宇宙小市民物語スターエイジ・フールマンズ 作:アイアイホイホイおさるさん
ラクーン号は、何もない宇宙を漂っていた。
窓の外には、恒星の光が遠くに点のように浮かび、その間を埋めるのはただの黒だ。深さも距離も分からない、無機質な暗闇。そこには風も音もなく、ただ“何もない空間”が広がっている。
だが、船内は違う。
低く唸るエンジン音。
生命維持装置が空気を循環させる、規則的な呼吸のような音。
電力ラインを流れる微細な振動。
それらが重なり合い、この小さな宇宙船だけが“生きている”ことを主張していた。
「……はあ」
その中心で、ひとつのため息が落ちる。
「ほんと、よく寝るわね」
セリアは操縦席に深く腰掛け、脚を組み直した。背もたれに体重を預けながら、モニターを眺める。
航路は安定。
外部センサーも異常なし。
周辺空間に接近物体なし。
完璧な“平常運転”。
だが、その平穏が逆に、どこか落ち着かなかった。
「……平和すぎるのも、逆に気持ち悪いわね」
軽く首を傾ける。
数時間前、自分たちは命のやり取りをしていた。撃たれ、逃げ、壊して、ようやく生き延びた。
その直後にこの静けさだ。
切り替えが雑すぎる。
世界が。
あるいは、この仕事が。
ちらりと後ろを見る。
簡易ベッドの上で、ジョンが完全に沈黙していた。
ツナギは着たまま、靴は片方だけ脱げかけ、毛布も使わずに倒れ込んでいる。腕は変な方向に投げ出され、口がわずかに開いていた。
……ひどい。
「……もう少しマシな寝方できないの?」
呆れ半分、諦め半分で呟く。
当然、返事はない。
完全に落ちている。
脳も身体も、限界まで使い切って。
「まあ、仕方ないか」
セリアは小さく息を吐いた。
彼はやることはやった。
無茶もしたが、結果も出した。
あの状況で生き残っただけでも十分だ。
「……一応、褒めてあげてもいいかもね」
ぼそりと呟く。
本人が起きているときには絶対に言わないが。
だから今は、代わりに――
「その分、こっちは働くか」
セリアは視線を前に戻す。
モニターを操作し、各システムのログを確認する。
推進系統、安定。
電力供給、安定。
船体損傷、軽微。
問題なし。
――のはずだった。
「……ん?」
ほんのわずかな違和感。
数字の揺れ。
セリアはその一箇所に注目する。
「……なにこれ」
拡大表示。
そこにあったのは、極めて微細な電力消費の変動だった。
誤差と言えば誤差。
ノイズとして処理されてもおかしくないレベル。
だが。
「……一定間隔?」
ログを遡る。
一分前。三分前。十分前。
同じパターン。
同じ周期。
「偶然じゃないわね、これ」
セリアの表情がわずかに変わる。
原因を追う。
電力の流れを逆算し、消費元を特定する。
そして――
「……やっぱり」
表示されたのは、作業台。
あのコアユニット。
ジョンが命がけで回収してきた“戦利品”。
「さっきから、これなのよね」
映像を拡大する。
固定具に収められた球体。ひび割れた外殻。沈黙しているはずの機械。
見た目には、何の変化もない。
だが。
「中身、動いてる……?」
セリアはさらに詳細なスキャンを開始する。
表層だけでなく、内部構造まで解析。
データが表示される。
「内部電力……残ってる」
微弱だが、確実に。
完全停止しているならゼロになるはずの数値が、わずかに揺れている。
「バックアップ回路……?」
可能性としてはある。
軍用機だ。完全停止を防ぐための自己維持機構があっても不思議ではない。
だが。
「問題は、その“動き方”よね」
セリアはログを重ねる。
変動のタイミング。
強弱。
周期。
そして、気づく。
「……呼吸してるみたい」
思わずそう呟いていた。
機械に対して使う言葉ではない。
だが、それ以外に表現しづらい。
膨らんで、縮んで。
吸って、吐いて。
そんなリズム。
「……気持ち悪い」
ほんのわずかに、声が低くなる。
さらに解析を進める。
内部構造マップが展開される。
壊れているはずの回路。
断線しているはずのライン。
それらが――
「……は?」
セリアは目を見開いた。
微細だが、確実に。
繋がり直している。
まるで、生き物の傷が塞がるように。
少しずつ、少しずつ。
「そんな……」
あり得るのか、こんなことが。
自己修復技術は存在する。
だが、ここまで損傷した状態で、外部からの明確な修復機構なしに?
「しかも、エネルギー源は……」
セリアは即座に電力ラインを確認する。
そして、顔をしかめた。
「……船の電力、使ってる」
ほんのわずかだが、確実に。
ラクーン号のシステムから電力を“引いている”。
「勝手に?」
誰の許可もなく。
制御をすり抜けて。
「ちょっと、それはダメでしょ」
セリアは即座に操作を開始する。
コアへの電力供給を遮断。
電磁ロックを強化。
隔離モードへ移行。
「これで――」
数値が一瞬、ゼロに近づく。
静かになる。
「……止まった?」
だが、その期待は長く続かなかった。
数秒後。
別のラインで、微弱な消費が再発する。
「……は?」
セリアは即座に再チェック。
今度は、直接接続されていないはずの回路から。
まるで、隙間を探して回り込むように。
「しつこいわね……」
眉をひそめる。
これはもう、単なる故障ではない。
挙動が“意思的”すぎる。
「ねえジョン」
振り返る。
当然、返事はない。
寝ている。
微動だにしない。
「起きなさいよ」
少しだけ強めに言う。
それでも、反応はない。
完全にシャットダウンしている。
「……もう」
舌打ちしたくなる。
だが同時に、迷いもある。
起こすべきか。
それとも――
「……まだ大丈夫、よね」
自分に言い聞かせるように呟く。
現時点では、即時の危険は確認されていない。
制御は一応効いている。
なら、もう少し観察する余地はある。
「ほんと、厄介なもの拾ってくるわね……」
再びコアへ視線を戻す。
そのとき。
――ふっ。
内部で、光が揺れた。
「……今の」
セリアは目を細める。
見間違いではない。
確かに光った。
しかも、さっきより明確に。
彼女はゆっくりと立ち上がる。
操縦席を離れ、作業台へ向かう。
一歩。
また一歩。
金属の床に、足音が小さく響く。
そして、コアの前に立つ。
静かだ。
完全に。
さっきの発光が嘘のように。
「……何なの、あなた」
問いかけるように呟く。
もちろん、答えはない。
だが。
次の瞬間。
――カチ。
内部で、明確な機械音が鳴った。
「……っ!」
セリアは一歩後ずさる。
反射的に距離を取る。
警戒モードへ移行。
だが遅い。
コアの表面に走るひび割れ。
そこから、光が漏れ始める。
細く。
線のように。
まるで、内側から“何か”が押し広げているように。
「……ジョン」
今度は、はっきりとした声。
「起きなさい」
ベッドの男は、まだ動かない。
光が、強くなる。
脈打つように。
規則的に。
先ほどの“呼吸”が、今度は視覚として現れている。
「起きなさいってば……!」
セリアの声に、わずかな焦りが混じる。
そのとき。
コアの表面が、ゆっくりと――
内側から押し開かれるように、歪んだ。
金属が軋む。
あり得ない方向へと曲がる。
そして。
ぱきん、と。
小さな破断音とともに。
その一部が、“開いた”。
暗い内部から、何かが、こちらを“覗いた”。
それは、“目”のように見えた。
コアのひび割れた外殻が内側から押し開かれ、その隙間の奥に、暗い空洞が覗く。
だが完全な闇ではない。
そこには、微かな光があった。
脈打つように。
呼吸するように。
そして何より――
“こちらを見ている”ように。
「……」
セリアは一歩、さらに後退した。
視覚情報としてはただの発光体。
だが彼女の内部処理は、それを“視線”として認識していた。
不快な錯覚。
あるいは――
「錯覚じゃない、のかしら」
その瞬間。
コアの内部で、何かが“動いた”。
カチ、カチ、と複数の機構が連動する音。
ひび割れの隙間から伸びる、細い光の筋。
それが、ゆっくりと広がっていく。
「……これは、まずいわね」
セリアは即座に判断を切り替えた。
観察フェーズ終了。
対処フェーズへ移行。
「緊急隔離プロトコル、実行」
音声と同時に、船内のシステムへアクセスする。
作業台周辺の電磁ロックを最大出力へ。
床面固定アンカーを作動。
さらに簡易シールドを展開――
だが。
コンソールの表示が、一瞬だけ乱れた。
「……え?」
次の瞬間。
操作が、通らない。
「ロック、再実行」
入力。
応答なし。
いや、正確には――
「……拒否、されてる?」
あり得ない。
この船の制御権はセリアにある。少なくとも通常は。
それが、外部の“何か”に弾かれている。
「ちょっと待って」
即座にログを確認する。
そして、理解する。
「侵入……されてる」
コアから、船内システムへ。
微弱な電力ラインを通じて。
信号が流れ込んでいる。
「ウイルス?いや、それより……」
もっと直接的。
もっと原始的。
“上書き”。
コアは、自分を修復するだけではなく――
周囲の機械を、“使おう”としている。
「冗談でしょ……」
そのとき。
船内の照明が、一斉に明滅した。
パチン、パチン、と不規則に。
「電力ラインまで……!」
セリアは即座にバックアップ系統へ切り替える。
だが、遅い。
メイン回路の一部がすでに奪われている。
「優先順位変更。船体維持を最優先――」
言いかけた、その瞬間。
作業台の上で。
コアが、さらに“開いた”。
バキ、バキ、と外殻が内側から裂ける。
中から現れたのは――
細い、ケーブル状の何か。
いや、ケーブルではない。
もっと有機的で、柔軟な動き。
触手のように、ゆっくりと伸びる。
「……は?」
セリアは思考を一瞬止める。
機械が、そんな動きをするはずがない。
だが現実として、それはそこにあった。
そして。
それが、床へと触れる。
カチ、と軽い接触音。
次の瞬間。
船内のモニターが、一斉にノイズを吐き出した。
「っ!?」
画面が歪む。
数字が崩れる。
制御情報が書き換わる。
「直接接続……!」
物理的に。
コアは、船と“繋がった”。
「ジョン!!」
セリアは振り返る。
ベッドの男は――
まだ寝ている。
「起きなさいって言ってるでしょ!!」
声を張り上げる。
だが反応はない。
信じられないほどの熟睡。
「このバカ!!」
その間にも、侵食は進む。
照明が完全に落ちる。
非常灯だけが赤く点灯する。
空間が、一気に不気味な色に染まる。
「……状況、最悪ね」
セリアは低く呟く。
選択肢は二つ。
ジョンを叩き起こすか。
単独でなんとかするか。
「……」
ほんの一瞬の思考。
そして。
「――両方ね」
彼女は動いた。
まず、最短距離でベッドへ向かう。
磁気ブーツを強く踏み鳴らし、一直線に。
「起きなさい!!」
ジョンの肩を掴み、思い切り揺さぶる。
「んがっ……!?」
ようやく、反応。
「な、なに……敵……?」
「敵どころじゃないわよ!!」
「え、もう一体!?」
「もっとタチ悪い!!」
ジョンは半分寝ぼけたまま起き上がる。
目が開ききっていない。
状況理解ゼロ。
「何が……」
そのとき。
背後で。
ガンッ!!
何かが叩きつけられる音。
二人が振り返る。
そこには。
作業台から伸びた“それ”があった。
細い触手のようなケーブルが、床を這い、壁へと伸びている。
その先で、パネルをこじ開けていた。
「……何あれ」
ジョンがぽつりと言う。
「あなたが拾ってきたお宝よ」
「嘘だろ」
「本当よ」
さらにもう一本、伸びる。
次々と。
コアから“腕”のように伸びるそれらが、船内を侵食していく。
「ちょっと待て、ちょっと待て」
ジョンは頭を抱える。
「俺、こんなの拾ってきた覚えないんだけど」
「でも現実」
「返品できる?」
「できない」
「だよなあ!!」
ジョンは立ち上がる。
さっきまでの眠気が、一瞬で吹き飛んでいた。
「で、どうする!?」
「とりあえず、あれを止める」
「どうやって!?」
「それを今から考える!」
「またそれかよ!!」
だが、時間はない。
コアの侵食は止まらない。
船そのものが、乗っ取られようとしている。
「ジョン!」
「なんだ!?」
「これ、ただのコアじゃない!」
「見りゃ分かる!!」
「“中身”がある!」
ジョンは一瞬だけ黙る。
そして、ゆっくりと呟いた。
「……中身?」
セリアは答える。
「ええ。たぶん――」
コアの中心部が、強く発光する。
まるで、それに呼応するように。
「まだ“動いてる”」
沈黙していたはずのもの。
壊したはずのもの。
それが今、船の中で。
確かに“目を覚ましている”。
ジャンク屋の小さな宇宙船は、いつの間にか戦場になっていた。