中で。
「…………」
ジョン・サトウは死んだような顔をしていた。
ベッドへ座り込んだまま、魂が抜けたように固まっている。
目は泳ぎ。
口元は引きつり。
全身から「気まずい」という感情が滲み出ていた。
その理由は単純だった。
部屋の入口。
そこへ、セリアが立っていたからだ。
紫色の長髪。ぴっちりしたスーツ。豊かな胸を腕組みで持ち上げながら、セリアは半目になっている。
「……ねえ」
「……はい」
「アンタさぁ」
セリアは呆れたように溜息をついた。
「またなの?」
「…………」
ジョンは答えられなかった。
数分前。
ジョンは部屋で一人、つまる所のマスターベーションをしていた。
長い遭難生活から帰還し、久しぶりに落ち着いた日常へ戻った事で、色々と溜まっていたのだろう。
しかし。
そこへセリアが普通にドアを開けて入ってきた。
結果。
現場を見られた。
しかもこれ、一度目ではない。以前にも似たような事があった。
まるで成長していない。
「……ノックくらいしろよ」
ジョンがぼそっと言う。
するとセリアは即答した。
「自分の部屋でもないのに普通に鍵閉めてないアンタが悪いでしょ」
「ぐうの音も出ねぇ……」
ジョンは顔を覆う。
耳まで赤かった。
一方、セリアの方はそこまで深刻そうではない。
元々セクサロイドなのだ。
性行為だの性欲だのに関しては、一般人とは感覚が違う。
むしろ一人で勝手にダメージを受けているジョンの方を見て、少し面白がっている節すらあった。
「別に減るもんじゃないんだから、そんな落ち込まなくてもいいじゃない」
「減るんだよ社会的尊厳が」
「誰に対してよ」
「お前に」
「今さら?」
セリアが吹き出す。
ジョンはベッドへ倒れ込みたくなった。
だがその時、セリアが軽く左腕を動かした。
人工皮膚に覆われた、美しい女性型の腕。
以前失われた左腕だった。
T2Rコロニーでデスマンティスからスケイルを庇った際、切断された腕。
あの後、銀河連合の医療施設で正式な修復処置を受け、現在は完全に元通りになっている。
指先も自然に動く。
肌の質感も人間そっくりだ。
ジョンはそれをちらりと見た。
「調子どうだ?」
「ん? 問題ないわよ」
セリアは手を開閉して見せる。
「まあ鉤爪アームも嫌いじゃなかったけどね」
「まだ言ってんのか」
「海賊っぽくて格好良かったじゃない」
「お前そういうの好きだよな……」
ジョンが呆れたように笑った、その時だった。
ピッ。
居住区のモニターが自動起動する。
『本日のニュースをお伝えします――』
「ん?」
ジョンがリモコンを手に取る。
画面にはニュースキャスターが映し出されていた。
『先日発生したT2Rコロニー事故について、銀河連合政府は正式な調査結果を発表しました』
その言葉に、ジョンとセリアの空気が少し変わる。
T2Rコロニー。あの地獄だった。
怪獣。死と隣り合わせの遭難生活。
忘れようにも忘れられない。
ニュース映像には、雪に覆われたT2Rコロニーが映っていた。
白銀の人工天体。
周囲には調査船が飛び交っている。
『事故原因は環境テロ組織“グリーンズ”による研究施設への破壊工作と断定されました。なお内部で確認された遺伝子変異生物群については、現在も調査が続いています』
ジョンは深くソファーへ座り込む。
「やっと発表かよ……」
「まあ隠し通せる規模じゃないものね」
セリアも隣へ腰掛けた。
ニュースは続く。
『また、事故現場から回収された遺伝子研究サンプルについては、食料問題改善へ向けた研究資料として再利用される予定です』
「……はぁ?」
ジョンが顔をしかめる。
「あれだけの事故起こしといて、まだ続けんのか?」
呆れ半分、本気半分だった。
何人死んだと思っている。
どれだけ危険だったと思っている。
だがセリアは少し苦笑するだけだった。
「まあねぇ……」
彼女は肩をすくめる。
「でも、食料問題そのものは無くなってないし」
「……」
「人間が宇宙に広がりすぎたのよ」
セリアはモニターを見つめたまま続ける。
「コロニーも増えた。居住惑星も増えた。人口も増えた。なのに食料生産は追いついてない」
その声はどこか現実的だった。
「だから結局、誰かが研究しなきゃいけないのよ」
ジョンは何も言えなかった。
危険だ。だが必要でもある。
宇宙時代というのは、そういう矛盾の上で成り立っている。
ニュース映像が切り替わる。
『なお、T2Rコロニー内で確認された巨大生物群については、銀河連合管理下の自然保護惑星へ移送されました』
「……ん?」
ジョンが画面を見る。
映像には巨大輸送船。
そして広大な森林型自然保護区。
その中を、一体の小さな怪獣が走っていた。
『グルルルルッ!』
「……ミニソドム!」
セリアが思わず声を上げる。
小さな怪獣は元気そうだった。
その後ろでは、親のソドムらしき巨大な影も歩いている。
どうやら駆除ではなく、保護対象になったらしい。
ジョンは静かに息を吐いた。
「……生きてたか」
脳裏へ浮かぶ。
雪の中、必死に火炎を吐いていた小さな怪獣の姿。
怖かっただろう。だが同時に、あいつは確かにジョン達を助けようとしていた。
セリアが小さく笑う。
「よかったわね」
「ああ」
ジョンも少し笑った。
「元気なら、それでいいさ」
ラクーン号は今日も宇宙を漂う。
ジャンクを拾い。時々借金に追われ。時々死にかける。
そんな冴えない毎日。
だが。
それでもジョン達は生きていた。
広大な宇宙のどこかで。
今日もまた、変わらない日常を続けながら。